湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

祖父の蔵書印を復元・・・

2016年02月29日 |  1.自分史(吉田向学のルーツ探し)

筆者が高校生になったとき、父から、祖父が使っていた<蔵書印>を譲り受けました。

それ以来、筆者の蔵書には、その蔵書印を押してきましたが、山口にいるとき、破損・・・。日本基督教団神奈川教区で牧師をしていたとき、その伝道所の、筆者と同姓の信徒の方から、その方の蔵書印<吉田蔵書>をいただきましたが、父祖の蔵書印破損後その蔵書印を使用してきました。

それが、上の写真の蔵書印です。会社社長のその吉田さんが上海に出張した際に購入されたものですが、その方の家風に合わないとかで、牧師をしていた筆者に下さいました。その方の先祖は武士、筆者は百姓なので、<牧師さんにはあってるかも・・・>と。

60歳以降、購入した新刊・古書の大半は、蔵書印を押していないので、今日、父祖が使っていた蔵書印によく似た蔵書印<吉田蔵書>をインターネットの印鑑店に発注しました。新しい蔵書印を押したものだけ保存して、そうでない蔵書は廃棄処分にします。68歳の筆者の残り人生で何を読んで、何をすることができるか、先が見えていますから・・・。

60歳以降、筆者、入手した本は<道具>として使い切ることにしていますので、マーカーを入れたり、メモを書き込んだり、古本として売却できる可能性は100%ありませんので、蔵書印を押すことにためらいはありません。ただ、金沢大学付属図書館の廃棄本にも筆者の蔵書印を押すかどうか迷っていますが・・・。

無学歴・無資格の筆者が、読んだことがある、国立大学の図書館の蔵書は、国立金沢大学の図書館の蔵書だけ・・・。無学歴・無資格の筆者が一番親しみを感じる国立大学は、この金沢大学・・・。医学・哲学・法学・農学・気象学・歴史学・民俗学の分野だけですが・・・。無学歴・無資格の筆者にとっては、金沢大学付属図書館のこれらの蔵書(除籍本)は、高等教育の香りのする本です。

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コハクチョウ、旅立ちをはじめる・・・

2016年02月29日 |  3.野鳥と野生動物

夕方のテレビニュースで、猪苗代湖周辺にこの冬やってきたコハクチョウが旅立ちをはじめたと報道されていました。

今年、雪が少なかったので、田の面の雪がとけて、草の新芽やこけを食べることが十分できたコハクチョウたち、編隊を組んで飛ぶ練習をしていました。悠然と空を飛ぶ姿を見て、そろそろ北帰行がはじまると思っていたのですが、今日、その第一陣が飛び立っていったようです。

テレビの画面をみながら、妻が、<また、帰ってきてね!>と語りかけていました。猪苗代湖周辺(湖東・湖西・湖南・湖北)にこの冬やってきたコハクチョウは3000羽とか・・・。2003年の春、3月頃、妻の実家に帰省したときは、湖南町赤津村の秋山の田には、オオハクチョウが数百羽たむろしていました。しかし、その後、筆者、オオハクチョウの姿を見ることはありません。見るのは、コハクチョウばかり・・・。でも、コハクチョウもかわいい・・・。無事に、北のふるさとに帰ることができるといいですね。

今日の午後、妻の実家の2階の窓から、アトリが群れをなして飛んでいる姿を何度も目にしました。

山口に棲息している間、渡り鳥たちは、はるばる遠き地から旅をしてきたときと、再び遠き地に旅立つときの2回、とてもきれいな歌声で歌ってくれました。しかし、ここ、妻のふるさと・赤津村では、渡り鳥たちは、そんなに近くによってこないし、歌を歌ってくれることもありません。その代わり、空で大きな舞を披露してくれます。雄大で華麗な野鳥たちの空の舞・・・。山口でも、いろいろな野鳥が舞う姿を見たことがありますが、アトリやコハクチョウの舞を見るのは、妻のふるさと・赤津村に帰郷してから・・・。

上の写真は、午前中、妻が撮影したアトリの群れ・・・。

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瀬戸内のラーメンの味を求めて・・・

2016年02月29日 |  8.外食

午後、食料品を買い出しにいくというので、妻に同行しました。

妻が、<イオンに行ってみましょうか・・・?>といいます。筆者、反対! <イオンは、中国産・韓国産の食料品を優先的に売っているので、行きたくない!>と話しかけますと、妻は、<イオンて、そんなに中国産・韓国産が多いの?それでは、いつものスーパーにしましょう・・・>といいますので、いつものスーパーへ直行しました。

妻が買いものをしている間、筆者は、雑誌コーナーへ・・・。『超ウマ・味の神髄を求めて・郡山ら~めん』を購入しました。この本で紹介されているラーメン店は63、この前、湖南史談会元会長のEbina先生にすすめられた、『ラーメンパスポート郡山ワイド版』に掲載されているのは72店・・・。重複しているのは、わずか10店舗・・・。合計しますと、63+72-10=120店舗・・・。

妻が、山口の周防大島の橘港のすぐそばの中華そば屋さんで食べた、瀬戸内海のいりこ出しのラーメンの味をなつかしがりますので、その味に類似した味を探すため・・・。『超ウマ・味の神髄を求めて・郡山ら~めん』に掲載されている63店舗の中から1店を選んで、古文書講習会最終日、立ち寄ってみることにしましょう。

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赤津村の風景の写真を撮りに・・・

2016年02月29日 |  3.写真とカメラ

筆者の妻、午前中、愛用のOLYMPUSの一眼レフをもって赤津村の写真を撮りにひとりででかけました。

しかし、途中で予定を変更したようです。理由は、妻が農道を歩いていると、アトリの群れが何度も近寄ってきて、<アトリの舞>を見せてくれたそうです。写真撮影から帰ってきた妻と一緒に、パソコンの大きなディスプレイに表示させてみたのですが、どの写真もいい写真ばかり・・・。

赤津村の田畑を、群れをなして飛ぶアトリのいろいろな場面が撮影されていました。中には、カメラをもっている妻をめがけて飛んでくるアトリの群れの姿も・・・!妻が撮影した写真の中には、アトリの群れの中に身を置かないと撮れない写真もありました。群れの大きさは、前回ほどではありませんでしたが、それでも5000~6000羽の群れ・・・。

庭に出た、筆者の頭の上を、アトリの群れが通り過ぎていきました。

コハクチョウが2~4羽、ゆっくりと空を飛んでいる光景も見ることができますが、そろそろ冬が終わり、春がやってくるので、渡りの準備をしているのでしょうか・・・?冬の渡り鳥が旅立つと、それと入れ替わりのようにやってくる夏の渡り鳥・・・、楽しみです。山口にいるとき、渡り鳥の群れといっても、数10羽やってくるだけで、<大群>のように受け止めていたのですが、妻のふるさと・湖南では、そのスケールが違います。

赤津の村の人間は小さいのに、小鳥の群れは大きい!

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古文書三昧の日は、今日で終わり・・・

2016年02月29日 |  1.古文書独習

第48回郡山地方史研究会古文書講習会は、今週土曜日が最終回・・・。

今日は、2月29日で、2月の最終日・・・。筆者、この冬の、古文書三昧の日々は、今日をもって終了します。来年の、第49回郡山地方史研究会古文書講習会まで、毎日1時間、過去の古文書講習会のテキストをひとりで読むのみ・・・。今回、児玉幸多編『くずし字解読辞典』(普及版)の使い方に慣れ親しみ、そのあと入手した、児玉幸多『毛筆版くずし字解読辞典』によって、これまで判読が難しかったくずし字も容易に解読できるようになりましたので、古文書講習会の過去のテキストを読み続けることに楽しさを感じます。

しかし、筆者の<本業>は、<百姓>・・・。

古文書三昧の日は、今日で終わり・・・。湖南や赤津の、関連史資料も、化学肥料・農薬・除草剤による手抜き米つくり・野菜つくりをする以前の史資料を読むだけで、赤津村民の昔の歴史には一切関心なし・・・。

二本松藩・三春藩・守山藩の<穢多>役、<非人>役の末裔の方々に出会うことがあれば、この限りではありませんが・・・。出会ったとしても、このブログで書き込むことはありませんが・・・。山口の地で30年間棲息し、被差別部落の歴史を調べてきた筆者、関連史資料に対する取扱い上の禁忌、無意識にもおかすことはありません。

明日からは、3月1日、新暦の春・・・。旧暦は、1月23日・・・。旧暦の3月1日、弥生は、新暦では、4月7日・・・。今年も、今の、赤津の農家の方々がすっかり忘れてしまった、昔の赤津の農家の米つくり・野菜つくりを参考に、美味しい米つくり・野菜つくりをすることにしましょうか・・・。現在の赤津の農家、昔の赤津の農家の農業を、馬鹿にするか軽んじていますので、それを再現しようとする余所者の筆者も、馬鹿・軽蔑の対象にされるのでしょう。

いいんです!赤津の自然は、昔のままですから・・・。ここ赤津では、<人みて暮らすな、天みて暮らせ!> 人は百姓の邪魔をするだけ・・・。百姓を活かすのは天(自然)のみ・・・。

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十手の鑑定・・・

2016年02月29日 |  3.湖南史談会

2月27日、郡山地方史研究会の古文書講習会のあと、湖南史談会のAkiyama先生に連れられて、Akiyama先生の知人宅を尋ねました。

そのとき、その方の家のガラスケースの中に、十手が2丁が飾られていました。それで、筆者、Akiyama先生とその知人の方が話しておられる間に、ガラスケース越に、その十手の、長さ・太さ、鈎の付方、房紐の付方とその色を観察して覚えて帰りました。

帰るとすぐ、山口で、30年間、日本基督教団西中国教区の牧師をしているとき、知り合った、徳山藩領の穢多村の流れをくむ、部落解放同盟新南陽支部の方から、十手の鑑別用の資料をいただきましたが、その資料によりますと、十手は、与力・同心をはじめ、司法・警察機構の末端の目明し、穢多(役)、非人(役)、村方役人・町方役人が持っていましたが、どのような十手を持っていたかによって、その身分が分かります。どんな役職の十手なのか・・・。

<十手>を持っているというひとは多いのですが、ほとんどの方は、その<十手>を見せてくれることはありません。しかし、この前尋ねたAkiyama先生の知人宅では、大切に<十手>が飾られていました。

それを見た筆者、<この十手は本物ではなく飾り物・・・>とすぐ判断しました。<こんなつくりでは捕物のとき、武士の刀を防ぐことができず、十手を持つ手が大けがをする可能性がある・・・>と思いました。たぶん、その<十手>、Akiyama先生の知人の方が集めた趣味の装飾用の十手なのでしょうね・・・。

山口の、旧長州藩領地だけでなく、福島の、旧会津藩領地でも、この赤津でも、<十手を持っている>、あるいは<十手を持っていた>という方は多いのですが、<においはすれど、姿は見えず・・・>。

明治になって、近世幕藩体制下の司法警察制度が解体され、近代、明治天皇制下の司法警察制が新設されるとき、お上から預かっていた十手はすべて返納されたはず・・・だと、筆者思うのですが、それが、<においはすれど、姿は見えず・・・>の要因ではないかと・・・。

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湖南史談会前会長から聞いた名前は、増子喜八・・・

2016年02月29日 |  1.古文書独習

明治初期、赤津を離れて行った増子氏・・・

湖南史談会前会長の秋山雄記先生の話しでは、<増子喜八>・・・。2月27日の郡山地方史研究会の古文書講習会にAkiyama 先生とご一緒したとき、<喜八>さんなのか、<八藏>さんなのか、お尋ねしたのですが、<八藏ではねえ!喜八だ!古文書に残ってるのは!>と話しておられました。

しかし、その<喜八>さん、『赤津郵分限帳』にはその名前は出てきません。『赤津郵分限帳』は、公開されているのはその一部だけですから、『赤津郵分限帳』の原文にあたれば、確認することができるかもしれません。しかし、筆者、赤津村の<余所者>でしかなく、いまだ、赤津村の方々の世界には入って行ってませんので、古文書を見せていただく関係にはありません。

湖南史談会前会長のAkiyama先生は、赤津に関する古文書を保管している史資料館を御存知とか・・・。会津若松にあるそうですが、そこには、赤津代官所や赤津に関する古文書が保存されているようです。筆者、まだ一度も訪ねたことはありません。

公開されている『赤津郵分限帳』には、老百姓・並老百姓・並地首等の肩書きのついたひとが多数掲載されていますが、肝煎・地首検断は、各1戸のみ・・・。

赤津村の地首検断<治左衛門>の妻、<八藏>さんのおかあさんの名前は<きの>、<八藏>さんは<きの>さん39歳のときのこどもです。<八藏>さんの兄弟は兄の<福太郎>・<留七>、弟の<粂吉>・<初太郎>・・・。幕末期は、会津藩に会津布引山の<竹>を収めたり、<牛>を飼育していたようです。

『赤津郵分限帳』に出てくる家は<弐間>が多いのですが、<八藏>さんの家は、肝煎の<古河與五輔>さんの家と同じ<三間>・・・。他の家より大きな家であったようです。『赤津郵分限帳』は、赤津村肝煎の『古河家文書』のひとつです。

幕末から明治にかけての古文書には、よく増子姓が出てきますが、明治以降、赤津村・長福寺の住職の家系の方・・・。近世幕藩体制下では、住職は原則世襲されていませんでした。公開されている『赤津郵分限帳』には、長福寺は出てきません。連藏寺は出てきますが、無住・・・。『会津寺院風土記』によりますと、長福寺は、現在の長福寺の第24代の増子住職の高祖父のときに<中興>されたようですから、『赤津郵分限帳』には、長福寺は出てこないのかもしれません。

湖南町赤津村の農家の方と話をしていますと、赤津村すべてのひとと、遠い親戚・遠い親類になってしまいます。系図をたどっていきますと、<八藏>さんは、<増子>姓とどこかでつながっているのかもしれませんね。

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高祖父・八藏さん・・・?

2016年02月28日 |  3.湖南史談会

<私の高祖父は、八蔵といいます。八蔵は家族を連れて、赤津村を離れ双葉に戸籍を移しています。長男の治郎は双葉で結婚をしています。偶然かもしれませんが、長男の子孫は役人など優秀な人が多いみたいです。次男の宇吉は私の曾祖父ですが、その後白河のほうで結婚しています>。

このコメントを下さった方の曾祖父(ひいおじいさん)のお兄さんの名前は<治郎>、高祖父の名前は<八藏>・・・。昔の名前は、先祖の名前から一字とるか、名前そのものを継承する場合も少なくありません。古文書に、<八藏>の前に<治郎>によく似た名前が出てくると、その系図をたどることができる可能性も少なくありません。

しかし、筆者、このコメントをくださっている方と一面識もなく、その方がどういう方なのか、まったく知りません。それに、筆者は、2013年4月1日に、妻のふるさと・赤津に帰郷・帰農したに過ぎず、赤津の住人の目からみますと、まったくの余所者・・・。赤津の歴史・民俗など知っているはずがありません。

最初のコメントに、<高祖父>の方が<明治の初期に赤津村を離れいわきに移住しています。去年赤津村を訪れた時、高祖父に関する情報はえられませんでしたが、高祖父が住んでいたところのすぐ近くに諏訪三郎の石碑がありました。>とありましたが、幕末から明治にかけて赤津に住んでおられた<高祖父>・・・、という表現からしますと、このコメントをくださった方は、筆者より1世代若い方・・・?

それに、<高祖父が住んでいたところのすぐ近くに諏訪三郎の石碑がありました。>とありましたが、赤津村には、諏訪三郎の石碑が2箇所ありますので、<高祖父>の住んでおられたところは、より広範に調査する必要がありそうです。湖南史談会前会長の秋山雄記先生、<諏訪三郎の石碑があるすぐ近くは、畑しかなかったが・・・>と話しておられましたので・・・。

嘉永5年(1852年)、幕府の巡検使が会津方部に見回りにきたとき、その時赤津村から差し出された報告書である『赤津郵分限帳』(郵=ムラ)には、赤津村村民の調査記録が記されています。<この分限帳は、村民各戸の固定資産の明細町とも言うべきものであって、この分限帳を公表するに付いて色々と迷ったのですが、弐百年近くも過ぎた事でもあり、当時を知る上で貴重な資料でもありますので、お叱り覚悟の上で・・・>その一部を公表された方がいます。その中にこのような記事がありました。

高拾四石
上下御免地首検断(地首=ぢがしら)
治左衛門
但天保九戌年上下御免被仰付
弘化三年地首検断被仰付

治左衛門年六拾五
妻 きの 五拾九
 
福太郎 参拾八
八藏 弐拾

明治元年(1868年)には、八藏さんは、36歳・・・。もし、この『赤津郵分限帳』に出てくる八藏さんが、このコメントを下さった方の高祖父の八藏さんにあたる方だと<同定>しますと、コメントを下さった方の高祖父・八藏さんのもう一代前の治左衛門さんまで遡ることができるということになります。弘化3年(1846年)、幕末の政情不安定な時期、各藩は、警察機構を充実させて治安維持に勤めますが、筆者の推定では、コメントくださったかたの先祖は、そのとき、<地首検断>を仰せつかったのだと思われます。今、郡山地方史研究会の古文書講習会で2種類の<検断>について学んでいますが、おそらく、治左衛門さんが住んでおられた場所からみても、<道筋検断>の役・・・。会津藩山郷と会津藩安積の境にある黒森峠の街道警備と犯人探索にあたっていた職務であると思われます。帯刀を許されていたので、姿は武士・・・。

ただ、明治に入り、明治政府が、近世幕藩体制下の旧警察組織を解体したとき、同心(足軽)以下、全員解雇されますので、治左衛門の跡目を倅の福太郎さんが継いでいたとしても、明治5年に職務を解かれていたと思われます。

<検断>は、各藩によって意味するところは異なりますが、山口の<徳山藩>の<検断>は足軽階級です。足軽以下の階級は、準武士であって、正規の武士(藩士)ではありません。狭義の意味の武士ではないけれども広義の意味では武士に入るのでしょう。いくら、赤津村の<地首検断>といっても、そんなに簡単にはなれませんぞ!

この『赤津郵分限帳』・・・、公開されても問題なしと判断された方々のみ公開されていますので、身元調査に関して何の問題もないでしょう。

コメントくださった方も、ご自分で古文書を読んで、先祖の系譜を自分の手で手繰り寄せてください。面白いですよ!

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盗まれた染絹糸探索・・・

2016年02月28日 |  1.古文書独習

昨夜、町内の寄合から帰ったあと、郡山地方史研究会の古文書講習会第25回(平成5年)のテキストの続きをよみはじめました。

今回は、『今泉家文書』に1つ・・・。

<乍恐以書付申上候

一 去寅九月中御当領郡山宿越後屋孫七方江相頼置候小間物荷壱篭私福嶋江商相越候跡ニ而被盗取候ニ付其段御届申上置候処去十一月中右荷物之内染絹糸須賀川宿松田屋平助与申者方ニ而私見当候ニ付懸合候得共事相不分候間御取捌被下置度以書付奉願上候処郡山宿喜太郎助左衛門内済取扱覚候ニ付問責仕度各品願い申上御下知無御座内済證条迄取引仕候処盗物之義一層之問責可取り計斗筋無之破談仕候様被仰付助左衛門須賀川宿江立越内済破談仕候趣処此度白川御役処様江為御懸被成候趣ニ而先方懸り合候者共差上候書付を以御糾被極候ニ付右ニ申上候

一 須賀川宿松田や平助申上候書付ニ久吉寅十月中・・・>

と続きます。延々と長い文章が・・・。

この程度の、読みやすいくずし字であるなら、玉幸多編『毛筆版くずし字解読辞典』1冊で、読みづらいくずし字も判読可能です。

筆者の妻、古文書を読む筆者を見て、<あなた、やはり、先祖は観聖寺の住職の家系に間違いないと思うわ。短期間の間に、そんな古文書が読めるようになるんですもの・・・>と話していましたが、近世幕藩体制下の寺子屋では、5~6歳の子どもでも読んでいたくずし字、その気になれば誰でも読めるようになります。

この窃盗事件、精読することにしました。

人生の晩年になって、古文書が読めるようになって何の意味があるのか・・・? 郡山地方史研究会の古文書講習会には、毎回70~80人の方々が参加しておられます。みなさん、60歳をすぎた高齢者ばかりですが、小学生が目の色を輝かせて先生から学んでいるような雰囲気があります。意味があるのかないのか、そんなことはどうでもよく、読めるようになることそのことが楽しいようです。筆者も同じ。

筆者、祖父・吉田永學、曾祖父・吉田向學のふるさと、信州栗田村の古文書を自分の目で読むことができるようになればそれで十分です。
 

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大七はからくて飲めねえ・・・?

2016年02月27日 |  1.趣味

日本酒の美味しさ・・・。

蓼食う虫も好き好きということわざがありますが、<日本酒飲むひとも好き好き>と言い換えても意味が通じるようです。

今日、古文書講習会を終えて、湖南に帰るとき、湖南史談会の前会長のAkiyama先生に、<会津のお酒で美味しいのは、どのお酒・・・?>と尋ねますと、Akiyama先生、<会津の酒だと、末廣か・・・?>と話しておられました。そのあと、<大七は山の上に看板を建てて宣伝してるが、大七はからくて飲めねえ!>と話しておられました。

筆者、<中口の末廣より、中辛口の大七の方がすきですが・・・>とお答えしましたが、どうやら、湖南史談会の会員の方々がのんでおられるお酒は、<中口>のようです。甘くもなく辛くもなく・・・。筆者は、<中辛口>か<辛口>の方が好き・・・。<大七 純米生酛>は、飲んでいて飽きが来ない・・・。

もう、日本酒の美味しさについて、他のひとに語りかけるのは止めることにしましょう。

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美味しいごはんを食べるしあわせ・・・

2016年02月27日 |  4.田舎の食生活

今日、昼食は、湖南史談会前会長のAkiyama先生とご一緒・・・。

Akiyama先生、<あそこ、行って見よう!>、<ここ、行ってみよう!>と言われるので、筆者、Akiyama先生のいう通りにくるまを走らせましたが、休業日であったり、開店時間が午後17時であったり、あっちいったり、こっちいったり、結局、一番不味い食堂で昼食をとることになりました。

筆者が注文したのは、醤油ラーメン・ライスですが、なぜか、とても不味いラーメン・・・。

最近、筆者、不味いラーメンに遭遇することが多くなりました。湖南史談会の元会長で、湖南町三代で海老名食堂を経営されているEbina先生にすすめられて、『ラーメンパスポート郡山ワイド版』を購入しました。

<通常価格750円以上の厳選ラーメンが500円になる
超お得なラーメン本!
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郡山市湖南のラーメン屋さんは、4軒掲載されているようですが、湖南史談会の方々と一緒に入ったことがあるラーメンの店は、海老名食堂と大阪屋の2軒のみ・・・。あとの2軒には入ったことがありませんが、なにか、不味いラーメンに遭遇する機会が多過ぎますと、はじめての店に入るのに二の足を踏んでしまいます。

この本の掲載されているラーメン店で、筆者と妻が入ったことがあるお店は、1.ますや、2.ラーメンみそ伝八山田店・・・。今日、ほかの湖南史談会会員の方々は古文書講習会のあと、この本に出てくる、日本一食堂のラーメンを食べに入られましたが、筆者、どちらかいいますと、Akiyama先生と昼食を一緒にするより、みんなと、日本一食堂のラーメンを食べてみたかった・・・。

この『ラーメンパスポート郡山ワイド版』に掲載されているラーメン・・・、妻がお気に入りの、山口県の周防大島の橘町のいりこだしの黄金色にラーメンのたれはひとつもありませんでした。あっさりしたラーメンより、こってりしたラーメンのほうが、郡山の人々はお好きなようです。

筆者、今一番美味しいたべものは、わがやのごはん・・・。標高550mの湖南高原の棚田で有機栽培・無農薬栽培でつくったコシヒカリ・・・、それを食べていますと、外食が味気なくなってしまいます。

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古文書講習会テキストの利用方法・・・

2016年02月27日 |  1.古文書独習

今日、『秋山家文書』の購読を指導されたのは、郡山地方史研究会のTakahashi先生・・・。

前回、開門時間が来るのをまっている間、Takahashi先生と少しく立ち話をしましたが、そのとき、Takahashi先生の古文書講習会のテキストの利用方法を教えていただきました。講義が終わるとすぐ、筆者、Takahashi先生のもとに行って、その古文書講習会のテキストの利用方法を見せていただきました。

古文書の種類毎に、Indexがつけられ色分けされています。そのIndezには、小さな字で文書名が記されています。

筆者が、これまで集めた古文書講習会のテキストは、全20冊ですが、20cm以上の厚みがあります。Takahashi先生は30冊ほど古文書講習会のテキストを整理されているそうですが、筆者は、20冊・・・・。Takahashi先生の整理の仕方を模倣させていただくことにしました。

郡山地方史研究会の先生方の中で、筆者が私淑する先生は、Okawa先生とTakahashi先生・・・。

筆者、郡山地方史研究会古文書講習会、第46回・第47回・第48回、3回出席させていただいて、湖南史談会会員の方々が、古文書読解に使っておられるというツール、玉幸多編『くずし字解読辞典』(普及版)・同『毛筆版くずし字解読辞典』・同『くずし字用例字典』(普及版)をやっと自由自在に使えるようになりました。すくなくとも、近世古文書のくずし字の判読はできるようになったようです。

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古文書講習会第5日目・・・

2016年02月27日 |  1.古文書独習

今日は郡山地方史研究会第48回古文書講習会の第5日目・・・。

今日は、『秋山文書』がテキストとしてとりあげられますので、湖南史談会前会長のAkiyama先生から迎えにくるように電話があり、午前7時15分にAkiyama先生宅へ・・・。

準備が出来ていないらしく、しばらくおくさまと立ち話し・・・。Akiyama家を出たのは、午前7時30分・・・。今朝は、10数cm積雪していたのですが、雪が積もっているのは湖南の赤津村・福良村だけ・・・。そのため、くるまはスムースに走ってくれたので、古文書講習会の会場についたのは、開門予定時刻の30分前・・・。

今日の古文書講習会・・・、準備はほどほどにしました。<完璧>にすると、講習会中に眠気に襲われますので・・・。それでも、筆者、古文書をかなり読めるようになっているらしく、あらかじめ、古文書に鉛筆で判読した文字を書き込んでいるのですが、95%は正しく読めているようです。

判読できなかった文字は、画数の多い文字ではなく、画数の少ない文字・・・。これは、古文書読解の経験不足が原因していますので、古文書を読み続けている限り、いつか簡単に読むことができるようになるでしょう。

郡山地方史研究会の古文書講習会・・・、無学歴・無資格、無学・無能の筆者がこれまで指導を受けたことがあるなかで、最高の指導を受けたことになります。筆者の人生において、高等教育を受ける機会はほとんどありませんでしたが、山口県立大学の地域学の授業に参加についで、2度目の高等教育受講に相なりました。

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赤津のあそび歌・・・

2016年02月26日 |  2.赤津村の風景

次の歌は、妻のふるさと・赤津村に伝わる<あそび歌>の1節です。ふるさと・赤津村に戻ってきた人々が、そのふるさとでどのように生きて行くことになるのかを歌ったものです。

帰るふるさと 山川草木
みんなゆかりの 友ばかり

おれの幸い かげから祈る
人は先祖と 親ばかり

生きた眼こで 自然をみやれ
森羅万象 わが教師

ふるさと赤津に戻ってきても、それを喜ぶ赤津の住人は誰もいません。ふるさと帰還を歓迎してくれるのは、ふるさとの<山川草木>ばかり・・・。しかし、会津布引山も常夏川も、山の木々も、田畑の土手や畔の草花も、喜び迎えてくれます。農薬・除草剤をまかず、田の生きとし生けるものを大切にするひとを・・・。ふるさと帰還を喜んでくれるものは、<先祖>と<親>ばかり・・・。ふるさとに帰還しても、誰も農業を教えてくれるものはいない。しかし、おそれることはありません。生きた目で自然を観れば、自然豊かな赤津の<森羅万象 わが教師>・・・。

自分よがりの 天狗が多い
ろくに飛べない 羽根つけて

目先ばかりの 目高を追って
大きな鯉鮒 みな逃す

利口者じゃと 自慢をすれば
陰で人口 笑われる

ふるさと・赤津の農家のひとは、意地が悪くて、冷たいひとが多い。そねみ・やっかみ・ねたみ・ひがみ、あれやこれやで顔がくもっています。自分を<利口者>と確信して、ふるさとに帰ってきたものを馬鹿よばわりするひとが多い。しかし、そんな言葉に惑わされることはありません。<自分よがりの天狗が多い>ので・・・。その天狗の鼻はすぐ折れます。<目先ばかりの>利得を追って、日銭稼ぎで、ほんとうの農業を忘れたひとばかり・・・。農薬・除草剤・化学肥料で、田畑を荒らして、ふと気が付けば、大腸がんに直腸がんに食道がん胃がんのがんつくし・・・。そんな赤津農家の真似をする必要はありません。同じようになりたくなければ・・・。

広い日本は みなわが里よ
どこでくらすも 同じこと

なにをするにも 真心あれば
花は咲きます 実も結ぶ

神に祈らば 嵐もこねべえ
今日のつとめの 田草とり

赤津の農家は、ふるさとに帰ってきたものをいじめぬいて再び追い出すことが多い。しかし、赤津を出ていくには及ばない。赤津を、桃源郷だと思うてはならない。日本全国どこにでもある、ただの山郷でしかありません。<広い日本はみなわが里よ、どこでくらすも同じこと>と覚悟して、棲みつくのが一番!<なにをするにも真心あれば、花は咲きます。実も結ぶ>・・・。標高550mの湖南高原の棚田で有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリやはえぬきを収穫することすらできます。<ここらではできねえ!>という赤津農家は、農業嫌いなジリ貧農家・・・。頼るのは、ひとではなく、神・・・。<神に祈らば>嵐もこない。磐梯おろしの風さえ避けて通ります。稲の花が咲き、実を結ぶのに大切なのは、<今日のつとめの田草とり>

 

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大七と末廣・・・

2016年02月26日 |  1.趣味

今日の夕方、湖南史談会会長のIshida先生が訪ねて来られました。会津の酒<末廣>の1升瓶をもって・・・。Ishida先生、<会津の酒だ!飲んでけれ!>と言われて、<末廣 上扇 1.8L>(2,052円)を置いて行かれました。

あとで、インターネットで確認しますと、この<末廣 上撰>は、醸造酒でした。ついでに、<末廣>の720mlの純米酒を調べてみました。<大七>の純米生酛に相当する<末廣>を対比させますと、次のようになりますか・・・。

<大七 純米生酛>は、1,273円・・・・・・・・・<末廣 伝承生もと>は、1,350円
<大七 純米生酛・Classic>1,450円・・・・
<大七 自然酒生酛>1,450円・・・・・・・・・・<末廣 純米酒大自然>は、1,890円
<大七 純米生酛・山田錦>1,714円・・・・・<末廣 特別純米・夢の香>は、1,404円

<大七>と<末廣>とどちらが、筆者にとって、美味しい酒か・・・、それを比較して結論を出すには、比較が相当である銘柄同志を飲み比べないとまったく意味がありません。今、上記<大七>は、720ml×5本(普通×1、Classic×2、自然×1、山田錦×1)の3.6L保管していますので、当分、<末廣>の上記3種類を飲み比べるのは無理です。

娘夫婦は、<末廣>のほうが美味しいというのですが、筆者は、いまのところ、<大七>のほうがあっています。筆者、醸造酒は飲めないので、今度、娘夫婦が来たとき、いただいた<末廣 上扇 1.8L>(2,052円)を譲ることにしましょうか・・・。

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