江川(えかわ)珈琲店の出来事

ekawacoffee blog、エカワ珈琲店の備忘録・雑記帳です。

公衆浴場

2010年03月13日 23時56分49秒 | 生活と社会
私の年齢なら、公衆浴場といえば、昭和の時代の銭湯をイメージするわけですが、現在から2000年近くも昔の古代ローマ帝国に存在していた公衆浴場は、フィットネスクラブのような施設だったということです。

まずトレーニングルームにてランニングや軽いウェイトリフティング・水泳などの運動で汗を流します。
その後、低温サウナと高温サウナつきのお風呂で身体をキレイにするわけです。
また、その古代ローマ帝国の公衆浴場には、遊戯室や談話室、それに食堂も付属していたということです。

古代ローマ帝国の都市には、少なくとも1つ以上の公衆浴場あって、特に古代ローマ帝国の中心都市ローマには、1000前後の公衆浴場があったといわれています。
そして、古代ローマ人たちは、1日のうち数時間を公衆浴場で過ごしていたと伝えられています。


↑↑古代ローマ帝国の公衆浴場再現図/【出典】ウィキペディアの「古代ローマの公衆浴場」より

私たち夫婦ですが、我が家から約4km、自動車で20分〜30分くらいの場所にある和歌山市で最大規模のフィットネスクラブで、1週間に6日間、毎日毎日2時間くらいの時間を過ごしています。

古代ローマ帝国の公衆浴場に集っていたローマ市民たちと同じように、運動で汗を流してから高温サウナつきの浴場でお風呂に入ります。
談話室には飲料の自動販売機が何台か設置されているのですが、会員専用の食堂はありません。

古代ローマ帝国の公衆浴場は公的な施設だったわけで、ものすごく格安の入場料で過大なサービスが提供されていたわけです。
2000年も前の昔、現在の私たちがフィットネスクラブで体験しているのと同じレベルか、それ以上のレベルの娯楽を、時の政府が市民たちに提供していた国家が存在していたという事実を、最近になってインターネットを通じて知った次第です。

21世紀の日本、経済的には相当に繁栄している国なのですが、古代ローマ帝国の公衆浴場並みの施設を持つフィットネスクラブが普及しはじめたのは平成の時代になってからで、そのほとんどは、公営ではなくて民営の施設ですから、古代ローマ帝国のすごさには驚いてしまいます。




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インターネットで情報を伝える

2010年03月12日 22時24分00秒 | エカワの商売論
インターネットが普及して、情報の分散化が始まりました。
そして、より多くの人々がより多くの情報に低価格で接触する機会を与えられたわけです。
簡単に低価格で情報を手に入れることができるようになって、消費者の消費する情報水準が高度化しています。

雑誌や新聞の不振が伝えられていますが、低価格で高水準の情報を手に入れることができるインターネットという道具に慣れ親しんでしまったなら、従来と同程度の水準の情報には、お金を支払う気持ちが無くなってしまうのかもしれません。
そして、インターネット内の情報は、日々、その水準を高度化しているわけです。

ですから、インターネットを使う商売では、情報を供給する側が、供給する情報の水準を高度化する努力を続ける必要があるのだと思います。
我がエカワ珈琲店ですが、最近、そのように考えるようになっています。

我がエカワ珈琲店は製造小売業を営んでいるのですが、コーヒー豆というモノだけを売っているのではなくて、情報も一緒に売っているわけです。
インターネットが普及する前なら、エカワ珈琲店からの情報供給量はものすごく限定されていました。
現在では、インターネットの普及によって、相当な量の情報を供給できる状況ができつつあります。

近い将来、インターネットを利用して情報を供給することで、お客さんを集客するのが当たり前の時代になって行くのだと思います。
零細生業の自営業者といえども、インターネットをある程度使いこなさなければ、収入を維持するのが難しくなる予感がします。




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フォーマルな経済と補完経済

2010年03月11日 23時30分48秒 | エカワの商売論
経済活動には、フォーマルな経済活動(正式な経済活動)と補完的な経済活動があるそうです。

何らかの競争が存在する市場での経済活動は、間違いなくフォーマルな経済活動ということになります。
これに対して、非市場的で競争が存在するとしてもほんの少しだけという経済活動などが、補完的な経済活動です。

経済の統計に常時登場するのがフォーマル経済の数値で、なかなか統計に登場してこないのが補完経済の数値です。

そして、日本のフォーマル経済の世界では、供給が需要を上回っているので、商品を売りさばくためには、売るためのマーケティング活動が必要になるわけです。
そこで、マーケティング・コンセプトの考え方が脚光を浴びることになります。

あのコトラーは、「選択した標的市場に対して、競合他社よりも効果的に顧客価値を生み出して、供給して、コミュニケーションすることが企業目標を達成するカギとなるという考え方」が、マーケティングコンセプトだと定義しています。

ようするに、『作ったモノを売るのではなくて、売れるモノを作る』ということだと思います。
そのためには、綿密な市場調査が必要で、市場の細分化(segmentation)、市場での目標設定(targeting)、市場での位置取り(positioning)の3つ、略して商品のSTPを定める必要があるのだそうです。

そこで、零細生業の自営業者です。
生業商売は、21世紀の日本においては、フォーマル経済の僅かな隙間か補完経済の領域でしか成り立たない商売になっています。

零細生業の自営業者が、綿密な市場調査やSTPを駆使することなど、絶対に不可能ですから、当然の事なのだと思います。
ですから、零細生業の自営業者が、間違ってフォーマル経済の真ん中部分で棲息する企業の真似事などをすると、存亡の危機を経験したりするのだと思います。

ということで、我がエカワ珈琲店は零細生業の自営業者ですから、フォーマル経済の真ん中部分ではなくて、それを補完する補完経済の世界とフォーマル経済の隙間部分で、細々と何年も何年も商売を営んで行けたらと考えている今日この頃です。

零細生業の自営業者を20年近くも続けている還暦間近の商売人が、厳しい競争の存在するフォーマル経済の真ん中部分で商売を営むことなど、無謀以外の何者でもないわけですから。




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品揃え

2010年03月10日 22時58分26秒 | エカワの商売論
我がエカワ珈琲店、お金持ちで無いことは確かで、どちらかといえば貧乏の部類に入るのだと思うのですが、モノ、とくに生活必需品の購入に不自由しているわけでもありません。

生活必需品で、食料品については、相当にこだわりを持っていて、あまりにも値段が高ければ手を出さないのですが、そうでなければ、それほど値段に関係なく気に入った商品だけを購入します。
食料品以外でも、洗顔石鹸・シャンプー・リンスなどは、気に入ったブランドの商品を購入しています。
それ以外にも、ブランドで商品を選択することが多々あるわけです。

で、最近、ショッピングセンターや大型小売店舗で買い物をして感じるのですが、あまりにも商品の絞り込みが徹底していて、購入したいブランド商品が売り場に無かったりするけです。

大型小売店舗の特徴の一つに、豊富な品揃えがあるわけですから、購入したいブランド商品を販売していなかったりするとがっかりしてしまいます。
大西宏のマーケティングエッセンス」で「女性の好きなファッションブランドのトップにユニクロ」の記事を読んでいて、その事を思い出しました。

21世紀の日本社会、経済が停滞気味だといっても、まだまだ豊かな社会ですから、価格の安さだけでなくて、価格以外の何かで商品・サービスを購入する人が多数存在しているはずです。

値段の安さを追求する商売で成功するのは、ほんの一握りの流通小売企業だけで、大半の流通小売企業は、価格の安さだけを追求する商売を志向することで、大きなダメージを受けることになるのだと思います。

価格の安さを追求するのも大事だと思うのですが、そこそこに値段が安ければ良いわけで、生業として小売商売を営んでいるのなら別ですが、事業として小売商売を営むなら、品揃えも重要な要素だと考えるわけです。





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国民健康保険税を滞納すれば

2010年03月09日 22時19分53秒 | 生活と社会
国民健康保険税を何ヶ月間か滞納すると、正規の国民健康保険証でなくて、期間の短い健康保険証が交付されたりします。
そして、それでも滞納が続くと、国民健康保険証が交付されなくなったりします。

租税公課ですから、差し押さえという手段もあるのですが、何故か、健康保険証を交付しないという手段が採用されるわけです。
考えてみれば、国民健康保険税の支払いが滞るわけですから、納税義務者から強制的に取り立てるのは至難の業なのかもしれません。

で、国民健康保険証が未交付だと、どうなるのかというと、病気になってお医者さんに診てもらうとき、高額な治療費を支払う必要があります。
後日、国民健康保険から返還してくれるのですが、お医者さんのお世話になる時点では、お医者さんに本人が治療費全額を支払う必要があります。
ですから、気軽にお医者さんのお世話になれなくなってしまいます。

たとえば、家族営業の自営業者で、家族が病気になって、普通に営業を続けることが不可能になってしまって、収入が激減して、国民健康保険税の支払いが滞りがちになって、期間の短い健康保険証が交付されて、それでも、資金繰りに苦しんでいるので、国民健康保険税の支払いができなくて、健康保険証が未交付になって、病気の治療に多額の治療費が必要になったりすると、頭の中が真っ白になってしまうわけです。

というのも、我がエカワ家ですが、過去に、収入の急激な減少に襲われたとき、前年度の収入を前提に賦課される国民健康保険税を支払えなくなった経験があって、税の支払いを滞れば、どうなるのかということも知らずに滞納していて、短期の健康保険証を交付されたことがあります。
病み上がりの家族が、毎月、必ず医療機関で受診する必要があったので、ものすごく惨めな思いをしたことがあります。

零細な自営業者のほとんどは、社会保険ではなくて国民健康保険に加入しています。
そして、ほとんどの零細な自営業者ですが、経営状態が芳しくなくて、国民健康保険税の支払いに四苦八苦しているのが現状です。
何故に、そのような状況になってしまったのだろうかと考えてみると、時代の急激な変化に適応できなかったということになるのですが、変化に適応できなかったのは、零細な自営業者の自己責任の問題だけでなくて、政治・行政の側にも、社会の変化への適応に不十分な面があるからだと思います。

社会制度が変更されて、社会が急激に変化したわけですが、社会的に一番抵抗の少ない部分だけを変更して、抵抗の強い部分は変更しなかったわけですから、抵抗の少ない部分で生息している零細な自営業者が、時代の嵐に翻弄されるのは自然の流れだったのかもしれません。
零細な自営業者・自己雇用者だけでなくて、勤めていても自前で国民健康保険に加入しなければならない人たちについても、同じことが言えるのだと思います。

グローバル経済の時代だということで、その流れに沿って社会制度を改革しようとしたのだと思うのですが、その社会制度の改革が、グローバル経済の先端を走る国の社会制度の一部分を真似ただけで、その全体を真似たものではなかったわけです。
ようするに、セーフティーネットや権利の部分で制度の改革が不十分だったのだと思います。

グローバル経済の時代に適応できるように社会制度が改革されたはずなのに、内需で成長してきた企業のグローバル化はほとんど進まず、その企業規模を維持するための犠牲になったのが、零細生業の自営業者だったわけです。

日本経済の成長にとって、経済のグローバル化への適応は避けられないのだとすると、それによって発生する負の部分への社会的対応も、時の政府の責務なのだと思います。
現在の日本ですが、その負の部分への社会的対応、セーフティーネット構築などの社会制度の改革が不十分なのだと思います。

自己責任ということで、何とか社会制度の変更に適応しようとしても、その社会制度自体に不備があるとするならば、普通の人の能力では、なかなか適応するのが難しいわけです。