小室みえこのブログ

日々のくらしと市政をつなぐ

疎開船 「対馬丸」

2017-08-22 22:15:21 | 日記

小室みえこです。

対馬丸をご存知ですか?対馬丸は73年前の戦時中、沖縄から本土に向けて出港した疎開船です。児童や一般の疎開する多くの人を乗せて、鹿児島県:悪石島(あくせきじま)沖で米潜水艦の魚雷に撃沈された船です。

1788人が乗り合わせており、そのうち氏名が判明した学童784人を含む1482人が犠牲となった事件です。

皆さんは、疎開船が犠牲になったことをご存知ですか?私は、18年前まで知らずにおりました。たまたまその18年前が私にとって対馬丸元年となったのです。ん?対馬丸元年って?・・・・・・・・・・・・・?理由美容院で女性雑誌にこの対馬丸の記事が掲載されていたものを読ん初めて対馬丸を知った。理由その翌日、たまたま TVで「対馬丸」の映画を放送したのです。あら、昨日読んだ雑誌に載っていた対馬丸だぁ~。

 

そして、次は・・・・

少し、説明を要しますが、 当時、、、私は話力研究所という、「話し方」「聞き方」を研究し、コミュニケーション力を高めるための事務所に所属しており、インストラクターとして仕事をしていました。

その研究所は、年2回の合宿研修を行っていました。理由③18年前 (対馬丸元年を決定づけた出来事の一番の理由です)合宿に参加していた方の中にいらした埼玉県在住の男性が、同じ東武野田線沿線のお住いだったことから、私に声をかけてくれ、交流会の時間に親しくなりました。その時は知らなかっのですが

 翌日、合宿で行う、スピーチで・・・・その男性がスピーチされた内容が、「対馬丸」。なんとその方は、対馬丸に乗っていて生還された方なのです。

その出会いを記念して?私は勝手に、18年前を「対馬丸元年」と呼んでいる のです。

その方のスピーチは、すごかった!!

要約ですが) 自分は、たった一人で対馬丸に乗った。だから助かったんだと思う。なぜなら、学友や先生、親や兄弟、親戚の人。。。と一緒に乗り込んだ人は、その人を探したり、助けようとして海に沈んでいった。10歳だった自分は、とにかく何かにつかまり、自分のことだけを考えるしかなかった。船が沈んだ後、周りには何人もの人がそれぞれ何かにつかまり、海に浮かんでいた。しかし、一人沈み、二人沈み、、背中に赤ちゃんをおぶった若いお母さんが沈んでいくのも見たと。また、若い予科練の学生らしいお兄さんが、近くに見える島に向かって、「腹が減っただろう、何かあの島でい食べ物を探してくる」と言ったまま戻ることはなかった。魚雷に撃沈されたとき、対馬丸のほかにも疎開船があったらしい。しかし、対馬丸は古い船で、すぐにほかの疎開船からおいて行かれるような船だった。また撃沈されたときに護衛船が並走していたが、あっという間に逃げて行った。などなどわずか3分のスピーチの題材としては、あまりに大きく、重い内容で、圧倒されてしまいました。

 

実はその方は、中小企業診断士をされていらっしゃって、野田の商工会議所にも呼ばれて野田にも行くんだよ。と仰っていたので、一度野田でお会いしたことがあるのです。今では年賀状のやり取りしかありませんけれど。

今日も、靖国神社にお出かけになっているのかな?お参りに。

73年前の8/22

 

 

 

 

 

 

 

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