湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

宗教者の判断・・・

2017年12月12日 |  1.基督教の信仰

神谷美恵子著作集・別巻『人と仕事』に収録されている、神谷美恵子の<ひとりごと>という文章の中に、こんな言葉がありました。

<神の名を借りて人間が人間に対してどんなに過酷になりうるか。

「神様に従う」ということを礼拝の時一人の外人がしきりに言った。しかし何が神に従うことか、神の「聖旨」が何であるかとういうことをどうやって判断するか。判断の相違があるときどうするか。>

筆者は、高校を卒業して、4年間、自分でカリキュラムを組んで独学をしたことがありますが、それはゲーテの『ファウスト』のなかに出てくる、ファウストの歎きの言葉、<骨折って研究し尽くした。そのあげくがこのとおり哀れな愚かものだ。前よりちっとも賢くなっていない>という言葉にでてくる、哲学・法学・医学・神学の4分野・・・。そのとき、筆者、神谷美恵子が提起した問いに対する答えをいくつも入手していました。それで、筆者、29歳のとき、日本基督教団の牧師になるために、農村伝道神学校に入りました。

筆者が見つけたその問いに対する答えは、神谷美恵子の問いを繰り返し思い出させる答でした。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

玄関にアドベントクランツを飾る・・・

2017年12月02日 |  1.基督教の信仰

今日の夕方、妻とふたりで、アドベントクランツをつくり、玄関に飾りました。

枯れた蔦のつるで輪をつくり、針金をまいて、杉の若葉を挿して、緑色の輪をつくり、庭の野ばらの赤い実をさして、玄関につるしました。

キリスト教の教会暦では、明日、2017年12月3日からアドベント(待降節)がはじまります。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の庭には、いろいろな常緑樹が植えてありましたので、アドベントクランツをつくる材料には苦労しませんでした、キンモクセイ、ギンモクセイ、ヒイラギモクセイ、クロガネモチノキ・・・。赤い実も、センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ピラカンサなど・・・。直径50cmの大きなアドベントクランツを教会の玄関に飾っていました。瀬戸内海沿岸の教会であるとはいへ、山口の冬も寒くて、冷たくて、厳しい・・・。アドベントクランツをつくるときは、指がかじかむほど冷たくなるのが普通・・・。それとくらべますと、妻のふるさと・湖南は、東北・奥羽山脈のふところに抱かれてもっともっと寒くて冷たいのですが、湖南に移住して5回目の冬、筆者、からだが湖南の気候になれたのでしょう。あまり、寒さも冷たさも気にならなくなりました。

しかし、今日の作業で、筆者の右手の親指にあらたなあかぎれが発生・・・。長さ8mm程度・・・。右手の中指にも3mm程度のあかぎれが・・・。右足のあかぎれ、7~8箇所は、<フタアミン>という軟膏を塗り続けて、すっかりなくなりましたが、右手の指のあかぎれは、<フタアミン>だけではなおりそうにありません。なにか、対策を考えなければ・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

山口の熊毛郡八代のコシヒカリの有機栽培・無農薬栽培米の味・・・

2017年11月11日 |  1.基督教の信仰

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、郵便局を定年退職して、実家のある熊毛郡八代村に帰郷・帰農して、有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリの栽培をされていた教会員のTokunaga兄・姉、毎年秋には、収穫されたコシヒカリの初穂を、<牧師先生ご夫妻のために・・・>といって持ってきてくださいました。そのときの、コシヒカリの美味しかったこと・・・。今でも、筆者の<舌>が覚えています。

2013年4月1日に、妻のふるさと、福島県郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農して、次の年から、有機栽培・無農薬栽培でコシヒカリを栽培していますが、筆者と妻の目標は、山口県熊毛郡八代村の、Tokunaga兄・姉ご夫妻と同じ美味しさのコシヒカリをつくること・・・。筆者と妻、まだまだ、Tokunaga兄・姉ご夫妻の足元にも及びませんが、いつの日か、同じ美味しいコシヒカリを収穫することができるよう努力を続けるつもりです。

今年、2017年の米つくりに際しては、コシヒカリをより美味しいコシヒカリにするために、Tokunaga兄・姉から教えてもらった<有機質>を加えました。2016年産コシヒカリと、これから収穫する2017年産コシヒカリの味を比べてより美味しければ、これから毎年、発酵鶏糞にこの<有機質>を加えるつもりです。

Tokunaga姉は、既に天に召されて、筆者と妻が栽培した、有機栽培・無農薬栽培のコシヒカリを召し上がっていただけないので、東京・青梅にある日本基督教団の隠退牧師の方々のための老人ホームに送っています。新米のコシヒカリを5俵おくることを目標にしていますが、なかなか、そうはいきません。でも、いつか、主なる神さまが、筆者と妻の思いを実現させてくださるときがくることでしょう。

妻も、収穫したコシヒカリを売らずに、献米することに大賛成。

農村伝道神学校の校長をされていたKashiwai先生ご夫妻も入居されている、その老人ホーム・・・、入居されている隠退牧師ご夫妻の方々の<舌>にまで祈りが届くことを願って・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

クリスチャンになったことで出会った・・・

2017年11月09日 |  1.基督教の信仰

猪苗代町へ買い物に行くとき、くるまの中で、妻と話しをしました。

筆者:A子さんがクリスチャンになったから、私とであった・・・。もし、クリスチャンにならなかったとしたら、私と出会うことはなかった・・・。
妻:そうよ!だって、福島と岡山では接点がないもの・・・。
筆者:A子さんが安積女子高校を出ていなかったら、私との出会いはなかった・・・。鶴川学院のシオン幼稚園の教師に採用されたのは、安積女子高校出身だから・・・。シオン幼稚園の教師をしていなければ、鶴川学院の農村伝道神学校の神学生になった私と出会うこともなかった・・・。
妻:東日本の私と、西日本のあなたがであって一緒になったのは、ふたりともクリスチャンだったから・・・。私とあなたの接点は、基督教の信仰だけだったのよね・・・。
筆者:この前、東京の中田さんとう若い女性の方がボウガケしているときにやってきて、<辺鄙なところ>って話していたけれど・・・。
妻:湖南の赤津村って、誰がどう見ても<辺鄙なところ>だわ!そう言われても、あたりまえだから、私、気分を害したりしないわよ。ほんとうに<辺鄙なところ>なんですから。

その<辺鄙なところ>で、筆者と妻、田舎暮らし・山里暮らし・百姓暮らしができるのは、主イエスさまを救い主として信じる共通の信仰を持っているから・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

実れる田の面は・・・

2017年11月02日 |  1.基督教の信仰

讃美歌504番・・・

<実れる田の面は 見わたす限り、
穂波のたちつつ 日影ににおう。
垂穂は色づき 敏鎌を待てり、
いざいざ刈らずや 時過ぎぬ間に。>

今、妻のふるさと・湖南の、標高550mの湖南高原の棚田の田のコシヒカリとはえぬき・・・、この讃美歌の光景と同じ光景になっています。コシヒカリ1.8反、はえぬき0.4反の田は、色づいて黄金色に輝いています。

湖南の赤津村のプロの農家の方々は、<おめえ、バカでねえのけ?ここらでは、コシヒカリは採れねえ!>と言われますが、その言葉、ある意味、ほんとうのことを物語っています。今年も、コシヒカリとはえぬきの田の一角に<実験コーナー>があります。もし、温水田で、東岐から流れてくる、夏でも15.0℃の冷たい水を引き入れて、温めることなく、コシヒカリを栽培したらどうなるのか? はえぬきを栽培したらどうなるのか? それを確認するための<実験コーナー>です。

結論から言えば、コシヒカリは、葉や茎はまだまだあおく登熟途上にあります。登熟するころ、雪が降るかもしれません。はえぬきは、出穂期の低温障害で青立ち状態・・・。つまり、湖南高原の棚田で、常夏川の冷たい水を引き入れた農業用水路の水でコシヒカリやはえぬきを栽培するのはほとんど不可能であるということを示しています。

それなのに、素人百姓の筆者と妻、コシヒカリとはえぬきを栽培してなぜ収穫できるのか・・・? その問いに対する答えは簡単です。筆者と妻が、米つくりにおいて、まったくの素人だからです。湖南の赤津村のプロの農家の方々のように、米つくりの知識・経験、勘や熟練をもちあわせていませんので、常に、稲の状態を観察して、水が冷たいか温かいか、日差しが十分にあたっているかあたっていないか、あたっていないときそれをどうしたらカバーすることができるか、稲に語りかけながら、稲から教えてもらうのが常だからです。

米つくり1年目、2年目、3年目、そして今年の4年目、出穂期の低温と日照不足、収穫期の長雨、一時昭和55年の大冷害の到来が危惧されるほどの天候不順の中にあっても、なんとか収穫にこぎつけることができました。米つくり、1年目も、2年目も、3年目も、そして今年の4年目も、コシヒカリをはえぬきを収穫することを許してくださった、主なる神さまのめぐみとまもりをひたすら感謝するのみ・・・。

祈りと感謝の思いをもって、<いざいざ刈らずや 時過ぎぬ間に>。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

Give me neither poverty nor wealth・・・

2017年10月29日 |  1.基督教の信仰

Give me neither poverty nor wealth・・・

英訳聖書NEVに出てくる信仰者の祈りの言葉です。

今日買った、雑誌『PRESIDENT』(2017・11・13号)<金持ち老後・ビンボー老後>を読んだ、筆者の妻、<何が書かれているのか、読んでみたいと思ったけれど、あまり参考にはならなかったわ・・・>と感想を述べてました。

その雑誌、読者に、<金持ち老後か、さもなくば、ビンボー老後か?>と二者択一を迫り、<ビンボー老後>に陥らないために、老いる前から<金持ち老後>を生きることができる準備をしなさいと勧めています。人生の晩年を<金持ち>として過ごすか、それとも<貧乏>として過ごすか、それは、ひとえにそのひとの、若かりし日からの人生の積み重ねにある、老後の暮らし方は、すべて自己責任である・・・、と主張しているようです。

昔から、知識階級・中産階級に属する人々は、すべての社会現象を<A>か<非A>の理念型に分類して、個々の社会現象を<A>、<非A>のいずれかの枠に押し込んでしまいます。<A>と<非A>の間には、<A>でもなく<非A>でもない、種々雑多な型が存在しているのに、それをすべて取捨してしまいます。<金持ち老後>か<貧乏老後>か?という問も、<A>か<非A>かという問と同じです。

聖書の神を信じている筆者と妻の場合、<wealth or poverty ?>という問いかけに対して、<wealth >であるとも<poverty>であるとも、こたえることはありません。聖書の神の信仰者として出し得る答えはただひとつ、<Neither poverty nor wealth!> つまり、<金持ち老後か、さもなくば、ビンボー老後か?>と二者択一の脅迫から自由になって生きること・・・。ですから、旧約聖書の信仰者の祈りの言葉にあわせて、主なる神さまにこう祈るのです。

Give me neither poverty nor wealth!


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ゆずが18個大きな実をつける・・・

2017年10月18日 |  1.基督教の信仰

2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してから、ことあるごとに、農書・種・苗・果実を送ってくださったのは、JAあいちの組合員の方・・・。

昔から、<ももくり3年かき8年>と言われますが、このことわざには、続きがあるそうです。<ももくり3年かき8年ゆず13年>・・・。

その時の年数は、実生から育てて収穫できるまでの年数です。苗木を移植して栽培すると、収穫するまでの年数が短縮できます。

ゆずの苗木が死滅する温度は、マイナス7.0℃・・・。JAあいちの組合員の方からゆずの苗木をいただいて、苗を移植した、妻の実家の庭の簡易温室、一度もマイナス7.0℃にはなっていないのでしょう。2013年4月1日に帰郷・帰農して以降、一番気温が下がったのは、マイナス18.0℃でしたが・・・。

この柚子、ずっと、簡易温室の中で育てることにしました。剪定して、上ではなく横に広がるようにします。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今朝から読み始めた『小説・聖書』(使徒業伝篇)・・・

2017年09月29日 |  1.基督教の信仰

新約篇に引き続き、今朝からよみはじめた、Walter Wangerin 著『The Book of God』(邦訳・『小説・聖書』)の使徒行伝篇・・・。

そのプロローグを読み始めて、すぐ、その世界に引きずり込まれてしまいました。これまで読んだ『聖書物語』より、何倍も興味深い本です。世間ずれした、使徒パウロとその弟子テモテ・・・。宗教家の彼等の、この世における下手な生き様を陰で支える、主イエスさまを信じる事業家の夫婦、アキラとプリスカ・・・。コリントという都市における出来事です。

この本、日本基督教団の隠退牧師である筆者にとっても、こころとあたまと、たましいをリラックスさせてくれる本であるようです。Walter Wangerin 著『The Book of God』を読んでいますと、無性に、自分なりに『聖書』を読んでみたくなから不思議です。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

このことで生活しているのか・・・?

2017年09月21日 |  1.基督教の信仰

このところ夜、BOOKOFFで@200円で入手した、Walter Wangerin著『The Book of God』を読んでいますが、その中にこんな箇所がでてきます。

イエスは・・・言った。「・・・深いところへ漕ぎだして、網をなげて漁をしなさい」。・・・
シモンが・・・言った。・・・「私たちは一晩じゅう漁をしても、何も捕れなかったのに」。
「一晩じゅう?」イエスは同情をみせるように言った。
「そうです」
「そして何も捕れなかった」
「そうです、何も」
「そしてこれがあなたがたの仕事か。このとこで生活しているのか。これがあなたがたのもっとも得意なことなのか。気の毒に」。
イエスはシモンにほほえみかけた。・・・
「とにかくやってみなさい」。

するとシモンの投げた網にたくさんの魚が溢れて網が破れそうになっていた・・・。

有名な聖書の箇所ですが、<風>は、聖書では、<神の霊>と同じ言葉・・・。稲田に吹く風も、<神の霊>の風・・・。日本基督教団の隠退牧師である、素人百姓の筆者が米をつくる、妻の実家の棚田に吹く風は、台風の風だけでなく、<神の霊>の風・・・。標高550mの湖南高原の棚田で、湖南のプロの農家の方々が栽培不能といわれるコシヒカリを、有機栽培・無農薬栽培で栽培する筆者と妻、2014年、2015年、2016年と収穫でき、今年2017年は4年目・・・。湖南の赤津村のプロの農家の方々からはバカにされるけれども、妻の実家の棚田には、台風や野分の強風だけでなく、それを和らげるような<神の霊>の風が吹いているのかもしれません。

妻の実家の棚田でコシヒカリが収穫できるのが、偶然ではないとしたら・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今朝、宣教師の夢を見る・・・

2017年09月10日 |  1.基督教の信仰

今朝、SwedenのCovenant Mission の宣教師をされていたグンナル・クリスチャンソン先生の夢をみました。

近世幕藩体制下の味野村の大庄屋荻野家の大広間の純和式礼拝堂(牧師と信徒を分け隔てる講壇がない)で、復活日の説教をされているクリスチャンソン先生の姿・・・。

とてもうれしそうに、大きな声で、

<ラザロよ、出てきなさい!
そうすると、死んだはずのラザロが生き返って出てきたのですよね>

と説教されている姿・・・。

筆者、高校2年生のときから、聖書を学ぶために、SwedenのCovenant Mission の教会に通うようになりましたが、そのとき、<このひとは、ほんとうにイエス・キリストの復活を信じている!>と思いました。

夢から覚めて、朝、読んだ聖書の箇所は、ルカによる福音書のイエスさまの十字架と復活に関する記事・・・。聖書のことばは、筆者の生きる力の源泉です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

105歳生涯現役医師・日野原重明先生逝去・・・

2017年07月20日 |  1.基督教の信仰

昨日の福島民報に、こんな記事が掲載されていました。

<日野原重明さん死去
105歳 生涯現役医師

生活習慣病の予防や、終末医療の充実などに尽力し、患者主体の医療を訴えた文化勲章受章者で聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏が18日午前6時33分、呼吸不全のため東京都内の自宅で死去した。105歳だった。山口市出身。・・・100歳を超えても現役医師を続け、高齢化社会の中で活躍する象徴的な存在だった。入院後、本人の希望で3月下旬から自宅で療養していた。遺族らによると、延命措置を望まなかったという・・・>。

<患者に寄り添う医療人
日野原さん死去 後進育成に情熱
著述、劇・・・活動幅広く
講演で県内各地 訪問

・・・亡くなる1ヶ月半前には「人生のゴールの時まで向上できるし、希望がある」と語り・・・「まだまだ課題がある」と言葉は途切れなかった。・・・「命というのは、使える時間。自分の持っている時間を誰かのために使ってほしい」・・・「上手にフィナーレに持って行く」のを医療の目標として日野原さん。その言葉の通り、自らの人生の最終コーナーも、自宅での療養を選んで締めくくった>

この新聞記事、総監修日野原重明『食べ方+運動 治す・防ぐ・若返る健康医学事典』(全2冊)にはさみました。その冒頭に、日野原重明先生のこのような言葉がありあました。

<人生をすこやかに生き、やりたいことを成し遂げるには、まず、健康でなければなりません。そのためには、セルフケアこそが最良の”くすり”となるのです。からだの発する声に耳を傾け、自分で自分のからだを守ることが大切です。高齢で運動の少ない私自身、1日に口にする食事は1,300kcalを守っています。この食習慣は、10年ほどかけて少しずつ身に着けた習慣です。そして、毎日体重をはかって、からだが重いなと感じたら、食事を加減したりします。血圧や脈拍の測定も日課です。・・・健康なからだを保つには、大げさなことは必要ありません。セルフケアと、ほんの少しの努力の積み重ねが大切なのです>。

妻のふるさと・湖南にあっては、筆者、<バカ農家!>として評価が定着してしまっていますので、日野原重明先生がいわれる「命というのは、使える時間。自分の持っている時間を誰かのために使ってほしい」という言葉にお応えすることはほとんど不可能ですが、<健康なからだを保つ>ための<セルフケア>だけは、終生実践していきたいと思っています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

汝はわが望みなり・・・

2017年06月02日 |  1.基督教の信仰

今朝、読んだ旧約聖書の言葉・・・。

<ヱホバよ、なんぢはわが望なり、わが幼きよりの恃みなり
われ胎をはなるるより汝にまもられ、母の腹にありしときより汝にめぐまれたり
われ常に汝をほめたたへん
我おほくの人にあやしまるる如きものとなれり、されどなんぢはわが堅固なる避所なり
なんぢの頌辞となんぢの頌美とは終日わが口にみちん
わが年老いぬるとき我をすて給うふなかれ>

<ヱホバはその殿よりもろもろの山に水そそぎ給ふ
地は汝のみわざの実によりて飽き足りぬ
ヱホバは草をはえしめて家畜にあたへ、田産をはえしめて人の使用にそなへたもふ
かく地より食物をいだし給ふ>

日本基督教団の隠退牧師として、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、標高550mの湖南高原の棚田で、有機栽培・無農薬栽培で田畑で米や野菜をつくることができる、それは、旧約聖書に記された、主なる神さま(その名はヱホバ、正しくはヤーウェ)の恵み・・・。人間は、自分でそれらをつくっていると思っていますが、実を結ばせるのは、ひとのわざの結果ではなく、主なる神のみわざの結果・・・。素人百姓でしかない、筆者69歳、妻61歳による、自給自足のための米と野菜を収穫できるのは、主なる神さまの支えと恵みがあるからこそ・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

豊かなる地にすめる民・・・

2017年05月25日 |  1.基督教の信仰

今朝、読んだ、『文語訳旧約聖書Ⅲ諸書』(岩波文庫)の1節にこのような言葉がありました。

<豊かなる地にすめる民の悪によりてそこをしほの地にかはらせたまふ>。

農業するのに、もっとも適した<豊かなる地>・・・。その地も、農業する農家の如何によって、<豊かなる地>から<しほの地>に変質してしまう。<しほ>とは、水に溶けた塩基のことで、化学肥料や農薬・除草剤は、水にとけるとすべて塩基になります。それは、少しでも多く生産して収入を得ようとする農家の営みから生まれます。しかし、その塩基、次第に農地に蓄積され、あるいは、農業用水路に排出され、川や湖の環境汚染につながります。悠久のときを得てすんだ水が、わずか数十年の農家の<悪>、環境汚染を無視してわが農業利得のみを追求する<悪>によって、澄んだきれいな水は、塩基を多く含む汚れた水になってしまい、何百年、何千年の歴史の中で、<しほの地>に変えられてしまいます。

世界で一番農業に向いていた地域は、アフリカ出会ったと言われます。そのアフリカの<豊かなる地>は、今は砂漠に・・・。一部は、塩基が蓄積して<しほの地>に・・・。

猪苗代湖南に、無縁の話しなのかどうか・・・。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

文語訳旧約聖書の神の名はヱホバ・・・

2017年05月09日 |  1.基督教の信仰

文語訳旧約聖書の神の名は、YHWH・・・。

子音字だけで綴られていますので、発音することが非常に難しい名前です。その発音するのが難しい名前をあえて発音しようとしますと、子音字の間に母音をしのびこませる必要が出てきます。

明治初期の文語訳旧約聖書に出てくる神の名前は、<ヱホバ>であって<エホバ>ではりません。筆者、日本基督教団の隠退牧師ですが、キリストの信仰宗教である<エホバの証人>は、<ヱホバ>ではなく<エホバ>・・・。

<ヱ>はワ行の<ヱ>、<エ>はア行の<エ>・・・。昔の日本人は、<ヱ>と<エ>を使い分けていたようです。明治・大正時代においても・・・。ローマ字で綴りますと、<ヱ>は<je>、<エ>は<e>・・・。<ヱ>は、<ye>とも表記されるようです。

筆者が、文語訳旧約聖書の言葉をそのまま引用していますが、<エホバの証人>とは無関係です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

汝は壮やぎて鷲のごとく新たになるなり・・・

2017年05月08日 |  1.基督教の信仰

今朝詠んだ文語訳聖書の1節・・・

<わが霊魂よヱホバをほめまつれ、
わが衷なる凡てのものよ、
そのきよき御名をほめまつれ。
わがたましいよヱホバを讃めまつれ、
そのすべての恩恵をわするるなかれ。
ヱホバは汝がすべての不義をゆるし、
汝のすべての疾いをいやし、
なんぢの生命を滅びより贖ひいだし、
仁慈と憐憫とを汝に被ぶらせ、
なんぢの口を嘉物にてあかしめ給ふ。
斯くなんぢは壮やぎて鷲のごとく新たになるなり>。

<ひとのよはひは草のごとく
その栄は野の花のごとし。
風すぐれば失せて跡なく、
その生ひいでし処にとへど尚しらざるなり。
然はあれどヱホバの憐憫は、
とこしえより永遠までヱホバをおそるるものにいたり、
その公義は子孫のまた子孫にいたらん>。

筆者の妻、風呂上りの筆者の姿を見て、<あなた、ガリガリよ。相当、無理をしているのではないの?>と問いかけてきます。筆者、<農作業をしているときは、いつも体重が58kg・・・。58kgのときが、一番、からだが快適に動くし、心も晴れやか。体重は、58kgで標準体重・・・。見かけはガリガリでも、実質は、一番健康なとき・・・>と答えました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加