アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

エンロン 内部告発者(その2)

2017-05-11 22:50:37 | 
(前回からの続き)

 ところで、なぜ私はこうまでエンロン事件に興味を掻き立てられるのだろうか? それは結局のところ、これほどまでに頭がいい人間たちが集まって、なぜこれほどまでに愚かなことをしでかしてしまうのか、という点に尽きるように思う。ケネス・レイやジェフ・スキリング、アンディ・ファストウ、その他エンロンのビジネスを担当していた役員たち、更にはアーサー・アンダーセンや粉飾に関与した銀行の人々など、みんなスマートで優秀なビジネスマンたちであったことは間違いない。交渉力がありプレゼンテーション力があり高度な会計知識がある、一流のビジネスマンたちだ。そうでなければ、当時それぞれがついていた地位につけなかったはずである。

 たとえば、スキリングはハーバード大学出身だ。普通入れない学校である。確か、学生時代に教授だか誰かに「君は頭がいいか?」と聞かれて、「I'm fucking smart」と答えたというエピソードが紹介されていた。そして多くの人々がスキリングのカリスマ性、たとえば救世主めいた喋り方や人の心を見透かすような青い目、確信に満ちた態度、などについて語っている。本書でこんなエピソードが紹介されている。エンロンでは、難問を議論している会議室にスキリングがぶらりと入ってきて話を聞き、たちどころに解決策を示してまたすぐ出て行く、という光景がよく見られたそうだ。あまりの鮮やかさに、残された人々は頭がぼうっとしてしまう。彼らはこれをスキリング効果と呼んだ。この男がとびきり頭の良い人間だったことは疑いようがない。

 その彼らが、なぜここまで愚かになれるのか。損失を隠すためにSPEを乱発する、隠された損失はどんどん膨れ上がっていく。エンロンの利益は一体どこから来るのか、と疑念を持つ人がぽつりぽつりと現れるようになる。やがて破綻するのは目に見えていたはずだ。

 ここで私が思い出すのは、人間の愚かさに関するミラン・クンデラの言説だ。すなわち、とてもショッキングなことだが、科学や理性が進歩するとともに人間の愚かさもまた進歩するということを、20世紀になって人類は発見した。かつて愚かさとは、単純に知識の欠如を意味した。たとえば、無教養な農夫が地球の自転を知らないと愚か者と呼ばれるように。ところが現代では愚かさが進歩したために、もはやそれは単純な知識の欠如を意味せず、それどころか、時には頭の良さや知識の豊富さと見分けがつかない。たとえば人類を滅亡させるかも知れない水素爆弾を作り出した科学者や、自然界の食物を汚染して危険なものにしてしまう遺伝子工学者の愚かさがそれに相当する。そしてこのような進化した愚かさは、昔の素朴だった愚かさよりはるかに危険である。

 ケネス・レイ、ジェフ・スキリング、アンディ・ファストウ、その他エンロン事件関係者の人となりを知るにつけ、私はこの進化した愚かさの典型を見る思いがする。以前、リーマンショックを解説したDVDの中でも誰かが言っていたし、ヘイリーの『マネーチェンジャーズ』の中にもあったと思うが、「借りた金はいつかは返さねばならない」という単純な真実さえ理解していれば、こんなことにはならないはずなのだ。ところが経済理論が進歩し、複雑な金融商品が開発され、巧緻なマネーゲームのテクニックが横行すると、その複雑さの中で単純素朴な真理が見失われてしまう。知識や情報が増えることによって愚かさが高度化し、強化されてしまうのだ。

 もちろん、その根底には貪欲がある。貪欲によって倫理感が麻痺してしまうと、人間のバランスが崩れる。カリフォルニア州の山火事を見て笑っていたトレーダーたちはみんなこれである。

 エンロン事件の経緯を外から眺めていると、普通の判断力を持った人間なら誰だって、こんなバカげた嘘やごまかしがいつまでも通用するはずがないと思うはずだ。ところが、米国で一番スマートな人間たちが集まっていたはずのエンロン社では、誰もそう思わなかった。いや思ったのかも知れないが、自分たちはスマートだからそれをバレないまま回避できると考えた。スマートであることとこれほどまでの愚かさは、一体どのようにして両立するのだろうか。人間って不思議だ。

 尚、本書の中の誰かのコメントで、エンロン社員たちのモラル崩壊の過程は、エビをお湯の中に放り込んでだんだん温度を上げていくことに似ているというものがあった。なかなか正鵠をついた意見かも知れない。つまり、急に熱湯の中に放り込まれると熱いのでびっくりして暴れるが、だんだん温度を上げられるとそれに気づかずに、自分でも分からないうちに茹で上がってしまう。貪欲によってモラルが低下し、徐々に破滅に向かっていくと、どこで一線を越えたか気づかないうちに破滅してしまう。エンロン事件を引き起こした人々、ケネス・レイやファストウやスキリングは、もしかしたら自分が逮捕された時になってようやく自分たちがやっていたことが犯罪だと気づき、驚いたのではないだろうか。

 本書はそうしたエンロン事件を社内の眼で眺められるという意味で、貴重なドキュメントである。ただ個人的には逮捕の後、つまり調査委員会の公聴会などでどんなことが明らかになったか、スキリングやファストウが、あるいはアーサー・アンダーセンの社員や銀行がどんな答弁をしたのかなどにも非常に興味があったので、そのあたりの経緯があまりないのは残念だった。
 
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