Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「季節だより」の思い出・・・

2006-10-31 15:01:42 | Weblog
10月最後の昼下がり、のどかな秋の日差しの中、家でゆっくり過ごしながら
気になるもの・ことや、新しきこと、こころにやさしいお話などなど
どこかに置いたままだったり、不意に届いたアレコレを
ゆっくりと、ひも解いてみるのも、楽しきことのように思います。

さて、今朝、一番ビックリしたのは、ブログの景色が急に変わっていて…

一瞬、何か変なことをしてしまったかしら?というわけのわからない感覚に陥りました。

というのも、いままでは、タイトルの下に一行ほどの文章が出ていて
「…本文を読む」となっていました。

調べてみたら、今日から概要文の扱いが変わったとのコメントを見つけて
ホッと一安心しました。

いままで「その一行」に、何かを込めてみようと
(他の方には、どうでも良いことかもしれませんけれど)

私の中では、ささやかなこだわりがあったので
記事をさかのぼって、途中までを、元に戻していきました。

それが、意外にめんどうな作業ということもあり、あらためて過去の記事を見直してみると

自分が書いたものとはいえ
自分の一部のようでいて、自分ではない何ものかを見るような

けれど、やっぱり自分の体のどこかに、見えない糸でつながっているような…

なんともいえない不思議な…まるで子どもと自分との関係にも通じるような…

感覚がいたしました。


さて、どこか遠くに出かけてしまう前に、ひとつお話しておきます。

先日、お知らせした教育TVの「ハートをつなごう」の放送が、昨日ありましたが
ご覧になった方は、いらっしゃいますでしょうか?

先ほど録画を観て、30分の中でも、とてもわかりやすく
発達障害の子どものもつ困り感が、伝わるような取り上げ方になっていたように感じました。

ご出演なさっていた月森先生の

「子どもに向ける、あたたかくもきびしい確かなまなざし」と

実際に教育現場で、子どもと向き合っているからこそ見えてくる

「適切な対応や声かけ、方略の立て方」などなど

学ぶところが、ほんとうにたくさんありました。

さらに、先日スクーリングで田中康雄先生、高山恵子先生のお話を伺ったばかりでしたので

あらためて、子どもたちに向き合う大切な基本的な姿勢や
実際の関わり方について考えながら、観ることができました。

もうひとつ、kirikouは、今朝は少し遅刻してしまいましたけれど
うれしい発見(?)というのでしょうか、出会いがありました。

遅れて登校したので、昇降口まで私が一緒に行きましたら
校外でのスケッチに出かけるという6年生に行き会って

ふと、見ましたら教生の先生のような男の方がいらっしゃいました。

思い切ってお声をかけると、横浜国大の学生さんがアシスタントティチャーとして
週に一回ほど、授業に入っているとのこと。

「そうだったんですね~!!」

在籍校の情報とて、ナカナカ入ってこないこともありますので

実際にアシスタント・ティチャーが、活動しているのを目にすることができて
ただただ、明るい印象が沸き起こりました。

存じ上げている先生のお名前を申し上げましたら
その先生のもとで、学んでいらっしゃる学生さんとのこと。

「子どもたちにとって、ぜひ複数の目で観ていくことは、プラスになると思いますし
通級で一緒のお子さんたちも、いま、先生方を必要としていると思います。」

とお話いたしました。

こんな身近なところで、少しずつでも前進しているんですもの
一歩ずつ、だんだんに広がっていくことを、思い描いていきましょうね。


さて、タイトルに挙げた「季節だより」のお話を、しようと思います。

実は、このところ、イロイロ考えたり思っていながらも
行く先に、はるか遠き高い山のごときことどもがあって
そこに行くためのルートを、あれこれ探しながら
歩いているような気がしております。

ということで、この「季節だより」は、私が小学校の4年生の頃に

おそらく理科の授業のなかで、先生から指導を受けてはじめた「観察日記」のことです。

どういうわけか、私自身の記憶が定かでないところもあって
私の母に聞いて確かめてみたところ

イロイロな生物や植物の観察日記や身近な自然のこと、
季節の行事や風習についてなど、これといって決められたことではなく

自分の見つけたもの、気が付いたことについて
本で調べたりしながら、カードにしていたようです。

毎日でも、一日に何枚でも良いので、A5くらいの大きさの画用紙に
絵や言葉で、書いていくものでした。

自分でも、とても一生懸命、書いていたことは覚えていて
一年か2年間くらい続けて、ずいぶんとたくさんのカードがたまっていたと思います。

ただ、母の記憶によると、学校に提出したままになって、今はもう手元にはないらしく
実は、そのことが、最近なぜか気になって仕方がありませんでした。

いま、こんな風にブログを書きながら

何かを観察したり、ささやかながら何かを見つけたり…

そんなことをしていることの、原点ともいうべき最初のきっかけが

ひょっとして、10歳くらいのときに書いていた

その「季節だより」にあったような気がしてならないのです。


たぶん宿題という気持ちも、どこかにはあったと思いますけれど

いま思い出しても、何だか自分なりのおもしろさを見つけていて

書くことが、とっても楽しかったような…そんな気がします。


これといってはっきりしたエピソードは思い出せませんけれど

小学校のときの理科の授業や先生が、私は、ほんとうに大好きでした。

こんな楽しさを、kirikouたちにも

普段の生活や学校の授業の中で、
たっくさん、たっくさん経験してほしいなぁ!!と思っています。

ただし「どこを、どうすればいいのかしら…?」ということは

私一人では、とても思いつきませんけれど

かつて「理科大好き少女」だった私としては、ぜひいろんな方のお知恵をあわせて

良い方法を見つけていきたいと、感じています。


私は、おかげさまで、ほんとうにフツウの暮らしをしていますけれど

突き詰めると「科学の進歩」によって、ずいぶんと生活が便利に豊かに送ることができています。

先日観た「ARLWAYS~3丁目の夕日~」は、ちょうど私が生まれた頃のお話で
まだまだ、テレビも冷蔵庫も珍しくて、けれどなんだかノンビリと楽しかったような…

一方、その科学によってもたらされるものが、
すべての人の幸せにつながっているかどうかは
今のところ、100パーセント言い切れるかどうか…

そうあってほしいという願いを持って
「科学によるところのもの」を、見つめていくことも大切なのかもしれません。

ただし、決して「むかしが良かった」なんていうほど、歳はとっていないつもりです。

「科学というもの」の素晴らしい特性を生かした
技術だけではなく、夢の広がるような「前向きな未来を創造するチカラ」に

大いに期待もしつつ、楽しみにしているところです。


そんなことを、「季節だより」のことを思い出しながら、ふと思っておりました…


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
季節だよりと聞いて・・・。 (銀鏡反応)
2006-11-03 18:09:54
季節だより、と聞いて・・・、私も思うことあります。
休日に町を歩いていると、もう木々の葉っぱが色づいて、それがアスファルトに落ちたりして、ああこれが自然界の季節だよりなんだなぁ・・・、と感じることが多いです。
返信する
自然の移りかわり・・・ (風待人)
2006-11-03 21:20:06
銀鏡反応 さま

そんなことに気づけるのって、ほんとうに素敵ですね~

お散歩するのがお好きでいらしたんですよね!!

私も、最近歩きながらアレコレ考えたりすることが楽しくなりました。

また、お会いしてお話しましょうね~
返信する

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