最近、読んでいる最中の本のなかで、ものすごいコピーを見つけてしまった。「亡霊化」だ。
ここでこんな風に使われていた。↓
「均質化は、均質化されざる部分を異質なものとしてかえって焙り出すことになる。それゆえ、人々をよき国民の方へと治療する国民化に並行して、非国民的存在の隠蔽あるいは抹殺の操作がなされる。(中略)よき国民の定義から排除された日組織・非定住・非家族の存在は、下層労働市場にゆだねられ、流動化する(中略)マジョリテイとの連続性を断ち切られた下層マイノリティは、そこにいてもいない、ありえないものとして亡霊化され、放置される。ようやくマジョリティの目に映るマイノリティの現実も、愚か者たちによる自業自得の結末として感受される。Z/バウマンが『排除されることは社会的な処刑ではなく、社会的な自殺の結果として示されるのだ』と述べたのはそういうことである」
(「不埒な希望」刈谷歩 偏 松籟社2006、2007:243−244)
これは古典的なドヤ街などにおける日雇い労働者・ホームレスへの社会的排除に関する図書からの引用になる。
しかし、日雇い派遣アルバイターとして、現在の雇用をもうあきらめた失業者として、同じような視線にさらされつづけている。
このブログをたてて、一見個人的な出来事についてしるし、他の人たちからの「わたしの場合もそうでした」との報告を受けて社会問題化するまでは、家族はわたしをまるで遊び人のように見ていた。そしてフリーターというのを「ひきこもり」と同じように、精神病ではないけれどそれに類する精神障害の一亜種のように見ていた。
派遣会社からの連絡を待ち受けるために職のない日に自宅や近所ですごすことも、サボり、働く気がゼロと決めつけていた。
それは、フリースクーラーや平和団体NGOとのつきあいでも同じだった。ショックだったことに、関東のほうからブログを見てやってきたアクテイヴィストも同じ偏見をもっており、さらにそれをネタにして有名になろうとあせっていた。
最近、とても腹立たしいことがあった。
大阪のほうに最近できたばかりのオルタナティブ大学ならぬオルタナティブ・スペースがある。仮にそこをDとよぼう。
そこの初回公開イベントとして、精神科医と評論家を呼び、「不登校・ひきこもり・ニート」の3題噺をやるという企画があった。
わたしはずっとこうしたフリースクールやオルタナティブ教育にたずさわりたいと考え続けてきた。フリースクールで教育を受ける権利を親からいちじるしく制限され、不本意な塾や有害でしかない予備校に行かされ、望まないタイプの大学に入れられているので、よけい憧憬がかきたてられる面もあると自分でもわかっている。
それに、なんとかアルバイトで自活しながら自分が納得できるフリースクールに行ったり、自分でフリースクールを作ったりするということも、低賃金・細切れ労働・社会的信用ゼロの状態ではかなうはずもなかった。
それで、最近ある方法によってまとまった収入があったものだから、ようやく交通費や会場費の心配なく、そうしたNGOの会合にも出席できるようになった。
なので胸をおどらせながら行ってみたのだ。
ところが、そこは若いものだけの場だった。それも、日本人の中産階級の子弟の場所だった。
わたしのような30代フリーターは成人としての自覚がなく、ただ毎日をファンタステイックに遊びまくっているととりわけパネリストで医者のTは思い込んでいるふうだった。
それに主催者のリーダーYも阿諛追従していた。
医者のTは、ひきこもりと日雇い派遣アルバイトの区別がついていなかった。
「ある一定の年齢がすぎたらこういうことはやめて」
と主張していた。
しかし、学校に行かない子どもの権利は、何歳かになれば消失するのだろうか?
そんなことはない。たとえば25とか30になったからといって、義務教育を受けなおさねばならない義務などどこから生じるのか? 法的根拠はどうなっているのだろうか?
子どもはかわいそうだから自由にさせてやる。若者も。だけどある年齢からは必ず正社員になれという。
それはおおむね、日本人健常者の、大卒ホワイトカラーで大企業勤務の労働者のイメージである。
そんなことは、できるわけがない。女性や障害者やその他非典型的日本人にはあてはまらない。
それに、外国人労働者やその子どもたちはどうすればいいのか?
日本人ではないと認定した今の40歳よりも下くらいの世代、イランや中国などからの外国人労働者、派遣アルバイトは労災隠しでも何でもブラックな世界で働けばよいとでもいうのだろうか?
その日の最後に、社会的排除の前奏曲が聞こえてきた。
その後、2人の講師や他の人たちとの交流会(お茶会や飲み会など)はありますか? もしあれば出席したいのですが。
そう主催者のリーダー格のYにたずねた。
返ってきた答えは、「ちょっと遠慮してくれ」というものだった。
たいへん侮蔑的な表情とめつきで彼は吐き捨てるように言っていた。
なるほど、ここは貧乏人を排除するんだ。学校や教育から自由なのは、中産階級のお坊ちゃん・お穣ちゃんの独占物で、そこにわたしのようなホームレス寸前の貧民が入ってはいけないのか。
そう了解し、それ以上話をしたくないため、逃げるように「ああそうですか」と言って会話を終了した。
そのTという医師は、そのイメント終了後、あき時間内に個人的にインタビューにおもむいたわたしに向かって、信じられない受け答えをしていた。
「熊沢誠さんという方のやっている、『研究会・職場の人権』というところがあります。そこの中心にいる人たちが、ニート産業と接近して若者を救うというようなことをやっています。そこの定例会・お茶会などに行くと、とても若者にとってきゅううくつなムードです。他の2−30代くらいの同世代も同じことを言っている人たちもいます。これについてはどうお考えですか?」
Tの答えは、
「あいつは昔からゲバルトだから」
「野田正彰というのは、昔っから精神医療改革に反対して、ゲバルトを使っていたヤツですよ」
ダミ声で、怒鳴り散らすようにまくしたてた。
発音が似ているわけでもなし、「くまさわ まこと」と「のだ まさあき」をどうやったら聞き間違えられうのだろう。これは、T医師がどれほど全共闘風政治マニアであり、若い世代の声をそこにないかのように扱っている証拠である。
というのは、この話の前に熊沢誠が大阪の不登校親の会の世話人の山田潤さんの友人であること、それに『ハマータウンの野郎ども』の共同翻訳者でもあること、労使関係論など労働問題をずっととりあげつづけてこられたことはちゃんと伝えてあったからだ。
労働経済学者を医師と取り違えるというのも、普通はありえない。おそらく、30代になって正規雇用で雇われていないわたしを、不登校のできそぐれと見なし、雇用情勢を考えずに、アルバイト=精神的な堕落という視点でいるのだ。
そのうえ、もうひとつの質問への答えっぷりはスゴかった。「わたしのネット上の友人の赤木智弘さんという方が、「論座」という月刊誌で、「フリーターの低賃金では消費さえも苦痛になる」と訴えています。それは、自分のフリーターとしての生活実感とも重なるし、同じことを言っている同世代の労働組合アクテイヴィストもいます。消費というものについては、どのようにお考えですか?」
これはTが、ひきこもりは消費をして国の経済に貢献していると賞賛した当日の彼の話に対する質問にあたる。
すると
「そりゃ、今の貧乏な若いヤツが戦争を求めるのは当然のことですよ」と怒鳴りだした。
さすがは「医療マフィア」の「若頭」だけあって下品だなあと思いつつ、
「いえ、ちょっと待ってください。赤木さんはその論考のなかで、最後の段で『わたしは戦争を望まない。戦争にむかわせないでほしい』と訴えているのです」と訂正しておいた。
すると
「ああ、そう」
といった、天皇みたいな答えがかえってきた。
おかしなことに、Tは、今の日本は進歩した社会だ。だから若い人がホームレスになって社会的排除に困ることはないと訴えていた。
しかし、なぜここで「今の若い貧乏なヤツらが〜」といった内容の話を、下層の人々を見下すニュアンスではじめるのか。
まともにわたしのインタビューを受ける気は彼には毛頭なく、ただもっともらしいことを言ってお茶をにごせばいい、どうせ若者や女性の問題など大したことではないといった偏見と傲慢さのにじみ出るインタビューへの受け答えだった。
彼が、貧乏な若い人たちのグループをまず対談集会中は「ない」といい、次のインタビューにおいて「ある」としたことは、Tがそれを知っていながら覆い隠していることを意味している。
こうして、彼は今の40歳以下くらいの、低賃金・細切れ雇用で働く若い世代がこの世に存在しないかのように扱っている。さらに、それは一部のバカな連中の自業自得だ、いつまでも遊んで暮らせない自由の限界のわからないいわば放縦主義者だとのイメージをもとに、相手の存在をまさに「亡霊化」したわけだ。
読者のみなさんは、こうして他人から亡霊化された、あるいはしてしまった経験をお持ちではないだろうか? もしあれば、コメント欄で連絡していただければ幸いです。
当ブログ内関連記事:「補足・亡霊化」http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/7265a397f94eff12a46ec23df30d4686











若い世代の労働状況を放っておきながら、福祉だけは充実させろと訴える点である。
ディーセント・ワークや均等待遇といったキーワード、あるいは時給を2倍にするといった政策を語らないまま、ただ若い世代が貧乏だから現金をやれというのは、地獄の労働か、失業と福祉の屈辱かの二者択一を迫る暴言である。
そのようなことを、対談集会とその後のわたしからのインタビューに対してその医師は言い放ったのだ。
こうしたオヤジどもの、「自分たちの世代さえよければあとはどうなってもよい」という発想、生活保護の水際作戦だけではなく、そのために役所にプライバシーを監視されたり、相性の悪い親類に財産状況を報告される人権軽視の行政の改善ぬきに福祉を多くしたとしても、ますます多くの絶望と自殺、それに犯罪を招くことになるだろう。
こうした若者差別を、上の世代はいいかげんにやめるべきだ。