アブソリュート・エゴ・レビュー

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サクリファイス

2018-01-08 23:23:48 | 映画
『サクリファイス』 アンドレイ・タルコフスキー監督   ☆☆☆☆

 タルコフスキーの遺作、『サクリファイス』を日本版ブルーレイで鑑賞。タルコフスキーは『ストーカー』を最後に母国ソ連を離れ、『ノスタルジア』と『サクリファイス』はヨーロッパで撮られた。そのせいで『ノスタルジア』以降はテンションが落ちると評するファンもいるようだが、私にはあまり分からない。もっと何度も繰り返し観れば違うのかも知れないが、とりあえず『ノスタルジア』などはソ連時代の作品と同じか、それ以上にディープなムードを漂わせているように思う。

 この『サクリファイス』も、そういう意味では例によって例の如きタルコフスキーの世界なのだが、そんな中であえて特色を挙げるとすれば、まず視覚的な明澄性だろうか。タルコフスキーの映像というのは大抵霧が立ち込めていたり水でびちょびちょだったりするが、この『サクリファイス』では冒頭の海のシーンからいつになく清澄な光が画面に溢れている。水浸しの廃墟もなし、靄も霧も煙もなし。スッキリと明るく、透明である。これはこれでとても気持ちがいい。舞台が屋外から邸宅内に移っても、整然としたきれいな室内で物語は進行する。

 それから、色んな哲学が詳しくセリフで語られるのも特徴の一つだろう。冒頭の、海辺に木を植えるシーンから主人公は口をきけない孫を相手に一人で延々と喋り続ける。途中で郵便配達夫も参加して、哲学的な会話を交わしたりもする。内容はたとえば木に水をやることの教訓、人生に期待してはダメという諦観、ニーチェの永劫回帰、物質文明と精神の乖離、などである。タルコフスキーの映画はすべて形而上学の実験場といってもいいが、ここまで露骨にセリフで形而上学を語るのは珍しい。これは、個人的にはあんまりいただけない。

 しかし最後まで観れば分かるが、実はこの『サクリファイス』はタルコフスキーにしては珍しく、非常にストレートなメッセージを謳った映画なのだった。これまでの作品が謎めいた問いかけと多義性に満ちていたとすれば、この映画は直截なメッセージが芯を貫いている。冒頭からの能書きの多さも、自分の考えを一つでも多く観客に伝えたいという作者の欲求や願望の顕れのようで、興味深い。タルコフスキーは自分の死期を知っていたのだろうか。

 手術をしたせいで喋ることができない子供や、誕生日のお祝い、といったタルコフスキー的モチーフをちりばながら物語は屋外から邸内に移り、しばらくは人々の会話が続く。主人公が実はキャリアを放棄した元俳優であることや、郵便配達人オットーが不思議な話の蒐集家であることなどが語られ、オットーが蒐集した話の一つを披露する。息子を戦争に取られた母親の写真に息子が写るというオカルティックな話である。そして突然の轟音とともに、世界に最終核戦争の危機が訪れたというテレビ放映が流れる。

 お馴染みのSF的な仕掛けだが、この設定はテレビの音声によって伝えられるだけで、舞台は相変わらず邸内とその周辺のみに限定されているため、物語の進行は舞台劇の様相を呈する。登場人物たちは取り乱し、ドラマティックな身振りやさまざまな告白、対話がなされる。やがて主人公は魔女だという女の家へ行き、彼女と性交することで世界を滅亡の危機から救おうとする。唐突感のあるエピソードだが、実はこの「魔女」のモチーフがもともとはこの映画の主題だったらしい。が、結果的に単なる一エピソードへと格下げになり、メインは主人公が決意する「犠牲」に取って替わられる。彼は無神論者だったくせに神に祈り、皆を救ってもらうために家を燃やし、家族から離れて暮らし、もう喋らないことを誓う。

 そしてクライマックスは、主人公が家を燃やすシーンである。『鏡』にも納屋が炎上するシーンがあったが、この映画の中で家が燃える場面は実に強烈だ。実物大の家が燃え上がり、どす黒い煙が渦を巻き、やがて骨組みだけになった家が倒壊する、というプロセスを一通り見せる。撮影は待ったなしの一発勝負だったはずで、俳優さん達は緊張しただろう。しかしその甲斐あってとても見ごたえある、忘れられないシーンとなっている。何より、この巨大な炎の美しさにどうしても見入ってしまう。炎には世界を浄化する力がある、ということを有無を言わさず納得させてしまうような圧巻の映像である。

 ラストシーンは、枯れ木に水をやる子供によって締めくくられる。映画の間中喋らなかった子供が、ここで初めて言葉を発する。これも『鏡』の冒頭を想起させるシーンだ。そして最後に表示される献辞には、信頼と希望、という言葉が含まれている。タルコフスキー最後のメッセージは、きわめて健全でまっとうで、前向きなものだった。

 この分かりやすいメッセージとクリアな映像の明澄性により、本作にはこれまでのタルコフスキー作品の特徴だったどろりとした濃密さ、形而上学の霧の中をさまようような感覚は薄い。どこか淡泊な印象を受けるのはそのせいだ。加えて場面場面はいつも以上にとりとめがなく、物語としての緊密さには欠ける。ほとんど、最後に家を燃やすインパクトだけで成り立っているような映画である。が、そのためタルコフスキーの映画にしてはかなり見やすく、一種爽やかな、ヒューマニスティックな後味の良ささえ漂わせる作品になっている。

 とは言っても、モノクロになったりカラーになったり、夢の場面では相変わらず水浸しの地面を歩いていたり、突然世界が滅んだり、タルコフスキーらしさもちゃんとあるので心配はご無用。いつも同様、のたうち回れます。
 


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