幾つになっても初めての経験はあるもので、10月から通い始めた英語学校もその一つである。この英語学校、Hardin County (ハーディン郡)のAdult Leaning Center であるため、当然ながら生徒諸氏は成年であり、私などは生徒の中で最年長であるかも知れない。
この英語学校(ESL)は私の勤務時間に入っているために、仕事以外では欠席する訳にも行かず、おかげで、何とか不自由なく日常生活が送れるようになった・・、 などと言えるのは20年も先だろう。世の中には「出直し英語」のような教材も出回っているが、今となっては出直しどころか昔の記憶さえなくなってしまった。ああ、受験を目指し、Ob社発行の「赤単」が黒くなるまで(そこまでしたかな?)勉強したのはもう半世紀近く前の事だ。しかしそれが一体、今の私にどれほど役にたったと言えるのだろう?
だが、ESLで学んでいるのは英語だけではない。現在、我が教室には日本、韓国、メキシコ、ブラジル、ポーランド、時折はウズベキスタン、タイ、ウクライナなどの生徒が来ているが、このように多国籍の人間が一緒に居れば当然ながらそれぞれの国の文化を学ぶ場が現れる。日本の英会話学校ではこれは難しいかもしれないが、隣の韓国人女性に「消しゴム貸して!」と言ったり、ポーランド人に「この過去分詞は何だっけ?」と小声で聞いたり、ひどい時は先生の流暢な英語が聞き取れず、ポルトガルなまりのたどたどしい英語で通訳してもらったりするのも楽しい。もう既に長く米国生活を続けている人も居て英会話力には雲泥の差があるが、神妙な顔で英作に取り組んでいても、このアメリカのそれを中心としてそれぞれの国の料理や文化・習慣の違いの話になると俄然会話が弾みだす。乏しいヒアリング能力ながらそれらの話は興味深く、各国のいろいろな違いを話しているにも関わらず、私にはどこの国の人間も同じような事を考え、同じような喜怒哀楽と共に生きている事が実感できて嬉しくなる。昨年のクリスマスにはポットラック(一皿持ち寄り)国際パーティを全員で行ったが、各国の代表料理を味わえただけでなく、一味同心、会食しただけで随分と打ち解けあった。そこにはもう国、と言うものは感じられず人だけが居て、少し話が飛躍するが、皆がこうであれば戦争などありえない、とも思うのである。
そして、大きく感じるもう一つは、このアメリカの懐の深さであろうか。
日本に乱立する英会話学校は全て月謝を必要とし、多くの日本人が英会話に結構なお金を注ぎ込んでいるとも聞いた。が、このESLのあるAdult Leaning Centerの経営はアメリカの国家予算で賄われているのである。我々後から来た者は、ともすればそこにある既存のものを当然のように受け取るだけで、その裏にある苦労を考えず、またその恩恵が何処から来たものかを考えない傾向がありはしないだろうか。このESLでさえ、行って下さい、と言われた時には、正直うひゃーと思ったり、いや、何時か行きたいと思ってた英会話スクールに行く事になった、と張り切ったりもした。が、現実に通うようになると、これだけの事を受益者負担ではなく実施してくれる施設がある事に感動を覚えた。日本でも、少しは外国人のための無料の日本語学校が存在するようだが詳しくは知らない。もしここで私にそれなりの英語力が付いたとしたら、それは私にとって大きな財産をもらったことになる。同僚の若いS先生は、かなりの英会話力を持っているが、それが活き続けるなら一生を左右する宝となりうるだろう。
ESLには大勢の外国人が来ている。ここで学ぶ人たちは多分みんな、正規の手続きでこの米国に住まわせてもらっているだろうが、現在の米国の抱える大きな問題の一つが不法移民であるという。どんどん入国してくるこれらの移民に対して使わざるを得ない米国の経費は計り知れず、また同時にそういった不法就労の人たちが米国の労働を支える部分もまた大きいという。痛しかゆしの両面に悩むのがアメリカであり、しかしまた、外国人に対して決してむげに排斥せず、援助の手を差し伸べているのもこの国である。好まざるままに住む人もいるだろうが、ここで不自由なく差別もされず生きている外国人である私には、やはり多くの事を学ばせてくれるESLである。
この英語学校(ESL)は私の勤務時間に入っているために、仕事以外では欠席する訳にも行かず、おかげで、何とか不自由なく日常生活が送れるようになった・・、 などと言えるのは20年も先だろう。世の中には「出直し英語」のような教材も出回っているが、今となっては出直しどころか昔の記憶さえなくなってしまった。ああ、受験を目指し、Ob社発行の「赤単」が黒くなるまで(そこまでしたかな?)勉強したのはもう半世紀近く前の事だ。しかしそれが一体、今の私にどれほど役にたったと言えるのだろう?
だが、ESLで学んでいるのは英語だけではない。現在、我が教室には日本、韓国、メキシコ、ブラジル、ポーランド、時折はウズベキスタン、タイ、ウクライナなどの生徒が来ているが、このように多国籍の人間が一緒に居れば当然ながらそれぞれの国の文化を学ぶ場が現れる。日本の英会話学校ではこれは難しいかもしれないが、隣の韓国人女性に「消しゴム貸して!」と言ったり、ポーランド人に「この過去分詞は何だっけ?」と小声で聞いたり、ひどい時は先生の流暢な英語が聞き取れず、ポルトガルなまりのたどたどしい英語で通訳してもらったりするのも楽しい。もう既に長く米国生活を続けている人も居て英会話力には雲泥の差があるが、神妙な顔で英作に取り組んでいても、このアメリカのそれを中心としてそれぞれの国の料理や文化・習慣の違いの話になると俄然会話が弾みだす。乏しいヒアリング能力ながらそれらの話は興味深く、各国のいろいろな違いを話しているにも関わらず、私にはどこの国の人間も同じような事を考え、同じような喜怒哀楽と共に生きている事が実感できて嬉しくなる。昨年のクリスマスにはポットラック(一皿持ち寄り)国際パーティを全員で行ったが、各国の代表料理を味わえただけでなく、一味同心、会食しただけで随分と打ち解けあった。そこにはもう国、と言うものは感じられず人だけが居て、少し話が飛躍するが、皆がこうであれば戦争などありえない、とも思うのである。
そして、大きく感じるもう一つは、このアメリカの懐の深さであろうか。
日本に乱立する英会話学校は全て月謝を必要とし、多くの日本人が英会話に結構なお金を注ぎ込んでいるとも聞いた。が、このESLのあるAdult Leaning Centerの経営はアメリカの国家予算で賄われているのである。我々後から来た者は、ともすればそこにある既存のものを当然のように受け取るだけで、その裏にある苦労を考えず、またその恩恵が何処から来たものかを考えない傾向がありはしないだろうか。このESLでさえ、行って下さい、と言われた時には、正直うひゃーと思ったり、いや、何時か行きたいと思ってた英会話スクールに行く事になった、と張り切ったりもした。が、現実に通うようになると、これだけの事を受益者負担ではなく実施してくれる施設がある事に感動を覚えた。日本でも、少しは外国人のための無料の日本語学校が存在するようだが詳しくは知らない。もしここで私にそれなりの英語力が付いたとしたら、それは私にとって大きな財産をもらったことになる。同僚の若いS先生は、かなりの英会話力を持っているが、それが活き続けるなら一生を左右する宝となりうるだろう。
ESLには大勢の外国人が来ている。ここで学ぶ人たちは多分みんな、正規の手続きでこの米国に住まわせてもらっているだろうが、現在の米国の抱える大きな問題の一つが不法移民であるという。どんどん入国してくるこれらの移民に対して使わざるを得ない米国の経費は計り知れず、また同時にそういった不法就労の人たちが米国の労働を支える部分もまた大きいという。痛しかゆしの両面に悩むのがアメリカであり、しかしまた、外国人に対して決してむげに排斥せず、援助の手を差し伸べているのもこの国である。好まざるままに住む人もいるだろうが、ここで不自由なく差別もされず生きている外国人である私には、やはり多くの事を学ばせてくれるESLである。
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