湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

あらゆる境界領域に通り抜けられる小道・・・

2016年11月09日 |  5.哲学

今日の午後、ひさしぶりに、『岩波講座・哲学』をひもといてみました。

読んだ論文は、第15巻(最後の巻)『変貌する哲学』の最後の論文<哲学とその境界―応用倫理学の根源性―>・・・。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、老いの時代を生き抜くための補完的な知の情報として、36冊の事典類を収集しましたが、それらの分野は、医学・農学・歴史学・民俗学・宗教学・社会学・哲学領域の事典類・・・。それらは、大半が専門分野の事典類ですが、筆者は、いかなる意味においても専門家ではなく、単なる一般人・・・。専門性にこだわる必要は一切ないので、36冊の事典類はアトランダム、縦横無断に利用することになります。

筆者、<あらゆる境界領域に通り抜けられる小道>をつくりながら、これまで独学を続けてきましたが、<理解の通路がつねに更新されながら維持される><解釈学>が、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の唯一の道具・・・。<解釈学>は、<領域と領域の間に自由な通り抜けの道>を提供してくれます。

36冊の事典類を知の道具として、筆者が指向するのは、天地を創造し、生きとし生けるものをつくられた、主なる神さまの前で、生きとし生けるものと共存しながらよりよい生をまっとうすること・・・。

午後3:00、外はうっすら雪景色・・・。寒さで、筆者の年老いた頭の中にも、冷たい雪がちらついているのかもしれませんが・・・。

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Relativismを学び直す・・・

2016年01月08日 |  5.哲学

筆者のものの見方・考え方は、

1.Biblicism
2.Pietism
3.Idealismus
4.Realismus
5.Relativismus

から強く影響を受けていることは、これまでにも何度も書いてきましたが、ブログ『部落学序説』を執筆するときの、筆者の精神的基盤は、<Relativismus>です。

以前、インターネットの日本の古本屋経由で、金澤大學図書館の廃棄本のラートブルフ著作集を入手したことがありますが、その第4巻は『実定法と自然法』・・・。第4巻に収録されているのは、『法哲学における相対主義』と『法哲学入門』・・・。

筆者、ブログ『部落学序説』をリライトして本にするために、もう一度、<Relativismus>(相対主義)を学び直すことにしました。この<Relativismus>が、筆者をして、唯物史観やマルクス主義史観から遠ざける要因になりました。そして、皇国史観からも・・・。無学歴・無資格の、学問とは門外漢の筆者が独学で身に着けたこれらの、ものの見方・考え方・・・、今年、68歳になった、筆者の骨肉に融合してしまっているので、筆者がこれからの人生の晩年に大きく志操を変更することはないでしょう。

『部落学序説』の内容も、大きく変更することはありません。誤字・脱字の校正や、論拠になった史資料・文献の明示、被差別部落の地名の明示等は行いますが・・・。

今朝、筆者の妻、<あなた、本を出すならはやく出した方がいいわよ!こんなにたくさんの資料、あとに残されても、あなたにかわってわたしが論文を書くというわけには行かないのですから・・・>と話していました。

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ものごとにはいくつもの可能性がある・・・

2015年03月27日 |  5.哲学

昨日、郡山から戻って、風邪で体調がすぐれないため、妻の寝室の電気こたつの中に入ってテレビを見ていました。

夏樹静子原作のサスペンス、<イソベン里村タマミの事件簿>という番組・・・。筆者、途中から見たので、サスペンス全体の筋書きも分からず、ただ漠然と見ていたのですが、その中に出てきた言葉、すっと、筆者のこころに留まりました。

<ものごとにはいくつもの可能性がある。
それを示せば、希望がある>。

筆者、妙に納得・・・。山口にいるとき、ブログ『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆したときも、妻のふるさと・福島に住むようになってからの、標高550mの湖南高原の妻の実家の棚田でのコシヒカリ・はえぬきの有機栽培・無農薬栽培のコメつくりも、世の中のひとが捨てて顧みない可能性を、筆者のこころと手の中であたためて見つけ出した希望・・・。

信州栗田村の真言宗観聖寺の住職であった、筆者の祖父・吉田永學、曾祖父・吉田向學の先祖の歴史、その歴史資料の解釈についても<いくつもの可能性があ>ります。それを、すべからく切り捨てることなく、ひもといていけば、いつか、吉田家の<希望>が見えてくるのではないかと思われます。

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高村光太郎の詩集・典型を注文・・・

2015年02月18日 |  5.哲学

筆者の人生の晩年は、妻のふるさと・湖南で過ごすことにしていますが、筆者にとっては、湖南は、高村光太郎の<同棲同類>と<自己流鏑>の地・・・。

筆者、この言葉にいつであったのか、記憶が定かではありません。<同棲同類>という言葉は、高村光太郎の詩集『千恵子抄』に収録されている詩の題ですが、<自己流鏑>という言葉はどこで出会ったのやら・・・? 中学3年生のとき、国語の中島先生から習ったような気もしますし、高校1年生のときの現代国語の教科書に出てきたような気もしますし、定かではありません。筆者も、すっかり歳をとったのかもしれません。

<じこりゅうてき>という言葉に<自己流鏑>という漢字をあてたのは筆者ですが、それは、インターネットで公開されている伊田康子著『「高村光太郎」ノート』という論文を見て、<てき>という言葉を漢字で<鏑>という言葉にしました。筆者、この<じこりゅうてき>という言葉を再考したいと思って、インターネットで<じこりゅうてき>を検索したのですが、信頼できる情報はほとんどヒットしませんでした。

しかも、<じこりゅうてき>という言葉には、様々な漢字表現がインターネット上で氾濫しているようです。<自己流嫡>・<自己流鏑>・<自己流調>・<自己流謫>・<自己流講>・・・などなど。なぜ、<てき>という言葉がこれほどまでに多様性があるのか、伊田康子著『「高村光太郎」ノート』を読み直してみましたら、どうやら、筆者の読み間違いであるようです。高村光太郎の<じこりゅうてき>は、<自己流謫>が正しい表現であるようです。

<自己流謫>とは、<自らを罰して、自らを流刑に処する>という意味・・・。戦前・戦後の高村光太郎の生き方を考えますと、高村光太郎が<自己流謫>を自らの生き方にした理由がよく分かります。高村光太郎の主張した<自己流謫>は、<じこりゅうてき>ではなく<じこるたく>・・・。なぜ、筆者に、こんな誤解が生じたのか・・・? 筆者が無学歴・無資格、無学・無能のやからであったから・・・、と言ってしまえばそれで済むのでしょうが、筆者が、伊田康子著『「高村光太郎」ノート』という論文を読む前に記憶していたのは、<じこりゅうてき>で、その漢字は、<自己流蹢>・・・。こちらの言葉は、<時代の流れの中に自らを流されるのではなく、流れに抗して自らの立ちどころに立ち止り続ける・・・>という意味です。

戦前の高村光太郎の生き方が<自己流謫>を生み出し、<自己流謫>を生きる中で、高村光太郎は、<自己流蹢>の境地に達した・・・と、高校2年生の現代国語教師・落健一先生が話していたのを思い出しました。そのときの授業の内容、もっと詳しく思い出すことができるのではないかと思って、今日、インターネットの日本の古本屋経由で、高村光太郎詩集『典型』と奥平英雄 著『晩年の高村光太郎』の2冊を注文しました。『高村光太郎全集』は全巻で18000~20000円で入手できそうですが、筆者には、それを読破する時間的・精神的・経済的ゆとりはなさそうですから・・・。

とりあえず、読者の方々におわびしておきます。高村光太郎の<自己流謫>(じこるたく)が正しい表記、正しい読みです。

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あらためて、妻の故郷が会津の山郷であることを知る・・・

2014年12月18日 |  5.哲学

今日の雪は、昨年4月1日、妻のふるさと・郡山市湖南町に戻ってから経験した積雪の中で最悪の積雪・・・。昨夜から今日の昼までに60cm積雪しましたから・・・。ただ今回の積雪が最悪だというのは、大雪に、風速30mの暴風をともなう<暴風雪>であったため・・・。

夜、食事をしながら見たテレビニュースでは、奥羽山脈の三森峠を越えたふもとでも交通事故が多発・・・。ホワイトアウトのためでしょうか、普通事故を起こさないところで自損事故・・・。筆者の娘、今日、<暴風雪>のために勤務先に出勤しませんでしたが、勤務先から、公的機関から道路不通情報が流されていないので有給休暇扱いになると連絡が入ったとかで、心配していました。筆者、<今回は大雪だけでなく、台風並みの暴風が吹いていたから、奥羽山脈を越えなくて正解!>と答えました。国のためならいのちをささげてもやむをえないのでしょうが、たかが<暴風雪>のためにいのちを失うような危険を冒す必要はありません!

上記の表に、郡山市の累積降雪量は公表されていませんが、郡山市湖南町赤津村は、猪苗代123cm、西会津135cm、湯本120cm、田島103cmに匹敵します。今日、福島県立高校のなかで、<暴風雪>のため休校になったのは、湖南高校と田島高校だけ・・・。湖南と田島、今回の<暴風雪>でピンポイントで雪害にさらされたようです。

同じ猪苗代湖の北(猪苗代町)と南(郡山市湖南町)では、累積積雪量はほぼ同じ・・・。

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こころの旅の終着点・・・

2014年12月14日 |  5.哲学

昨夜、ドイツの法学者・ラートブルフの『心の旅路』に目を通していました。この回想の最後は、ラートブルフ67歳のころ・・・。

<しばしば、私は私の生涯が幸福な生涯だったか、不幸なものだったかを自問した・・・>という最後の文章を前に、筆者、考えこんでしまいました。そして、何度も何度も繰り返して読むうちに、このラートブルフの人生における心の旅の終着点は、日本の『方丈記』の著者・鴨長明のそれとまったく同じものであることを知りました。

ラートブルフは、<生は不断の死である>といいます。その<不断の死>によって、<われらのなかにある何物かも死滅>していくといいます。そして、われわれから、<生命の糧>が奪われるとき、われわれの<生命>も、<この喪失を癒すことのできない苦痛と感ずる器官>も奪われることになるといいます。

<ただ、いつか正気の瞬間に、いかにわれらがその内面において貧しくなったか、われらの生命がいかに残り少なくなったかを突如として覚るだろう>。

そして、Friedrich Hebbelの詩を引用しています。

<・・・
人はもはや自分自身を識別しえず
・・・
何物をも失わざりしがごとく
されど、また、何物をも持たざりしごとくなり>。

ラートブルフが見たひとの<心の旅路>の最後は、<人はもはや自分自身を識別しえず>、自分自身の人生すら忘れてこの世を去っていく・・・。ラートブルフは、<その中に恩寵と治療があるとはいえ、呪いのよう>な詩であるといいます。<心の旅路>の最後に直面するこのことは、神によって祝福されたものの姿たなのか、呪われたものの姿なのか・・・。西洋を遠く離れた東洋の、近代を遠く離れた中世の、『方丈記』の著者・鴨長明の精神に遠く及ばないものの類似した生き方です。

筆者、66歳・・・。ラートブルフを<心の旅路>を終えて世を去ったのは、71歳・・・。鴨野長明が世をさったのが、61歳・・・。名もなき凡人の筆者、彼らの言葉に学びながら、まもなく67歳を迎えます。

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試される論理的思考・・・

2014年12月11日 |  5.哲学

日本の農業も、<安定している確実性の高い時代>から<先の見えない不確実の時代>に突入しているようです。

<安定している確実性の高い時代>は、日本の農業の<あるべき姿が与えられた時代>でもあるのですが、その時代は音を立てて崩れて行っているようです。日本の農業が<先の見えない不確実の時代>に突入している今は、日本の農家が<あるべき姿を自ら構想する時代>・・・。

斉藤嘉則著『問題発見プロフェッショナル 構想力と分析力』に紹介されているものの見方・考え方ですが、稲作単作地帯の、妻の実家のふるさとのある湖南の農家・・・、これまでは、農協や村の指導者たちによって、農家としての<あるべき姿>・<あるべき農法>が決められていて、それに従って生きていくればよかったのですが、こころある農家による改善も、それを前提とした改善であるため、農のあり方を基本的にあらためるものにはならなかったようです。

しかし、その農家としての<あるべき姿>・<あるべき農法>が、間違った<先入観>となり、農業に<歪>をもたらしている以上、農家として、これからの<あるべき姿>・<あるべき農法>を自ら模索し、それを実践していく<戦略的発想>が必要になってきています。そのためには、歴史に歴史哲学があるように、農に農哲学が必要になってきます。農業者1人1人が、自分の頭で考える必要があります。その論理的分析と総合・・・、それが正しいかどうかは、日々の農作業の中で、自然環境や米・野菜が証明してくれることになります。論理的破綻を来せば、コメも野菜も<不作>という現実になって自らの上に跳ね返ってきます。

自分の頭で考えない農家から、自分の頭で考える農家へ、旅立ちが必要です。

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