わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

巨匠アンジェイ・ワイダの遺作「残像」

2017-06-16 14:06:05 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 2016年10月9日、90歳で世を去ったポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督。彼が死の直前に完成させた遺作が「残像」(6月10日公開)です。戦後の社会主義圧政下で、自らの信念を貫き、闘い続けた画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893~1952)の実話の映画化。1949年から、彼が亡くなる1952年までの変化に焦点を当てた作品だ。ストゥシェミンスキは、国際的な前衛美術運動のなかで大きな役割を果たし、ポーランド前衛芸術の地盤を築いた画家であり、大学教授だった。第1次世界大戦に出征し重傷を負って、左手と右足を失う。それでも、抽象画を極めることに執着した。そして第2次世界大戦後、全体主義に脅かされ、生命や生活の危機に直面しながらも、自らの主張を曲げなかった。
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 第2次大戦後、ソヴィエト連邦の影響下に置かれたポーランド。スターリンによる全体主義に脅かされながらも、カンディンスキーやシャガールらとも交流を持ち、情熱的に創作と美術教育に打ち込む前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)。しかし、芸術を政治に利用しようとするポーランド政府が要求した社会主義リアリズムに真っ向から反対したため、芸術家としての名声も尊厳も踏みにじられていく。けれども彼は、いかなる境遇に追い込まれても、芸術に希望を失うことはなかった。“芸術と恋愛は、自分の力で勝負しなければならない―”。そして、いかなる弾圧に遭おうとも、決して屈することはなかった。その気高い信念と理想は、いまの不確かな時代にも鮮烈な光を残していく。タイトルの「残像」とは、太陽を見たときの視覚的反応を描いた連作からとられている。
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 冒頭、なだらかな草原が広がる丘の斜面を転がり降りながら、学生たちと戯れるストゥシェミンスキ教授。そして彼は、「残像は、ものを見たときに目のなかに残る色なのだ。人は認識したものしか見ていない」と説く。次いで、アパートの自宅のアトリエで。教授が松葉杖で体を支えながら絵を描こうとすると、キャンバスが一瞬にして真っ赤に染まる。スターリンの肖像が描かれた巨大な垂れ幕が、ビルの窓という窓を表から覆いつくしてしまったのだ。激怒した教授は窓を開け放ち、松葉杖で垂れ幕を切り裂く。当局はすぐさま、教授を強引に警察に連行する。鮮やかな視覚効果で、ストゥシェミンスキの気概を浮き上がらせた名シーンだ。大学に乗り込んできた文化大臣が、「イデオロギーの欠如した芸術を否定し、社会主義リアリズムを信奉せよ」と居丈高な口調で演説した際には、ただひとり立ち上がったストゥシェミンスキが敢然と芸術表現の自由を主張して、学生たちの拍手喝采を浴びる。
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 ストゥシェミンスキの苦難は続く。共産党上層部から迫害を受け、大学の教授職から追放され、美術館・ギャラリーに飾られた作品は破棄され、学生と開催しようとした展覧会は跡形もなく破壊される。あらゆる権利を剥奪され、生活の糧を失ったストゥシェミンスキは、伝手を頼ってプロパガンダ看板の似顔絵描きまでこなすが、それすら当局に察知されてクビになる。配給切符さえ支給されず、無許可のため画材すら買えずに、困窮の果て病魔に侵された彼は、ショーウィンドーに並ぶ裸のマネキンを抱きかかえるようにして倒れ込み、非業の最後を遂げる。とにかく、各キャラの人間性とディテール描写が精妙だ。金が無くなる、家政婦がスープを皿に入れて持ってくる。だが、給金が貰えないことを知ると、スープを鍋に戻す。ストゥシェミンスキが、皿に残ったスープの残滓を舐めるシーンがすさまじい。
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 アンジェイ・ワイダは、大戦中に対独レジスタンス運動に協力。その体験が、初期の「地下水道」(1956)に反映されている。戦後は、一貫して分断された祖国ポーランドを支配する権力に抵抗。代表作「灰とダイヤモンド」(1958)の主人公で、共産党政権に対峙する青年暗殺者マチェックの精神は、「残像」にまで引き継がれている。その後、連帯の運動と協同し、一時迫害を受けるが、2013年には「ワレサ 連帯の男」を発表。生涯、全体主義体制への抵抗を試み、亡くなるまで主義を貫いた。彼のコメント―「ひとりの人間が、どのように国家に抵抗するのか。表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。全体主義のなか、個人はどのような選択を迫られるのか。これらの問題は過去のことと思われていましたが、いま再び、ゆっくりと私たちを苦しめ始めています。―これらにどのような答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。このことを忘れてはなりません」。
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 「残像」は、前衛画家の抵抗と非業の最期を描くだけではない。ワイダは、シンボリックな映像で豊かな人間味を描き出す。たとえばストゥシェミンスキは、個人的には無愛想で家族を無視するが、学生には心を開く。学生たちが筆記したといわれるストゥシェミンスキ未完の「視覚理論」は、死後の1958年に出版された。また彼は、別れた彫刻家の妻の死後、ひとり娘ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)を引き取る。だが、彼を慕う女子学生ハンナ(ゾフィア・ヴィフワチ)を見ると、ニカは怒って家を出て行く。こうして、登場する女性たちがユニークなキャラを示す。とは言っても作品を貫くテーマは、芸術家や物書きらの使命は「常にスタイルを崩さないこと」。そして問う。「表現の自由を制限する権利が国家にあるのか。人々の生活を隅々まで干渉する権利が政治権力にあるのか」―それに対する応えは「ナイ、ナイ!」。いまの日本にも同じような問いかけができると思います。(★★★★★)

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