湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

戦後の日本の夢、軍艦島の暮らし・・・

2017年08月03日 |  2.ニュース(Internet)



今朝、インターネットのGoogleの画像で見た、世界遺産に登録された軍艦島のユルキャラ・がんしょうくん・・・。

この写真を見て、筆者、岡山県立児島高校の同級生のひとりを思い出しました。そのひとは九州からの転校生・・・。九州の炭鉱が閉山になったとかで、岡山に引っ越して来られたようです。

軍艦島は、筆者の小学生のころ、映画館のニュースでよく流されていました。当時、平屋の和風の家が多かった、筆者の生まれ故郷・琴浦町とは違って、超近代的なコンクリートの団地、その労働者の家は、家庭電化製品が整い、小学生・中学生も元気はつらつ・・・。大人になれば、おとうさんと同じように軍艦島の労働者になると夢を語っていました。その大衆浴場は、琴浦の銭湯と同じ・・・。軍艦島での暮しは、当時の日本の子どもたちにとって、日本の未来の暮らしを象徴する理想郷だったようです。

しかし、筆者が中学生、高校生のころは、エネルギーの政策転換で、石炭から石油へと依存形態が変化し、日本の炭鉱が継ぐから次へと閉山を余儀なくされていました。その結果、九州の炭鉱労働者は、西日本のコンビナートに移転・転職を余儀なくされました。中学、高校のクラスにも、1~2人、その子弟がいました。彼らの暮らしは、裕福な暮らしで、倒産と病気で家族全体が貧しさに喘ぐ、筆者の家庭とは雲泥の差がありました。転校生に関心をもちつつ、筆者にとっては、近寄りがたい存在でした(その名前は、「神さまに祝福された娘」の意)。

当時の日本の社会の最下層は、彼等ではなく、日本全国の津々浦々に、高度経済成長から取り残された<経済的弱者>によって構成されていました。筆者の記憶に残っている映画ニュースは、軍艦島のこどもたちの笑顔です。当時の日本の子供たちのなかで、一番、元気であかるい子供たちの笑顔たっだのではないでしょうか?

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8 コメント

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こんにちわ (片山)
2017-08-03 10:49:08
今、韓国では反日映画「軍艦島」が公開されて大人気だそうです。反日大統領の文在寅氏も観たそうです。映画はフィクションですがそれを観た韓国人はそれを事実と思いこみ、ますます反日になるそうです。
韓国では幼いころから反日教育が徹底されていて日本人を鬼と教えこまれています。ある日本人の教育者が韓国で日本と韓国の小学生を一緒に遊ばせた後、韓国人の小学生に聞いたそうです。「一緒に遊んだ日本の小学生は鬼でしたか?」誰も鬼だったと答えませんでした。
炭鉱についてですが、炭鉱夫の仕事は劣悪で危険でとてもきつい仕事です。
だから、犯罪者や暴れん坊など底辺の人たちの多くが働いていました。
私の父も戦前、働いていました。
話が変わりますが、貧乏で高校にも行けない人が日本にもたくさんいました。
生活保護収入よりも少ない収入で一生懸命働いている人は今でもたくさんいます。
Unknown (吉田向学)
2017-08-03 22:25:07
高校卒業後大阪へ
http://blog.goo.ne.jp/eigaku/e/e9bf3372eaafe9612f7a4c78bc70fd88

大阪の中学校勤務とはじめての被差別部落訪問(http://blog.goo.ne.jp/eigaku/e/24d3dff2b3906a6a8a87f9e931e79721

人生の試練と闘う人々の存在
http://blog.goo.ne.jp/eigaku/e/552864aa25d07b4e461220911bd8fe46

おひまなら、読んでみてください。
こんにちわ (片山)
2017-08-04 07:37:17
拝読させていただきました。

僕が住んでる児島は昔、女工さんだらけでした。

女工さんは九州や四国の貧しい家庭出身の中卒の娘で土曜の夜の味野商店街は土曜夜市で彼女たちがあふれていました。

それが最近では中国人やベトナム人であふれています。

日本は自由主義で言論は自由だといわれていますが

部落と天皇批判については言論が自由ではありませんでした。

天皇の戦争責任について喋れば右翼に狙撃されるし、部落解放同盟の暴力的不法行為は目にあまりました。

僕の事務所にも毎年のように 右翼と部落解放同盟から5万円の本やビデオを買えと脅迫のような電話がありました。

それが最近は不思議なことになくなりました。

いいことです。
Unknown (吉田向学)
2017-08-04 12:33:08
当時の児島市の人口は45,000人・・・。男性30,000人に女性45,000人だと記憶しています。児島の青年男子1人に対してトラック一杯の同年代の青年女子がいる町・・・だと噂されていました。

私の母は、徳島県美馬郡半田町の出身・・・。結婚して児島の紡績工場で女工をしていました。その母を頼って、母の姪・私の従姉たちが女工として同じ工場に勤めていました。従姉たちも、<四国の貧しい家庭出身の中卒の娘>・・・。それが、繊維産業の町・児島市の<地元>の有力者の<よそもの>に対する視線でした。筆者の母は、小学校の3~4年生を境に参観日に来なくなりました。同級生の母親たちが、<貧乏人の女工の息子なのに、どうして頭がいいのかしら。トンビがタカを産んだってこのことね・・・>と噂しているのを耳にしたからです。<四国の貧しい家庭出身>の母を持つ筆者、いろいろな経験をさせられました。その差別的な視線は、私が洗礼を受けたSweden Covenant Mission の日本人教会員も同じでした。児島の知識階級、資産家、企業家の方々ばかりでしたから・・・。

暴力団とちまたでうわさされているひとの息子さんや娘さん、小学校や中学校の同級生でした。中学2年生のとき、理科を教えてもらった先生は、結婚して、暴力団の奥さまになられたとか・・・。中学2年生のとき、郷内中学から転校してきた暴力団の息子は、私にいろいろなことを話していましたが、ある日、由伽山の山道のがけからノンブレーキで空に向かってオートバイでダイビングしました。

私の同級生に、萱刈に住むKくんがいました。成績は中くらいだったのですが、あるとき山陽新聞に顔写真入りで報道されていました。解放奨学金で大学を卒業できたのだとか・・・。そのとき、私は、こころのそこから<よかったね>と思いました。それがたとえどのようなものであれ、<所与の人生>を引き受けて真剣に生きることはいいことだからです。

<日本は自由主義で言論は自由だといわれていますが部落と天皇批判については言論が自由ではありませんでした。>といわれますが、果たしてそうでしょうか?私が、差別者の立場から書いた部落差別解消論である『部落学序説』、左翼系の岡山の中学校教師グループから誹謗中傷・罵詈雑言にさらされたことはあっても、部落解放同盟やその他の運動団体から糾弾されたことは一度もありませんよ。部落差別にしろ、朝鮮人差別にしろ、障害者差別にしろ、民族差別にしろ、差別・差別と騒いで、なにかにつて批判し糾弾しているのは、当事者ではなく、左翼系の活動家やイデオロギーの信奉者たちではないでしょうか?

現在の天皇は、皇太子のとき、<天皇サラリーマン説>を打ち上げた方です。天皇がサラリーマンであるなら、定年退職もあるはず、どうされるのか・・・と思っていましたら、生前退位を決断されることになりました。今の天皇らしい決断だと思っていますが、今の日本の社会の中で言論を弾圧しているのは、新聞やテレビの左翼系マスコミであったり、左翼政党だったりするのではありませんか?

以前ブログにも書いたことがありますが、商社に勤めていたとき、よくディスプレイの仕事をしてもらっていた看板店のおじさんから、<アルバイトしないか?>ともちかけられ、元旦に、金粉と溶液、筆をもって、暴力団の<親分>の家に行ったことがあります。書かされたのは、漆で塗られた黒い板の上に、その暴力団の家紋・・・。書き終わって<いくらだ?>といわれるので、<どうせ、踏み倒されるなら、高く請求してやれ>と思って用意してきた領収書を差し出しますと、<高けえなあ!いい度胸してるじゃねえか!今日は元旦だ!もってけ、どろぼう!2度と頼めねえなあ!>といって、請求額を即金で全額払ってくれました。私は、<払ってくれるなら、10分の1でよかったのに・・・>と、なにか悪いことをした気持ちになりました。帰って、看板店のおじさんに報告しますと、<おれが行ったらタダだ。あんた人徳があるんだ>と話しておられました。

わたしの生まれ故郷・児島は、定住民の移住民に対する敵意と憎悪の町でした。岡山の学校教育の中で、自然に身に着けていった差別性・・・、なかでも、農業・農家・農民に対する差別意識・・、それはどのような仕組みで構築されて行ったのか、それを克服するにはどうしたらいいのか、筆者が高校3年間で600冊読書したのは、そのためでした。尊敬すべき母や従姉たち、<四国の貧しい家庭出身の中卒の娘>たちの尊厳をとりもどすための、孤独な戦いでした。
こんにちわ (片山)
2017-08-05 09:27:37
私は税務署に勤めていました。税務署も国税局も部落解放同盟には手が出せなかったのです。脱税しようがやりたい放題でした。暴力団には法律が適用されますが彼らは無法地帯でした。日本全国の地方自治体は予算の多くを部落対策事業にさきました。多くの市民は逆差別だと思うが怖くて言えません。マスコミも怖がり、とりあげず、見て見ぬふりでした。唯一、批判したのは日本共産党でした。だから、大阪では共産党が人気があったんです。
(参考)
食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満、溝口 敦(著)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E6%BA%80
↑浅田満
Unknown (吉田向学)
2017-08-05 22:18:36
戦後の同和行政は、部落差別の解消というよりは、同和事業の推進を目的としており、その同和事業のため、33年間15兆円の国費が投じられましたが、その同和利権をめぐって、自民党は同和会、社会党は解放同盟、共産党は全解連、新左翼は全国連を組織して、運動団体の名称を隠れ蓑にしてその同和利権を漁ってきました。日本共産党は、こられの同和利権を貪らず、同和行政の過ちを指摘した唯一の政党である・・・、というような日本共産党のプロパガンダは、現実の日本共産党の同和問題の取り組みの実態とは大きく異なったものです。山口に身を置いていた30年間、日本共産党の同和利権をめぐる不正と巨悪に言葉を失うことも
多々ありました。30年間の同和行政がもたらしたものは、部落差別の解消ではなく、同和地区と一般地区の経済的格差の糊塗以外の何ものでもありませんでした。そのため、同和対策事業が終了しても、部落差別はなくならず、再び、社会の中に潜在化してはびこっていくような現実があります。私は、日本基督教団西中国教区の牧師として、部落差別問題に30年間かかわってきましたが、同和対策事業には関与することなく、部落差別完全解消のために協力していただけです。私の『部落学序説』を読んでいただければわかると思いますが、私の関心は、同和対策事業の枠組みから外され、未指定地区のまま、被差別部落のほんとうの歴史と解放を追い求めているひとたちの証言に耳を傾けた結果、成立したものです。私にとっては、日本共産党は、日本共産党が巨悪と指摘する部落解放同盟と同じ巨悪に過ぎません。同和問題の解決を国民的課題としながら、政党とその運動団体によって、内部分裂闘争に追いやられ、部落差別の完全解消という主題がすっかり欠落させられてしまったのは、日本共産党にも大きな責任があります。マスコミ(特に新聞)がとりあげなかったのは、マスコミもまた同和利権に関与していたからに過ぎません。<税務署も国税局も部落解放同盟には手が出せなかった>というのも、ひとつのデマです。国家権力が一運動団体を好き勝手にさせて治外法権を許すようなことは絶対にありません。
こんにちわ (片山)
2017-08-06 08:44:01
><税務署も国税局も部落解放同盟には手が出せなかった>というのも、ひとつのデマです。国家権力が一運動団体を好き勝手にさせて治外法権を許すようなことは絶対にありません。

デマではありませんよ。現実に私は国税調査官として行政に携わっていたのですから。
部落解放同盟は脱税しようが調査できなかったのですから。
私は法人税調査である時、5千万円の脱税を見つけました。しかし、税務署長から調査中止命令が出て、やむなく調査を中止しました。その会社が部落解放同盟に入会したのです。その会社は脱税税額を納めなくてすんだのです。しかし、その会社はおそらく部落解放同盟に多額の会費を納めたでしょう。まあ、一般の国民は知らないでしょう。なぜなら、マスコミは一切、報道しないから。
部落解放同盟員の中にはは浅田満氏のように暴利をむさぼっても納税しない者が多数いました。
完全に治外法権でした。
残念ながら これが現実でした。
まあ、あなたが知らないの当然ですが。
すみませんが (片山)
2017-08-06 12:35:28
部落解放同盟についての私のコメントを削除してください。宜しくお願い致します。このコメントも削除してください。ちなみに私は反共産主義、反社会主義で日本共産党の支持者ではありません。

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