茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

今日はリラックス

2011-06-30 22:50:50 | 日記
今日は午前中お天気が良かったので、
うちの植物達はベランダで日向ぼっこと水分補給。

掃除を済ませ、母とアイスコーヒーでほっとひと息。

近所の「リラクゼーション整体」の予約がとれたので、夕方出かけた。
今日は足のマッサージをしてもらった。
ゼラニウムのオイルでリラックス。

夫の闘病中も、時々足裏マッサージや整体で身体をほぐした。
時にはエステも。。。
夫に申し訳ないな、と思いつつも。
でもそれは、心身共に健康を維持する上で、私にとって不可欠なものだった。

今はどちらかというと、心の緊張をほぐすために。

お店の人に勧められてハーブコーディアルというハーブ飲料を買ってしまった。
種類は様々だが、私が買ったのは、「クランベリー&ハイビスカス」。
クランベリーはポリフェノール、ハイビスカスはクエン酸等で
アンチエイジングが期待されるというので、つい。。。

夫が「相変わらずアンチエイジングっていう言葉に弱いねぇ」
と言ってるようだ。

オリーブ

2011-06-26 16:00:06 | 日記
以前からほしかったオリーブの木が今日届いた。
ホントは大きなものがほしかったが、
たまたま花屋さんで見かけて、小さいけれど買ってしまった。

「これからどんどん大きくなるのですか?」と店員さんに尋ねたら、
「オリーブは“どんどん”は成長しないんですよ。ゆっくり大きくなるんです。」

私もこのオリーブといっしょに少ーしずつならまだ成長できるかな?
と、ちょっと期待してしまった。





2年前のこと(7)

2011-06-26 14:59:36 | 病気1(発病・大学病院)
8月に入り、そろそろ退院か転院を考えるよう病院から言われた。
かなり回復はしていたが、まだまだベッドの中にいることが多かった。
一番心配だったのはトイレのこと。
その時点ではまだ紙おむつだった。
夫には込み入った相談はできないので、私の判断でリハビリ病院に転院することを希望した。
病院の医療連携相談室のソーシャルワーカーさんに相談し、
なるべく近いリハビリ病院を探していただいた。
しかし、ほとんどのリハビリ病院は、発症や手術から1ヶ月~2ヶ月の患者が対象で、
主に脳血管障害の回復期のリハビリを目的としている。
条件的には入れそうでも満室というところもあった。

いろいろ探していただいた結果、1週間ほどして少し遠いけれど転院できる病院を紹介された。

早速、その病院へ見学に行き、担当の医師と面接をした。
担当の先生は神経内科の30歳代くらいの医師で、夫のMRI画像を見て、
「リハビリをしてもあまり効果は期待できない」ようなことをおっしゃた。
また、脳腫瘍の治療はできないので、万が一腫瘍の症状が悪化したら、
すぐに治療ができる病院へ移ってもらいたいということだった。
あまり積極的には受け入れたくないような雰囲気だったが、
なんとか入院させていただくようにお願いをした。

ただ、環境は良さそうだし、とにかくもう少し日常生活ができるようになってもらい、
その間に帰ってきてから不自由がないよう家の中を整えておこうと考えた。

転院の前日、担当してくださった看護師さん、理学療法、作業療法、
言語療法の先生方にご挨拶をした。
約3ヶ月間、病院の皆さんに支えていただいた感謝の気持ちと、
夫のがんばりに、胸がいっぱいになった。

2009年8月24日転院。

今日はひとりで・・・

2011-06-20 12:02:46 | 日記
今日は久々に母が一人で出かけ、私一人で家にいる。
母には夫のことでは大変感謝しているが、
ずっと二人で家にいるのはちょっとしんどい時もある。
母や、身内には言っていないが、昨年10月に私は仕事をやめた。
夫との時間に集中したかったので。
なので、現在無職にもかかわらず、時々仕事に行っているふりをしている。
メールでも仕事ができるから、たまに行けばいいと言ってある。

今日は、夫が使っていた様々なカード等の解約の手続きをしている。
きっと悲しくなるから、母がいるときにはしたくなかった。
案の定、一つ解約の電話をするたびに涙が出た。

携帯電話も2年前から使えなくなっていたけれど、解約できずにいた。
いつか使えるかなと・・・。
携帯だけはショップに行かないと解約できないとのこと。
死亡が確認できる書類の原本も必要。
お店で涙がでなければいいが・・・。
せっかく今日してしまおうと思ったのに。
また、先送りになりそうだ。

夫からのメールは入院前、会社から「今から帰るよ」が最後。
それまでのメールは消えないように『保護』したが、今は読めない。
いつか、懐かしく読める日が来るだろうか。

2年前のこと(6)

2011-06-17 16:24:57 | 病気1(発病・大学病院)
2009年5月30日の手術後、病理検査の結果、
左側頭葉神経膠芽腫グレード4と診断された。
摘出率は95%。余命18ヶ月。

余命に関しては私のみ承知。
始めはショックだったが、18ヶ月の間に画期的な治療法が、
見つかるかもしれないし、奇跡的な回復をするかもしれないと
考えるようになった。

2009年6月26日から8月7日まで、
強度変調放射線治療 計60Gy
テモダール 1日120mg

術後、2週間ほどしてからだろうか、理学療法(PT)、作業療法(OT)、
言語療法(ST)の先生が、ベッド上でリハビリを開始。
と言っても、ほとんど寝たきりの状態だが、少しずつ身体を動かしてくださった。
嚥下が出来るまでは、鼻から流動食で、
テモダールもりんごジュースと共に鼻から入れていた。

手術から2ヶ月弱の7月22日、やっと口から刻み食を食べられるようになった。
左手でスプーンで食べた。
8月に入り、車椅子で病院近所を散歩できるようになった。
PTも順調で、4点杖で少し歩けるようにもなった。

言葉は回復の兆し無し。
「パキー」とか「マキー」とか意味が不明。
夫には手術前からのことを、ノートに書きながら話したが、
どこまで理解しているかよくわからない。
お見舞いの人とは、解っているように笑って頷いたりしている。

しかし、手術直後の顔が2倍以上に腫れて、目も痙攣していたことを考えると、
すばらしい回復力。
私は毎日病院に行っていたが、夫は自分の状態に対して、
悲しんだり、嘆いたり、落ち込んだりする様子が全く無かった。
摘出部分によるものか。
淡々としていて、誰か来れば、笑って応対していた。
その様子には救われた。