アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

とるにたらないちいさないきちがい

2017-07-07 21:00:33 | 
『とるにたらないちいさないきちがい』 アントニオ・タブッキ   ☆☆☆☆☆

 タブッキの本邦初訳短篇集。本国イタリアでは『インド夜想曲』の後、『遠い水平線』の前に出版されたようだ。短篇集としては『逆さまゲーム』『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』の間となる。タブッキがまさに一番タブッキらしかった頃の短篇集であり、当然ながら期待を裏切らない充実ぶりである。なぜ今まで邦訳されなかったのか、まったく不思議だ。

 ところで訳者あとがきに「映画を題材にした作品集」とあるが、これはタブッキ自身の言葉なのだろうか。少なくとも本書を読んだ限りでは、すべての作品が映画を題材にしたというわけでもないような気がする。もちろん、色んな映画のモチーフを思わせる部分があるのはその通りだし、最後の短篇はそのものズバリ「映画」というタイトルだが、本書はタブッキ自身が「映画を題材にした作品集」と意図したものかどうか、私にはよく分からなかった。少なくともその前提で読む必要はないと思う。

 ただ一つ言えるのは、これらの短篇はどれもタブッキにしては劇的なプロットを持っているということだ。劇的というのはたとえば殺人や犯罪を扱っているものが多いということだが、そういう意味では、ノワール映画をはじめとするさまざまな過去の娯楽映画を意識して書かれたと言われても、確かに納得できる雰囲気がある。ただしそこはやはりタブッキで、当然ながら単純なスリラー小説や娯楽小説になっているわけではない。中には殺し屋やスパイが出てくる短篇すらあるのだが、どれもタブッキらしい静謐感、抒情性、そして瞑想性によって染め上げられた、この作者ならではの世界が立ち上がってくるし、肝心なことは仄めかすに留めるあの謎めいたスタイルも健在である。

 本書には11篇の作品が収められていて、題材も雰囲気もバラエティに富んでいるが、特に印象に残ったいくつかについてコメントしてみたい。まず、冒頭に収録された表題作「とるにたらないちいさないきちがい」。これは本書中もっともタブッキらしい、甘美なノスタルジーとやるせない痛み、そして鎮魂の思いが溢れ出す一篇である。私はこれを読んでたちどころに本書と恋に落ちた。法廷シーンで始まるこの一篇は、現実と回想と幻想とが渾然一体となって進んでいく。学生時代のかつての友人たちが、とるにたりないちいさないきちがい、もしくはほんの些細な運命のいたずらによって、長い歳月の後、裁く側と裁かれる側に分かれて法廷で再会する。哀切かつあまりにも美しい結末は、タブッキのベスト短篇の一つというにふさわしい。

 「魔法」は子供たちの世界を描いた作品である。子供たちの世界は日常的に奇跡に満ち満ちているが、ここではそれが呪いという形で現れる。言ってみればオカルト風の短篇で、この薄暗い雰囲気はちょっとコルタサル的でもあるように思う。子供たちが何をしたのか、あるいは実際に何が起きたのかをはっきりと見せない仄めかしと暗示の手法が駆使され、読者の想像を掻き立てる。

 「Any where out of the world」は本書に多いノワール風の一篇だが、アクションを見せるというより一つの状況を見せるところがタブッキらしい。かつてある組織に所属し、組織を裏切った記憶を持つ語り手が、何年もたってからある不穏なメッセージを受け取るという物語。映画「カサブランカ」への言及がある。

 「島」はまた趣きが違い、父親が娘に宛てて書いた手紙と、囚人を護送する兵長と護送される囚人の一瞬の情景を交錯させたスケッチ的な短篇。要するにこの父親=兵長なのだが、彼はリタイヤ間近の老年の男で、政治犯である若い囚人に大切な人への手紙を投函してくれるよう頼まれる。もちろん、ルール違反だ。ただそれだけの短篇だが、回想やちょっとした言葉の断片を積み重ねることで、二つの人生の一瞬の出会いを幻のように淡く、かつ沈痛に描き出している。

 「マドラス行きの列車」は『インド夜想曲』の余滴のような短篇。文体も雰囲気も『インド夜想曲』の一部と言ってまったくおかしくないが、きわめてドラマティックな結末(というか、その暗示)だけが異色である。ちなみにこの一篇は以前ある文芸雑誌のタブッキ追悼特集だか何だかに訳出されていて、既読だった。その雑誌も持っているはずなので今回探してみたが、見つからなかった。
 
 「マニュアル・チェンジ」もやはりノワール風の短篇。モノクロで、ジム・ジャームッシュにでも撮らせたら洒落た短篇映画になりそうだ。舞台はニューヨークのメトロポリタン歌劇場。それにしても、スパイ・アクションもの風の設定で(作中にジェームス・ボンドへの言及がある)、これほどまでに静謐かつ抒情的な短篇を書けるというのが驚きだ。ノワールもタブッキが料理するとこうなる。タブッキのノワール短篇集なんてものがあったらどれほど魅力的だろうか。まあ、本書がちょっとそれに近いかも知れないが。

 収録作品全部にコメントするのは大変なのでこれぐらいにしておくが、実にバラエティ豊かな設定、舞台、そして登場人物の数々である。小説技法上の特徴としては、どの作品でも語りがやすやすと時空を超えていくことだろう。その結果、過去と現在と未来、あるいは想像上の光景などが自在にミックスされ、豊かに響き合うことになる。それが取り立てて実験的な手法によってではなく、登場人物の回想や独白や手紙というトラディショナルな手法で、ごく自然に成し遂げられるのがタブッキの素晴らしさだ。

 例によって仄めかしや暗示が虚構を織りなす主たるテクニックなので、初めてタブッキを読むという人には意味が掴みづらいところもあるだろうし、この蜃気楼のようなテキストの肌触りに戸惑うかも知れないが、タブッキの短篇集の中では比較的物語色が強い、しかも充実した一冊だと思う。

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