湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

米つくり、野菜つくりという言葉は・・・?

2017年09月19日 |  6.言語・語源

米つくり、野菜つくり・・・

このブログで、筆者もよく使っている表現ですが、この前、福島民報に、宇根豊さんの言葉が掲載されていました。

「昔の百姓は農作物ができた、とれたと言った。最近は「作った」と言うひとがいるが、この表現からは、人間が自然の制約を克服したと言うような、自然を見下した傲慢さが読み取れる」

筆者が、米つくり、野菜つくりというとき、これまでにも、<米つくり、野菜つくり>と表現してきて、<米作り、野菜作り>ではなかったと思っていますが、記憶は定かではありません。<米作り、野菜作り>と表現しますと、宇根豊さんが指摘されていることと直結することになります。

今日、加藤常賢著『漢字の語源』で、<作>という漢字の意味を調べてみました。一読して理解しがたい説明が綴られていますが、<乍>は、<木造り>の意だそうです。<言>扁と<乍>を組み合わせると<詐>になりますが、<詐>は、言葉をつくること、すなわち<虚言>を意味するそうです。<乍>は<本物でないもの>を意味します。<人>扁と<乍>を組み合わせると<作>になりますが、この言葉の本来の意味は、<本物でない人>、<にせの人>、<替え玉>を意味するそうです。

この解釈から類推しますと、<米を作る>、<野菜を作る>というのは、本物ではない偽物の米をつくる、野菜をつくるということを意味しているようです。農家が、米を作っている、野菜を作っているというのは、本物ではない偽物の米や野菜を作っているということになります。化学肥料・農薬・除草剤を多用して栽培される米や野菜は、本物の米や野菜ではなく、偽物の米や野菜に過ぎない・・・。それを栽培する農家も、本物の農家ではなく偽物の農家・・・?

森田良行著『基礎日本語』によりますと、やまと言葉の<つくる>には、漢字の<作>の意味はなさそうです。<つくる>とは、<作用や行為が加わることによって、何かを他の状態に変えたり、何かから新しい事物を形づくる行為・作用である>とありました。<作りだされる事物は、具体的な物品から事柄・状態まであるが、「つくる」を用いると意志的行為の意識が強まる。無意識的現象の場合は「笑いを生む/生み出す」、「ひずみを起こす/引き起こす」など別の言い方をすることが多い>そうで、宇根豊さんの言われる、<昔の百姓は農作物ができた、とれたと言った>と言われるときの<できた>、<とれた>も、米つくり、野菜つくりを、<無意識的現象>として認識するところから生まれてくる表現なのかもしれません。

化学肥料・農薬・除草剤を多用する従来型の農業が営まれる農村的地域社会で、有機栽培・無農薬栽培で百姓暮らしをすることは、<無意識的現象>として米つくり、野菜つくりを認識することでは、不可能で、やはり、明確な<意志的行為>として選択、決断、実践される必要があります。そういう意味では、<米つくり>、<野菜つくり>は、間違った表現ではありません。<米つくり>、<野菜つくり>という言葉は、やまと言葉の理にかなっています。

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安倍首相のそもそもの使い方は、日本語として正しい・・・!

2017年05月13日 |  6.言語・語源

安倍首相の<そもそも>の使い方は、日本語として正しい・・・!

国会における重要な法案の審議過程において、法案そのものをまじめに審議せず、首相や大臣の言葉事理をとらえて、審議のための時間を浪費させ、廃案に追い込もうとする、民進党をはじめとする野党、また、それと連動する学者やマスコミの記者、吉田茂元首相の言葉を借りれば、<曲学阿世の徒>・・・!

インターネットの<goo辞書>によれば、<曲学阿世の徒>について、このような説明がありました。

<学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。
真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。
「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意>。

<そもそも>の日本語としての使い方を知らない民進党をはじめとする野党と、学者・マスコミの記者、議論や論争、論評のときに使用する用語<そもそも>の使い方を知らないとは・・・?国会で、まともに審議しないで、安倍首相おろしのために、言葉尻をつかまえて、安倍首相の学歴・学閥・品性を貶めようとする野党とマスコミ、彼らが一番バカにしているのは、日本国民・・・? 

日本国民が安倍首相を支持しているのは、<日本国民の意識がおかしいから>と<のたまわれる>小沢一郎なる、国民の信頼を裏切った大物野党議員もいるようですが、<おかしい>のは野党そのもの・・・。そもそも、議論・論争の<基本>を知らないひとは、国会議員になるべきではない! 日本国民に悪影響を与える害悪そのものでしかない!

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会津の方言にはなれなくて・・・

2015年10月07日 |  6.言語・語源

妻のふるさと・郡山市湖南町赤津村は、旧会津藩領地の山郷・・・。

赤津村で話されている言葉は、会津の方言だとか・・・。妻の実家のおかあさんの里は、隣村の福良村ですが、福良村も会津藩の山郷のひとつ・・・。そういう意味では、妻の実家のおかあさんの話す言葉は、<会津弁>・・・。

そのおかあさんの言葉は、岡山育ちの筆者には、とてもきつくて、おかあさんの語る言葉でこころ傷つけられることがしばしば・・・。<会津弁>、ひとを罵倒するために使われる語彙数が豊富で、最近では、<会津弁>に<不感症>になってしまいました。

妻は、ふるさとに戻ってからも、ほとんど<会津弁>を話すことはないので、筆者と妻の会話は、筆者と妻がであったときのそれぞれの言葉のまま・・・。<会津弁>が使えなくても、暮しにはこまりません。

妻の実家のおかあさんの<~だべ?><~だべ?>攻撃をかわすために、おかあさんと同じ言い方をしていますと、筆者、筆者の内部から人格崩壊を来しそうなので、<会津弁>を使うのをやめました。妻の実家のおかあさんは、<ここらのもんでねえ、ろくでなしの根性悪、うそつき>の筆者と妻を受け入れることはなさそうなので、筆者、おかあさんの気持ちを理解しようとする無駄な努力はやめることにしました。

筆者、岡山で生まれたといっても、純粋な岡山弁ではありません。筆者の母は、徳島・阿波の出身ですから、こどものころから聞かされてそだったのは、母の阿波の方言・・・。岡山の方言を耳にしますと、筆者、いまだに違和感を覚えます(筆者の父は、同年代の子供たちの使う言葉を筆者が使うと「汚い言葉を使うな!」とよく叱られていましたから、岡山弁を使うことはなくなりました)。山口に30年棲息しましたが、山口の方言も筆者を洗脳することはできませんでした。徳島・阿波の方言は、母や従妹たちが使っていた言葉・・・。徳島・阿波の言葉が、筆者の耳にやさしく聞こえるのは、こどものころの母の語る言葉の響きを思い起こすからからもしれません。

昨日、インターネットの日本の古本屋経由で、『たのしい阿波の方言』(@800円)・『阿波の國言葉』(@1500円)を注文しました。

筆者の姉は、岡山の方言ではなく、讃岐の方言・讃岐の國言葉が多いのですが、姉のおかあさんは、讃岐のひとでしたから・・・。妹と弟は、備前の方言・備前の國言葉です。

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軽い言葉を話すひと・・・

2015年09月28日 |  6.言語・語源

今日、ホームセンターの薬局コーナーで、眼精疲労の目薬を3個、そのレジへ持って行ったとき、薬剤師の方が、<ポイントカードをお持ちですか?>と問いかけて来られます。

筆者、<このホームセンターのポイントカードですか?>と尋ねますと、<そうです、緑色のカードです。>と言われますので、<そのポイントカードなら、私が持っていることもあれば、妻が持っていることもあるので、もしかしたら、妻が持っているかもしれません。今、ほかのコーナーで買い物をしていますから・・・>といいながら、筆者のカバンからカードケースを取り出して調べていますと、<ああ、それです!その緑のカードです!>と言われます。

そして、そのあと、薬剤師の方、<あなた、ここらのひとではないでしょう?どちらの出身ですか?>と問いかけて来られますので、<わたしは、岡山出身です。3年前に、妻の実家のある郡山市湖南町に戻って、湖南で暮らしています・・・>とお答えしますと、その薬剤師の方、<あなたの言葉は軽い言葉ですね。とても、優しく聞こえます。ここらの、東北のひとの言葉は重い言葉なので、あなたの言葉、さわやかに聞こえます>と話しておられました。

帰りのくるまの中で、そのことを妻に話しますと、<ここらのひとの言葉は、重い言葉でしょう?わたしの母の言葉も、重い言葉・・・。ほかのひとのこころを思いやることがなくて、自分の思っていることをそのままぶつけてくるでしょう?薬剤師の方がいわれる通り、あなたの言葉は軽い言葉・・・。わたしは、あなたのそばにいると安心できます。>と話していました。

軽い言葉・・・?

<優しい言葉使い>を意味する ad hoc だと思って、<軽い言葉>の意味は詮索しないことにしました。ここは、筆者のふるさと・岡山県倉敷市ではなく、妻のふるさと・福島県郡山市なのですから・・・。

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ラテン語のろくでなし・・・

2015年09月06日 |  6.言語・語源

妻の実家のおかあさんが、筆者に毎日なげかけてくる<おめえはここらのもんでんえからろくでなしだ!>という言葉・・・。

その<ろくでなし>・・・、キリシタン伴天連の呪文の中から、それらしい言葉を検索してみますと、<Et inutilem seruum eicite in tenebras exteriores:>がそれに該当します。この呪文に出てくる <inutilem seruum>(ろくでなし)は、神さまから与えられた才能を埋もれさせ<piger>な日々をすごしてきたひとのこと・・・。

『LEXICON LATINO-JAPONICUM』で<piger>をひきますと、<①不承不承の、いや気の;のらくらの、怠惰な;おそい、鈍重な、不活発な、②落胆した、気落ちした、③鈍感な、無感覚な、④不毛の>という意味があるようです。<piger>は、<inutilem seruum>(ろくでなし)の内包を指す言葉です。

インターネットで検索しますと、日本語の<ろくでなし>に該当するラテン語は多種多様・・・。その中に、<spurius>を<ろくでなし>の訳とする例がありました。しかし、『LEXICON LATINO-JAPONICUM』でひきますと、<spurius>の訳語は<私生児>のこと・・・。

日本語の<ろくでなし>ということばには、<ごくつぶし>、<ただめしくらい>の意味があるようですが、<私生児>に向けられた偏見・罵詈でしかなさそうです。

妻の話では、実家のおかあさん、妻の実家のおとうさんに、こどものころから、<ろくでなし!>と罵倒していたようです。<ろくでなし!>と罵倒する相手をなくしたおかあさん、今度は、おとうさんのかわりに筆者を罵倒して、こころの均衡をたもっているようです。

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学問とは何か・・・?

2015年08月29日 |  6.言語・語源

筆者の祖父は、吉田永學、曾祖父は、吉田向學・・・。

筆者の父から、<先祖は代々、名前に學がつく>と教えられたのですが、筆者の父、筆者の名前に<學>の字は用いませんでした。その理由はなになのか、父から聞く機会は失われてしまいましたが、小学校に入学する前、父から、入学することになる小学校の名前<琴浦西小學校>の書き方を教えてもらいました。そのときの學は新漢字の<学>ではなく、旧漢字の<學>・・・。

今日、筆者、<学問とは何か?>を考えていました。最近、コメントを下さる方、学校の校長先生のようですが、筆者は、無学歴・無資格を標榜するただのひと・・・。

小学校に入学する前、祖父・吉田永學が使っていたという漢和辞典をもらいましたが、その漢和辞典で、<学問>をひきますと、<學藝を習ふ事。ものまなび。>とありました。今日、BOOKOFFで108円で入手した旺文社『全訳古語辞典第3版』で<物学び>をひきますと、<物事のまねをすること。ひとまね。>とありました。

妻の実家のおかあさん、ことあるごとに、<なして、おめえはここらの農家と同じことをしねんだあ?おめえは、ここらのもんでねえからろくでなしだ!>と筆者を批判しますが、妻の実家のおかあさんにとっては、<物事のまねをすること。ひとまね。>はとても大切なことだたのでしょう。『全訳古語辞典』には、<物学び>の用例として、源氏物語の1節が引用されていました。<門田の稲刈るとて、所につけたる物学びしつつ(門前の田の稲を刈るといって、その場所に似つかわしい刈り方で人のまねをしては)> 昔から、米つくりに、<物学び>の姿勢は必須であったようです。

湖南の専業農家の方々も、筆者と妻が、<ここらでは栽培不可能!>といわれているコシヒカリとはえぬきを栽培しているのを見て、<おめえ、ばかか!ここらではこしひかりは採れねえと誰からも教えてもらわなかったのか?>と語りかけて来られましたが、農村的地域社会の、田舎の学問は、辞書の説明通り、<物事のまねをすること。ひとまね。>

ただ、筆者と妻、有機栽培・無農薬栽培のコシヒカリの栽培法、東北地方での冷害対策などの40~50冊の農書を読んだ上でのコメつくりでしたので、その読書を通じて、間接的に、<物事のまねをすること。ひとまね。>をしていたことになりますが・・・。

ついでに、加藤常賢著『漢字の起源』で、<學>と<問>を引いてみますと、まったく別の意味が出てきます。加藤常賢氏、<學>については、あまり切れのいい説明をしていません。迮鶴寿の<學とは仿して之に像るなり>という解釈を転用しておられるようです。要するに<學>とは、先人の<みめかたち>と<ふるまい>に己を合わせることを意味するようです。

<學>の結果<問>に至る・・・。

<問>は、加藤常賢氏によりますと、<罪人に白状させるための訊問の意>・・・。

漢字の熟語としての<學問>は、<學によって問に至る>の意。中国の古代の官憲になるべく、その官憲の官服と役職の遂行を真似、任官試験に合格して、官憲になり、犯罪者を官権をもって取り調べ裁くひとになることを意味しているようです。漢字の熟語としての<學問>には、田舎の学問の<物事のまねをすること。ひとまね。>ではない、別の意味が含まれているようです。

無学歴・無資格の筆者にとっては、いずれの<学問>とも無縁であるようです。

哲学者の藤沢令夫氏は、このようなことを語っています。<思うに、学問とは読んで字のごとく、知らざるを学び、疑わしきを問うことであるという、この当たり前のことが何を意味しているかを、つねに自覚するのとしないのとでは、ずいぶん大きな違いが結果するのではないだろうか。とくにいまのわれわれにとっては・・・>。藤沢令夫氏にとっては、<学>と<問>は、並列に共存しています。この<学>と<問>を、

1.学んで問う
2.問うを学ぶ
3.学を問う

と関連付けて解釈することも可能です。1.と2.は、説明する必要がないほど、常識的な意味合いになりますが、しかし、3.の<学問>を<学を問う>と読むのは漢語としては無理があります。しかし、無学歴・無資格の筆者にとって、哲学は、哲学の避けがたい課題として、3.の<学を問う>いとなみを含んでいます。たとえば、歴史とは何か、歴史研究とは何か、歴史研究の目的は何か、歴史研究の前提は何か・・・、諸学の前提と本質を徹底的に解明していくのが哲学本来のあり方です。哲学者は、哲学と哲学者自身をも問いの対象にするのが常・・・。自らの学問のあり方を問うことを忘れた学問は、漢字の熟語としての<學問>であり続けても、人類の福祉のための本来の学問にはなり得ないと思われます。たとえ戦争中であったとしても武器を持たない一般民衆を一瞬にして大量に殺戮する原爆を開発するなど、学問の名に値しない!

学問は、いつも善に帰結するわけではありません。だからこそ、すべての学問、学者・研究者は、自らの学問のあり方を検証すべく哲学をする必要があります。<思うに、学問とは読んで字のごとく、知らざるを学び、疑わしきを問うことであるという、この当たり前のことが何を意味しているかを、つねに自覚するのとしないのとでは、ずいぶん大きな違いが結果するのではないだろうか。>という藤沢令夫の問いは、当然です。

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Marriages are written in heaven・・・

2015年08月07日 |  6.言語・語源

金子武雄著『日本のことわざ』の中に収録されていることわざのひとつに<縁は異なもの>というのがあります。

金子武雄氏によりますと、<縁は異なも味なもの>の<縁>は<夫婦の縁のこと>、<異なもの>とは<不思議なものというらくいの意>、<味なもの>とは、<おもしろいものというくらいの意>だそうです。

その解釈、少しく長い引用になりますが、

<男が女を求め、女が男を求めるのは、生物の本能である。しかし人間の世界にあっては、1人の男と1人の女とが結びつて、「夫婦」となるということは、一生の生活を共にするということであり、それだけ重大な事である。夫婦となるに際して、厳粛な儀式を伴うことの多いのも、なたいったん夫婦となった者について厳重な制約の加えられることの多いのも、その意味で当然である。

そういう夫婦というものも、出来上がった結果からみると、2人の結びつきというものは、人間の予想しえないような経路を辿っていることが多い。それが人をして「異なもの」と感嘆させ、さては「味なもの」と簡単させることになるのである。

1人の人間がこの世に生まれた時、だれがその配偶者を予知することができよう。・・・同年輩前後の異性のことごとくが、その人の配偶者となる可能性のあるものである。いわば、1に対する無数の相手がある。その無数の相手の中から、たった1人だけが選ばれるのである。その選ばれ方は実にさまざまであって、どういう経路を辿るかは、ほとんどまったく分からない。そうして選ばれた結果からみると、思いもよらないことが多く、結局、2人の間に前世からの縁があったのだというように考えるようなことにもなるのである。西洋のことわざにも、

Marriages are written in heaven.

というのがあるが、夫婦の結びつきは、人間には、予想できないものであり、天国で神さまだけがご存知のことである。結婚したその日、「あなたと一緒になろうとは、まったく不思議な縁だった。「縁は異なもの味なもの」とはよくいったものだね」などと語り合う場合が、どんなに多いことだろう>。

筆者の祖父は、吉田永學、曾祖父は吉田向學・・・、その吉田家のルーツを探して出会ったのは、信州・栗田村の真言宗・観聖寺(修験道)の僧侶の家系・・・。吉田姓には、中世以来のその流れをくむものが多い。筆者の娘が結婚した連れ合いの方の姓を知らべていましたら、意外なことが分かりました。その姓も、修験道の僧侶、修験道の行者、修験者に多い姓であるとか・・・。娘は福島大学大学院卒、ご主人は山形大学大学院卒、両家の父親は、福島県以外の出身、情報処理技術者・・・、娘夫婦を見ていますと、やはり、<縁は異なもの味なもの>と実感せざるを得ません。

それにしても、娘夫婦は、両家とも修験道の流れを汲んでいるとは・・・!

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常に<反>・<省>できるひと・・・

2015年05月15日 |  6.言語・語源

素人百姓が、有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリを栽培するには、稲作について、最初から最後まで、常に<反>・<省>を繰り返す必要があります。

『広辞苑』で<反省>なる語をひもといてみましたが、その説明は、常識的・・・。それで、加藤常賢著『漢字の起源』をひも解いてみました。

<反>とは、<手を反転するの意>・・・、<省>とは、<眚>の別字で<眚>と同じ意で、<目がかすんで明視できぬ意>・・・。この場合、<反・省>とは何を意味するのでしょう? 筆者の推測では、<反・省>とは、手を返す前は明視できていたのに、手を返したあとは明視できない状態になることを意味している・・・?

中国共産党率いる中国は、戦後70年が経過した日本に対して、太平洋戦争時の<反省>が足らないと声を大にしていますが、彼らのいう<反省>とは、歴史の真実を明視することができる、日本の従来の歴史観を放棄して、中国共産党のいうイデオロギー的な歴史観を受け入れ、歴史の真実とはほど遠い共産主義的虚像を受け入れるようにという主張に思えてきます。

しかし、筆者、この<反・省>という言葉を別様にも解釈できます。それまでの手段・手法を捨て、それと正反対の手段・手法を採用して、視覚的・現象的な理解にとどまらず、その本質を把握・実践すること・・・、それが、<反省>の本来の意味だと・・・。

素人百姓、3年目の筆者、<反・省>は、従来の、化学肥料・農薬・除草剤を多用する近代的農法・現代的農法を、手のひらを反転させるごとく、有機栽培・無農薬栽培にかえ、形式的な農法を追及するのではなく、本質的な農法に回帰することを意味すると思います。

素人百姓が、有機栽培・無農薬栽培で米・野菜を栽培するには、最初から最後まで、常に<反>・<省>を繰り返す必要があります。妻のふるさと・湖南では、有機栽培・無農薬栽培で情報交換し、切磋琢磨して、湖南の農業の明日をともに考えるひととのであいはほとんど皆無ですから・・・。

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古文書とラテン語・・・

2015年04月17日 |  6.言語・語源

筆者、67歳・・・。日本基督教団の隠退牧師で、現在、東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町に住んでいますが、筆者の、人生の晩年における趣味になりそうなのが、古文書読解・・・。

郡山地方史研究会の古文書講習会に出席させていただいたことで、筆者、古文書読解に熱意をもって取り組むようになりました。古文書といっても、近世幕藩体制下の町方文書・村方文書のことですが、行書・草書で書かれた直筆の文字を読めるようになることは、思いのほか楽しいものです。

昔、日本人にとって、現代日本語と古語は、西洋人にとって、ぞれぞれの国言葉とラテン語にあたる・・・、と教えられたことがあります。確か、高校生のとき・・・。それ以来、筆者、いつかラテン語を読めるようになりたいと思ってきたのですが、なかなかその時間的ゆとり精神的ゆとりを持つことができませんでした。隠退牧師になった今、毎週の主日礼拝の説教のために原典にあたることがほとんどなくなりました。それで、筆者、聖書は、ラテン語訳聖書を読むことにしているのですが、理由は、筆者、ラテン語についてまったくの門外漢であること・・・。ラテン語の文法もまだ独習していないので、正確な翻訳はできませんが、英文法・独文法・希文法を参考に、『羅和辞典』を引きながらなんとかラテン語の聖書をひもとくことで、聖書の言葉をひとことひとこと味わいながら読むことができます。

前回の文章で紹介した<Panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie.>は、Martin Luthers訳聖書では、<Unser töglich Brot gib uns heute.>と訳されています。ラテン語の<supersubstantialem>は、Luthers訳では<töglich>に・・・。単語の文字数が全然違いますね。ギリシャ語聖書では<τὸν ἐπιούσιον>・・・。

妻のふるさと・湖南で、有機栽培・無農薬栽培で米・野菜を栽培しながら自給自足の田舎暮らしを指向している筆者にとっては、このラテン語の<supersubstantialem>の訳のほうがぴったりきます。『羅和辞典』では、<生命を維持するに必要な>を意味しています。<Panem supersubstantialem>には<日用の糧>との説明もありますが、<日々いのちを維持するのに必要な糧>を意味しているのでしょう。農薬・除草剤・食品添加物など、いのちを損なう物質がふくまれている糧ではなく、いのちを養い維持するのにふさわしい糧のこと・・・。

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湖南で孤立して生きる・・・

2015年04月08日 |  6.言語・語源

孤立と独立・・・。『広辞苑』には、次のような説明が出てきます。

こ・りつ【孤立】①他とかけはなれてそれだけであること。ただひとりで助けのないこと。
どく・りつ【独立】①それだけで立っていること。㋑単独で存在すること。㋺他にたよらないこと。他に束縛または支配されないこと。ひとりだち。

孤立と独立の区別、いまいちわかりません。孤立も独立も漢語ですから、加藤常賢著『漢字の語源』をひもといてみました。まず、孤立・独立に共通している<立>について・・・。

【立】という言葉は、<人が正立して動かず、立ち留まる>ことを意味しているそうです。<正立>は、『広辞苑』には収録されていませんから、すでに古語なのでしょう。<正立>を<正しく立つ>ことを意味しているとしますと、<立>という言葉は、<人が正しく立って、右にも左にも偏ることなく、あるべき位置に立ち留まる>ことを意味していることになります。もし、そうなら、<孤立>も<独立>も、それなりに評価されるべき内容を持っていると思われます。

【孤】という言葉は、<父母のいない子の意>だそうです。父母に生き別れたり、父母に見捨てられたりして、育て養い守ってくれるひとがいないみなしごのように立つことを意味していますが、<立つ>という言葉が持っているプラスの側面を考慮しますと、<孤立>とは、<みなしごのように助け守ってくれるひとがいなくても、ひととして正しく立ちつづけ、ひととしての道を踏み外さない>生き方をさしていることになります。イエスさまは、Non relinquam uos orfanos(あなたがたを捨てて孤児とはしない)と宣言されました。なぜなら、イエスさまを救い主として信じるものには、主なる神が父になってくださるので・・・。

【独】という言葉は、<犬が取っ組み合ってただ一つになる意>だそうです。筆者、犬を飼ったことがないので、犬のことについては何も知りませんが、犬は、領土・食糧の縄張りを主張してほかの犬と闘い、やがて、2匹の犬の間に強弱が確定し、弱い方が強い方に服従して、ひとつの統一体になることを意味しているようです。日本の領土である竹島を軍事的に不法占拠し、日本の漁民を虐殺した韓国は犬の文化であるようですが、竹島は、韓国人にとって、それを象徴するような<独>島という呼び方をしているようです。歴史的由来がなんであれ、現在の力関係において強い韓国が弱い日本と軍事的に対立・勝利したというシンボルになっているようです。そういう意味では、<独立>という言葉は、戦争・革命に勝利して立つということを意味していますが、<独立>が漢字本来の意味になるためには、戦争・革命に勝利して、その国や国民が<右にも左にも偏ることなく、あるべき位置に立ち留まる>ことを意味しているようです。

妻のふるさと湖南で、妻の実家のおとうさんが残してくれた田4反・畑0.6反・山林8反で、自給自足の百姓暮らしを志向している筆者と妻、湖南にあっては、<孤立>しているといっても過言ではなさそうです。しかし、湖南の農家の方々が、筆者と妻を見るときの立場は、牙をむいた犬の<独立>の視点・・・。JA湖南から排除・疎外し、湖南の地で農を断念させ、筆者と妻を湖南から追い出したあと、妻の実家の田・畑山・林を湖南の農家に編入させ、その農家の独立性を高めようとする、現代日本の農政の受益者の側の視点・・・。

筆者67歳、妻59歳、年金暮らし・百姓暮らしをしていますが、イエスさまの、Non relinquam uos orfanosという言葉を信じて、<孤立>をはじることなく生きています。

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個性豊かな昔の漢和辞典・・・

2015年03月20日 |  6.言語・語源

インターネットの日本の古本屋経由で注文していた3冊目の辞書が届きました。松雲堂『新漢和辞典』・・・。

この辞書を編纂したのは、松雲堂編輯所・・・。<編著者>と記されているだけで、個人名は一切出てきません。この辞書の特徴は、<字解は、極めて平易簡明とし、和訓は特にゴシックを用ゐて一目瞭然たらしめ>ていること・・・。

漢字にどのようなやまとことばが割り当てられたのか、それを知るためには、最適の漢和辞典であるようです。

最近の『漢和辞典』は、どれも同じような体裁・内容なのですが、明治・大正時代に編纂された漢和辞典は、それぞれ創意工夫がなされ、個性豊かな辞書になっているようです。

今回、全部で4冊の辞書を注文したのですが、明治2冊、大正1冊、昭和1冊、どの辞書も使って楽しくなる辞書です。今日入手した松雲堂『新漢和辞典』は、昭和2年の発行・・・。妻の実家のおかあさんの生年と同じということは、この辞書、満88年を迎えるようです。妻曰く、<この辞書、88年間全然使われなかったみたい・・・>。

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祖父・吉田永學が使っていた辞書・・・

2015年03月19日 |  6.言語・語源

今日、この前、インターネットの日本の古本屋経由で注文していた郁文堂『新漢和大辞典』(大正11年)が届きました。

筆者が小学校に入学したとき、筆者の父から、<おじいさんが使っていた辞書だ。これで勉強しろ>と2冊の辞書をもらいましたが、この『新漢和大辞典』はそのうちの1冊・・・。そして、あとの1冊は、独特の辞書の体裁をしていましたので、それを手掛かりにインターネットで検索してその辞書の名前を探りあてました。

筆者が、父からもらった辞書は、祖父・吉田永學が使っていた2冊の漢和辞書・・・。祖父・吉田永學が使っていた辞書は、いずれも久保天髄の編著になるものでした。吉田永學が使用していたもう1冊の<漢和辞典>は、今日、インターネットの<スーパー源氏>経由で古書店に発注しました。価格は、2,160円・・・。

筆者の妻、なつかしそうに『新漢和大辞典』をひもといている筆者の姿を見て、<あなた、おとうさん、とても好きだったのね!そうでないと、こんな昔の辞書、手に入れて喜ぶはずありませんもの・・・>と話していました。筆者の父がなくなったときの葬儀の写真、父が若かりし日に撮った写真ですが、筆者、<どうして頭を丸めておぼうさんみたいな姿で写真をとったのか?>いつも不思議に思っていましたが、筆者がものごころついてから知っている父親の頭は髪の毛でふさふさしていまし。祖父・曽祖父の家系が、真言宗の住職の家系であったことはそのときはつゆも知りませんでした。

筆者の父は、一度も、吉田家が真言宗の僧侶の家系であるとは、筆者の姉にも、筆者にも語ることはありませんでした。父は、筆者が高校3年生のとき<端典の宣教師グンナル・クリスチャンソン先生から洗礼を受け基督教徒になりたい>と宣言したら、激怒していました。<吉田家は、クリスチャンを出すような家柄ではない!>と・・・。

筆者の姉は、中学3年間、父から、英語をならったそうです。発音が違うと何度も叱られたそうですが、筆者にはその記憶がありません。小学校の入学式のあと、父に書道教室に連れられて行って、そこで書道を習うことになりました。筆者、小学6年生のとき、父に頼み込んで英語教室で勉強させてもらいました。父は、姉に英語の発音を教えたようには、筆者に一度も指導したことはありませんでした。

昔のことを思い出すのは、年をとった証拠なのでしょうが、小学1年生の1学期、成績の通信簿をもらって帰ってきたとき、筆者、近所の3人のおばさんに呼び止められました。1人のおばさんは、筆者の右腕を、もう1人のおばさんは、筆者の左腕を学生服の上からつかんで、3人目のおばさんが、筆者のランドセルをあけて中から通信簿を取出しました。そして、3人でそれを開いて見ていました。<見て見て!みっちゃん、4と5ばっかりじゃない!すごいわ!>とほめてくれました。そのあと、ご褒美だといってお菓子を持ってきてくれました。 その夜、父に通信簿を見せますと、<なんだ?4があるじゃないか、全部5になるように一生懸命勉強しろ!>と叱られこそすれ、ほめてくれることはありませんでした。

祖父・吉田永學が使っていた2冊の漢和辞典は、筆者が小学1年生になったときの勉学事始めの書でした。

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高校生のとき落書きしたことがある・・・

2015年03月18日 |  6.言語・語源

筆者、高校生のとき、放課後、同級生が掃除した教室の黒板に落書きしたことがあります。

それが、『前赤壁の賦』・・・。筆者、丸暗記したのですが、同級生が、<そんなの丸暗記して何の意味があるの?>と尋ねてきますので、<岡山県の教員採用試験によくこの『前赤壁の賦』から出題されるから、習ったついでに丸暗記しているの!>と答えたことがあります。

筆者、覚えた『前赤壁の賦』をきれいに掃除された黒板に白墨で書き連ねたことがありますが、廊下ですれ違った同級生2人が話していました。

A:<誰、せっかく掃除したのにあんな落書きするなんて!>
B:<あんな落書きするの、吉田君に決まってる!あの子、なんでも丸暗記してんだから!>

筆者、黒板に落書きしたのは、それが最後・・・。

筆者、67歳になってもまだ、蘇東坡の『前赤壁の賦』が読めるようです。

壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天一方客有吹洞簫者倚歌而和之其聲嗚嗚然如怨如慕如泣如訴餘音嫋嫋不絶如縷舞幽壑之濳蛟泣孤舟之嫠婦蘇子愀然正襟危坐而問客曰何爲其然也客曰月明星稀烏鵲南飛此非曹孟之詩乎西望夏口東望武昌山川相繆鬱乎蒼蒼此非孟之困於周郎者乎方其破荊州下江陵順流而東也舳艫千里旌旗蔽空釃酒臨江横槊賦詩固一世之雄也而今安在哉況吾與子漁樵於江渚之上侶魚鰕而友麋鹿駕一葉之輕舟擧匏樽以相屬寄蜉蝣於天地眇滄海之一粟哀吾生之須臾羨長江之無窮挾飛仙以遨遊抱明月而長終知不可乎驟得託遺響於悲風蘇子曰客亦知夫水與月乎逝者如斯而未嘗往也盈虚者如彼而卒莫消長也蓋將自其變者而觀之則天地曾不能以一瞬自其不變者而觀之則物與我皆無盡也而又何羨乎且夫天地之物各有主苟非吾之所有雖一毫而莫取惟江上之風與山之明月耳得之而爲聲目遇之而成色取之無禁用之不竭是造物者之無盡藏也而吾與子之所共適客喜而笑洗盞更酌肴核既盡杯盤狼藉相與枕藉乎舟中不知東方之既白

哀吾生之須臾羨長江之無窮・・・。

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旧制中学の学生用の漢語辞書・・・

2015年03月18日 |  6.言語・語源

この前、インターネットの日本の古本屋経由で注文した辞書3冊、『新漢和辞典』(昭和2年)・『新漢和大辞典』(大正11年)・『漢語字彙』(明治37年)のうち、『漢語字彙』が今日届きました。

この『漢語語彙』・・・、凡例に、<本書は・・・傍ら中学校教育程度の学生が、故事熟語を学ぶに便んらしめむとせしもの>とありますので、明治期の旧制中学の学生用に作られた学習用辞書であるようです。<一見直に解し易き類の成語等は、概ね之を省き、力めて文字以外に意味あるが如きものを採れり>とありますので、一定水準の国語力がないとあまり使い勝手のいい辞書ではなさそうです。

<一葦(いちゐ) 小舟のことを一葦といふ、尚ほ一葉といふが如し。(赤壁賦)。>とあります。それを見ていて、筆者、『前赤壁の賦』の一節を思い出しました。<一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙・・・>。高校生のとき、漢文の教科書に出てきた『前赤壁の賦』を丸暗記したことがありますが、その片鱗まだ覚えているようです。

『漢語語彙』は、筆者の高校生時代の漢文の学習内容を思い出すには最適であるようです。引いて役立つ辞書というより、読んで楽しい辞書であるようです。筆者の実の父も、香川県の三豊中学校で勉学したことがあるようですが、その校友会雑誌の『巨鼇』・・・、筆者読むのに苦労しました。<徳島県と香川県の県境にまたがる雲辺寺山山頂にたたずむ名刹雲辺寺は、その標高は927m、四国霊場中、最も高い場所に位置することから、別名「四国高野」と呼ばれています>が、その雲辺寺の山号は<巨鼇山>(きょごうざん)・・・、<大きな亀を意味>しているようですが、<大正10年4月11日、学校長から、聖徳太子千三百年御遠忌なるを以て御事績に就きて講和>があったと記されていますが、『漢語字彙』と同時代に発行された『巨鼇』・・・、同じ時代の産物であるようです。

吉田家の先祖は、信州栗田村の真言宗の、聖徳太子を祭った太子堂の住職の家系・・・。聖徳太1400年御遠忌はあと6年後・・・。

筆者の妻、<あなた、そんな漢和辞典や、神道の祝詞が読めるなんて、やはり、あなたは神主の末裔なのよ!>とつぶやいていました。筆者、<真言宗の住職の家系だってば!> 妻は、<真言宗の家系だといっても修験も兼ねていたのでしょう?それに、住職といっても代々神主の娘を嫁にしていたみたいだから、やはり、あなたも神主の血筋を引いているのよ!普通のひとはそんな漢字、読めません!>と話していました。筆者、<この辞書が出版された当時、旧制中学の学生はみな読むことができたのだから、めずらしいことではありません!>と答えましたが、筆者の妻、筆者の先祖・吉田家は、神主の家系であると堅く信じ込んでしまったようです。

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理屈とは・・・?

2015年01月14日 |  6.言語・語源

金子武雄著『日本のことわざ』に、<理屈>に関することわざが掲載されていました。そのことわざとは、

<理屈と膏薬は何処へでもつく>

そのことわざの解説を全部引用させていただくことにしましょう。

<膏薬がからだのどこへでもべたべた付くように、理屈というものも、つけようしだいでどんな事にもつくものだ、という意である。「理屈」は元来「理窟」と書いた。「窟」は穴の義であり、「理窟」は「理の集まる処」の義であった。ところが日本ではこれに否定的な気持ちがつきまとい、むしろ「こじつけの理」というような意に用いられることが多い。こじつけの理はもとより本当の理ではない。本当の理がはたらく場合には、理がさきに立って結論はそれから導き出されるのである。こじつけの理がはたらく場合には、結論がさきに立って、理はあとからつけられるものである。前者では結論は理に支えられているが、後者では結論が理を支ええいるのである。

論じて争う場合、本当の理がこじつけの理にいい負かされることがある。そんなときには、たとえいい負かされても、心のうちでは決して相手のいうことに承服したわけではない。「理屈と膏薬は何処へでもつく」というのは、そんなときの不承認の意思表示なのである。

こじつけの理―理屈と、本当の理―道理―との違うことは、古くから説かれている。三浦安貞の『梅園叢書』にも次のようにある。「理屈と道理とへだてある、理屈はよきものにあらず。たとへば親、羊を盗みたるは親のあしきなり。親にてもあれ、悪は悪なれば、直に訴ふべしといへるは理屈なり。親、羊を盗むは悪ながら、親悪事あればとて、子是をいふべきやうなしとて、隠したるは道理なり。人死して再び帰らず。帰るべき道あれば、嘆きても嘆くべし。帰らぬ道なれば、嘆きて益なしといへるは理屈なり。人死して再び帰らず、帰るべき道あらば嘆かずともあるべけれど、帰らぬ道こそ悲しきなど嘆くは道理なり。」

理屈は我欲遂行の具として用いられることが多い。我欲によってその理は公明を欠き、理の本性を失うのである。理屈は時に局所において道理に勝つことはあっても、結局全局において道理に負けるのである。「理屈と膏薬は何処へでもつく」は、理屈のそうした弱点を指摘して不信を表明し、嘲笑したものとみられるであろう。

理屈をいえば腹が立つ

というものもあるが、これは自分でいい立てる理屈のために、自分も腹の虫が収まらなくなることをいうのである>。

日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の長老の方が、筆者のことを、<あなたは理屈に基づいて行動するひと・・・>であると評されていましたが、やはり、あまりいい意味でそういわれたのではなさそうです。

昨年、生まれてはじめて、66歳で、標高550mの湖南高原の、妻の実家の棚田で有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリとはえぬきを栽培しましたが、筆者の米つくり・・・<筆者の理屈>で栽培できたものでしょうか? それとも、<自然の道理>に従って栽培できたものでしょうか?<理屈>で米が栽培できるほど、米つくりは簡単でありませんし、<理屈>で腰・肩・手の痛みを取り除くことができるほど人間の体は単純ではありません。過ぎたるは及ばざるがごとしで、<道理>も強調しすぎると、またたくまに<理屈>に転落してしまうのは世のならい・・・。

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