湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

失われた歴史をとりもどす闘い・・・

2016年10月31日 |  5.部落学序説

昨夜、『東日本の被差別部落―現状と課題―』の<第2章 部落の歴史をとりもどす>の<信州の戦後の闘いの中で-長野県浅科村の部落の歴史をとりもどす闘い>に目を通しました。

地図で、その在所と自然環境・地理を確認しながら・・・。

その闘いがはじまったきっかけは、1978年に起きた<悪質な部落差別はり紙事件>であったそうです。その村の公害反対運動をしている指導者の家の玄関に、反対運動に反対する人々が<チョウリッポの住む土地は一坪もない、早く出て行け>と差別張り紙をしたというのです。

その指導者の方は、被差別部落出身ではない・・・。

そこで、浅科村の被差別部落のひとは、それは、被差別部落出身者ではない、その指導者に対する<攻撃>だけにとどまらず、浅科村の被差別部落の人々に対する<攻撃>でもあるとして、<二重に悪質な差別>に対する糾弾をはじめたのです。

日本基督教団の部落差別問題特別委員会の委員長をしていたある牧師が、<部落差別の取り組みに協力しない教会と牧師・信徒に対する、被差別の側からの対応は簡単だ。「あの教会のあの牧師や信徒は、自分たちの仲間だ!」とひとこと言えば、彼らは、部落差別の深刻さを身をもって経験することになる・・・>と話していました。筆者、<それは、聖書に禁じられている復讐法の実践につながる!>といって批判したのですが、<二重に悪質な差別>の部落版・・・? 筆者、その部落差別問題特別委員会の委員長をされていた牧師に、その出自と歴史を問いかけていくことになりますが、彼は、語るべき、彼の先祖の<穢多>・<非人>の歴史を持ち合わせていなかったようです。

部落解放運動家が<差別者>であるという筆者のブログ『部落学序説』で書いている被差別部落の歴史の見直しと、被差別部落の側からの<部落の歴史をとりもどす闘い>とは、どこかで交差するような気がしました。<信州の戦後の闘いの中で-長野県浅科村の部落の歴史をとりもどす闘い>は、日をあらためて精読することにしました。

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