わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

女性監督アフマドの愛と寛容のヴィジョン「タレンタイム~優しい歌」

2017-03-23 16:48:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 マレーシアの女性監督ヤスミン・アフマドは、アジア映画の将来を担う監督と期待されていた。だが、2009年、51歳の若さで亡くなった。母方の祖母は日本人。活動期間はわずか6年。その間に残した長編は6本。彼女の遺作になった「タレンタイム~優しい歌」(2009年)が、8年の時を経て初めて劇場公開されます(3月25日公開)。彼女が遺した作品は多民族国家マレーシアを映し出し、マレー語・中国語・タミル語など言語も複数使われ、民族や宗教が異なる人々が登場。ヤスミン・ワールドともいうべき世界を描き出し、マレーシア新潮流を牽引した。“タレンタイム”とは、1950年代にシンガポールの高校で生徒によって行われた芸能コンテストのこと。その後、各地に広がって、この言葉が定着したという。
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 ある高校で、音楽コンクール“タレンタイム”(Talent Time/才能の時間)が開催されることになる。ピアノの上手な女子高生ムルー(パメラ・チョン)は、バイクでの送迎を引き受けた耳の聞こえないマヘシュ(マヘシュ・ジュガル・キショール)と祝福されない恋に落ちる。二胡を演奏する優等生カーホウ(ハワード・ホン・カーホウ)は、歌もギターも上手な転校生ハフィズ(モハマド・シャフィー・ナスウィップ)に成績トップの座を奪われて、わだかまりを感じている。加えて彼らは、それぞれ問題を抱えている。マヘシュの叔父に起きる悲劇、ムルーとの交際に反対するマヘシュの母…。マレー系、インド系、中国系…民族や宗教の違いによる葛藤も抱えながら、彼らはいよいよコンクールの当日を迎える…。
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 登場するキャラをクローズアップすると…。ムルーはイギリス系とマレー系との混血で、母はマレー系。ムスリム(イスラム教)の家庭で、彼女はピアノの弾き語りでタレンタイムのファイナリストになる。マヘシュはインド人ヒンドゥー教徒、聴覚言語障害で手話で会話する。だが、イスラム教徒を憎む母親が、ムルーとの交際を禁じる。ハフィズはマレー人のムスリム、たった一人の家族である母は末期の脳腫瘍で入院中だ。彼をライバル視するカーホウは中華系、父に学校で一番の成績を収めるよう厳しく言われている。混在する民族と宗教。ムルーの家は進歩的で、中国系のメイドを家族のように考えている。マヘシュの叔父は、自分の結婚式の最中に葬式をしている隣人のイスラム教徒に殺害される。でも、マヘシュとムルーの恋は純粋で、やがて死んだ叔父から送られたメールによって救われることになる。
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 かつて、アフマド監督はこう語った。「私は国境がきらいです。私は、人間と人間を恣意的に分断することがきらいです。私は、ただシンプルにヒューマニティについての映画を作りたい」と。本作でも、若者たちはタレンタイム・コンペや愛憎を通して、人種・宗教の壁を乗り越えようとする。殺人や人種差別といった冷徹な現実をドラマに盛り込みながら、全体的に心優しいタッチで若者たちの心の揺れ動きをとらえる。演出は悠然として繊細、独特の感性でヒューマニズムを謳いあげる。同監督は、チャップリンに影響を受け、なかでもベストの1本は「街の灯」だとか。その理由は「人生には、とても楽しい瞬間のそばに、いつも悲劇が隣り合っているという私の考えが『街の灯』に通じているから」だそうである。
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 そして、若者たち、彼らの家族、学友&教師の日常的な交流を手際よく描きながら、人間の優しさ、思いを浮かび上がらせる。それらを盛り上げるのが、使用される名曲のかずかずだ。ドビュッシーの「月の光」から、マレーシアの人気アーティスト、ピート・テオが作曲した「I Go」「Angel」「Just One Boy」などの楽曲まで。そのなかで「Just One Boy」ではヤスミン・アフマドが共同作詞を、「Love in Silence」ではアフマドが作詞・作曲を手がけた。出演者中、ムルー役のパメラ・チョンは、女優・司会者・モデル・振り付け・ダンスなどで幅広く活躍。マヘシュを演じたマヘシュ・ジュガル・キショールは、現在ホテルマンをしているらしい、というのが可笑しい。彼ら若者が、音楽を通して偏見や差別を乗り越える。見終わって思わず「映画って、いいな!」という感じに捉われます。(★★★★+★半分)

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ダニス・タノヴィッチ作品連続上映②「サラエヴォの銃声」

2017-03-13 13:53:50 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ダニス・タノヴィッチ監督作品連続上映・第2弾は、2016年度フランス=ボスニア・ヘルツェゴビナ合作「サラエヴォの銃声」です(3月25日から東京・新宿シネマカリテで公開)。同監督が、故郷サラエヴォで撮った初めての映画だそうだ。原案は、2014年にサラエヴォの国立劇場でプレミア上演されたベルナール=アンリ・レヴィによる戯曲「ホテル・ヨーロッパ」。第1次世界大戦のきっかけとなった皇太子夫妻暗殺、通称サラエヴォ事件から100年経った式典を題材に、現代とも交錯する時代の暗雲を浮かび上がらせます。サラエヴォ事件とは、1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーが、ボスニアの首都サラエヴォの病院を訪問する途中で19歳のボスニア系セルビア人ガヴリロ・プリンツィプによって射殺された事件。1か月後、オーストリア=ハンガリーはセルビアに宣戦布告、第1次世界大戦が勃発することになります。
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 サラエヴォの老舗ホテル“ホテル・ヨーロッパ”。ここでは、第1次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件から100年の記念式典を行うための準備に追われている。ホテルに集うさまざまな人々―仕事熱心な美しい受付主任、屋上で戦争と結果についてインタビューする女性ジャーナリスト、100年前の暗殺者と同じ名前を持つ謎の男、演説の練習をするフランス人VIP、ストライキを企てる従業員たちと、それを阻止しようとする支配人。彼らの思惑が複雑に絡み合い、次第に狂いだす運命の歯車。やがて高まる緊張のなか、ホテルに1発の銃声が鳴り響く…。ホテルという限られた空間で繰り広げられる、いわゆるグランドホテル形式のドラマだ。サラエヴォ事件を呼び起こし、テロが頻発して民族同士の争いが絶えない現代の世界をダブらせて、紛争の構図を浮きぼりにする。第66回ベルリン国際映画祭では、銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をダブル受賞した。
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 これは一種の寓話だが、キャラクターの設定が面白い。経営難のために無気力なホテルの支配人(イズディン・バイロヴィッチ)、ドラッグ依存症の警備員、賃金未払いに対してストを目論むホテルの従業員、支配人の依頼でスト破りを企む地下クラブのならず者たち。それに対して、女性の受付主任ラミヤ(スネジャナ・ヴィドヴィッチ)だけがホテル中を走り回る。だが、同じ職場で働く母親がストの代理リーダーに指名されたため母娘ともに解雇の憂き目に。また、フランス人VIP(ジャック・ウェバー)は、講演のため能天気にサラエヴォの歴史をそらんじている。一方、屋上では女性ジャーナリスト、ヴェドラナ(ヴェドラナ・セクサン)がサラエヴォ事件についてのインタビューに余念がない。「暗殺者のプリンツィプは英雄か犯罪者か。殺された大公は占領者か犠牲者か」と。やがて彼女は、100年前の暗殺者と同じガヴリロ・プリンツィプを名のる男(ムハマド・ハジョヴィッチ)と対決する。そして、こうした状況に混乱をきたす1発の銃声。発砲したのは、いったい何者なのか?
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 ドラマ設定は、明らかに現代世界の暗喩なのだろう。民族紛争の複雑さと残酷さ、加えて、それに対するヨーロッパの無関心さや無責任さ、人間(=歴史)の愚かしさも問いかける。ホテルに蔓延する自堕落な雰囲気とは対照的に、ジャーナリスト、ヴェドラナの先鋭的な問いかけがタノヴィッチ監督の意図なのだろうか。同監督は言う。「これは、私たちの歴史の中で最も血まみれの世紀を、現代のボスニアから見たもの」「本当に腹立たしいのは、ガヴリロ・プリンツィプがセルビアの国家主義的テロリストだったのか、英雄的自由の闘士だったのかという議論。こんな議論が百年経ったいまでも熱心に続けられているのです」と。そして本作は、「私たちの“転換期”に関する、非常にボスニア的、バルカン的な物語だ」と付け加える。このあたりの歴史的な事情は、どうもぼくらにはわかりづらいけれども…。
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 しかし、このような背景を何となく頭に入れておいた上で見ると、本作はサスペンス映画としても楽しめます。撮影は、サラエヴォの旧ホリデイ・インで行われた。屋上、ロビー、リネン室、ゲストルーム、地下階層と、交互に切り取られたさまざまな人々の人生、登場人物たちが発するリアリティのあるセリフのかずかず。常にカメラがホテル内を流動的に動き回り、緊張感に溢れた心理描写に濃淡を加える。フランス人VIPがホテルにチェックインするのが午後4時40分、その85分後に映画は終わる。つまり、その85分という現実の時間に起こる出来事を語っていくのだ。その背後で、1914年のサラエヴォ事件を、過去の紛争と現代に重ねていく。そんな手法が、なんとも斬新です。(★★★★+★半分)

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ダニス・タノヴィッチ作品連続上映①「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」

2017-03-02 14:39:57 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ダニス・タノヴィッチ監督は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身。1992年のボスニア紛争勃発と同時にボスニア軍に参加、最前線で300時間以上の映像を撮影。94年にベルギーに移住し、映画を学ぶ。01年にボスニア紛争を描いた「ノー・マンズ・ランド」で監督デビュー、アカデミー外国語映画賞などを受賞。13年には、ボスニア・ヘルツェゴビナで暮らす一家を描いた「鉄くず拾いの物語」を発表、ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)を獲得した。彼の新旧2作が、東京の新宿シネマカリテで公開される。第1弾「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(3月4日公開)は2014年度作品で、日本での上映が世界初公開となる。1997年、パキスタンで大手グローバル企業が起こした粉ミルクによる乳幼児死亡事件を題材にした実話の映画化だ。
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 1997年、あるグローバル企業がパキスタンで強引に販売したことによって、不衛生な水で溶かした粉ミルクを飲んだ乳幼児が死亡する事件が発生。やっとのことで、この企業に就職したセールスマンのアヤン(イムラン・ハシュミ)は、自らが販売した商品が子供たちの命を奪っていることに気づき、この世界最大の企業を訴えようとする。だが彼の前には、途方もなく巨大な権力の壁が立ちはだかる。にもかかわらず、アヤンは危険に直面しながらも、すべてを投げうって立ち向かう。子供たちを守るため、愛する家族のために…。映画は、善良なセールスマンの無謀とも思える奮闘を、真正面からとらえる。
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 冒頭、2006年のロンドン。映画監督、プロデューサー、弁護士らが、スカイプでアヤンと話している。「君の体験を映画にしたい」と。以後、映画はアヤンの足取りと、映画撮影班の試行錯誤を並行して描く。国産製薬会社に勤めていたアヤンは、生活のために多国籍企業に移る。だが、その商売はあくどい。倉庫には大量の粉ミルクが並ぶ。「撒き金を使って好感度を上げろ」と指示する上司。ベテラン医師から相手をして、金品を渡し商品を患者に処方してもらう戦略だ。アヤンは、医師や看護師に取り入って好成績を収める。やがて、トップセールスマンになった彼は、小児科病棟で痩せ細った未熟児を見せられて絶句。患者の多くは貧困層で、汚れた水で作った粉ミルクを飲んでいたのだ。これがきっかけで、アヤンは大企業を退社、WHOに通報し、人権支援組織と協同する。だが大企業側は、あの手この手で脅しをかけてきて、アヤンの命すら危うくなる。
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 多国籍企業と個人の対決、映画人たちの危惧。企業=国家と抵抗者への迫害。タノヴィッチ監督は、主人公の戦いと恐怖・流転を緻密にたどりながら、パワフルでスリリングな実話ドラマに仕上げている。とりわけ印象に残るのが、アヤンの抵抗を支えた家族の存在だ。政府から仕事を奪われた父親は、起訴状を作ってくれる。「本通知受領から15日以内に、乳児用食品の発売中止を求めます」。アヤンは、告発状をひとつひとつ別のポストに投函する。また、自分に協力する家族の命の危険を察したアヤンが、この件から手を引くように言うが、「信念に背く夫を尊敬できない」と妻に強く説得される。ついに彼は、妻子を父親の故郷に避難させる。だが、ドイツでのTVドキュメンタリー放映が中止になった際、さすがのアヤンも絶望する。すべてを失った彼が、2007年に家族と再会、その後カナダでタクシー・ドライバーをして暮らしているという結末が悲しい。
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 だが、この結末は、いまだに事件は未解決であることを示している。映画の主眼は勧善懲悪にあるのではなく、真実はいまだに闇の中に埋もれているという語り口は、逆にこの世界のリアリティを浮きぼりにする。本作は、インド=フランス=イギリス合作。企業と対決するリスクを伴うために、撮影開始数週間前の2007年初頭、製作が中断。だが、インドの出資者と製作者が救いの手を差し伸べ、インドでロケ撮影がなされたという。「多国籍企業が潤沢な資金を持っているというだけで、この物語を語ることを止めさせられるなどということがあっていいはずはない」とタノヴィッチ監督は言う。主人公アヤンを演じるイムラン・ハシュミはインド出身、ボリウッド映画界での人気スターだ。その他、イギリス、イタリアなどの俳優が出演している。(★★★★+★半分)

 

 

 

 

 


 

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日本映画史上もっともステキな女優「原節子の真実」

2017-02-22 17:27:43 | スターColumn

 今年の1月17日付・朝日新聞(朝刊)のコラム「いちからわかる!」に、こんな記事が載っていました。題して「原節子さんのエッセー見つかったんだって?」「戦後の日本への提言として、自ら書いた珍しい文章だよ」。一昨年、95歳で亡くなった伝説の女優・原節子。彼女が26歳だった昭和21年(1946)、日本敗戦の翌年に季刊雑誌「想苑」(福岡県の出版社刊)に「手帖抄」と題して掲載された原稿用紙5枚ていどの随筆だ。これを見つけたのは、立教大学の石川巧教授で、掲載したのは文芸誌「新潮」(新潮社刊)今年の1月号。普段は、当時の映画雑誌などで発言してはいたけれども、それらはいずれも宣伝か編集部の意向をくんだ記事だった。だが、この「手帖抄」は、原が自分の意思で書いた数少ない文章のひとつだったといわれる。
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 内容は先ず、戦後の満員省線電車(現在のJR)内の状景。赤ん坊の泣き声に、あちこちから怒声が上がる。これに対して「黙れ! うるさければ貴様が降りろ」という声が飛ぶ。また二等車では、若者が座席の布をナイフで切り取り靴を磨く様子。更に省電の中で、乳児を抱える母親と若い女性のやりとりに口を突っ込むエセ紳士。そして、ミス・ニッポン・コンテストに容貌容姿の美だけが尊ばれることに対する疑義。それは「文化の水準を高めるいとなみとは云へない」。なぜ、人間として申し分のない人を選ぶというわけにはいかないのか、と原節子は言う。最後は「日本人にあいそをつかしたい思ひをさせられることはたびたびである」と言い、「めいめいが何とかして一日も早くお互に愉しく生きてゆけるやうに仕向けようではないか…」と結ぶ。短い文章で、戦後の人心の混乱を簡潔につづった名文です。
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 この文章を「新潮」で読んだ後、解説を書いている石井妙子著「原節子の真実」(新潮社刊)を読んでみた。石井氏は「満映とわたし」(岸富美子と共著・文藝春秋刊)で、戦中戦後の旧満洲における映画人の動向をきめ細やかにつづっている。原節子(1920・大正9年~2015・平成27年)の本名は会田昌江。家計を助けるため、昭和10年(1935)、14歳で日活に入社。彼女に女優業をすすめたのは、義兄の映画監督・熊谷久虎だった(「想苑」のエッセーも熊谷の関係から書いたという)。当時の原は色黒でやせっぽち。スタジオに入っても寡黙で、時間があると文庫本を読んでいた。そんな彼女にチャンスをもたらしたのが、昭和12年(1937)に出演したアーノルド・ファンク他監督の日独合作「新しき土」だった。戦争を控えた時代、この国策映画で彼女は大成功、宣伝でヨーロッパとアメリカをめぐった。
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 この旅行で、17歳になった原は大女優マレーネ・ディートリッヒに会い、堂々とした風格に魅せられる。当時、日本では女優の地位は低かったが、原はひそかに意志が強く自立する女優を目指していた。ちなみに、戦後間もなくして見た「カサブランカ」(1942)では、ヒロインを演じたイングリッド・バーグマンに心酔、生涯のファンになる。彫りの深い容貌と、女優としての明確な志は、のちの原と共通する部分でもある。それまで、どちらかと言えば、忍従する日本女性の役が多かった原に役者としての新境地を開いたのは、戦後の黒澤明監督「わが青春に悔なし」(1946)で自己主張するヒロインを演じた時だった。
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 だが、ここで強調したいのは、戦後の原の生き方についてである。たとえば、冒頭に掲げたエッセー「手帖抄」で、原は常に電車に乗って人々を観察している。当時、彼女はトップ女優でありながら、電車と徒歩で撮影所通いをした。運転手つきの自家用車か、進駐軍の将校に送り迎えさせる女優たちを横目に、原は戦後の混乱期にこうした姿勢を貫いた。超満員の電車に揺られ、横浜の自宅と世田谷郊外の東宝撮影所を往復した。また付き人も持たず、市井の人と同じような生活を望んだ。戦後は食糧不足のために、撮影所からの帰りなどに在所に立ち寄り、家族のために米や野菜を手に入れ、リュックで担いで帰ったという。彼女自身、栄養失調になったこともあった。こうした決意は普通の女優にはあり得ないことであり、その強い意思と姿勢は「手帖抄」に反映されている。「原節子の真実」の筆者・石井氏は、こうした原の素顔を、あらゆる資料を駆使してみごとに浮かび上がらせている。
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 原節子の作品でベスト3を掲げるとすれば、迫害と闘うヒロインを演じた「わが青春に悔なし」、田舎の因習に立ち向かう教師に扮した今井正監督「青い山脈」(1949)、しっかり者の嫁を演じた小津安二郎監督「東京物語」(1953)だと思います。そして昭和37年(1962)、42歳の時、稲垣浩監督「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」で大石りくを演じた後、突然引退。その理由は、映画業界に嫌気がさしたのかもしれないし、眼疾などのせいで体調不良だったのかもしれない。その後、昭和38年(1963)に恩師・小津安二郎監督の通夜に訪れた後、公の場にほぼ姿を見せなくなり鎌倉に隠棲した。小津監督との仲などが噂されたが、生涯独身を貫き“永遠の処女”“神秘の女優”などと言われた。だが、彼女の人間性と女優としての矜持を思うと、それが原節子の戦後の生き方だったのだろうと思う。「手帖抄」に書かれた戦後の日本人に対する辛口の提言は、そのまま現代にも通じるように思われてなりません。

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ヒューマン・ドキュメント「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」

2017-02-14 14:13:03 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 イタリア最南端に位置するランペドゥーサ島の人口は約5500人。これに対して、年間5万人を超える難民・移民がアフリカや中東から押し寄せる。彼らの目的は、島を経由してヨーロッパを目指すこと。前作「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」で13年度ベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を得たジャンフランコ・ロージ監督が、次にカメラを向けたのがこの島だった。同監督は短編を撮影するため島に入ったが、複雑な状況を目の当たりにして数分の映画に収めることは不可能だと知る。そして、島で暮らすたったひとりの医師から聞いた難民救済の現状や、少年サムエレとの出会いをきっかけに、1年半も島に移り住みカメラを回した。それがドキュメンタリー「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」(2月11日公開)で、16年度ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を獲得した。
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 イタリア最南端のランペドゥーサ島。12歳の少年サムエレは手作りのパチンコで遊び、島の人々は普通の日々を生きている。だが、島には彼が知らないもうひとつの顔がある。アフリカや中東から命がけで地中海を渡り、ヨーロッパを目指す多くの難民・移民の玄関口なのだ。島には巨大な無線施設が建ち、港には数多くの救助艇が停泊。ひとたび難民が乗った船から救難要請が入ると、無線が飛び交い、ヘリコプターが飛び立つ。そんな緊迫した様子とは対照的に、島の日常は流れていく。同じ島にありながら、島民と難民の悲劇は交わることがない。彼らを結ぶのは、島でひとりの医師バルトロのみ。島民を診察するかたわら、難民の死にも立ち会う。やがて、左目の弱視が見つかったサムエレは、視力を上げるため右目を隠し矯正メガネをかける。まるで、いままで見えていなかった未知の世界を見るように…。
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 カメラは住民と難民に密着、ふたつの世界の乖離をとらえる。島の自然のなかで遊ぶサムエレ。ラジオのDJは、島民に音楽を届ける。ラジオで難民船遭難のニュースを聞いたおばさんは「ひどい話ね」とつぶやくだけ。対して、難民たちの苦難がリアルにとらえられる。船で脱水症状にかかる人々、女子供が多く乗る船ではかなりの死者が出る。そして、無事島にたどり着いた人々は隔離され、検査を受ける。難民船から救難要請が入るたびに、艦船が行き交い、サーチライトが荒れた海を照らし、ヘリが飛び、マスクと防護服姿の人々が救援にあたるシーンが緊迫感にあふれる。撮影も兼任したロージ監督は、イタリア海軍船に40日間乗り込み、救援の実態をとらえた。検査所では、さまざまな国から来た難民がサッカーに興じ、女性たちは涙にくれる。ここでは、難民ですら日常的な存在になっているのだ。
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 ロージ監督は、島でただひとりの医師ピエトロ・バルトロに出会ったことが、本作に取り掛かるきっかけになったという。同医師は、この30年間、救助された移民・難民の上陸に立ち会い、上陸した人々のうち病院に行く者、抑留センターに行く者、死亡した者を振り分ける役割を果たしてきた。バルトロ医師は、20年間の救護の記録が収められたコンピューターの画面を見ながら、監督に巨大な悲劇と、援助と庇護を与える義務を語ったという。映画でも、PCモニターを見ながら同医師は言う。「終わりがない、こうした人々を救うのは、すべての人間の務めだ」と。また、無邪気なサムエレ少年は、手作りのパチンコで鳥を狙い、叔父の船でイカ漁について行って船酔いになったあげく、桟橋で胃を鍛えたりする。このふたりの存在が、映画にドラマ的な要素を与え、新感覚のドキュメンタリーを生み出した。
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「最大の困難は、この世界を、それが持つ真実とリアリティの感覚をもって描くだけでなく、そのなかにある人間性をも捉える方法を見出すことでした」と、ロージ監督は言う。そのため、告発ドキュメンタリーというよりも、日常描写と人間個人の素顔や生活を捉えたヒューマン・ドキュメントになっている。監督自身もエリトリア国に生まれ、イタリアに避難、現在はイタリアならびにアメリカ合衆国国民である。難民救助作戦は、時の流れによって形を変えている。だが、この映画ではイタリア側が実に丹念に救助に駆け付け、難民を救う姿が記録されている。それを見て感じたことは“怒り”である。そのひとつは、難民を生み出す不条理な世界に対する怒り。もっと激しく湧きあがる怒りは、日本のようにほとんど何もしない国への怒りだ。日本の難民認定率は、世界のなかでももっとも低いものになっている。それでは、まるでアホ・トランプの施策と同レベルではないだろうか。(★★★★+★半分)

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