アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

コンドル

2017-04-23 22:01:19 | 映画
『コンドル』 シドニー・ポラック監督   ☆☆☆☆

 ロバート・レッドフォード主演『コンドル』をiTunesのレンタルで鑑賞。1975年公開。初見だが、これはかなり好きなタイプの映画だった。いわゆる謀略もので、レッドフォード演じる主人公はCIA職員。殺し屋も出てくる。とはいえ、ミッション・インポシブルやボーン・シリーズみたいな感じでは全然なくて、もっとしっとりした、情感溢れるフィルムである。主人公ターナーはCIA職員といっても本を読むのが仕事のごくフツーの公務員だし、職場も地味な役所といった雰囲気。ところがターナーがサンドイッチを買いに行っている間に、同僚が全員殺されてしまう。動転したターナーは本部に電話を入れて助けを求めるが、指示された場所に行くと相手がいきなり銃を抜いて殺しにかかる。命からがら逃げだしたターナー、もはや何がなんだか分からない。こうして彼の必死のサバイバル逃走劇が始まった…。

 謀略ものスリラーの不安感が全篇を覆っているが、その乾いたノワール風味と濡れた情感のバランスがこのフィルム最大の魅力である。若き日のレッドフォードは文句なくかっこよく、フェイ・ダナウェイは美しい。主演二人のスター性はまさに煌めくばかりだ。実際、もっと歳をとってからの彼女しか知らなかった私は、フェイ・ダナウェイってこんなにきれいだったのかと驚いた。この二人がこの三日間一瞬だけすれ違い、そしてまた別れていく。舞台は80年代のニューヨーク。冬のマンハッタンの街並みが都会の哀愁を醸し出す。そしてそれらを包み込むデイヴ・グルーシンのジャジーな音楽。いやー、いいねえ。

 レッドフォードとフェイ・ダナウェイに加え、もう一本のこの映画の柱が殺し屋役のマックス・フォン・シドーである。黒ブチ眼鏡とトレンチコートに身を包んだプロフェッショナル。アクション映画によくある肉体派の狂暴な殺し屋ではなく、インテリの殺し屋。彼はターナーを評して言う。「奴は素人だ。素人の行動は予測できない、だから難しい」彼はターナーを消すために動くが、単なる悪役でないことは最後まで見れば分かる仕掛けになっている。ずっしりくる存在感、そして貫禄だ。

 フォン・シドーの殺し屋とターナーが出会うシーンがいくつかあるが、二人が同じエレベーターに乗り合わせる場面の緊張感は見事だ。それから、ラスト近くの殺し屋とターナーの会話が渋い。ヨーロッパに逃げることを勧める殺し屋。それを断るターナー。「旅行で外国に行くと、いつもホームシックになるんでね」この二人のツーショットは渋過ぎる。それからレッドフォードとダナウェイの別れのシーンもいい。マンハッタンの駅。静かに流れるデイヴ・グルーシンの音楽。惹かれ合っている二人だが、それを過剰に表に出すことはしない。さりげない別れの言葉、そしてダナウェイは恋人のもとへ戻っていく。

 レッドフォードとダナウェイ、そしてフォン・シドー。この三本の柱が拮抗することでこの映画は成り立っている。このバランスは美しい。

 さて、ターナーはCIA職員といっても本を読むだけのリサーチャーでスパイのスキルはゼロ、本部に電話した時に自分のコードネーム(=「コンドル」)さえ満足に言えない素人だが、ミステリから得た知識と用心深さで殺し屋たちの裏をかき、陰謀の真相に肉薄していく。この必死の反撃が、サスペンス・スリラーとしての本作のクライマックスへとつながっていく。ラストのフォン・シドー演じる殺し屋との邂逅、そして逆転劇は鮮やかだ。最近のアクション映画を見慣れている人には地味で品が良すぎると思えるかも知れないが、この渋いスリラー映画にはふさわしい。

 そしてラスト、ニューヨークを去らない決意をしたターナーと、その行動を知ったCIA職員との不穏な会話で映画は幕を閉じる。この、観客に不吉な予感を抱かせる結末も、この頃のポリティカル・スリラーらしい味わいだ。果たしてターナーは勝ったのか、それとも。

 派手なアクションはそれほどないが、役者の魅力、舞台となったマンハッタンの魅力、乾いたノワール感と哀愁、などがバランスよく組み合わさった佳作である。

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