↓ こちらのブログからトラックバックいただいた。批判に対し、反批判したい。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50211562.html
主な論点は3つ。
1.フリーターは既得権益を手にしている。(脈絡やニュアンスから見ると、この記事では既得権益はマイナスの意味を付されている。)
2.被雇用者に対して、雇用者はもっと大変である。
3.給与や社会的威信の低い仕事を経験してから情報発信する。
1への返答
そうですよ、それがどうしたの?
既得権益、大いに結構。大事な人権をやっつけることはない。
なお、もしそれが今のところ一部のものだけの特権になっているとすれば、
より多くの人がアクセス可能な人権にすればいい。権利を広げて、資源の限界が明らかになれば、そのときはじめて個々の取り分の削減・調整を検討するといい。
次に論点2への返答。
現実は複雑であり、その企業の経営状態や経営方針にもよるが。雇用者のなかは、通常の報奨以外にキャピタル・ゲインなどで利益を上げ、その後従業員のクビを切ったり、会社をまるごと売って設ける場合もある。とりわけ、企業のっとりの場合は、のっとられる側は大変である。また、自分たちさえ短期間に収益をあげればあとは野となれ山となれのとき、他の株主が損をすることもある。
さらに3つめの要点について。
直接の体験だけがすべてではない。かといって、ゼロでもない。直接の体験も、周囲からの観察も、組み立てたお城のなかのレゴの一片なのではないか。ひとつひとつのレゴは、いろんな色と形と大きさをもった、一個の材料である。それは部分であって全体ではない。かといって無でもない。一個一個のレゴが集まってお城ができているからだ。体験情報は、欠けてはならない一部として尊重されるべきだ。ただし、全体として語ると不正確になる。
(蛇足だが、荷物を運ぶ仕事や焼肉の鉄板洗いなど、給与も威信も低めの仕事をわたしはやったことがある。それはこのブログの別のエントリーでも紹介した。もっとも、問題は仕事の種類や給与だけではなく、職の不安定化や過度に自立が強調されるゆえに生きがたさを持つことにもある。)
それにしても、価値観と事実の区別は、それが現代社会の身近な問題になればなるほど難しい。価値と事実の分離には論者の自我が関わっている。論者によっても世代によっても違いがあることを改めて思い知らされるトラックバックだった。もちろん、わたしも複数の非正規雇用や社会的排除にあったと自己申告する人たちと意見が違う部分もある。
それでも、正当性が避けがたく持つ恣意性を自覚しつつ、「和して同せず」にやっていきたい。ヴォルテールの言う「わたしはあなたの意見には賛成ではないが、あなたが意見を言う権利については命をかけても守るつもりだ」という名言を胸に抱きながら。
<追記:2005/11/23>
フリーターが先進国に生まれた既得権益を持っているとの指摘について。あと2点書いておこう。
1つは、先進国の中の第三世界問題。ちょっと今手元に本がないのだが、竹信三恵子というジャーナリストの「ワークシェアリングの実像」のなかに、アメリカで週に40時間働いても、教会の給食サーヴィスに並ばなければならない層についての報告がある。日本でも、自立したくてもできない賃金しか手にできない層のなかにアルバイターは含まれる。先進国だからといって、みなが豊かではない。一国の中の配分の問題を隠蔽してはならない。
2つめに「当事者」主義の危うさ。今流行の意味不明語「当事者」であってもそうでなくても、客観的な理解は一致する。かつて水俣において、チッソ社内の実験でネコに水俣湾の魚をやると水俣病になるとわかっていた。それは、水俣病を会社のように隠すのではなく、公表すべきだと考えていた医師・生物学者・化学者、それに経験的に水俣病を知っている集落の人々の知る事実と客観的には一致する。<追記2005/11/23>
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50211562.html
主な論点は3つ。
1.フリーターは既得権益を手にしている。(脈絡やニュアンスから見ると、この記事では既得権益はマイナスの意味を付されている。)
2.被雇用者に対して、雇用者はもっと大変である。
3.給与や社会的威信の低い仕事を経験してから情報発信する。
1への返答
そうですよ、それがどうしたの?
既得権益、大いに結構。大事な人権をやっつけることはない。
なお、もしそれが今のところ一部のものだけの特権になっているとすれば、
より多くの人がアクセス可能な人権にすればいい。権利を広げて、資源の限界が明らかになれば、そのときはじめて個々の取り分の削減・調整を検討するといい。
次に論点2への返答。
現実は複雑であり、その企業の経営状態や経営方針にもよるが。雇用者のなかは、通常の報奨以外にキャピタル・ゲインなどで利益を上げ、その後従業員のクビを切ったり、会社をまるごと売って設ける場合もある。とりわけ、企業のっとりの場合は、のっとられる側は大変である。また、自分たちさえ短期間に収益をあげればあとは野となれ山となれのとき、他の株主が損をすることもある。
さらに3つめの要点について。
直接の体験だけがすべてではない。かといって、ゼロでもない。直接の体験も、周囲からの観察も、組み立てたお城のなかのレゴの一片なのではないか。ひとつひとつのレゴは、いろんな色と形と大きさをもった、一個の材料である。それは部分であって全体ではない。かといって無でもない。一個一個のレゴが集まってお城ができているからだ。体験情報は、欠けてはならない一部として尊重されるべきだ。ただし、全体として語ると不正確になる。
(蛇足だが、荷物を運ぶ仕事や焼肉の鉄板洗いなど、給与も威信も低めの仕事をわたしはやったことがある。それはこのブログの別のエントリーでも紹介した。もっとも、問題は仕事の種類や給与だけではなく、職の不安定化や過度に自立が強調されるゆえに生きがたさを持つことにもある。)
それにしても、価値観と事実の区別は、それが現代社会の身近な問題になればなるほど難しい。価値と事実の分離には論者の自我が関わっている。論者によっても世代によっても違いがあることを改めて思い知らされるトラックバックだった。もちろん、わたしも複数の非正規雇用や社会的排除にあったと自己申告する人たちと意見が違う部分もある。
それでも、正当性が避けがたく持つ恣意性を自覚しつつ、「和して同せず」にやっていきたい。ヴォルテールの言う「わたしはあなたの意見には賛成ではないが、あなたが意見を言う権利については命をかけても守るつもりだ」という名言を胸に抱きながら。
<追記:2005/11/23>
フリーターが先進国に生まれた既得権益を持っているとの指摘について。あと2点書いておこう。
1つは、先進国の中の第三世界問題。ちょっと今手元に本がないのだが、竹信三恵子というジャーナリストの「ワークシェアリングの実像」のなかに、アメリカで週に40時間働いても、教会の給食サーヴィスに並ばなければならない層についての報告がある。日本でも、自立したくてもできない賃金しか手にできない層のなかにアルバイターは含まれる。先進国だからといって、みなが豊かではない。一国の中の配分の問題を隠蔽してはならない。
2つめに「当事者」主義の危うさ。今流行の意味不明語「当事者」であってもそうでなくても、客観的な理解は一致する。かつて水俣において、チッソ社内の実験でネコに水俣湾の魚をやると水俣病になるとわかっていた。それは、水俣病を会社のように隠すのではなく、公表すべきだと考えていた医師・生物学者・化学者、それに経験的に水俣病を知っている集落の人々の知る事実と客観的には一致する。<追記2005/11/23>










ちなみにマジョリティー(多数派)が一般に保守的で弱者に厳しく見えるのは当たり前で、その時点での世の中の仕組みに順応しているからこそのマジョリティーなんですから。順応しきれない人たちがマイノリティー。この構図は基本的にこれから先も変わらないんじゃないでしょうか。(この場合のマジョリティーマイノリティーは、事実上置かれている客観的な状況という意味ではなく、本人の認識の上でのそれなので、フリーターやってて低賃金でも意識はマジョリティーという人はいくらでもいるわけで。)
ただ、意見の違いがあること自体をしぶしぶながらも認めるのがこれまでの豊かな日本社会のマジョリティーの態度だったのが、そうでなくなってきているとは感じますね。何か積極的にスケープゴートを見つけて叩く傾向が高まってるような。これは個々人のおかれる経済的状況と無関係ではないと思います。
件のプログに抗議の声を上げた者です。
内田某と言い、このプログの管理人氏と言い
何ゆえにフリーターの意図的誤解から来る、妄言・暴言がはびこるのでしょうか?
↑の方もおっしゃってますが、スケープゴートを祭り上げることで、一種の一体感を演出しているとしか言いようがありません。そういえば、かのエントリには反対の声が一つもあがってないのも不気味でしたね。
これからもこの手の差別発言が登場するかと思いますが、それに屈せず頑張って下さい。
乱筆失礼しました。
幼少期の精神的外傷を引きずっているようなので、無理もないのかもしれないとはいえ、「フリーターという既得権」と称し、リスクまでをも既得権と認識し、フリーターを避難した前言がある以上、いきない「守って行きたい既得権」を論じたところで、自己の既得権は命がけ?で守るが、リスクという既得権は他者に押しつける、と説いているように感じられてならない。既得権は守られるのが当然! それが法治国家の原則である。しかし、守るべき既得権は、合法的かつ反社会的でないことが大前提である。まして、リスクまでを既得権というのは論外である。このような言論こそ権利の濫用に他ならない。
それにしても、内田氏への批判に対する批判をし、代案を求めるような論者が反論どころか説明すらせず、小難しい文章に調和のとれない単語をちりばめ、得体の知れない比喩で既得権にのみ言及することにも強い違和感を感じる。結局の所、前言は「私の言論の自由」という言葉で議論を避けたのだろうか?
言論の自由は認め合えるお人らしいので、もう少し様子を見ることにしよう。
>匿名さん
勇敢ですね! 匿名さんのコメントにはレスがつくのかしら?
臆病者の私は、こちらに引き籠もっているだけです・・・汗
とにもかくにも、ありがとうございますm(_ _)m 。
私も、フリーターやニート糾弾の声を聞くたびに、彼らをスケープゴートに仕立て上げていると感じます。悪魔の囁きとしかいいようがありません。そんなことをしたところで、何の解決にもなりません。
最近、フリーターやニートを反社会的人間として扱うことが多いようです。その証拠に、フリーターを一方的に糾弾し更正を目論んだり、フリーターやニートの増加を避けるため、就労前の若年層を対象に労働の尊さを説き、勤労意欲を増進させる教育が持て囃されています。しかし、フリーターという行為自体は悪いことではありません。また、フリーターの多くがパート生業者です。パート生業者は、正規雇用を欲しているにも関わらず、正規雇用されない現実があります。この事実にメスを入れずして、フリーターを教育により減らそうという発想自体がどうかしています。逝かれた精神主義というべきでしょう。
フリーター増加の最大の原因は失政です。個々のフリーターに大なり小なりの責任はあるにしても、一方的に責任を問われる問題ではありません。バブル崩壊後の景気低迷に加え、数々の規制緩和により企業は過度の競争を強いられました。それ故、身軽な経営をするために正規雇用を減らす企業が増え、政府はそれを後押しするかのように人材派遣業への規制緩和を行いました。これでは、パート生業者になることを余儀なくされる人が増えるのは当然です。
フリーターの増加を教育によって食い止めるような行為は、経済・労働政策の失敗を教育問題にすり替えているだけです。決して根本的な解決には至りません。このようなことをすれば、ただでさえ少ない正規雇用に大勢が群がります。正規雇用の枠をめぐり熾烈な競争となるのは必至です。この競争は、労働者にとってより一層の低待遇という悲劇を生むことでしょう。
以上です!
私も、ちゃらんぽらんなバイトのせいで被害を被ったことがあります。が、正社員(私は契約社員ですが)がキツイのは誰のせいなのか。確かに、瞬間的には自覚の無いバイトのせいですが、そもそも「経営判断」の名の下に、責任ある仕事にバイトを使って仕事を回そうとした上層部に責任があります。
繰り返し言います。根本的な責任は、最大利益を上げるためにギリギリの人員で現場を回し、さらに「サービス残業」という名の暴力で社員を虐める使用者側ではないのか。この方は、叩くべき相手を間違えています。
加えて言うなら、
「正社員という既得権を、半場諦めながら羨望しつつも批判するフリーターの諸君というのは、自分達も大いなる既得権を持っているということに気がついていない。
自分達が、先進国に生まれ育った、という事実である。」
という部分について。
「フリーター達が猫またぎにしている」ようなガテン系バイトをやったらモノが言えるのか。(やらんよりはやった方が説得力は増すが、それは別問題)。その伝で行くと、豚のクソダメ掃除とかをやったことのある私は、かなり偉そうなことが言えそうですな(笑)。
だが、その理論を敷衍すると、無限にエスカレートしていき、結局は人に説教できるのは釈迦やキリストのような聖者しかいなくなってしまいます。
壁に落書きしているトモダチに、「いけないんだぞ」と忠告した子どもがいた。トモダチはこう言い返した。
「お前は悪いことしたこと無いのかよ」
失礼ながら、http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50211562.htmlにおける「既得権」関連の理屈は、上記子どもの屁理屈と同じです。
この手の話は、「代弁」の問題として繰り返し俎上に上がっており、私の覚えている限りでは高橋哲哉の「戦後責任論」なんかにも出てきたと思いますので、参考にされるとよろしいかと。私自身、修士論文のテーマに軽い気持ちで「公害」を選び、研究を進めるうちにそのあまりの重いテーマに、まさに「俺がこんなことを書いて良いのだろうか」と葛藤しました。教授が言うには、その葛藤こそが「代弁者」としての第一歩らしいのですが、私にはまだわかりません。
分かる範囲で言えば、聖者になるのではなく、自分でできる範囲で、不正を糺す努力をすることが必要であるし、そのためにどういう知恵があるかを議論するかが大人の取るべき態度だと思います。
ちゃらんぽらんなバイトがいたとして、それを教育するのも社員の仕事であるし、バイトがそういう子ばかりなら、バイトを採用するシステム自体や、バイトの供給源である教育や社会を疑うのが筋でしょう。
駄目なバイトがいたとして、それを「フリーター=駄目」論に還元するのではなく(それでは「他人を叩くことで癒される」という、駄目なガス抜きです)、そうした現状を変えるために今できること(目の前のバイトを辛抱強く指導する)、そして長期的にはそうすればいいのかを考え、実行することではないでしょうか(職場の改革。日本の労働現場、そして学校の改革など。当然、一人ではできないので、例えば、ミニマムな影響力ではあるが、ブログでの議論を通じた世論形成など)。
まとめレスで失礼します。
>名前はまだない さん
なんだかいつもと調子が違いますね。
最初の段がヘン。というのは、「フリーターが既得権益だ」とわたしは言っていないからです。TB先の記事を見ればお分かりのとおり、先進国に生まれたことが既得権だとする主張について、それが何が悪いと切りかえしたのです。
たとえば、飢えに苦しむ人がいる。ならば、自分も断食をすべきか? そうは思わない。
お隣の人が交通事故で骨を折った。お気の毒だ。だから、わたしも骨を折ったほうがいいのか? まさか、そんなバカなことはない。
ということです。
(なお、幼少期のトラウマ云々は、この際関係ありません。これは心理の問題ではありません、とりわけ幼少期の問題ではありません。)
2段落目は意味不明。
3つめの文は、常に人を監視している。まるでこのブログをいじめようとしている。
最後の3つの段は、関係ないですね。
長くなるのでいったん切ります。
>バイトがそういう子ばかりなら、バイトを採用するシ>ステム自体や、バイトの供給源である教育や社会を疑
>うのが筋でしょう。
ここはもっとも大事なポイントだと思います。
実際、アルバイトを雇うときに、被雇用者のバックグラウンド、適性などを調べず、どんな種類の仕事なのかを事前に説明することもなく簡単に雇い、あわなければすぐに解雇する例が、経験的には多いです。
不思議なことに、仕事の具体的内容について説明会や面接で質問すると、嫌がられて仕事が回ってこない傾向があるようです。
また、派遣の場合は、派遣会社の者が、派遣される先の企業や仕事内容について把握していないケースも散見されます。
とにかく、内田さんのエッセーは、特定の集団を非難し、「あいつら、叩かれても当然だよ」と差別やいじめを正当化する社会的機能を持っています。
それにより、被害者は、被害者であると名乗り出る資格さえも奪われるでしょう。
それは、フリーターを搾取したり見下したりしたいと願っている層の利害に合致します。
ちょど、チッソが水俣病は有機水銀によって起こると会社のなかのネコを使った実験で知りながら、ひた隠しにしていたように。薬害エイズにも同じ構図がありましたね。製薬会社と癒着する官僚・医師らが、エイズウイルスに汚染されているとわかっている血液製剤を、患者に投与しつづけた。
利害と優越感の複合体。
このいじめの話については、中井久雄「アリアドネからの糸」(みすず書房)冒頭の「いじめの政治学」に詳しいので、ご参照ください。
なお、g2005さんのそれ以外の論点については、明確な言及であり、これ以上コメントすることはありません。
どうも、体が(頭も含めて)活発に動くモードからうとうと眠っているようなモードに切り替わっているようです。次にいい環境が訪れるまでに、体力を温存する知恵なのでしょう。
まとめレスで、あとまわしになって、失礼します。
m(_ _)m
>すなふきん さん
そうですね。フリーターにせよ他の何にせよ、スケープゴートにする風潮はよくないです。ひとりひとりが「そんなのはダメだ、マトモな議論じゃない」と声をあげてゆくことが大切だと思います。その意味ですなふきんさんのブログ活動は、大事なことだと思います。たまには荒らしもやってくるかもしれませんが、めげずにいっしょにブログをやっていきましょう!
>匿名さん
簡潔なレスをどうも。
フリーターへの差別をあおる発言が意図的かどうかはちょっと? です。だけど、とんでもない問題の発言であることは変わらないわけで。
ドイツでは、ナチス活動を取り締まる法律もあるそうですね。
こうしたおかしな動きを、法律でとりしまったほうがいい時期に日本はあるのかもしれません。
今すぐ法制化はムリでしょうが、世論のレベルで抗議の声をあげていくのは大事な仕事です。
これからも、おかしなことには互いに抗議してゆきたいですね。
なお、抗議をするだけで「被害者意識・攻撃性・拒絶的態度」を言い立てる輩もいます。そうしたマイナスのイメージを周囲や本人に信じさせ、叩きを常態化させようとしているのでしょう。いったん「あの人たちはダメ」とするリアリティ構築に成功すれば、あとはやり放題だし、犠牲者を奴隷化できますから。「自分はいけないんじゃないか、こんなことを思ったり言ったりすると、また否定されるんじゃないか」と考えて、いつもビクビクオドオドして、自信を失い、加害者のご機嫌をうかがう卑屈な人間に飼いならしたいのでしょう。
そんな勢力に負けてはいけません。道徳的に非があるのは、差別やいじめをやる側です。仮にフリーターならフリーターに非があるとしても、それは差別することの正当化にはならない。
あなたの応援に感謝します。
精神科医の中井久夫は、神戸の大震災のおり、神戸の倒壊住宅から大阪に出勤した女性の抑うつ状態について報告しています。彼女は、倒壊した家から大阪の会社へ通っていた。そのとき、大阪の人から「いつまでも被害者づらしないでほしい」旨のことを言われ、よけいつらくなってしまったのだそうです。結局、彼女は震災後の「こころのケア」充実によって助かったと彼は言っています。(中井久雄・麻生克郎・磯崎新・小川恵・郭慶華・川本隆・J.ブレスラウ・村田浩・六反田知恵「昨日のごとくーー災厄の年の記録ーー」みすず書房1996:225-226)
レスありがとうございました。
件の輩は、何をとち狂ったか“言論の自由という既得権”という意味不明のエントリを立ててますね。
幽霊の正体や見たり枯れススキといったとこでしょうか。
言論の自由とは、国家が個々の言論活動に対して介入しないということであって、それ以上の者では決してありません。社会的強者が振り回す“差別の権利”“暴言の自由”を指すわけではないのですが。そのことを理解できない、理解し得ない人間は即刻ネットであろうが、マスメディアであろうが退場いただきたいですね。
レスありがとう。
もう亡くなったブルデューという社会学者がフランスにいます。彼は、「界」というキーワードを提唱しています。で、ジャーナリズム界に参入するのに、あまりにもいいかげんな人ばかりだと困るので、界に参入する敷居を高くしたほうがいいんだということを言っています。界ごとに固有の資本(文化資本、社会資本など)がありまして、それを低めないで高めるために必要だということです。
それに対して、学会でまったく相手にされていない医師が、マスコミに出て、診てもいないものの精神鑑定まがいの発言を行うことに頭をかかえる精神科医の高岡健は、日本の医学界もそうしたほうがいいんじゃないかと発言しています。
今すぐ、おかしな情報や、継続的にそれを発する人や組織を退場させることはできません。が、批判によって相対化・無化に方向に持ってゆくことはできるでしょう。
ワタリさんの疑問に感じた文章は、このエントリーのトラックバック「守って行きたい既得権」に対するものです。ワタリさんのエントリー等にに対するものではありません。臆病な私は名指しを避け、内容で分かるはずと思い込んで記載してしまいました。気の利かない文章で、不愉快いな思いをさせてしまい申し訳ありません。
もう一度、上記のことを念頭に、拙文に目を通して頂ければ幸いです。また、ワタリさんが疑問に思ったコメントを読んだ方は、ワタリさんに対するものと認識してしまうかも知れませんので、削除等ご存分になさって下さい。
では!
勘違いしてすみません。てっきり、わたしの記事への意見かと思っていました。そうですね、そこを除けばいつもと同じですよね。
>ワタリさんが疑問に思ったコメントを読んだ方は、ワ>タリさんに対するものと認識してしまうかも知れませ>んので、削除等ご存分になさって下さい。
いえ、削除する必要はないものと判断しました。(削除のたびに報告・批判を加えるのもけっこう面倒な作業です。また、そうすることによって頻繁・安易な削除を防いでいるのです。)
他人や特定グループへの罵詈讒謗をし、人を愚弄するのはごく一部のコメンテーターです。おおかたの人たちには関係ありません。もちろん、名前はまだないさんも後者の一人です。削除など気にせずに自由にコメントしてください。