湖南村尻百姓記

65歳で、妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農して山里暮らし・百姓暮らしをはじめた隠退牧師の日記

『教団年金受給者名簿2017年版』が届く・・・

2017年09月18日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

今朝、妻が、郵便受けから、雨に濡れた封筒を持ってきました。

差出人は、日本基督教団年金局・・・。機関紙と『教団年金受給者名簿2017年版』が同封されていました。幸い、表紙が濡れただけのようで、夕方までには、すっかり乾いていました。

巻末の<受給者でこの1年間に逝去された方(2016.9~2017.8)>に、筆者が知っている牧師の名前がいくつもありました。その名をあげると、それが生前なら、その牧師から、<あなたなんて、どこのだれだか知らない>といわれそうですから、名前をあげることにためらいがありますが、大津健一牧師と木村武志牧師の名前を見て、筆者、驚きを隠せませんでした。

筆者が、商社に勤めていたとき、得意先との付き合いで日曜日も出勤しなければならないことが多く、Sweden Covenant Missionの、日曜日の主日礼拝に出席することができませんでした。それで、筆者、日本基督教団倉敷教会の夕礼拝に出席していました。倉敷教会には駐車場がないので、バスで往復・・・。その夕礼拝のときに説教されていたのが、そのころまで伝道師であった大津健一先生でした。5~6人の夕礼拝の出席者を前に、熱の入った説教をされていました。時々、朝の礼拝にも参加させていただいていましたが、ベテランの田井中純作先生の熟練された説教とはまた違った、たどたどしいけれど真剣に語りかけられる大津健一先生の説教にこころ惹かれて、児島から倉敷まで夕礼拝のために通っていました。

木村孝志牧師は、神奈川教区の基地問題小委員会の委員をされていた方で、その他の委員には、野々村牧師や、当時、御茶ノ水大学の院生であった萩原弘子さんがおられました。神奈川教区の開拓伝道に従事していた筆者は、いわゆる<保守的>な存在・・・。神奈川教区は、筆者の再教育のために、神奈川教区の中で一番ラジカルな牧師たちが集まっているとされる基地問題小委員会の委員にしたのでした。<戦時中、脱走兵の履歴を持つ高倉徹牧師の教会で神学生時代を過ごした>ということで、筆者に<反軍・反基地闘争>への参加を期待されたようですが、このブログを読めば分かるように、筆者のキリスト教的信仰は、Sweden Covenant Missionの宣教師から学んだ信仰・・・。<自分の国は自分で守るべき>という宣教師の教えに忠実に生きてきた筆者は、真正の愛国主義者として、神奈川教区の<反軍・反基地闘争>を意味を考えるようになりました。

それと知らずに、筆者を、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会に赴任させた、当時の、西中国教区の基地問題委員会の委員長をされていた岩本二郎牧師、筆者を、西中国教区の基地問題委員会の批判者だとして(神奈川教区基地問題小委員会が、西中国教区基地問題委員会に、米兵に日本人女性を斡旋していることに抗議する文書を送りつけていたことが、筆者が赴任後に発覚したため。その抗議文書に、筆者の名前も記載されていたことで、岩本二郎牧師は激怒・・・)、徹底的に排除する行動に出られ、やがて、西中国教区の副議長をされていた藤岡友幸牧師、山口東分区の分区長をされていた加藤満牧師と共に、教区・分区の役職から<吉田牧師をとうとう徹底的に排除した>と勝利宣言を出される始末・・・。筆者は、排除されたまま、山口で30年棲息・・・。30年後に、前任者の牧師が自害した教会の再建はできなかったとしてその責任をとって、教会を閉鎖して、山口を離れることになりました。

思い出すときになつかしさをともなう牧師もいれば、不愉快さが彷彿とわいてくる牧師もいます。しかし、どの牧師も、いつか、この『教団年金受給者名簿』からその名前を抹消される日がやってきます。

この『教団年金受給者名簿2017年版』に記載されている、<にじのいえ信愛荘>に入居されている12人の牧師や牧師夫人の方々に、標高550mの湖南高原の棚田の、妻の実家の田で有機栽培・無農薬栽培しているコシヒカリを食べてもらっています。今年も、農村伝道神学校の元校長の柏井宣夫牧師をはじめとする方々におくることができるといいのですが・・・。

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山口の牧場の山羊・・・

2017年09月13日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



 この前、ブログに掲載しようとした写真ですが、山口の中国山地にある牧場の山羊です。

山口で、筆者と妻が撮った写真は、ほとんどが自然に関するものばかり・・・。人の暮らしや街の姿を写真に撮ることはほとんどありませんでした。

筆者と妻は、よく気分転換に羅漢高原にドライブしましたが、羅漢高原には、牧場がありました。広大な草原にたくさんの牛が放牧されていました。筆者の姿を見ると、遠くから、草原を猛突進してくる牛もいて、迫力満点でした。羅漢高原の、カッコウの鳴き声がすぐそばで聞こえるレストハウスの近くには、山羊が草を食んでいました。その山羊の写真、どこかに保存されているはず・・・。

日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したら、<あれもしたい、これもしたい>といろいろ夢を持って、その資料を集めてきたのですが、実現できたのは、ほんの一部・・・。筆者、まもなく70歳になりますが、いろいろしたいことがたくさんあって、なかなか、人生に対して諦観の思いを持つことができません。

妻は、動物をあらたに飼うことには反対・・・。<わたしたち、高齢者の部類に入っていますから、動物や家畜をあらたに飼うことはできません。きちんと世話をすることができなければ、かわいそうですから・・・>といいます。その通りです。

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山口の室積の海と福島の湖南の湖・・・

2017年09月13日 |  3.日本基督教団の隠退牧師





今日の夜、妻が撮った写真の整理をしました。山口にいるときに、妻の写真を保存していたハードディスクが破損してアクセス不能になりました。

それを時間をかけて修復作業をして、復活させてきたものですが、かなり取り戻すことができそうです。上の写真は、今日、復旧した、山口県光市室積で撮った写真だと思われます。下の写真は、福島県郡山市湖南で採った写真・・・。どちらの写真も撮影した場所を失念してしまっています。



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妻がなつかしむ、山口の秋・・・

2017年09月12日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



妻がなつかしむ、山口の秋です。

秋の七草が咲くころ、はるばる福島から山口にやってきた渡りチョウのアサギマダラです。妻が撮った写真です。日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会は、町の中にありましたが、270坪の敷地には、妻が移植した庭木がいっぱい・・・。教会員のYano姉と一緒につくった、小さな森は、渡り鳥の休憩所になっていて、秋と春、いろいろな渡りをする野鳥を観察することができました。

他のチョウは、沖縄から飛来してきたコノハチョウです。どちらも、長旅で、羽が一部破損していますが、山口に棲息していた30年間、町の中に住んでいても、自然はすぐ身近にありました。






教会の庭を飾るために育てたパンジー・・・。認知症の、妻の実家のおかあさん、妻が何度花の苗を移植しても、<これは草だ!>といって、抜き取ってしまいます。妻は、とうとう、妻の実家の庭に花を咲かせることを断念してしまいました。今は、棚田の田畑転換した畑で花を咲かせていますが、いつか、庭にいろいろな花を咲かせたいとか・・・。そのときは、いろいろなチョウがやってきてくれるかもしれません。

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最近、花を生けることがほとんどなくなりました・・・

2017年09月12日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



上の写真は、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、主日礼拝のために、筆者が行けた花です。教会のお花畑にきれいに咲いていたコスモスの花を活けようと思ったのですが、このときは、コスモスの花を出来る限り少なくして、コスモスの美しさを表現しようと思って活けました。

教会の主日礼拝のときの生花は、1年53週、すべて、教会の庭に咲いた花を使いました。

もちろん、無学歴・無資格の筆者、生け花をならったこともなければ、資格を取ったこともありません。生け花の世界もまったくの門外漢・・・。庭からとってきた花を、そのまま剣山に突き刺すだけ・・・。主日礼拝にささげた生け花の写真、大量に出てきました。

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山口で出会った田舎・・・

2017年09月12日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



最近、よく、妻が、山口に棲息していたときのことを思い出してなつかしそうに話をしますので、山口県立田布施農業高校大島分校(園芸科)で仕事をしていたときに作成した<植物鑑定システム>を検索していたとき、ついでに見つけた山口の田舎の風景を<無断転載>することにしました。

妻は、山口で棲息している間、よくドライブして、山口の農家のおじいさん、おばあさんに話しかけて、いろいろなことを教えてもらいました。<あんた、どこからきのたか?>と尋ねられ、妻は、<東北の福島です>と答えていました。山口で<福島>といえば、広島の福島のことと勘違いされますので・・・。

山口のおじいさん、おばあさん、妻に、<遠くから来たんですね。いつか、ふるさとに帰るんでしょう? そのときは、山口での楽しい思い出をいっぱい持って帰ってくださいね・・・>と話しをしていました。そして、山口の田舎暮らし、山里暮らし、百姓暮らしの仕方についていろいろ教えてくださいました。

いつか、ふるさとの福島に戻って、有機栽培・無農薬栽培で米や野菜、果物をつくろう・・・と夢を抱くようになったのも、教会内外の山口のおじいさん、おばあさんとの出会いがあったためです。ふるさとをふるさとたらしめるのは、ひとのこころです。住んでいるひとのこころがすさんでいますと、ふるさとのあたたかさもしぼんでいきます。

閉鎖的なみずうみ、猪苗代湖周辺の世界と、同じような風景でありながら、世界のななつの海に通じている開放的な、瀬戸内海周辺の世界とは、すんでいるひとのこころのひろさも異なるのかもしれません。

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田舎の学問より今日の昼寝・・・

2017年08月08日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

金子武雄著『続・日本のことわざ』の中に、<田舎の学問より京の昼寝>というのがあります。

<田舎で苦労して学問するのよりも、京におれば、昼寝していてもずっと知識が身につくものだ、という意である。ここで「学問」と言っているものは、知識を得るためのものと考えられているのである。そういう学問を田舎でするならば、もっぱら書物によるほかはない。だからいくら苦労してもほんとうの知識はなななか身につかない。ところが京は一国の文化の中心地である。そこにはほとんどあらゆる知識を身につけた人々がどっさり住んでいる。ここにいれば、いやでももろもろの知識が身につく。だから昼寝していても、田舎の学問をしているよりはよっぽど効果がある、というのである。「昼寝」はもとより誇張である。

田舎の利巧より京の馬鹿

という諺もあるが、これは「田舎の学問より京の昼寝」の結果を強調したものである。田舎で物知りと言われ、したがって利巧者と言われている者よりも、今日で物知らずと言われ、したがって馬鹿者と言われている、者のほうが、まだ物をよく知っている、というのである。文化が都会に集中する限り、この諺は確かに真実をとらえている。そうしてこの傾向は日本に強いと言われている。地方の大学が中央の大学に比べてはるかに劣っていることも、その一つの現れであろう。しかしそれは理想の姿ではあるまい。民主的な世であるならば文化はどこにも公平に普及させられなければならないものであろう>。

<都会の馬鹿者>より劣るとされている<田舎の利巧者>、その<田舎の利巧者>であると自負する、妻のふるさと・湖南の赤津村のプロの農家の方々から、<馬鹿農家>よばわりされる筆者は、いったい何なのでしょう。赤津村のプロの農家の方々は、ほとんど異口同音に、<利巧者は、みんなここから出ていく。それなのに、他所からここに入ってくる。それは、自ら大馬鹿者であると宣言してるのと同じだ!湖南に入ってくるものに、ろくなものはいねえ!>と言われます。

筆者と妻の、人生の晩年、ここに極まれり・・・!

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今朝見た悪夢・・・

2017年07月22日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

今朝、悪夢を見ました。

それは、日本基督教団西中国教区の牧師たちと、山陰にある老人ホームの見学に行ったときの話し・・・。施設の中を見てまわったあと、世話役の牧師が、<吉田牧師の入所手続きも、ほかの牧師と同じように私が代行して済ませておきましたから・・・>と語りかけてきます。

筆者、夢の中で、<これは夢だ。私が老人ホームに入ることなど、絶対にない!入居するのに必要な費用は、1,000万円、そんな費用、出すことはできない・・・>と思っていました。それに、一緒に行った牧師たち、学歴・資格、コネと派閥、氏育ちの信奉者ばかりなので、彼等の世界には、筆者が身を置く場所はどこにもありません。<これは夢だ、絶対にありえない!>と強く思ったとき、目が覚めました。

目が覚めたときは、かたいたたみの上でした。

筆者が一番苦手なのは、徒党を組んだり、思想やイデオロギー集団に身を投じること・・・。正しいと思ったことは、たとへひとりでも実践すること、それにともなう責任は、すべて自分で負うこと、それが、こどものころからの筆者の生き方です。昔、連合赤軍事件の浅間山荘リンチ事件で、最初の犠牲になったのは、筆者が出た岡山県立児島高校の後輩でした。国立東京水産大学に入ったのに・・・。大学闘争とか、病気で倒れた父の看病と、家計をささえるためにわき目も振らず働いていたそのころの筆者にとって、まったく無縁の出来事でしたが、日本基督教団の牧師になるために、神学校に入ってまもなく、日本基督教団の阿佐ヶ谷東教会に転籍しましたが、阿佐ヶ谷東教会に転籍したことから、筆者、Radhical な神学生、Radical な牧師として、ほかの神学生・牧師から排除・疎外されるようになりましたが、それは、いまもって同じ・・・。

独断と偏見で、Radical牧師のレッテルをはられたまま、牧師の人生を終えるのは、悪夢過ぎる・・・!

筆者が、阿佐ヶ谷東教会に転籍したあと、牧師としてやって来られた先生、かっての戦争中の<脱走兵>・・・。教会の集会の席で、その牧師から、<君も、徴兵されたら、銃を捨てて脱走するだろう?>と賛同をもとめられましたが、筆者、<脱走などしません。お国のために戦って死にます・・・>と答えたことで、教会の中が騒然となったことがあります。教会役員の方が、<君はあの牧師が脱走兵だと知ってたのか、知らなかったのか?>と問いかけて来られました。<どちらにしろ、君のこれからの牧師の生涯は大変なことになるよ!>とはなしかけられてきたことがありますが、これも、悪夢過ぎる悪夢のひとつ・・・!

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棚田の田んぼの稲の道・・・

2017年07月16日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

ぼくのまえに草がある
ぼくのうしろに草はない
棚田の田んぼの稲の道
カエルとトンボがとまっている
夜にはホタルが飛んででる
妻のふるさと湖南の赤津
ひとさえよければもっといい
天は二物を与えずと
思えばそれも苦にならず
天は高くて星近く
人生似たる流れ星
人里離れたわび住まい
稲刈すめば古稀向かう

午前中、2時間、腰を低くして、妻の実家の棚田の田の草取り・・・、いろんな農具をかなぐり捨てて、素手で田の草をとりました。そのとき、またもやつかんだトノサマガエル・・・。掴んだカエルのあたたかさ・・・。水の温度よりかなりあたたかい。変温動物のカエルなのに、まるで人肌のあたたかさ・・・。びっくりしたのは、カエルより筆者・・・、思わず手を開いて放してしまいました。頭があって、体には、両手両足、眼と耳と口と鼻、よく動く手足の関節、しゃべったり泣いたり感情豊かで、人の動きをみて対処できる、この小さくて精巧な、自立して動く生きもの・・・、人間と同じ仕組みを持っている・・・。同じ命を粗末にする、そんな権限、人にはないぞ、カネのためならなんでも殺す、人の悪業見苦しい・・・。やがて自分の首しめる・・・。せめて生きたや、筆者と妻は、生きとし生けるものたちと同棲同類、聖書の教えるひとの道・・・。

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<湖南のバカ農家>の趣味の園芸の続き・・・

2017年07月14日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



2013年4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してはや5年目・・・。

純然たる農村的地域社会でる湖南の赤津村において、すっかり<バカ農家>として定着してしまった筆者と妻、米と野菜の栽培は、すべて有機栽培・無農薬栽培・・・。

みめかたちのわるい、不揃いの野菜を、<農薬未使用野菜>として、野菜直売所・湖南四季の里に出展していますが、上の写真は、今朝、四季の里に出展する前にとった写真です。1.ズッキーニ、2.黄色ズッキーニ、3.キャベツ、4.大根、5.きぬさや、計@100円×40個(袋)・・・。

今朝、収穫してきた大根で、妻が、大根おろしと味噌汁をつくっていましたが、夏大根としては、ほとんど辛みのない美味しい大根になっていました。

この前は、6.ニンニク、7.サラダ用紫タマネギ、8.ダリアの花(鉢植え)を出展していました。

妻の表情には、<今に見てなさい。湖南で、野菜つくりの名人になって見せるから。今のうちよ、わたしたちをバカ農家よばわりして優越感を味わえるのわ!>との決意がみなぎっていました。

今、収穫できるものに、<ピノキオ>という品種のキュウリがありますが、キュウリといえば、大きくて、長くて、まっすぐで、緑の濃いキュウリがいいキュウリであるというのが一般的な湖南四季の里にあって、ちいさくてずんぐりむっくりなピノキオというキュウリ、<こんなちっちえキュウリ、誰も買って行かねえべえ!>と酷評されますので、妻は、出荷をやめてしまいました。ピノキオというキュウリ、醤油やドレッシングをかけなくても、そのままで味があって美味しくいただけるのですが、素人百姓の筆者と妻がつくる野菜は、どれも<バカ農家の愚作>に数えられてしまいます。

でも、不思議ですね。その、売れないはずの<愚作>を買ってくださる、郡山からドライブして来られる方々がおられるのですから・・・。

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湖南のバカ農家の10年前・・・

2017年07月14日 |  3.日本基督教団の隠退牧師



2013年4月1日に、それまで30年間棲息していた、山口の地を離れ、東北福島の妻の実家のある猪苗代湖南の赤津村に帰郷・帰農しましたが、純然たる農村的地域社会で、全住民が農家である赤津村にあって、筆者と妻ひとり<素人百姓>として、赤津村のプロの農家の方々から<バカ農家>呼ばわりされて、はや5年目・・・。

教会の礼拝堂に飾る花は、1年53週を通じて、教会の庭に咲いた花、あるいは咲かせた花・・・。駐車場跡地を再開墾してつくった30坪のうち半分は家庭菜園、半分はお花畑にしていました。その他に、びわ・うめ・かき・ゆず・くり・ぐみ・ぶどうなどを栽培・・・。有機栽培・無農薬栽培の庭には、いろいろな渡り鳥や留鳥、虫や蝶たちがやってきました。庭のクヌギの木の下のトロブネには、スイレンが高いのでホテイアオイを入れて、メダカを飼っていました。

農薬・殺虫剤を使わないで、害虫の駆除をする方法や、除草剤を使わないで、雑草を抑制したり除草したりする方法を試行錯誤してきました。下の写真は、10年前の、山口の夏のある日に撮った写真です。これらの写真をみていますと、10年前も、10年後も、筆者と妻、同じ生き方をしているようです。

妻の実家のおかあさん、筆者と妻に、<おめえら、カネさ持たねえでここさ帰ってきたんだべえ?だから、ここらのもんからバカにされてんだ!>というのが常・・・。おかあさんのいう、<ここらのもん>も、<おめえのとっつまが、おめえら、たくさんカネさ持ってけえるから、そんときは、おらに分けてやるっていったんだ!>というひとが何人も出てきてびっくりしましたが、妻の実家のおとうさん、生前、筆者に、<ここらのもんとカネの貸し借りはすんな。貸してやったつもりでも、相手はもらったつもりでいるから、貸したカネは返って来ねえぞ!>と何度も注意していましたから、筆者と妻は、いまだに、おとうさんの言葉を<遺言>としてまもっています。

今回、期せずして、寒冷地・高冷地の野菜栽培技術指導書・全8冊を入手することができましたので、こらからますます、寒冷地・高冷地の湖南の赤津村で、<バカ農家>ぶりを発揮することになりそうです。















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信仰と病気予防と百姓暮らし・・・

2017年07月09日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

昨夜、『老年病学』の通読をはじめました。

これまでの<老い>に関する種々雑多な知識を整理して体系化するには、この『老年病学』、最適な医学書であるようです。

<老化>についての科学的な説明は多々あるものの、決め手になるようなものはなにひとつないようです。紹介されている、これまでの<老化>に関する諸説を読みながら、筆者、現時点で、筆者が持つことができる<老化>のイメージを明確化することにしました。

<老化>は、誰でも避けて通ることができないとしても、<老化>の質や程度は個人差があり過ぎて、一様に論じることはできないようです。60歳にして<老化>の極みに達しているひともいれば、80歳にして<老化>を抑制し、若々しく生きているひともいます。誰がどのような<老化>の道をたどることになるのか、神ならぬ身、誰もそれを知ることができません。

今朝、筆者、<老化>は、妻の実家の棚田の土手の<漏水>と同じだと思いました。<老>とは<漏>であると。湛水状態の、妻の実家の田、モグラがあけたいくつもの穴から水漏れがはじめますと、田の水位が下がってきます。ひとの命を<水>にたとえますと、<老化>は、<漏水>が継続的に、不可逆的に発生する状態のこと・・・。田の水漏れを防ぐためになにをしたらいいのか・・・、それは、ひとの<老化>を防ぐための対策のヒントになります。

妻の実家の棚田の田、認知症の、妻の実家のおかあさんにいわせると、<おらの田はバカ田でヤセ田だ。いまだかって美味えコメが採れたためしねえ!よくとれて、反あたり7俵しか採れねえ!>という田でしかありませんが、<漏水>を防ぐ対策をとり、<漏水>も引き起こす原因を取り除いていく、有機栽培・無農薬栽培のコメつくりをしますと、反あたり7俵を越える収穫と、しかも静岡精機の玄米食味分析計で81点を獲得できる美味しくて安全なコシヒカリを栽培することができるようになりました。

筆者と妻の<老化>も、認知症の、妻の実家のおかあさんの<老化>とは、異なる道を歩むことになりそうです。妻の実家のおかあさんだけでなく、湖南の、プロの農家の方々の<老化>とは、異なる<老化>を生きることになりそうです。

信仰と病気予防と百姓暮らし・・・。年金暮らしの破綻をも視野に入れて、自給自足体制の確立を目指しながら・・・。

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暗き中を歩まず・・・

2017年06月28日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

今朝、読んだ聖書のことばの1節・・・。

<われは世の光なり、我に従ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし>。

主イエスさまが、<人々>に向けて語られたことばです。主イエスさまを主と信じる者は、その信仰の生涯を通じて、でどころのない暗き中を歩むことはないようです。様々な試練や苦難に遭遇して、暗き中を歩んでいるように見えたり、思われたりするときも、主なるイエスさまは、暗き中に、<生命の光>を注いでくださる・・・。

ひとは、生まれ、そして死ぬ・・・。そのすべての歳月は、主なる神さまの御手の中にあります。ひとの生涯は、主が与え、主がとられる・・・。

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農村伝道神学校の農業実習で学んだこと・・・

2017年06月15日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

日本基督教団の牧師になるために、農村伝道神学校で学んでいたとき、農業概論と農業実習の時間がありました。4年生大学と同じカリキュラムで教育が行われていましたが、農業概論と農業実習は必須科目でした。指導されていたのは、『学農新聞』の事務局長をされていた、九州大学農学部出身の井草正教授・・・。

筆者が、井草正教授から学んだ農業実習の内容は以下の通り・・・。

農村伝道神学校の農業実習で学んだこと・・・。

01.春の花壇づくり(土づくり、肥料の施し方、種子のまき方)
02.春の花のつくり方
 1.サルビヤ
 2.マリーゴールド
 3.ペチュニア
 4.かっこあざみ
 5.トレニヤ
 6.ジニア百日草
 7.けいとう
03.芝生のつくり方
04.植木のふやし方
05.菊のつくり方
06.ダリアのつくり方
07.野菜栽培計画(5区)
08.野菜栽培計画(6区・A)
09.野菜栽培計画(6区・B)
10.白菜類のつくり方
11.ほうれん草のつくり方
12.つけな類のつくり方
13.大根のつくり方
14.二十日大根のつくり方
15.こかぶのつくり方
16.キュウリのつくり方
17.かぼちゃのつくり方
18.スイカのつくり方
19.マクワウリのつくり方
20.露地メロンのつくり方
21.しろうりのつくり方
22.みつばのつくり方
23.ネギのつくり方
24.セロリのつくり方
25.落花生のつくり方
26.インゲンのつくり方
27.枝豆のつくり方
28.ささげのつくり方
29.ライマビーンのつくり方
30.野菜の施肥基準
31.輪作
32.ジャガイモのつくり方
33.さといものつくり方
34.さつまいものつくり方
35.トマトのつくり方
36.ピーマンのつくり方
37.いちごのつくり方
38.しいたけのつくり方
39.稲のつくり方
40.牧草のつくり方
41.農薬
 1.種類
 2.使い方
 3.病虫害の防ぎ方
 4.薬剤散布上の注意
 5.薬害
 6.主な病気の防ぎ方
  1.ウイルス病
  2.うどんこ病
  3.さび病
  4.灰色かび病
  5.べと病
  6.黒班病・斑点病
  7.青枯病
  8.苗立病
 7.土壌の消毒
  1.薬剤による消毒
  2.熱処理による消毒
 8.種子・球根の消毒法
42.除草剤
  1.非耕地用
  2.畑地用
  3.稲用
43.害虫の駆除法
  1.あぶらむし
  2.よとうむし
  3.スリップス
  4.ずいむし
  5.かいがらむし
  6.みつうすば
  7.ゆうまんだらしゃくとり
  8.ろうむし
  9.ぐんばい
 10.きすじみのむし
 11.ちゅうれんじはち
 12.だんごむし
 13.なめくじ・かたつむり
 14.ネマトーダ
 15.こがねむし
44.栗の害虫
45.畜産加工
  1.畜産加工の心得
  2.屠殺解体の仕方
  3.豚体各部の名称と製品名
  4.豚肉加工の手順
  5.塩漬けのつくり方
  6.ハムのつくり方
  7.ソーセージのつくり方
  8.ベーコンのつくり方
  9.レバーソーセージのつくり方
 10.サラミソーセージのつくり方
 11.焼き豚のつくり方
46.ニワトリの燻製
  1.屠殺と解体
  2.燻製のつくり方
47.畜産加工のための衛生管理

ほかの多くの神学生は、農家の子弟たちでしたが、筆者は、農村伝道神学校に入って、うまれてはじめて鍬を握りました。農村伝道神学校の先輩たち、筆者が、トマト・ナスビ・キュウリの苗の見分けがつかないのを見て、<こんな神学生が入ってきたら、農村伝道神学校は潰れる・・・!>と悲痛な思いを込めて叫んでいました。筆者、単位取得の最期の課題を放棄して、とうとう、農村伝道から遠ざかることになりました。その課題とは、にわとりの屠殺と解体・・・。にわとり、筆者の目を見ながら、<わたしを殺さないで!>と哀願しているように感じましたので・・・。

神学校時代、専業農家の方を尋ねたことがあるのは、三里塚のすいか栽培農家と武蔵野のさつまいも栽培農家・・・。湖南で言えば、布引高原の布引大根や高原キャベツの広大な畑と同じ雰囲気のある農家の畑でした。

今から、40年前の話しです。

妻のふるさと・湖南の赤津村・・・、特殊な地域であるようです。<ここらのもんでねえと、ここらでは米も野菜も採れねえ!>と堅く信じている、プロの農家の方々がほとんどですから・・・。<農業高校を出たって、農書を読んだって、ここらではなにひとつつくれねえ!>と、湖南の赤津村は、特殊な地域であり、湖南の赤津村に固有の特殊な農法でしかコメも野菜も栽培できない場所であるようです。<ここらのもんでねえ>筆者と妻、特殊な農法ではなく、日本全国どこにでもある一般的な農法で米と野菜を栽培しています。

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今朝4:00に起床、2時間ほど聖書を読む・・・

2017年06月15日 |  3.日本基督教団の隠退牧師

今朝、4:00に起床・・・。

2時間ほど、『文語訳・新約聖書』を読んでいました。ヨハネによる福音書の言葉が、心の中に深く沈んできます。その『文語訳・新約聖書』にはさんであった文書を開いてみますと、1995年8月20日、京都教区の草津教会の主日礼拝でした説教の原稿でした。

2013年3月31日に、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師を辞し、4月1日に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農するとき、神奈川教区の開拓伝道に従事していたときと、その教会で福音宣教に従事していたときの説教原稿をすべて廃棄したのですが、聖書や神学書の間にはさんであった説教原稿(ワープロ文書)は、そのままにしておきました。今朝、読んだ説教原稿もそのひとつでしょう。

無学歴・無資格、教会の信徒から、<霊性を欠いた、教団の牧師の中で最低の説教・・・>と批判されてきた、筆者の説教ですから、記録にとどめる必要なしと、筆者も認識して、説教原稿はすべて破棄しました。1995年8月20日、京都教区の草津教会の主日礼拝でした説教は、筆者が、神奈川教区と西中国教区で仕えていた伝道所・教会以外の教会で説教した、最初で最後の説教です。

1995年8月20日から開催される、京都教区の部落差別問題夏期研修会の参加費用と山口と京都の往復旅費を支援してくださるためにあたえられた説教の機会でした。筆者、部落差別問題とはなにのかかわりもない説教をしたようで、とても評判がよくありませんでした。

それからしばらくして、日本基督教団部落解放センターの角樋牧師から、<ほかの牧師には、部落差別問題と取り組めと要求するけれど、あなたには、言わない。部落差別問題の取り組みからすぐ手を引くように!>と、引導を渡されることになり、京都教区の部落差別問題夏期研修会への参加も自粛、その取り組みから遠ざかることになりました。筆者が、日本基督教団部落解放センターや京都教区部落差別夏期研修会の取り組みの方向性から大きく逸脱することになったのは、筆者のブログ『部落学序説』で書いた内容をすでに主張しはじめたため・・・。<左翼用語を使わないで、部落差別問題を論ずる牧師>、それが、排除の理由でした。

筆者にとっては、他の教会での最初で最後の説教、1995年8月20日、京都教区の草津教会の主日礼拝でした説教をこのブログに転載しようと思ったのですが、長~い説教なので、やめました。近世文書を駆使した説教・・・、その形式・内容からみても説教らしからぬ説教だったようです。筆者の祖父・吉田永學、曾祖父・吉田向學は、近世幕藩体制下の、信州・栗田村の真言宗・観聖寺の住職の家系・・・、筆者は、その17世にあたるようですが、筆者にとっては、<キリスト教>ではなく<基督教>・・・。欧米のキリスト教の王道ではなく、日本的基督教のけものみちを歩いてきたようです。

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