湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

『続 会津の歴史』に掲載された地図に思いを馳せる・・・

2017年08月16日 |  3.湖南史談会



昨夜、葛西富夫著『続 会津の歴史』に収録されいている会津藩領地の地図(概略図)を眺めながら、その理由を考えていました。

湖南の赤津村・福良村・三代村は、旧会津藩領地の村・・・。白河街道の宿駅の場所・・・。会津戦争のときまでは、上のような地図、赤津村・福良村・三代村のうち、三代村を残して、赤津村・福良村が会津藩領地から外されている地図は存在しなかったのではないかと思われます。旧長州藩が会津に攻めに入ったときに使った地図では、赤津村・福良村・三代村ともに会津藩の村として書き込まれていますから・・・。

しかし、上の地図は、あきらかに、会津藩領地から、赤津村・福良村を排除する意図が明白な地図です。

なぜ、こういうことになったのか・・・? 昨夜、葛西富夫著『続 会津の歴史』・『会津・斗南藩史』、郡山市史、湖南史談会が発行した史資料をひもといてみました。昨日読んだ資料から、なぜ、赤津村と福良村がこの地図から外されているのか、なぜ、湖南史談会会員で前郡山市会議員の<よしだ金次郎>さんが<会津士魂>を旗印にして市会議員の選挙に臨まれるのか、その理由が分かったような気がしました。 

湖南史談会が、湖南の<史蹟>と<文化財>に固着して、湖南の<歴史>そのものを避ける傾向がある、その理由も分かったような気がしました。 

筆者のこのブログは、湖南の人々は、ほとんど見に来られることはありませんので、このブログで、<どなたかご存知ですか?>と尋ねても、答は返って来ないでしょうが、<どなたか、御存知ありませんか?> 

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