湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

異国船渡来ニ付諸御達留帳・・・

2017年03月06日 |  1.古文書独習

今日は、のんびり休養しています。

郡山地方史研究会の第29回古文書講習会のテキストから、

<嘉永七年二月異国船渡来ニ付諸御達留帳>を読み始めました。

郡山地方史研究会の古文書講習会のテキストのいいところは、古文書の写しのみが掲載されていて、判読文も解説文も添付されていないところ・・・。それを読むためには、数冊の古文書解読辞典を傍らにおいて、自分で読みすすめなければなりません。読めない文字は、最初の通読のときに印をつけておいて、再読で精読するとき古文書解読辞典にあたります。古文書全体の大意を把握できれば、読めない文字が読めるようになる場合も少なくありません。

旧長州藩領地の高佐郷につたわる、当時の寺子屋の教科書『高佐廻り地名記』にこんな一節があります。

少し岡は水ケ峠  (すくなしおかは みずがたお)
不動の堂より詠れば  (ふどうのどうより ながむれば)
嘉永六から相生の  (かえいむつから あいおいの)
松の噂も高佐ごや  (まつのうわさも たかさごや)

黒船来襲を歌ったものですが、黒船来襲は、近世幕藩体制下の日本の津々浦々に大きな衝撃を与えたようです。郡山宿も、江戸城警備のために召還される各藩の江戸出張にともなう様々な賦役を求められます。その様子がことこまやかにしるされているのですが、それだけでなく、日本防衛のために、二本松藩の各組(組:一般的には郡、長州藩は宰判とよぶ)の郷足軽・小者・鉄砲打が動員されます。徴兵制があろうがなかろうが、国難にあっては、国土防衛のために国民が総動員されるのは世の常・・・。

現在、湖南に含まれている月形村・中野村は、近世二本松藩の横沢組に属しますが、そのとき動員されたのは、郷足軽17人、小者36人、鉄砲打8人・・・。古文書の中には、郷足軽が誰なのか、その名前が記されている古文書もあるのでしょう。筆者は、まだお目にかかったことがありませんが・・・。湖南に身を置いてひさしくときが立てば、それらの資料を目にすることもあるでしょう。

郡山地方史研究会の過去の古文書講習会のテキストを読むのは、筆者にとっては、とても有効な気分転換のための娯楽・・・。

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