湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

老いの生き方、2類型・・・

2016年10月31日 |  2.老化と老化対策

昨夜、David P Barash著『Aging : An Exploration』(邦訳『エイジング 老いの発見』)の<第4章 ・・・だとしたら、どうなるだろう?>を読みました。

この章は、<若返り方がいつの日か成功したら一体どうなるだろうか?寿命を延長させる何らかの方法が案出されたらどうなるだろうか?>という言葉で始まっています。

著者のBarash は、寿命が今以上に伸びたときの、老いのありかたについて、いろいろ推測していますが、高齢化社会は、減少する一方の<生産年齢の労働者>が、<死ぬつもりもなく、生きる限り給付金をほしがる膨大な人数の退職者たちの生活を支え>なければならない社会・・・。短期間の<生産的なつらい生活のあとの>長い<快楽と福祉の悠々自適>が保障される<退職後の生活として憧れる>ことになります。高齢化社会は、<未来の世代から盗み取ることにはほとんど心の痛みを感じない>社会・・・。

なにか、遠い未来の話しではなく、現在、すでにその世界に突入しているようです。

果てしなく続く老年時代・・・、それは、単なる幻想であって、当面は、生物学的要因でそこには制限が設けられる・・・。<脳細胞とある筋栽培は再生産を行わないことがわかっている。われわれは百億の神経細胞をもって生まれるが、1日10万個を失っている。われわれの普通の寿命は100年を越えるのは稀だから、この程度は問題にならない。しかし・・・>、人間の脳細胞は、いつかなくなってしまう・・・。

Barash は、老いの生き方には、2類型があるといいます。ひとつは、<活動年齢が伸びる世界>の生き方と、もうひとつは、<寿命を延長してもその間、人間を「無能力者」として生かせておくだけの世界>の生き方・・・。

筆者、日本基督教団西中国教区のちいさな教会の牧師をしていたとき、同じ牧師仲間から、<無学歴・無資格、無知・無能>の牧師として揶揄され、徹底的に排除されてきたので、筆者、牧師を隠退する前から<無能力者>として、隠退後も引き続き<無能力者>として生きていることになりますので、老いの生き方の2類型は、筆者の中に共存していることになります。隠退後、筆者、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、日々、農作業三昧の暮しをして、標高550mの湖南高原の、妻の実家の田・畑で、有機栽培・無農薬栽培で米と野菜を自給用に栽培して暮らしているのですから、筆者の老いの生き方は、自然の移り変わり、季節ごとの農作業によって決められてしまいます。

湖南のプロの農家の方々に、バカにされながら・・・。その湖南のプロの農家の方々の老いの生き方・・・、次第に、筆者の目にとまり、耳に聞こえるようになっています。高齢化・過疎化がすすむ湖南、湖南のプロの農家の方々の老いの生き方をつぶさに観察できる環境にあるようです。

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