久し振りに白組が勝った。多分、翌日には忘れるような勝敗であるが、結果発表の瞬間は歓喜に包まれたり意気消沈したりするのは何処の学校でも同じである。
本校では伝統的に赤が強いようだ。だから紅白分けでは、断然赤組の希望が多くなる。統計を取った訳ではないが、日本では白の方がよく勝つと聞く。よく知られているように、白は関東の地から立ち上がった源氏の旗印であり、赤は栄耀栄華の果てに西海の藻屑と消えた平氏の旗を指す。優雅ではあるが何処か軟弱な平家より、荒々しい坂東武者の源氏の白旗を選び、勝ち組になりたい気持ちは昔も今も同じである。等質に紅白分けをした筈なのだが、結果はやや片寄る。
白(赤)は何時も勝つ、自分も白(赤)だ、だから自分も強い、今年も白(赤)が勝つ ・・・・。そういった自己暗示が一人ひとりの子供たちにあるのではないか。その暗示によって十分な力を発揮し、結果を良くしていくことが出来る、と。教育学ではこれをピグマリオン効果と呼んでいる。
対抗戦の紅白の起源は源平の戦いから来たが、運動会は明治に英国人教師が海軍兵学校で対抗競技を始めたのが最初とされる。次いで東京大学(第一高等学校?)が行い、全国に広まって行った。
江戸期までに、武道に関わって流鏑馬、笠懸、通し矢、相撲、力比べなどは存在した。しかし、これらは競技会と言うより奉納神事であった。有名な長短槍試合や寛永の午前試合など、武技の競技は存在したが、あくまでも特別の階級に限られ、一般庶民は運動の機会はなかっただろう。
今でこそ、オリンピックやワールドカップでトップにもなる日本人であるが、明治期には、特別な日本人を除いて平均的な体格・体力については外国人に敵わないのが普通であったろう。体力・運動能力の向上は教育でもあり国策でもあった。これらの競技会に保護者や地域から多くの観客が集まり、競技を観るだけでなく、地域の祭りの中で催されてきた集団演舞なども、楽しいパフォーマンスとして加わってきたのだろう。
そのような目で補習校の今年の演目の「演技」と「競技」を分析すると、演技では「ラジオ体操第一」も含め、「応援合戦」と「チア・リーディング」になる。本校では指導時間に大きな制約があり、これくらいしか出来ないが、毎年、少ない時間の中で先生方が子供たちを懸命に指導した演技である。成果は御覧の通りである。
また、「綱引き」などは村祭りの中で、A地域が勝てば豊作、B地域が勝てば大漁というような吉凶占いの神事から来たとも思える。4回も闘うと疲労困憊となり、これも子供たちには力を出し切るめったにない機会である。 そして「二人三脚」「千鳥足リレー」「パン食い競争」「スーパーマン参上」「借り物競争」は障害物競技であり、娯楽を含めた親子のふれあいの要素も持つ。
大いに盛り上がる騎馬戦や棒倒しは少人数の補習校では出来ない。敵の首を取る代わりに鉢巻を取り、落馬させ、或いは大将を討ち取り、城を崩し、という攻防戦の要素からこれらは模擬戦以外の何ものでもない。「しっぽ取りゲーム」がそうであろう。すると、補習校での純然たる陸上競技の演目は「紅白リレー」だけになる。しかし、選手だけでなく、子供の全員参加+保護者はここならでは、である。
学習指導要領の特別活動編「体育的行事」のねらい通りではないが、日本の離島や山間僻地部での運動会は皆、児童生徒だけのものではなく地域のお祭り要素が重要である。補習校関係者だけでなく、地域の日本人社会全体のお祭り、と捉えれば、運動会を通して更なる懇親のよい機会となる行事である。山は無いけどここは山間僻地、大陸だけどここは離島に同じ ・・・・・。
最後に、この運動会の企画・準備・運営に長きに渡ってご尽力いただいた父母会のお母さん方、天候の心配なく実施できる体育館を開放してくださったミツババーズタウンのKさんはじめ、御協力戴いた方々に深く感謝したい。
本校では伝統的に赤が強いようだ。だから紅白分けでは、断然赤組の希望が多くなる。統計を取った訳ではないが、日本では白の方がよく勝つと聞く。よく知られているように、白は関東の地から立ち上がった源氏の旗印であり、赤は栄耀栄華の果てに西海の藻屑と消えた平氏の旗を指す。優雅ではあるが何処か軟弱な平家より、荒々しい坂東武者の源氏の白旗を選び、勝ち組になりたい気持ちは昔も今も同じである。等質に紅白分けをした筈なのだが、結果はやや片寄る。
白(赤)は何時も勝つ、自分も白(赤)だ、だから自分も強い、今年も白(赤)が勝つ ・・・・。そういった自己暗示が一人ひとりの子供たちにあるのではないか。その暗示によって十分な力を発揮し、結果を良くしていくことが出来る、と。教育学ではこれをピグマリオン効果と呼んでいる。
対抗戦の紅白の起源は源平の戦いから来たが、運動会は明治に英国人教師が海軍兵学校で対抗競技を始めたのが最初とされる。次いで東京大学(第一高等学校?)が行い、全国に広まって行った。
江戸期までに、武道に関わって流鏑馬、笠懸、通し矢、相撲、力比べなどは存在した。しかし、これらは競技会と言うより奉納神事であった。有名な長短槍試合や寛永の午前試合など、武技の競技は存在したが、あくまでも特別の階級に限られ、一般庶民は運動の機会はなかっただろう。
今でこそ、オリンピックやワールドカップでトップにもなる日本人であるが、明治期には、特別な日本人を除いて平均的な体格・体力については外国人に敵わないのが普通であったろう。体力・運動能力の向上は教育でもあり国策でもあった。これらの競技会に保護者や地域から多くの観客が集まり、競技を観るだけでなく、地域の祭りの中で催されてきた集団演舞なども、楽しいパフォーマンスとして加わってきたのだろう。
そのような目で補習校の今年の演目の「演技」と「競技」を分析すると、演技では「ラジオ体操第一」も含め、「応援合戦」と「チア・リーディング」になる。本校では指導時間に大きな制約があり、これくらいしか出来ないが、毎年、少ない時間の中で先生方が子供たちを懸命に指導した演技である。成果は御覧の通りである。
また、「綱引き」などは村祭りの中で、A地域が勝てば豊作、B地域が勝てば大漁というような吉凶占いの神事から来たとも思える。4回も闘うと疲労困憊となり、これも子供たちには力を出し切るめったにない機会である。 そして「二人三脚」「千鳥足リレー」「パン食い競争」「スーパーマン参上」「借り物競争」は障害物競技であり、娯楽を含めた親子のふれあいの要素も持つ。
大いに盛り上がる騎馬戦や棒倒しは少人数の補習校では出来ない。敵の首を取る代わりに鉢巻を取り、落馬させ、或いは大将を討ち取り、城を崩し、という攻防戦の要素からこれらは模擬戦以外の何ものでもない。「しっぽ取りゲーム」がそうであろう。すると、補習校での純然たる陸上競技の演目は「紅白リレー」だけになる。しかし、選手だけでなく、子供の全員参加+保護者はここならでは、である。
学習指導要領の特別活動編「体育的行事」のねらい通りではないが、日本の離島や山間僻地部での運動会は皆、児童生徒だけのものではなく地域のお祭り要素が重要である。補習校関係者だけでなく、地域の日本人社会全体のお祭り、と捉えれば、運動会を通して更なる懇親のよい機会となる行事である。山は無いけどここは山間僻地、大陸だけどここは離島に同じ ・・・・・。
最後に、この運動会の企画・準備・運営に長きに渡ってご尽力いただいた父母会のお母さん方、天候の心配なく実施できる体育館を開放してくださったミツババーズタウンのKさんはじめ、御協力戴いた方々に深く感謝したい。
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