湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

赤津村の小枝の森と黒森・・・

2017年06月17日 |  3.湖南史談会

妻のふるさと・湖南の赤津村は、南北に細長い村です。

その東西に、今は、国道294号線が走っていますが、赤津村の東境には、<小枝の森>があります。そして、赤津村の西境には、<黒森>があります。

今日の午後、仮眠をとったあと、和歌森太郎著『修験道史研究』をよみはじめました。そのとき、思いがけないことばを目にしました。それは、<くろもり>・・・。昔、<モリといへば通常森を思ふわけであるが、一體に「こんもり」と「もり」上がったものならば、元来すべてモリであった>そうな・・・。<モリが神の宿るところといふ思想>が日本には昔から存在していたようで、<モリの原始的意義には、神聖の籠れるところといふ観念が入ってゐる。山峰をモリといふ言ひ方・・・、東北の辺鄙に残ったその言ひ方も亦、嘗て山峰に神性籠りをるとの信念が通じ持たれた時代の名残であらう。>との解釈が記載されていました。

東の村境<小枝の森>も、西の村境<黒森>も、知る人ぞ知る、今でもクマが棲息し、時々出没する場所・・・。両者とも、修験道となんらかの関係があります。

湖南史談会の資料や、湖南の赤津村の郷土史、郷土誌を見ても、それに関連して記載は、ほとんどみられません。湖南の赤津村の歴史・・・、自分たちに直接関係がないものについては、急速に忘却のかなたに追いやってしまいます。赤津村の東岐波にあった会津藩の製鉄所に関しても、たたら製鉄のあとの残滓しか残っていません。修験道に関しても、ほとんど、現在の住人からは忘れ去られてしまっているのでしょう。

1年前の湖南史談会の役員会で、<湖南の昔の歴史を調べたかったら、自分ひとりで調べろ!史談会に持ち込むな!>と言われ、筆者、湖南史談会脱会を決意しました。そして、湖南史談会にかかる年間の費用5年分で、湖南の郷土史研究のための史資料と、多分野の事典・研究ハンドブックなどを、インターネットの日本の古本屋経由で入手、独学体勢に入りました。

筆者、会津史談会入会を申し込んだのですが、こちらは、門前払いで無視された模様・・・。湖南史談会だけでなく、会津史談会に対する関心も潰えました。

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