湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

庄司吉之助著の論文『東北地方における凶作の史的諸問題覚書』を読む・・・

2017年08月22日 |  3.自然災害

今朝、インターネットで検索して、日本の古本屋で、『明治38年福島県凶荒誌』を検索してみましたが、ヒットしませんでした。

それで、インターネットで読める文献を探していたところ、庄司吉之助著の論文『東北地方における凶作の史的諸問題覚書』がヒットしました。早速プリントアウトして読んでみましたが、筆者と妻が、標高550mの湖南高原の、妻の実家の棚田の田でコシヒカリを栽培することに、なぜ、赤津村のプロの農家の方々が誹謗中傷批判し、それを断念させようとするのか、その歴史的背景を知ることができました。

庄司吉之助氏によりますと、福島の農民は、<凶作>から学ぶことをしないそうです。<かくすればかくなるものと知りながら>、稲作を凶作から守る手立てをとらない・・・。米の不作は、1.農業技術不足だけでなく、2.社会的背景、3.経済的背景が原因しているようです。農家・農村の暮らしと生活の構造が、農業技術不足以上に、高寒冷地に凶作・凶荒をもたらすようです。

<ここらのもん>がつくっている米以外の品種のコメを栽培すると、警察から取り調べを受けた時代もあったそうな・・・。農政の失敗が、明治38年の空前絶後の大冷害を福島県に招きよせたようです。明治38年の福島県の冷害は、自然災害以上に人為的災害・・・。

筆者と妻、妻のふるさと・湖南の赤津村で、生まれて初めて米つくりをはじめましたが、そのとき、東北地方の冷害の諸相を調べ、出来る限り冷害対策を採り入れた米つくりを選択しました。米つくり4年目の今年、筆者と妻にとっては、試練の年になりそうです。妻は、<玄米保冷庫に備蓄米があるし、冷害といっても、今年も食べる分は十分収穫できるわ!>とどっしり構えていますが・・・。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« あきたこまち、穂が垂れ始め... | トップ | 猪苗代のコメリで堆肥を購入... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

 3.自然災害」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。