アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

流れよ我が涙、と警官は言った

2017-04-20 22:04:52 | 
『流れよ我が涙、と警官は言った』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆★

 自慢するが、私はサンリオ文庫版の『流れよ我が涙、と警官は言った』を持っている。今となっては新訳が創元から出ているのでありがた味は薄いが、たとえボロボロになっても、この本を処分する気にはなれない。この気持ちはかつてのサンリオ文庫の、あのどこまでも我が道をいく孤高の存在感に魅せられた本読みなら分かると思う。ちなみに自慢は続くが、サンリオのディック本は他に『ヴァリス』『シミュラクラ』『最後から二番目の真実』『暗闇のスキャナー』『銀河の壺直し』その他短篇集数冊持っている。ただ、この中でいまだに再刊されないのは『シミュラクラ』と『銀河の壺直し』ぐらいになってしまった。

 さて、本書はディック後期の傑作と言われているが、個人的にはまあまあレベルだと思う。ストーリーは大体次の通りである。誰もが見ている番組の司会をやっている人気TVタレント、セレブ生活を満喫しているプレイボーイのジェイソン・タヴァナーが突然、誰も自分を知らない世界へ放り込まれる。ケガをして目覚めるとIDカードの類がすべて消えており、知り合いに電話しても誰も自分を知らない。この近未来社会ではIDの消失はただちに強制労働キャンプ行き、すなわち社会的死を意味する。何が起こったのか分からないまま、ジェイソンは生き延びるために偽造IDを入手し、警察の目をかいくぐりながら、自分のアイデンティティを取り戻すための絶望的な闘いを開始する…。

 前半はこんな風に、ジェンソンがわけが分からず生き延びるために警察の目をかいくぐって逃げるという、アクション・スリラー風に展開する。ID偽造を生業とする精神病者キャシィと出会ったりする。ところが途中で警察署長バックマン本部長が登場すると、今度は彼の視点でも事件が描写されるようになる。ディックお得意の多視点的叙述である。そこで初めて読者は本書の真の主人公が誰であるのかを知る。タイトルの「流れよ我が涙、と警官は言った」の「警官」とは、このバックマン本部長のことである。

 本書が言われるほどの傑作とは思えない理由その一は、やはりプロットの甘さである。たとえばジェイソンは警察からバックマンの妹アリスを殺した濡れぎぬを着せられるが、その理由は急ごしらえにでっち上げたもので、筋が通らず、いかにもいい加減だ。それから、浴槽のアリスの死体がジェイソンの目にだけ骸骨に見えたという奇怪な現象の説明がない。ジェイソンがアリスに飲まされた薬が結局なんだったのか分からない。

 特に三点目の薬の件は、途中の展開がなかなか面白いだけにその後うやむやになったのが残念だ。ジェイソンがアリスの骸骨になった死体をアパートの浴槽で発見し、泡を食って逃げ出した後、このアリスの死自体がメスカリンを飲んだことによる幻覚ではないかと考える。そして次に、自分がだんだん元のアイデンティティを取り戻しつつある(再び通りすがりの人々がサインを求めてくるようになる)のが幻覚かも知れないと考える。その後唐突にロジックが反転し、いやあれはメスカリンじゃなかったのかも知れない、そしてもしかしたらその正体不明のドラッグによってもともとの自分は存在していたのであり、つまり、自分のTVタレントとしての記憶はすべてあの薬によって作り出された幻覚なのでは、とジェイソンは疑い始める。

 つまり、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中で自分を人間だと思っていたが実は偽の記憶を埋め込まれたアンドロイドなのでは、と疑うようなもので、もはや現実も自分の存在もすべてが不確実な、ぐらぐらの状態となる。きわめてディック的なこのシチュエーションは「おお、来た来た!」と思わせるに十分だったが、残念ながらこの後うやむやになってしまう。次の章ではまた、ジェイソンはTVタレントとしての現実が戻ってきたと喜んでいる。辻褄がいい加減である。

 結局のところ、アリスが実験中のドラッグを服用し現実と可能性の世界を区別できなくなったことによって、ジェイソンをはじめとする全員がその可能性の世界に引きずり込まれたのだというような説明がつくが、これもこじつけ感がハンパなく、特に面白くもなく、なんだかグダグダになって終わったなという印象ばかりが残る。まあ、ディック本にはままあることだが。

 物語はジェイソンの「現実」が戻ってくるところで終わるが、その時点で警察は彼に殺人の濡れぎぬを着せようとしており、その顛末は放置されたままだ(エピローグで簡潔に「後日談」として触れられる)。おそらく、そうした陰謀や理由づけなどはこの小説にとってどうでもいいことであって、これはただ一人の男が二日間、不条理にアイデンティティを失い、どことも知れない不確実な世界を不安と焦燥を抱えて彷徨するという物語なのである。要するにきわめてカフカ的な物語なのだが、へたにSF的な説明をつけようとしたりスリラー風の陰謀プロットを付け加えたりしたせいで、テンションが下がってしまった。

 そんな風にプロットはゆるく、安直さが見え隠れするが、ディックらしさを感じさせる断片はあちこちにある。特に印象的なのは精神病者のキャシィやバックマンの双子の妹アリスなど、アンドロイド的な、何を考えているか分からない、不気味な女たちの存在感である。アリスは妹でありながらバックマンを愛しているが、その行動はバックマンを憎んでいるとしか思えない異常に破壊的なものである。

 一方で、ディックの魅力の一つである面白いガジェットはほとんど登場しない。本書のトーンは全体に沈痛であり、物悲しい。前半はアクション・スリラー風の展開であまりそう感じないが、バックマンが登場するあたりからそのトーンが強くなり、終章ではバックマンの孤独、わびしさ、空虚がすべてを覆い隠してしまう。タイトル通り、彼が流す涙が本書の核となるイメージである。そしてその悲しみは、結局のところ消耗品でしかないジェイソン・タヴァナーに、警察署長が抱く共感とつながっている。

 かなり強引ではあるが、この得体の知れない悲しみが、ディックらしい独特の余韻を残すことは否めない。



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