湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

本質と異質・・・

2017年01月07日 |  5.部落学序説

今日、インターネットの日本の古本屋経由で入手した事典をパラパラめくっていて、目に飛び込んできた言葉は、

<異質>

<ある穢多村の周辺で見られても、その穢多村の職務と直接関係のない(長吏の職務と無関係)ことを示す。そのような事項を異質要素(本質要素に対して)という>。

つまり、<穢多村>・<特殊部落>・<被差別部落>・<同和地区>において、その本質を認識するためには、<異質要素>ではなく<本質要素>に着目する必要があるということを意味します。

<異質要素>には、低学歴・低収入などがあげられますが、それは、<穢多村>・<特殊部落>・<被差別部落>・<同和地区>の<本質要素>とは無関係・・・。<異質要素>をさも<本質要素>であるかのように錯覚しますと、<異質要素>の改善をもって差別はなくなるというイデオロギー的偏向解釈に陥ってしまします。<異質要素>を改善しても、<本質要素>をそのままにしておけば、いつまでたっても部落差別はなくならないという現実に否が応でも直面することになります。

戦後の部落解放運動は、<本質要素>を隠蔽したまま、<異質要素>だけの改善運動に終始してきましたので、未だもって、日本の社会から部落差別はなくならない。差別思想である<賤民史観>の学者・研究者・運動家たちは、<異質要素>を<本質要素>に組み込むことで、差別の拡大再生産を目論み、<本質要素>をますます、被差別部落のひとびとから遠ざけて、<差別された、あわれでみじめで気の毒な存在>にまつりあげようとする・・・。

<本質-異質>概念・・・、筆者のブログ『部落学序説』をrewrite して論文として出版するときの、新たな概念装置になりそうです。<本質-異質>は、<部落>を定義するときの、外延と内包の確定作業に有用な概念・・・。

インターネットの日本の古本屋経由で入手した事典類は、筆者にとっては、考察の材料です。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 年賀状の重み・・・ | トップ | 昨日は、休眼日・・・ »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

 5.部落学序説」カテゴリの最新記事