わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

自然への畏敬と家族の絆「オリーブの樹は呼んでいる」

2017-05-21 16:32:31 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 地中海地方原産で、スペインやイタリアなどで広く栽培されているオリーブは、平和のシンボルともされている。名匠ケン・ローチとのコンビで知られるポール・ラヴァーティが脚本を書き、その妻でスペイン屈指の女性監督イシアル・ボジャインが手がけたスペイン映画が「オリーブの樹は呼んでいる」(5月20日公開)です。ラヴァーティは、2000年もの樹齢を持つオリーブの樹が大地から引き抜かれ、売られているという新聞記事を読んでショックを受け、妻に話したことが本作製作のきっかけとなったという。その背景にはスペインの経済大不況があり、経営が難しくなったオリーブ農園では大切な樹を高速道路の脇やオフィスの庭などの装飾用として切り売りしているらしい。映画は力強い演出スタイルで、鋭い風刺をきかせながら、自然への畏敬と家族の絆という普遍的なテーマに挑んでいます。
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 20歳のアルマ(アンナ・カスティーリョ)は、気が強くて扱いにくい女の子。オリーブ農園をやっている祖父ラモン(マヌエル・クカラ)とだけは幼い頃から深い絆で結ばれていたが、祖父は何年も前に喋ることをやめてしまっている。理由はきっと、大切にしていた樹齢2000年のオリーブの樹を父ルイス(ミゲル・アンヘル・アラドレン)が売ってしまったから。そんな祖父は、ついに食事も摂らなくなる。心配したアルマは、ある考えに取りつかれる。祖父を救う唯一の方法は、オリーブの樹を取り返すことなのでは? でも、どうやって? アルマはなんの計画も資金もないまま、変わり者の叔父アーティチョーク(ハビエル・グティエレス)と同僚のラファ(ペップ・アンブロス)を丸め込み、ヨーロッパのどこかにあるはずのオリーブの樹を取り戻すため、ドン・キホーテのごとく無謀な旅に出る…。
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 アルマと友人らは、オリーブの樹がドイツ・デュッセルドルフの大企業に買われたことをネットで突き止める。アルマたち3人は大きなトラックを借りて、スペインのバレンシア州からフランスを経てドイツに向かう。途中、貸金のかたにとった自由の女神のレプリカを荷台に載せて運ぶくだりが可笑しい。監督によれば、スペインのバブル経済の悪趣味や無駄遣いの象徴として、アメリカのシンボルをジョークにしたとか。加えて、アルマらのニュースはソーシャル・ネットワークを駆け巡り、ドイツの環境団体まで動かすことになる。到着したデュッセルドルフは、ライン川沿いに企業のビルが立ち並ぶ産業の中心地。目指すオリーブの樹は、大企業のビルのガラス張りのロビーに鎮座している。環境を大切にしているという企業のアピールのために買われたという。ここにも経済大国ドイツに対する皮肉と同時に、アルマらの劣等感もうかがうことができる。果たして一行は、ここでどうするか? 
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 この作品でスペイン・ゴヤ賞新人女優賞を得たアンナ・カスティーリョ演じるアルマ像がユニークだ。田舎の養鶏場で働く彼女は、髪型・スタイルとも独特で“ヒッピー”と呼ばれている。他人を信頼せず、頑なで猪突猛進型。でも、じいちゃんには心優しい。少女の頃、彼女は伐採されるオリーブの樹に上って、しがみついて悲しんだ。いっぽうで、SNSを使うという現代っ子でもある。「スペインの20歳の若者は、荒廃したこの国を受け継ぐ者であり、未来にほとんど確信を持てないまま日々を生きているのでしょう」とボジャイン監督は言う。またアルマの祖父を、実際にオリーブ農園を営むマヌエル・クカラが演じているのも、リアリティーを醸し出す。もうひとつの主役は、企業のロビーに飾られているオリーブの樹。これは石膏で型を取り、バラバラにしたレプリカを作ってドイツに運んだものだとか。
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 いわば本作は、ロードムービーのスタイルでスペインの現状を浮きぼりにしたもの。不況と、明日への希望のなさ。平和のシンボル、オリーブの樹(素晴らしい樹形に圧倒される)に託された自然の破壊と家族の崩壊に対する糾弾。「アルマは大自然が持つ力。彼女は、潮の流れを変えることのできる……少なくとも変えようと立ち上がれる若者なのです」とボジャイン監督は語る。更に「現在、スペインは無政府、カオス状態。最大の建築産業が崩壊して以来、農家の人々は自然を切り崩して利益を得なければならない状況に怒りを感じてきました。アルマも同じで、バカなことかもしれないけれど、やらずにはいられない、ドン・キホーテのようなキャラクターなんです」と。さて、ドラマはどう締めくくられるのだろう? ラストには、未来への希望をこめたシーンが用意されています。(★★★★+★半分)

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不思議な感覚の心理サスペンス「パーソナル・ショッパー」

2017-05-13 12:54:59 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 フランスの異才オリヴィエ・アサイヤス監督・脚本「パーソナル・ショッパー」(5月12日公開)は、ファッショナブルでありながら不思議な感覚にあふれた心理サスペンス&ミステリーです。2016年カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞。題名の“パーソナル・ショッパー”とは、忙しいセレブに替わって服やアクセサリーを買い付ける職業の人のこと。欧米では比較的浸透している言葉だそうだ。この購入代行者を演じているのが、アサイヤスの「アクトレス~女たちの舞台~」(14年)に出演して注目を集めたクリステン・スチュワート。華やかなファッション界を駆け巡りながら、自らは“霊媒師”であるという設定で、目に見えない世界との交流が醸し出すミステリアスで中性的なキャラクターを全身で演じている。
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 モウリーン(クリステン・スチュワート)は“パーソナル・ショッパー”としてパリで働いている。彼女は飛びぬけたセンスで完璧に仕事をこなしていたが、3か月前に最愛の双子の兄ルイスが亡くなり、悲しみから立ち直れずにいた。そんな時、携帯電話に奇妙なメッセージが届き始める。まるでモウリーンを監視しているかのように居場所や行動を正確に把握していて、送り主の発する命令に従わざるを得なくなる。そうやって送信者は、モウリーンの秘めた欲望を暴いていく。それは別人になってみたいという夢。モウリーンは、次第に現実と虚構の区別がつかなくなっていく。やがて周りで次々と不可解な出来事が起こり、ついに殺人事件へと発展。果たして、謎のメッセージの正体と、それが意味するものとは…。
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 モウリーンの周囲に起きる出来事がユニークだ。彼女は、クライアントのキーラ(ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン)に振り回されている。相手は世界中を飛び回っているため、指示は一方的な伝言メモばかり。衣装を用意した撮影も平気ですっぽかし、レンタル服も気に入れば返さない。なによりもモウリーンにとって、試着を禁じられているのが不満だ。他方、亡くなった兄とは、先に死んだ方がサインを送ると誓い合った。そのためかどうか、兄は事あるごとに影のように霊として姿を見せる。やはり兄も霊媒師だったのだ。やがて、携帯電話に入る差出人不明の奇妙なメッセージ。それは、買い付けでロンドンに向かい、やがてパリに戻ったモウリーンを執拗に追いかける。この携帯でのメールのやりとりが忙しなく、ドラマに焦燥感とスピード感を与える。果たして、相手は亡き兄なのか? その謎の人物にそそのかされて、モウリーンは禁を破り、キーラのために買ったドレスを着用する。
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 現実か、妄想か? ドラマは、モウリーンの忙しない動き+心霊現象+心の揺れ動きをとらえながら、彼女の屈折した心理を追う。そして次第に、自分でも高価なドレスを着て別人になりたいという隠された欲望が表に出てくる。キーラのゴージャスなドレスに身を包み、指定されたホテルの部屋で自撮りするモウリーン。やがてクライアントの家に向かった彼女は、変わり果てたキーラの死体に遭遇する…。謎の電話~ファッショナブルな世界への憧憬~殺人。それらは、すべてモウリーンの頭のなかでの出来事なのか? 彼女にとっても、周囲の出来事が不分明になる。ドラマ全体に漂う、ひとつに斬る(解釈する)ことが出来ない曖昧さ。それがアサイヤス監督の狙いなのか。はじめは暗く、男っぽく、中性的だったクリステン・スチュワートが、着飾って艶然たる美しさを表わしていくくだりが見どころだ。
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 オリヴィエ・アサイヤス監督は語る。「映画で描きたかったのは、私たちが生きている世界のリアリティーと、自分たちのイマジネーションを繋ぐこと。私たちは、これら鏡の両側に生きている。ファッション業界を選んだのは、ここ以上に物質主義的な世界はないと思ったから。私は、そこに取り込まれながら、そこから逃げ出そうとする人物に惹かれていった。見えないものの中に。夢の中に」。また、スチュワートは言う。「本作は、監督独自の方法で、目に見えない世界を想起させることに成功している。知性ではなく、肉体的感覚に訴える人間的な作品」。劇中登場する兄ルイスの妻、その恋人、謎のカメラマン(?)の存在などが独特のキャラを見せる。前記のコメントを読むと、なにやら小難しい内容のように思われるが、ヒロインの心の奥底に潜む愛憎と変貌に接しているだけで引き込まれる。(★★★★)

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スリリングなサバイバル・ドラマ「ノー・エスケープ 自由への国境」

2017-05-03 16:55:32 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

「ゼロ・グラビティ」で話題を呼んだメキシコ出身の映画人父子が、厳しい現実に斬り込んだ異色作を発表した。父のアルフォンソ・キュアロンが製作(共同)を担当、息子のホナス・キュアロンが監督・脚本・編集・製作を兼ねた「ノー・エスケープ 自由への国境」(5月5日公開)です。メキシコ=アメリカ間の移民問題にいち早く目をつけて、構想8年を費やした作品。奇しくも、アメリカではトランプ政権が発足し、メキシコとの国境にいつ壁が作られるかが注目されている。国境からアメリカへの不法入国を試みる移民たちが陥った危機をスリリングなタッチで描き出すという、現実世界とリンクした意欲作になっています。
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 メキシコとアメリカの国境、3,152kmの見えない壁。家族に会うためにメキシコからアメリカへ不法入国を試みる男モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)を含む15人の移民たち。彼らは、トラックのエンジン・トラブルで荒れ果てた砂漠を徒歩で越えることになる。有刺鉄線でできた国境をくぐり、アメリカ国内に侵入する不法移民たち。だが、歩みの差から、ふたつのグループに別れる。遅れをとった移民たちが待ってくれるように叫んだとき、突然銃弾が襲いかかる。獰猛な犬を連れた襲撃者(ジェフリー・ディーン・モーガン)は正体不明だが、執拗に移民たちを抹殺しようとする。摂氏50度の砂漠、水なし、武器なし、通信手段も逃げ場もなし。生き残ったモイセスと若い娘アデラ(アロンドラ・イダルゴ)は、必死で相手のライフルの銃弾を避けて逃走。そして、モイセスはある命懸けの行動に出る。
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 劇中ではサムと名付けられた不法移民ハンターの存在が不気味だ。岩陰から移民たちを標的にして、次々と撃ち倒していく男。現実にも、不法移民の流入を“侵略”と見る退役軍人らが自警団を結成、重武装で警備しているという実態があるそうだ。まず凶暴な犬に追跡させて、移民を狙い撃つ男。まさに、狂気の反移民主義者だ。これに対して、メキシコ人移民たちの立場も必死だ。メキシコでは、国民の半数が貧困生活を送り、麻薬カルテルの争いのために治安も悪化している。彼らは、そんな危険な故郷の町から、安全で豊かといわれるアメリカを目指すのだ。演出は、シンプルなハンティング・アクションというサスペンスの形をとりながら、追跡+逃走という図式を借りてメキシコ移民の立場と悲劇をとらえる。
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 ホナス・キュアロン監督は語る。「アメリカ南西部を旅した時に、移民に関するストーリーや、移民の過酷な道行きの物語を直接聞いた。ぼくは心を動かされ、すぐに本作のアウトラインを書かずにいられなくなった」。そして手法的には、最小限の会話で展開されるハラハラ、ドキドキのノンストップ・サスペンスに仕上げた。その上、多彩なテーマを巧みに組み込んでいる。更に、彼は言う。「より良い生活を求めようとする移民たちが直面する悲惨な経験に光を当て、さまざまなテーマを反映した作品を目指した」と。移民たちが踏み込んだ砂漠地帯は、彼らの不毛な心象風景でもある。2年以上かけて舞台となる砂漠を探して回った結果、メキシコのバハ・カリフォルニア・スル州の砂漠がロケ地に決まったそうだ。
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 主人公モイセスを演じたガエル・ガルシア・ベルナルも移民問題に深い関心を寄せていて、監督が脚本を書き始めた時から出演を熱望、製作総指揮にも名前を連ねている。また、サムの相棒犬トラッカーには、演技ではなく警備の訓練を受けた犬を起用。この犬が岩場を這い上がって駆け抜け、移民たちを追いつめる過程が緊迫感に溢れている。本作は2015年度作品となっているが、狂気のハンター、サムの姿は、明らかにアホ・トランプとその追従者、人種差別主義者のような存在を象徴するものと言っていい。クライマックスは、砂漠の岩場でのモイセスとサムとの対決。その結末が、なんともリアルで痛快です。(★★★★)

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ファッションはアートたり得るか?「メットガラ ドレスをまとった美術館」

2017-04-24 16:49:14 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ファッションには、ほとんど関心がありません。それなのに埒外の映画を見てしまった。アメリカのドキュメンタリー作家アンドリュー・ロッシ監督「メットガラ ドレスをまとった美術館」(4月15日公開)です。ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)では、毎年5月の第1週に豪華なイベント“メットガラ”が開催される。ファッション誌US版「VOGUE」の編集長アナ・ウィンター(映画「プラダを着た悪魔」の鬼編集長のモデルになった)が主催するファッション・イベント。アナは同美術館の理事でもあり、同イベントで服飾部門の活動資金を調達してきた。この映画を見た理由は、ウォン・カーウァイが芸術監督を務めていて、テーマが映画とファッションの関係に主眼を置いていることです。
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 ロッシ監督がカメラを向けるのは、2015年の服飾部門の企画展覧会。テーマは、キュレーターのアンドリュー・ボルトン発案による「鏡の中の中国」。中国の影響を受けた西洋のファッションと、美術、歴史、映画との融合をテーマにした企画展だ。150以上の服飾を展示し、40人以上のデザイナーが関わった企画は、アジア美術部門と協力しながら進める準備期間に8か月もかかった。だが、企画展はスタートから難産の予感。アメリカと中国の政治的に微妙な関係も影を落とし、映画は関係者の横槍に頭を抱え、頑迷なインタビュアーの質問に苦笑するアナとボルトンをとらえる。世界のデザイナーの協力を得て、アナとボルトンは「ファッションはアートたり得る」との信念のもとに邁進。カメラは、初日のガラ開催までの準備の慌ただしさ、困難さを、イベントの舞台裏を追いながら的確にとらえていく。
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 この企画は、並行して1930年代のハリウッド映画が、西欧にステレオタイプの中国の美を伝えた歴史にも注目。「ブエノスアイレス」「花様年華」のウォン・カーウァイに芸術監督を依頼し、デザイナーたちに影響を与えた映画を会場で上映するアイデアを託した。その結果、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、マレーネ・ディートリッヒ主演「上海特急」(1932)から、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」(1987)、ウォン・カーウァイの「花様年華」(2000)まで、軸となる映画の場面が挿入される。ウォン・カーウァイは言う―「展覧会に古い固定概念は要らない。中国の庭のような構成に。入り口をくぐれば自由に歩き回れる」と。そして、毛沢東時代の制服も展示したいというアメリカ側に断固反対する。しかし、映画を見る限り、彼が具体的にどんなことをやったのか不鮮明だ。
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 底流に流れるのは、ファッションは芸術か商売か、という議論だ。アナ・ウィンター「ファッションは、もっと認められるべきです。ファッションは人々の心をつかみ、感動させる。アートと同じです」。アンドリュー・ボルトン「ファッションの力に、とても感動した。その気持ちは、いまも同じ。私は、あの少年の日々のまま、感動し続けている」。ガラの装飾スタッフを率いたバズ・ラーマン「アナは“巨大な事業体”だ。でも、彼女にとってのメットガラは商業目的ではない。カルチャーのためだ」。反対に、ドイツ出身の異色デザイナー、カール・ラガーフェルドの意見がユニークだ。「デザイナーが、自分をアーティストと言うのは最悪だ。アーティストなら、ランウェイでなくギャラリーへ行くがいい。シャネルはアーティストではない。ドレスメーカーだ」。結果、展覧会には、中国伝統工芸の粋を集めた芸術品と、それらに強く影響を受けた一流ブランドの豪華絢爛たるドレスが登場する。
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 そして、2015年5月2日、メットガラが華やかに幕を開ける。大階段にはレッドカーペットが敷かれ、ポップスターのリアーナやレディ・ガガ、俳優ジョージ・クルーニーやアン・ハサウェイ、デザイナーのジャン=ポール・ゴルチエら着飾ったセレブたちがフラッシュを浴びて登場。本展覧会は4か月の展示期間を延長、同部門史上最多の80万人以上の来場者を記録したという。初日のガラでは、一人当たり25,000ドルもする600席が瞬時に満席になる。アナは、出席者に気前よく寄付してもらうために、パーティーの席順に頭を悩ませる。美術館の企画展に、これほどの時間と人員、とてつもない労力が費やされるのを見ていると驚く。しかし、映画を見終わって思うのは、ファッション界は所詮“虚飾の世界”ということ。ファッションって、庶民のための実用性が主な役割じゃないの?(★★★+★半分)

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ダルデンヌ兄弟の心理サスペンス「午後8時の訪問者」

2017-04-14 16:36:10 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌは、ベルギー出身の兄弟監督です。初期は社会派ドキュメンタリーを手がけ、その後「イゴールの約束」(96年)、「ロゼッタ」(99年)、「ある子供」(05年)、「少年と自転車」(11年)などの意欲作を発表、カンヌ国際映画祭などで受賞した。彼らの新作が「午後8時の訪問者」(4月8日公開)です。若い女医の身辺に起こった事件と、彼女の行動を通して、暗鬱とした現代社会を浮かび上がらせる。主人公の女医ジェニーを演じるのはフランスの若手実力派アデル・エネル。まだ幼さが残る新鮮な演技で、現代では失われつつある医師としての原点ともいうべき側面を浮きぼりにします。
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 診療時間をとっくに過ぎた午後8時に鳴ったドアベルに、若き女医ジェニー(アデル・エネル)は応じなかった。研修医ジュリアン(オリヴィエ・ボノー)が応じようとするのを止めて。翌日、診療所近くで身元不明の少女の遺体が見つかる。それは、診療所のモニターに映っていた少女だった。いったい、この少女は誰なのか? なぜ死んでしまったのか? ドアベルを押して、なにを伝えようとしていたのか? あふれる疑問のなか、ジェニーは亡くなる直前の少女の足取りを探るうちに、身の危険に巻き込まれていく。彼女の名を知ろうと、必死で少女のかけらを集めるジェニー。そして、彼女が見つけ出す意外な死の真相とは…。
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 まずは、ジェニーのキャラクターがユニークだ。彼女は老齢の医師に替わり、郊外の小さな診療所に勤務している。近く彼女は、多くのライバルを押しのけて大きな病院に勤務することになっていて、歓迎パーティーも開かれ、用意されている自分の部屋を紹介される。だが、亡くなった少女の手がかりを探るうちに、小さな診療所が、貧困や国籍などが原因で大病院にはなかなか行くことができない人々に必要とされていることを実感する。そして、大病院での勤務を断り、閉めようとしていた診療所を継ぐ決意をするのだ。そのひたむきさが、社会の裏面に隠されている醜い部分に触れる。診療所で貧しい人や国籍不明の人々を助ける、そのためにはいつでも出張診療する。そこに、若い女医の真摯な姿勢が感じられる。
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 いっぽう、身元不明の亡くなった少女は黒人だった。ジェニーが調べるうちに、少女はどうやら娼婦だったらしいことがわかる。あげくにジェニーは襲われ、ヒモらしい男たちから「この件に近づくな」と脅される。ジェニーを訪ねてきた少女の姉は、ネットカフェに勤めていて売春を生業にしているらしい。そして、この件に絡んで、周囲の人々の内面があらわになる。ダルデンヌ兄弟ははっきりと触れてはいないけれども、犠牲になった少女がアフリカ系黒人の娼婦だとすれば、そこにはヨーロッパの不法移民の問題も絡んでくる。そのあたりが、ドラマに不安と緊張感を生む。こうしたことを含めて、ダルデンヌ兄弟の演出はサスペンス・タッチでジェニーの行動を追う。それにしても、ジェニーがよく動き回ること!
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 ダルデンヌ兄弟のコメントから―「ジェニーは扉を開けなかったことに罪悪感を覚えますが、彼女の探求には自己満足も自己陶酔もありません」「ジェニーは名もなき少女の身元を探ることで、同時に患者たちの苦しみを聞き、彼らを癒そうとしているのです」「(貧困や分断に苦しむ)登場人物は、いまの社会の現実に根ざしています。彼らは、暴力的なまでに周縁化された社会の一員なのです」。ちょっとした判断の迷いから失われてしまった“救えたかもしれない命”。「もしかして、なにかが変わったのではないか」と思わせる人生の転機。その裏に存在する、移民問題などに象徴されるヨーロッパの混乱。黒人少女を食いものにしようとした連中は、いったい何者なのか? ジェニーは、こうした事態のなかで変化し、成長する。ラスト、老婦人の手を取り診療所に導くジェニーの姿が印象的です。(★★★★)

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