雨の匂ひ


 徒然凌ぎの擲り書き…


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宵待ち草の遣る瀬無きは来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ所以

2005-07-23 08:33:51 | 雑記

 大凡の方々には利き腕や利き手などのありて、普段気に留められることのなく役割を与えておられようことの多かろう。
私は所謂右利きであるが故、細かき作業の殆どを右手の引き受け、左手の大雑把である。
お料理名人の私は(自身で自慢の“名人”などのなく、私の得意料理は“冷奴”と“野菜サラダ”であることの腕前のご推察願おう。)、味付けなどの妙技を果たすは常に利き手である右手であるが、左手の意外な伏兵であり、味付けたることの絶妙であり、玄人裸足であった。
無論、たまたま…偶然の産物であるが、何事も決め付けの無益であり時に有害ですらある。

 私の左手が今以上の役割を果たしたき…と望んでいるとは到底思えぬが、仮に…楽しきこと、…気持ちよきことなどのあらば、我も我も…と望みもしよう。
普段は右手で行っていることの左手に任せ、左手の役割の右手に担わせれば、自身の新たなれり…の発見のあろう。
無論、腕や手のみのことにはあらず、目や耳、足などにも分担のあろう。
自動車などの運転をなされし方のお判りであろうが、アクセルやブレーキを踏む足の…仮に常が右足なれば、左足では微調整の利かずぎこちなき動きにて危険さえ伴うものである。

 利き腕や利き足の概ね修練にて培われしことの明らかであろうが、遺伝的部分の大きく係わろう“利き”側の才能たるところには感謝さえ要ろうが、自身の中に統一されし役割分担の、時に変更の与えれば新鮮であるを、男性諸氏なれば何方もが解せると云うらしきことの、意外に繊細であることの滑稽である。

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