湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

素人百姓のコメつくり・野菜つくりは、独自路線・・・

2017年08月03日 |  1.百姓暮らし

2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、今年で5年目・・・。結局、筆者と妻は、湖南のプロの農家の方々のコメつくりや野菜つくりの方法とは異なる方法で栽培することになりました。米つくりひとつをとっても、湖南のどの農家よりも早くコメつくりに着手して、どの農家よりも遅く刈り入れすることになります。湖南のプロの農家の方々のまねをすることは、100%ありません。従来型の化学肥料・農薬・除草剤を多用する稲作法と、有機栽培・無農薬栽培による稲作法では、栽培システムそのものが違ってきますので、部分的なみようみまねというのは、百害あって一利なし・・・。

認知症の妻の実家のおかあさん、こわれたレコードのように、<おめえら、ろくでなしだなあ! なしてここらのもんと同じようにしねえんだ? ここらのもんにバカにされるようなことばかりして!おらあ、恥ずかしくて、むらの中、歩けねえではねえか!>と怒りますが・・・。

昔は、湖南の赤津村の農家も、出荷用のコメ・野菜には農薬・除草剤を散布しても、自家消費用のコメ・野菜には農薬は散布しないのが普通でした。そこには、<農薬は危険だ!>、<農家の健康にかかわる!>という、強い意識が背後にあったのですが、現在では、農家の多くは、出荷用のコメ・野菜だけでなく、自家消費用のコメ・野菜にも、何種類もの農薬・除草剤を何回もたっぷり散布しているようです。現在の、湖南のプロの農家の多くは、もう農薬に対して、<農薬は危険だ!>、<農家の健康にかかわる!>という意識を持つことはなくなっているのでしょう。

今日、庭の花壇や樹木に農薬を噴霧器で散布している、プロの農家の姿が目に入りました。

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早急にしなければならない農作業・・・

2017年08月03日 |  1.百姓暮らし

今日、午前中に、妻と一緒に、妻の実家の田畑をみてまわりました。そして、今、何をしなければならないか、早急にしなければならないことの優先順位を決めて、午後、それぞれ、取り組みをはじめました。

筆者は、コシヒカリの田の草取り・・・。イネの出穂がはじまりますと、草をとるために田の中に入ることができなくなりますので、それまでに、早稲のひめのもち、中早稲のはえぬき、晩稲のコシヒカリの田の草取りをすまさなければなりません。今日は、雑草が繁茂しているコシヒカリの田の草を、田の草取り用鎌で刈り取りました。午後12:30~5:30までの5時間・・・。ひめのもちの出穂は、8月10日頃なので、明日から、早稲・中早稲・晩稲の順で、第4回目の草取りをはじめます。

同時並行で、今年はじめてのイネの葉についた害虫の駆除をはじめます。2014年に、生まれてはじめて、有機栽培・無農薬栽培で米つくりをはじめて、今年が、一番害虫被害が少ないように思われます。今日、援農ショップグラントマトで購入した虫潰し器を携帯して田の草取りをしましたが、虫潰し器を使ったのは、5~6回程度・・・。

現在のところ、病気の発生もなし・・・。

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パスワードを度忘れ・・・

2017年08月03日 |  2.情報処理とブログ

このブログのパスワードを度忘れしてしまいました。それで、夜、一時的にアクセス不能に陥りました。

やはり、パスワードは、毎回入力してアクセスするようにしていないと、69歳になった筆者、すっかり忘れてしまうようです。やっと思い出したときは、GOOブログのシステムが自動でロックをかけてしまいましたので、アクセス不能になりました。

万一のために、パスワードをメモしているのですが、そのメモも暗号化していますので、そのままでは役にたちません。ところが、復号化する方法も失念してしまって、筆者がパスワードを設定する場合の基本的なルールを思い出して、予備のブログでそのパスワードが有効であることを確認、やっと、このブログのパスワードを思いだしました。

今日(8月3日)中には、アクセスすることができないかもしれません(表示されて1時間後にアクセス可能になりました)。

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戦後の日本の夢、軍艦島の暮らし・・・

2017年08月03日 |  2.ニュース(Internet)



今朝、インターネットのGoogleの画像で見た、世界遺産に登録された軍艦島のユルキャラ・がんしょうくん・・・。

この写真を見て、筆者、岡山県立児島高校の同級生のひとりを思い出しました。そのひとは九州からの転校生・・・。九州の炭鉱が閉山になったとかで、岡山に引っ越して来られたようです。

軍艦島は、筆者の小学生のころ、映画館のニュースでよく流されていました。当時、平屋の和風の家が多かった、筆者の生まれ故郷・琴浦町とは違って、超近代的なコンクリートの団地、その労働者の家は、家庭電化製品が整い、小学生・中学生も元気はつらつ・・・。大人になれば、おとうさんと同じように軍艦島の労働者になると夢を語っていました。その大衆浴場は、琴浦の銭湯と同じ・・・。軍艦島での暮しは、当時の日本の子どもたちにとって、日本の未来の暮らしを象徴する理想郷だったようです。

しかし、筆者が中学生、高校生のころは、エネルギーの政策転換で、石炭から石油へと依存形態が変化し、日本の炭鉱が継ぐから次へと閉山を余儀なくされていました。その結果、九州の炭鉱労働者は、西日本のコンビナートに移転・転職を余儀なくされました。中学、高校のクラスにも、1~2人、その子弟がいました。彼らの暮らしは、裕福な暮らしで、倒産と病気で家族全体が貧しさに喘ぐ、筆者の家庭とは雲泥の差がありました。転校生に関心をもちつつ、筆者にとっては、近寄りがたい存在でした(その名前は、「神さまに祝福された娘」の意)。

当時の日本の社会の最下層は、彼等ではなく、日本全国の津々浦々に、高度経済成長から取り残された<経済的弱者>によって構成されていました。筆者の記憶に残っている映画ニュースは、軍艦島のこどもたちの笑顔です。当時の日本の子供たちのなかで、一番、元気であかるい子供たちの笑顔たっだのではないでしょうか?

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