アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

アーサーとジョージ

2017-09-16 18:14:07 | 
『アーサーとジョージ』 ジュリアン・バーンズ   ☆☆☆☆★

 Amazonの内容紹介に「連続家畜殺しの罪を着せられたジョージの嘆願に応じたアーサーは、ホームズばりの観察力で潔白を直感し、真相究明に乗り出す」とあるので、当然ながら、かのアーサー・コナン・ドイル卿がジョージに着せられた濡れ衣を晴らす話だと思って購入した。が、そういう言い方は間違いではないものの、それほど正確でもない。これは濡れ衣事件の小説というわけではなく、シャーロック・ホームズの生みの親である作家コナン・ドイルと、事務弁護士ジョージ二人の伝記である。濡れ衣を晴らす話がメインといっていいだろうが、それ以外のエピソードも膨大だ。二人の人生が子供時代から詳しく記述される。ジョージの濡れ衣のエピソードが登場するのは100ページぐらいからで、その後有罪を宣告され、服役し、そして釈放される。またしばらくブランクがあり、コナン・ドイルが事件に関与してくるのは第三章からである。

 ではその他にどんなことが語られるのかというと、アーサーの章では彼の結婚、妻の病気、そして不倫の話の比重が大きい。それから濡れ衣事件と同じぐらい重要なテーマとなっているのが、アーサーの心霊主義への傾倒。コナン・ドイルが探偵小説の大家であり医学博士でありながら、霊媒や超能力といったオカルト方面に傾倒していたのは有名な話だけれども、本書はその部分にも果敢に踏み込んでいく。著者の視点はバランスが取れており、可能な限り客観的かつ公平な記述になっている。

 多くの読者が期待するであろうシャーロック・ホームズ創作の舞台裏はまあ、さらっと流したなという印象だ。多少の蘊蓄(ホームズの名前が決まるまでの変遷など)がある程度で、あえてそれを売り物にしないという作者のスタンスが感じられる。

 一方のジョージは、コナン・ドイルに冤罪から救われた人物であり、特に何かで一家をなした人物というわけでもないが、やはり彼の人生もアーサーとパラレルに詳しく語られる。こちらは父親が司祭であるため、宗教の話や、著作の話などに高い比重が置かれている。

 そんなわけで、冤罪事件に興味を持って読み始めた人はかなりじりじりすることと思うが、ジュリアン・バーンズの達者な筆さばきによって退屈させられることはないだろう。そして一旦冤罪事件の話が始まったが最後、読者は本を置くことができなくなる。事件の経緯のあまりの理不尽さに怒りを爆発させるアーサーは、なんとも頼もしい。彼は自ら調査をし、冤罪の証拠を集め、真犯人のめぼしまでつけてしまうのである。これは基本的に実話なのだが、まるでフィクションのような、出来すぎとも思える話だ。しかしここでもバーンズの筆は冷静で、怒りにかられて突っ走るアーサーのやり方が実は問題もはらんでいることを、ジョージの視点を通して指摘することも忘れない。必ずしもコナン・ドイル万歳という話でもないのだ。

 とはいえ、やはり警察の偏向には腹が立つ。というか本書を読めば誰だって怒髪天をつき、こいつら全員監獄行きにせいと思うだろう。証拠の捏造。または証拠の隠滅。いい加減きわまりない「専門家」の証言。事件は夜間に起きた連続家畜殺しなのだが、証拠とされるのはジョージの家にかかっていたコート(ジョージのものですらない)についていたとされるほんの少しの動物の毛、一滴ほどの血痕。それらが本当に最初からついていたかは、誰にも分からない。それから一致したとされる靴の足跡、一致したとされる手紙の筆跡。これらはある特定の「専門家」が一致したと証言するが、アーサーが別の専門家に意見を求めると「とても一致するとは認められない」との回答。

 どういうわけか私は、読むと腹が立ってしかたがない「冤罪もの」が好きなのだが、本書もかなりスグレモノで、同じ「冤罪もの」の傑作『死亡推定時刻』『無実』などが好きな人にはおススメである。ジュリアン・バーンズはトリッキーな作風が特徴だが、本書はストレートに時系列に沿って書かれた「伝記」であり、ケレン味も少ない。ずっしりした読み応えである。



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