湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

東日本大震災追悼復興記念式追悼詩・・・

2014年03月12日 |  4.東日本大震災

東日本大震災追悼復興記念式追悼詩
監修・斉藤貢一郎郡山東高校長

未来へ向けて、わたしたちは、歩きはじめています。
悲しみは、まだ、消えないけれども。
苦しみは、まだ、多いけれども。

いまだに
ふるさとを離れて避難を余儀なくされているひとは大勢いて
その悲しみも、その苦しみも、その切なさも
両手には抱えきれないほど、いっぱいです。

でも
わたしたちは、受け継ぐのです。

ふるさとの無数の思い出や、その土地の歴史、
そして、亡くなられた方々の魂のすべてを。

わたしたちは、受け継ぐのです。

ふくしまと呼ぶ、わたしたちのふるさとの
例えば、優しい母の手の、温かなぬくもりを、思い出しながら。

今日の福島民報の第一面に掲載された<東日本大震災追悼復興記念式追悼詩>の5篇の詩を読みながら、筆者、目頭が熱くなりました。2011年3月11日の東日本大震災とそのあとに続く原発事故による福島県全域の放射能汚染・・・。妻の実家のある、福島県郡山市湖南町赤津村に帰郷して帰農、自給自足の生活をはじめて1年になります。

妻の実家のある赤津村は、放射能汚染は、軽微にとどまっていますが、しかし、原発事故以前の放射能汚染度と比較しますと原発以後の放射能汚染度を無視することはできません。筆者、2011年から<身の丈ほどの>除染対策を検証し、2012年から実践、妻の実家に帰郷した2013年4月1日以降は、妻の実家の畑で野菜を栽培してきました。そして今年2014年は、妻の実家の田・畑・山林で、中山間地の環境保全型農業を実践していきます。

福島に帰る前、インターネット上でいろいろな方に出会いました。福島帰郷後、訪ねていく約束をしていたのですが、なかなか、その時間的ゆとりを持つことができませんでした。

<牧師>は、<自分を捨てて、世のため、人のために尽くす>のが本分なのでしょうが、妻の実家のおかあさんと、妻と娘と筆者の4人暮らし、荒れた畑を再開墾して野菜をつくったり、苗つくりのための簡易温室をつくったり、老朽化した家屋の保守作業をしたり、冬は冬で、日々除雪作業に追われたりして、なかなか、飯館村や川内村に足を運ぶことができませんでした。

筆者、日本基督教団の<隠退牧師>として、<ふくしま>に身を置いて生きる意味を考え続けたいと思っています。

  
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あの日(東日本大震災追悼復興記念式追悼詩)

2014年03月12日 |  4.東日本大震災

あの日
会津学鳳高校 2年 小野木 拓真

あの日 友をなくした人もいる
あの日 家族をなくした人もいる
あの日 夢をなくした人もいる

何もかもが 変わってしまった

でも それでも 人は前にすすんでいく
復興に向かって がんばり つづける

でも それでも 人はあきらめない
希望に向かって がんばり つづける

今という時を 作るために

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たとえば(東日本大震災追悼復興記念式追悼詩)

2014年03月12日 |  4.東日本大震災

今朝の福島民報に、東日本大震災追悼復興記念式追悼詩として5篇の詩が掲載されていました。詩『たとえば』、そのひとつ・・・。

たとえば
磐城桜ヶ丘高 1年 桑原 真子

たとえば授業中とか
入浴中とか
ベットの中で
何の前触れもなく
唐突に思うことがある

「帰りたい」って

何ということのない
日常だったけれども
それでも 楽しい毎日だった

でも 今は
帰れないことに 一抹の寂しさを 感じている

これからできることはいつまでもふるさとを思い続けることた

ただ それだけ
  

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