湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

国道294号線沿いの側溝のコンクリートの蓋・・・

2016年08月31日 |  1.田舎暮らし

棚田でヒエをとりはじめてすぐ、筆者の携帯に電話がかかってきました。

なにでも、郡山市役所の職員の方が8名訪ねて来られたとか・・・。要件は、国道294号線沿いの側溝のコンクリートの蓋が2箇所破損しているので、それを新しいものに交換するように要請があったので、現場の確認に来られたとか・・・。

妻は、なにのことか分からず、筆者に電話をかけてきました。筆者、<1年前、国道294号線沿いの農業用水路を郡山市が工事をしたとき、コンクリートミキサー車の中に少し生コンが残っているので、もらってもらえないかと言われて、国道294号線の側溝の蓋から庭の接続部分が滑らかになるようにコンクリートを敷いてもらったけれど、そのとき、破損しているコンクリートの蓋も工事で残ったコンクリートで修復していいか、工事をされている方に尋ねたら、これは国道の一部なので、私たちにはタッチできませんと言われた・・・。その話はそれっきりになってしまったと思っていたのだけれど、農業用水路の工事を請け負った会社の方が手続きをしてくださったのでは・・・?>と答えましたが、妻は、郡山市の職員の方に、筆者の話は伝えないで、<破損している側溝のコンクリートの蓋を新しいものに交換してくださるなら、交換してください>とお願いしたようです。郡山市役所の方々は、<それでは、県の方に連絡します>といって帰って行かれたようです。

8人も・・・。妻は、なにごとかとびっくりしたようですが、筆者が何かをして逮捕に来たのではないかと心配したようです。

筆者、酒・女・金・博打・薬・窃盗・万引・詐欺などで問題を起こすことは、これまでもなかったし、これからもたぶんないでしょうから、妻は、筆者が何をしたのか、想像することすらできなかったようです。妻の実家のおとうさんが残してくれた田・畑・山林・家屋・宅地の境界は、生前、妻の実家のおとうさんから何度も一緒に現場確認していますので、湖南の赤津の農家の方から嫌がらせで訴えられても、きちんと公的書類を提示して弁明できます。

8人というのは、たぶん、他の案件で調査に行った帰りに、たまたま、妻の実家の前の国道294号線の側溝のこわれたコンクリートの蓋の件で立ち寄られただけ・・・。

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はえぬきの田のヒエ取り・・・

2016年08月31日 |  7.雑草と除草

午後3:30~6:00まで、妻の実家の棚田のはえぬきの田のヒエ取りをしました。

2014年、2015年の2年間、棚田の田のヒエを取っているとき、筆者、よくバランスを失って転倒し、稲を4~5株倒してしまうことが何度もありました。さすが、米つくり3年目の今年は、バランスを崩すことはほとんどなくなりました。たとへ崩すことがあっても、手にもった、ヒエの切り取り鎌でなんとかささえることができます。

東から西の方向に植えているはえぬきの田に生えたヒエを切り取るのですが、ちょうど夕日が沈む逆光になっていて、おびただしい数のトンボが飛び交う姿が目に入りました。もともと、妻の実家の棚田の田にいたトンボなのか、それとも台風10号が過ぎ去ったあと、会津布引山から山里へ下りてきたトンボなのか、定かではありませんが、トンボがヒエの先端に止まってくれますので、筆者が見落とししそうなヒエも切り取ることができました。

赤トンボ・アキアカネ・ミヤマアカネ・シオカラトンボ・オニヤンマだけでなく、原色に近い鮮やかな色の赤イトトンボ・黄イトトンボ・青イトトンボのきれいな姿も、目に飛び込んできました。

0.5反のはえぬきの田で切り取ったヒエは、稲束4束分・・・。明日、コシヒカリの田のヒエをとりますが、はえぬきの田のほぼ4倍ですので、切り取ることになるヒエは、稲束4×4=16束分・・・?妻曰く、<以外と少ないのね!>

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縁のなかった『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』・・・

2016年08月31日 |  5.部落学序説

この前、インターネットの日本の古本屋経由で、<従軍慰安婦>に関する本を5冊注文しました。そのうち、3冊は今日までに届きました。

『慰安婦たちの太平洋戦争・正続』
『証言記録 従軍慰安婦・看護婦 —戦場に生きた女の慟哭』
『海の蛍 :若き「従軍」慰安婦の念い』

次の本は、古書店から発送済み・・・

『従軍慰安婦問題の歴史的研究 売春婦型と性的奴隷型』

最後の1冊は、古書店の在庫確認の結果、すでに販売済だとか・・・。この本、山口の小さな教会の前任牧師の蔵書の中に含まれていましたが、筆者、一度も目にすることはありませんでした。今回、読んでみようと思って発注したのでうが、売り切れとか・・・。『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』・・・、多分、筆者には縁のない本なのでしょう。他の古書店に注文すれば入手可能なのですが、読むのややめました。

広田和子著『証言記録 従軍慰安婦・看護婦 —戦場に生きた女の慟哭』の<まとめ-彼女たちの本当の〝地獄〟はなにであったのか>に目を通しました。そこに記されていたのは、<従軍慰安婦>をつくりだした戦争中の日本の精神風土は、現代の日本の精神風土においても通底しているということです。

<元従軍慰安婦について語るならば、〝差別〟ということを抜きにしては考えられない。そして大変当たり前のことをいえば、差別という事実が起きてしまったとき、差別している側が差別されている人たちに同情しても問題は解決しない。被差別側に100%の言い分があっても、差別されたとき、すでにその言い分は踏みにじられてしまっているのであるから、その差別をなくすためには、被差別の側の何倍もの自覚が必要とされる。力の強い者がその腕力にものをいわせて、弱い者を無理矢理にねじ伏せてしまう社会はけっしていいとは思えないが、現実にそういう社会ができあがったとき、弱い力で強いものに対抗しなければならないのであるから、辛抱強い努力がつづけられなければならない・・・>。

同じことは<朝鮮人慰安婦>についてもいえる・・・。<朝鮮人慰安婦>をつくりだした戦争中の朝鮮の精神風土は、現代の朝鮮の精神風土においても通底し、かっての<朝鮮人慰安婦>の問題は、極めて今日的な朝鮮(北韓国・南朝鮮)の問題であるということです。全世界に売春婦を送り出す朝鮮・・・、朝鮮人女性の人権をないがしろにしてそれを金儲けの対象にする朝鮮人男性や親たち・・・。差別は、<力の強い者がその腕力にものをいわせて、弱い者を無理矢理にねじ伏せてしまう>だけでなく、<力の弱い者がその腕力にものをいわせて、さらに弱い者を無理矢理にねじ伏せてしまう>ことによって、より深刻な人権侵害がつくり出される・・・。

著者の広田さん曰く、<一人ひとりが自覚して簡単に権力者の甘言に乗らせないようにしなければならない、と私はいいたいのである。そのためにいちばん犠牲になりやすい弱い人たちに強くなってもらわなければならない・・・>。

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カエルにやさしい田の草刈り・・・

2016年08月31日 |  7.雑草と除草

台風10号が通り過ぎた次の朝は、秋の青空が広がっています。ここ5~6日は、晴れの日が続くようですので、棚田の田のコシヒカリ・はえぬき・ヒメノモチも実が入ることでしょう。

午前中は、棚田の田の農道側の土手と畔、農業用水路をはさんだ農道の草刈りをしました。草刈をしながら、カエルたちにやさしい草刈り方法がないものか、考えながら草を刈っていましたが、これまでになく、カエルの逃げる方向が田んぼの水の中であることが分かり、筆者、<この方法で草を刈れば、カエルの避難場所が田んぼの水の中になるので、安心・・・。カエルを傷つけることがほとんどなくなる・・・>と思いました。そのあとは、新しく見つけた草刈法で草を刈りました。

筆者、カエルにやさしい田の草刈り本当を発見・・・。それは、刈った草を田の水の中に入れない草刈り法に通じていました。今回は、田の畔の草を刈っても、刈った草が田の中に飛び込むことはほとんどありませんでした。カエルにやさしい草刈法は、稲にもやさしい草刈法でした。草を利用して草を刈る方法・・・。

なにか、田の畔の草刈り法をひとつマスターした感じ・・・。

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湖南をほんとうに愛した彫刻家・三坂耿一郎・・・

2016年08月31日 |  3.有機栽培・無農薬栽培

昨日、彫刻家三坂耿一郎のデッサン<ドウテンデエスキース>を久しぶりに見ていました。

<ドウテンデ>には<土の精>という注がついていましたが、湖南出身の彫刻家・三坂耿一郎氏が、<土の精>を二次元の世界で表現すると、左のデッサンのようになるようです。

<土の精>・・・。

湖南の農家が、この<土の精>と接するときの接しかたとは・・・。湖南の赤津村で一般的な農家の<土の精>との接し方は、その頭や体に、化学肥料・農薬(殺菌剤・殺虫剤等)・除草剤等を大量に頻繁に散布するやりかた・・・。

<土の精>、その皮膚はただれ、肉はくさり、骨は干からび、生きながらにして死にゆく状態に置かれているように思われるのですが・・・。

筆者と妻は、有機栽培・無農薬栽培で、化学肥料・農薬・除草剤を使用することなく、<土の精>に、田のいきものとの<同棲同類>のこころを提供・・・。土の中には、微生物やバクテリアも生きている・・・。

赤津の環境保全は、<土の精>のことをすっかり忘れてしまっている・・・。湖南出身の彫刻家・三坂耿一郎氏のデッサンは、素人百姓の筆者と妻に、百姓として<土の精>に向かいあうときの視点・視角・視座の持ち方を教えてくれます。

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湖南史談会離脱の意志を告げる・・・

2016年08月31日 |  3.湖南史談会

今朝、野菜の収穫から帰ってきた妻、<あなた、コシヒカリの穂が垂れ始めたわよ!>とうれしそうに話しかけてきました。

筆者、<台風の雨に打たれて穂が垂れているように見えるだけではないの・・・?>と問いかけたのですが、<違います!コシヒカリの穂、みんな垂れはじめました!>とのこと・・・。

朝食を摂ったあと、妻の実家の棚田に向かい、台風10号が通り過ぎたあとの棚田のコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちの被害状況を確認しましたが、ほとんど異常なし・・・。備中レンコンの花は、台風10号の風にもてあそばれて、かなり傷ついているようですが、全体としてみますと、ほとんど被害なし・・・。

そのあと、湖南史談会の前会長の秋山雄記先生宅を尋ね、湖南史談話会離脱の意志を告げました。離脱したあとも関わり続ける会を聞かれ、<すべて、湖南以外・・・。郡山地方史研究会と東北気象学会、それからこれから入る有機・無農薬栽培研究会>をあげました。湖南のいかなるグループにも参加しないことをお話ししました。秋山先生の奥さま、<したいことをするのが一番!湖南史談会会長に辞めると意志表示するだけでいいわ・・・>と話しておられました。

秋山雄記先生、<「なして、吉田さんを史談会の会員にしたのか?」とみんなに聞かれたが、その理由を話す機会はなかったなあ・・・。郡山地方史研究会は続けるんだろう?それなら、いいんだ!湖南史談会を辞めても・・・>と話しておられました。

今日、筆者が湖南史談会会員になるのにお世話になった湖南史談会前会長の秋山雄記先生の了解をとりつけましたので、あとは、湖南史談会会長のIto先生に脱会を意志表示するだけ・・・。

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諏訪三郎の史資料展示は却下・・・

2016年08月30日 |  3.湖南史談会

湖南史談会の役員会で、前会長の秋山雄記先生から、今年の湖南文化祭で、湖南出身の小説家・諏訪三郎の史資料を展示してほしいとの要望があったとかで話し合いがなされましたが、短時間の審議で却下されました。

小説家・諏訪三郎は、戦前・戦時の時代に活躍した小説家で、その小説家としての生き方や作品についての評価がかなり難しいところがあります。諏訪三郎が置かれた時代にどのように真摯に向き合って文筆活動をしてきたのか、研究成果を踏まえた紹介が必要なのですが、ただ単純に、史資料だけを展示するだけでは、あまり、湖南文化祭にきた方々を魅了することはできないとか・・・。

展示を見て、参加者がすぐに分かるものとしては、小説・戯曲より、絵画の方が適切・・・、とのことで、今年の湖南文化祭には、湖南出身の画家の作品を展示することになりました。会議の途中、湖南公民館の事務所に行って、館長さんから、湖南出身の画家のリストが掲載されている本を閲覧させてくださいとお願いしたのですが、湖南出身の画家は1人しかいないとかで、他の画家の存在を知ることはできませんでした。

役員会でリストアップされた、湖南出身の画家は、11名・・・。その作品を借りて、湖南文化祭のとき展示されるそうですが、湖南文化祭のときは、寝ずの番を余儀なくされそうです。借りた名品を傷つけたり盗まれたりしたら大変ですから・・・。

湖南出身の三坂耿一郎は、彫刻家であるという理由ではずされそうになったので、筆者、<彫刻をする前に、彫刻墓ならずデッサンをする。デッサンも絵だけれど、三坂耿一郎のデッサンも展示してもいいのでは・・・?>と話しますと、湖南史談会の事務局長をされているShigaさん、<三坂耿一郎さんのデッサンなら持ってる!>とのこと・・・。湖南出身の画家の中に、三坂耿一郎も加えられることになり、湖南出身の画家は全部で11名に・・・。

しかし、筆者、湖南文化祭を前に、湖南史談会会員を辞退することに決めました。なぜか、精神的にとても疲れてしまって・・・。

上のデッサンは、彫刻家三坂耿一郎の<ドウテンデエスキース>のデッサンです。<ドウテンデ>とは<土の精>のこと・・・。

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68歳の素人百姓の筆者は社会参加免除・・・?

2016年08月30日 |  2.猪苗代湖南

68歳の筆者、日本基督教団の牧師を辞して隠退牧師となり、妻のふるさと湖南で、2013年4月1日から、妻の実家のおとうさんが残してくれた田畑4.6反と山林8反で自給自足のため有機栽培・無農薬栽培で米つくり・野菜つくりをしていますが、年齢が年齢だから、もう、湖南の赤津村の共同作業には、でる必要がないのかもしれません。

湖南の赤津村のしきたりもならわしも、昔のそれとは大きく異なってしまっているようですから・・・。

山口にいるとき、妻のふるさと・湖南、赤津について情報収集しました。インターネットの日本の古本屋経由で、日本全国の古書店から、妻のふるさと・湖南、赤津について史資料を集めました。その結果、湖南史談会の会員の方々より、湖南に関するたくさんの史資料を入手することになりました。その収集は、今も続いていますが、その史資料から描く湖南、赤津のイメージと、現在の湖南、赤津のイメージとは、類似しているところもあり、類似していないところもあり、重ね合わせると、ずれが生じてしまいます。

筆者、湖南、赤津についての歴史は<文献史学>の範疇にとどめ、湖南、赤津の現在からは遠ざかることにしました。明日、湖南史談会前会長の秋山雄記先生を尋ねて、湖南史談会会員を辞退することを伝えることにします。秋山雄記先生も、何処の馬の骨かもわからない筆者を湖南史談会会員に推薦したことで他の方々からいろいろ批難されてお困りのご様子でしたから・・・。筆者の湖南史談会会員辞退で、問題は一挙に解決・・・!

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補助金・交付金等の対象事業には参加しないことに・・・

2016年08月30日 |  3.赤津村の共同作業

夕食後、妻が、<今日は、草刈り共同作業の説明会がある日よ。出席したら・・・?>といいますので、筆者、<昨年も、昨々年も、出席しなかったけれど、行ってみるか・・・>といって、軽トラにので、説明会場の赤津集会所にでかけました。

すでに集まっていた方々のひとりに、<この集会に出てきていいものか、わるいものか、わからないのですが・・・>とお尋ねしますと、<この集会は、米をつくっているひとの集会だ!>と言われます。筆者、<少しつくっていますが・・・>と答えますと、<そこの名簿に名前を書いて!>と言われますので、記名して、資料をいただきました。

その資料は、<農地法面、畦畔草刈り共同作業について>という3枚つづりの文書・・・。その3枚目に、<赤津環境保全対象エリア>という地図が掲載されてあって、その対象エリアが朱筆で囲まれていました。妻の実家の棚田の田は、その対象エリアの外・・・。

それで、筆者、共同作業のときよく顔を合わせる農家の方にそのエリアのことについてお尋ねしますと、<あんたの田んぼは、中山間にはいるから赤津環境保全対象エリアではねえ!>とのこと・・・。やはり場違いであったようで、筆者、その場をあとにしました。

<共同作業は、できる限り参加しなければ・・・>と筆者と妻、単純に思って参加しているのですが、<共同作業>とは、どうやら、各種補助金・交付金等の対象事業のことで、それに参加すると、<日当>が支払われるようです。<共同作業に参加するというのは、日当稼ぎが目的だべえ?>と、時々、赤津の農家の方々から批難されるのは、どうやらそういう意味がありそうです。

筆者、日当稼ぎ・日銭稼ぎとして批難されないためにも、できる限り<共同作業>には参加しない方がよさそうです。

今後参加するのは、中山間関連事業だけ・・・。

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台風10号が通り過ぎたあとの棚田のコシヒカリ・・・

2016年08月30日 |  1.湖南の天気

台風10号が湖南を通り過ぎたあと、雨が小降りになってから、妻の実家の棚田の<田まわり>にでかけました。

湖南は、風速20m前後の風が吹いていたのですが、妻の実家の棚田の、背丈の高いコシヒカリ、倒伏はしていませんでした。はえぬきもひめのもちも・・・。備中レンコンの大きな葉も、台風10号の風に倒されることはなかったようです。

筆者、ほっと一安心・・・。

妻の実家の棚田のイネを守ってくださったことを、主なる神さまに感謝しました。自然災害の前では、筆者と妻、まったく無力ですから・・・。

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ロケットストーブの既製品を購入・・・

2016年08月30日 |  1.山里暮らし

今日、雑誌『現代農業』で紹介されていた、ロケットストーブの既製品を購入しました。

筆者、2013年、妻の実家に戻って帰農したとき、4m×5mの簡易温室をつくりましたが、そのとき、

1.電気温床の機器
2.ハウスを温める練炭コンロ
3.ロケットストーブ

を購入したり、つくったりする予定でしたが、1.と2.を購入したものの、未だに未使用のまま・・・。妻が、湖南の冬の積雪期間で栽培したいのは、山口で栽培していた冬野菜なので、暖房をしないで栽培してみたいとかで、2013年の冬、2014年の冬、2015年の冬、暖房しないで、簡易温室で冬野菜を栽培してきました。

今年、2016年の冬は、ロケットストーブを自作することにしましたが、簡易温室小さいので、小型のロケットストーブにすることにしました。それで、この前、雑誌『現代農業』に紹介されていたロケットストーブの既製品を注文しました。これは、簡易温室の暖房用ではなく別の用途に使いますので、簡易温室のロケットストーブは、この既製品を参考にして自作することにしました。

簡易温室は、ロケットストーブを使用した場合、外から換気できるように、設計段階から、換気用の窓を設置していますので、農園主の妻の許可が下りれば、即、湖南の真冬に夏野菜の栽培実験をすることができます。

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疲れたなあ、湖南史談会の役員会・・・

2016年08月30日 |  3.湖南史談会

今日の午後は、台風10号が東北に上陸する日・・・。

雨の降る中、湖南公民館へ・・・。その会議室で、午後1:00から、湖南史談話の定例役員会が開催されるためですが、筆者、なにとなく、筆者が牧師をしていた日本基督教団下松愛隣教会の役員会を思い出すような雰囲気で、何を話しても決まらない、決まったところでそれが実行に移される可能性はほとんどない、話し合うことが唯一の目的になってしまったような役員会・・・。

今年の1泊2日の研究会は、数年前に行ったのと同じ場所、日光・・・。今回は、いろいろな事情があって、その会費は、1人50,000円になる可能性があるとか・・・。筆者、思わず、<1泊2日で、50,000円・・・? 参加することはできませんね・・・>と言葉に出してしましました。すると、副会長さん、<小枝町の〇〇を会員にしたらええべえ!〇〇は湖南の歴史に詳しい!>とのこと・・・。

どうやら、筆者が、湖南史談会から退く日が近づいているようです。来年3月末で、湖南史談会の会員を返上することにしましょう。

帰りがけに、湖南の月形村のSatoさんに話しかけました。<今年の米つくりはどうですか?私のコシヒカリはやっと穂が垂れはじめました・・・>。すると、Satoさん、<今年はええ!少し遅く植えても同じように穂が垂れてる!コシヒカリは晩稲だから、天の粒と同じだべえ?天の粒も穂が垂れ始めた!今年はできがええ!>とのことでした。

筆者がこれまで湖南史談会の集会に参加して楽しさを感じたのは、米つくりについて、いろいろ話し合うことができることが大きく原因しています。湖南史談会の会員の農家の方々は、それぞれ、研究熱心で、いつもあらたな米つくりに挑戦されているため・・・。湖南史談会の会員であることを返上しますと、そのつながりもなくなってしまうかもわかりませんが・・・。

筆者が今現在会員になっているのは、郡山地方史研究会と東北気象学会、湖南史談会のかわりに、有機無農薬栽培の研究グループに参加することにしましょう。

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棚田のコシヒカリ、全体で穂が垂れはじめる・・・

2016年08月30日 |  4.米つくり

今朝、8:00頃、妻の実家の棚田に<田まわり>にでかけました。

田の畔を一周したのですが、コシヒカリの田も全体で穂が垂れ始めていました。2014年、2015年、2016年、うまれてはじめて、しかも有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリの栽培をしている筆者と妻、稲作作業の開始日は、春の彼岸・・・。3月20日前後に、種籾を塩水選別、温湯消毒して、冷水に浸すこと30日間・・・。4月20日に播種して育苗に入り、自然発芽・自然育苗で葉齢が4.0~4.5になってから移植・・・。

葉齢、3.5~4.0でも、4.5~5.0でも、育苗箱の中でイネは成長して葉齢を増やしていますので、出穂時期はほぼ同じになります。天気がどのような天気であれ、イネはそれなりに成長して行くようです。台風10号が過ぎ去ると、1週間晴れの日が続くようですから、コシヒカリもはえぬきもひめのもちも、一段と実がつくことでしょう。

2014年、2015年、陸稲のゆめのはたもちの栽培に失敗しました。3年連続での失敗をさけるために、今年は、水稲のひめのもちを栽培しました。なぜ、陸稲の栽培に失敗したのか、いろいろ検証を重ねてきましたが、ほぼ原因と対策が確定しますので、来年、もう一度、陸稲のゆめのはたもちの栽培に挑戦してみます。2014年、2015年の陸稲のゆめのはたもちの栽培失敗体験、青立ちして穂が実る前に雪が降る・・・、最悪の事態を経験させてくれました。

温水田を利用することができない陸稲の栽培・・・、温水田に変わる方策が必要ですが、その方法がやっと分かりました。調べ続け、考え続けていますと、いつか、問題を克服する方策が見つかるようです。前例踏襲、検証停止、改善放棄・・・、それは、刹那的農業であって、継続的農業の姿勢ではありません。

米つくりの改善は、素人百姓の筆者、改善の良しあしの追跡をするためには、1年に1種類の改善に留めます。複数の改善を同時にしますと、何が原因でよくなったりわるくなったりしたのか、検証が不可能になりますので・・・。

筆者、ただひたすら、主なる神さまの護りと支えを祈るのみ・・・。自然の脅威の前に、人間はいつも無力ですから・・・。筆者と妻、<豊作>を祈願するのではなく、自分たちの<なくてならぬ生きるための糧>を祈り求めます。収穫の10%は(たくさん採れると%をアップします)、日本基督教団の隠退牧師の方々が入居されている老人ホームに寄付していますが、基本はあくまで、自給自足用・・・。

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白樺湖は巨大な温水田・・・!

2016年08月30日 | 【湖南】

今朝、gooブログの<アクセスログ>を逆にたどっていて、KUBOTAの<田んぼの総合情報サイト・くぼたのたんぼ>の記事

<稲作限界標高1,000メートルでの挑戦を支える
白樺湖の美しい素顔>

にたどり着きました。その文章の前半をそのまま転載しますと、

<長野県・八ヶ岳中信高原国定公園の中心に位置する白樺湖は、リゾート地として一世を風靡しましたが、その素顔は農業用温水溜め池です。稲作の限界標高に位置するこの地域には「水口立ち(みなぐちだち)」という哀しい言葉がありました。農業用水が冷たく、水口付近ではお米が実らず、稲穂が垂れることなく「青立ち(稲が青々と直立している状態)」となった状態のことです。田んぼの面積の、実に三分の一が収穫不能でした。 「水口立ち」を克服したのが、地元が総力を挙げて築造した白樺湖です。その歴史と、白樺湖が支える農業人の挑戦をレポートします。

冷害により三分の一が「水口立ち」に

白樺湖がある場所は、元々は湿原地帯で、中央に音無川が流れていました。柏原区青年会の運動会場として川干狩を行い、即席料理に腹鼓(はらつづみ)を打ち、相撲をとったり演芸をしたりと楽しく一日を過ごす場所でした。 この音無川の水は貴重な農業用水でしたが、標高約1,400メートルに位置しており、水温は夏でも14〜15度、25度以上の水温を必要とする稲にとっては致命的な冷たさでした。水口(みなくち=田んぼに水を引き込む取り入れ口)付近の稲は実ることがなく、「水口立ち」となり、三分の一がそのまま枯れていったそうです。

現在、白樺湖を管理している茅野市池の平土地改良区理事長の両角敏幸さんに、お話をお伺いしました。

両角 「苗を育てても、水の入口付近と奥では苗の丈が違っていたほどです。水口では籾が実らないので、青いまま立っている。田んぼで、そのまま燃やすしかなかったそうです」
 
守矢仁作が推進、湿地を溜池に

昭和10年夏、柏原地区の守矢仁作は、時の控訴院判事・両角誠英氏とこの地に遊び、ある提案を受けたと伝えられています。

両角 「音無川をせき止めて、太陽光で温める温水溜め池として、水稲の増収を図るというものでした。川底がVの字みたいになっている場所があり、そこをせき止めようと。また、漁業や観光もひらかれるのではと」

湿原を溜め池にするという大事業は、守矢仁作の奔走により、国庫補助金を受けて昭和15年に着工されました。しかし、昭和19年に資金難により中断します。その後、戦争が勃発。工事の再開はますます遠のいたように思えました。しかし、地元柏原地区は山の立木を売り払って資金を捻出し、区民全員体制の手作業、一日三食の麦飯に堪えて工事を再開します。

両角 「老若男女、総出で奉仕しました。この写真は昭和19年頃、川底(水路)の土を固める作業に出るときのものですね。この道具は『タコ』って呼んでいたと思います」

男性が後列で、女性が前列に並んでいます。重労働だったと思われますが、女性は笑顔を浮かべています。この事業に対する地元の期待が高かったことを伝えてくれているような笑顔です。

完成した温水溜め池は標高1,416メートル、周囲約3.8キロメートル、貯水量112万立方メートル。当時の長野県知事により、当初「蓼科大池(たてしなおおいけ)」と命名されました。堰堤(えんてい)で水をせき止め、約102メートルの堤体から太陽光で温められた上澄みが溢れ出します。 これが全長約102メートルの堤体です。今から見ても大事業だったことが分かります>。

標高1,000mの会津布引山に源流をもつ常夏川の、標高550m付近の妻の実家の棚田の農業用水路の水も、2014年・2015年の夏は、水温15.0度C前後でした。有機栽培・無農薬栽培のコシヒカリ・はえぬきも一部で<水口立ち>が発生しましたが、瀬戸内海の塩田の水温を上昇させる方法を採用して、棚田に温水田をつくりました。農業用水路の冷たい水も、温水田を経由すると8~12度C、水温が上昇して、2014年・2015年、コシヒカリとはえぬきを収穫することができました。そして、米つくり3年目の2016年も、現在のところ順調に成長しています。

それにしても、こんな巨大な<温水田>があったとは・・・!

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ツバメが飛び交う、妻の実家の棚田・・・

2016年08月29日 |  1.湖南の天気

台風10号の接近にともなう雨が降る中、夕方、妻の実家の棚田に向かいました。

排水がうまく機能しているかどうかの確認のため・・・。妻の実家の棚田のコシヒカリとはえぬきと温水田の上を、数10羽のツバメが飛び交っていました。鳴きながら、筆者の前を飛んで行きます。他の田には、ツバメが飛び交う姿は見えないのですが、妻の実家の棚田の田の上には、たくさんのツバメが・・・。

あとで、妻にその話をしますと、<わが家の田には、虫がたくさんいるということよね・・・?大丈夫・・・?>と心配そうに話しかけてきます。筆者、<虫はいっぱいいるよ!夜、棚田にいくと、いろんな種類の虫が飛んでいるのが分かる!ライトの光にキラキラひかっているから!>と答えましたが、妻の実家の田、トンボがたくさんいるということは、とんぼの餌になる小さな虫が沢山いるということを意味します。トンボの餌になる虫がいないと、トンボも生きていけなくなりますから、虫がいたって不思議なことではありあません。

ツバメは、おおきなガも捕ってくれますので、筆者は、ツバメが棚田にやってきてくれることは大賛成・・・。

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