アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

バベットの晩餐会

2010-03-07 11:56:48 | 映画
『バベットの晩餐会』 ガブリエル・アクセル監督   ☆☆☆☆☆

 去年、クリスマス映画10選に選んでおきながらレビューを書いていなかった『バベットの晩餐会』。私はこの映画が昔から大好きで、もう何度観たか分からない。英語字幕のビデオテープを擦り切れるほど観て、しばらく前にDVDを購入した。デンマーク映画だが、舞台はノルウェー。原作はやはりデンマーク人で、20世紀最大の物語作家といわれるカレン・ブリクセン、またの名をイサク・ディーネセンの香気馥郁たる名品である。大体において素晴らしい小説の映画化は失敗するものだが、この『バベットの晩餐会』は稀に見る成功例だと思う。原作の雰囲気をほぼ完璧に映像化している。

 「むかしむかし、あるところに…」という前置きから始まりそうな、まさに「ものがたり」と言うにふさわしい、昔ながらの素朴な描写によって観客はこの映画の世界に誘われる。実際に年配の女性のナレーションが観客に語りかける。奇抜さやあざとさとはまったく無縁だ。しかしひなびた家々が並ぶ海辺の村の情景、遠くから聞こえる波の音、そして控え目なピアノの音楽によるこの映画の導入部の力強さはどうだろう。浜辺に干されている魚の映像が、これが食べ物と味覚にまつわる映画であることを暗示し、期待感を膨らませる。

 物語はいくつかのプロットを組み合わせることで構成されている。一つ一つは簡潔で実に単純だが、それらが組み合わされることで豊穣かつ深遠な物語世界が現出することは驚くばかりだ。一つはレーヴェンイェルム将軍とマチーヌの物語。二つ目はオペラ歌手アジール・パパンとフィリパの物語。そしてもう一つは、マチーヌとフィリパの姉妹に仕える侍女、バベットの物語である。

 マチーヌとフィリパは貧しい村に住む敬虔な老姉妹。厳格な牧師の娘で、若い頃は二人とも美貌の持ち主ながらその身を神に捧げ、現世の享楽や恋愛ごとには見向きもしなかった。けれどもたった二つだけ、二人の心にさざ波を立てた事件があった。若き将校ローレンス・レーヴェンイェルムの出現、そしてオペラ歌手パパンの訪問である。

 これらのエピソードもナレーションの力を借りて展開されるが、その簡潔さと展開の速さはあっけないほどだ。身持ちの悪いローレンスは反省のために田舎の叔母を訪れ、マチーヌを見かける。そしてたちまち、この麗しい天使とともにある自分の未来予想図を思い描く。彼は姉妹の家の敬虔な集まりに顔を出すようになるが、何も言うことができず、「この世界には不可能なことがあると知りました」とだけマチーヌに言い残して、姿を消す。これだけである。一つ一つの場面は断片的で、ナレーションの注釈としての役割しか果たしていない。長い時間があっという間に過ぎる。ディーネセンの原作と同じように古い物語手法が採られていて、それによってこの省略と密度が可能になっている。観客をその場のいるような気持ちにさせ、登場人物を現実の人間のように感じさせなければならない現代的な映画手法なら、おそらくこのローレンスとマチーヌのエピソードだけで映画の半分は終わってしまうだろう。

 次にアシール・パパンが登場し、フィリパの声に魅せられて歌のレッスンを授けるが、彼の情熱と歌の歓びに罪悪感を覚えたフィリパはレッスンを断り、失意のパパンはフランスに帰っていく。これもやはりあっけないシンプルなエピソードだが、パパンとフィリパのレッスンに使われる「ドン・ジョバンニ」が二人の関係と心境のメタファーになっているなど、芸が細かい。

 そして長い年月を経て語られる第三の、バベットの物語。この中で、これまで語られてきた二つの物語と、そしてすべての登場人物たちがまた出会うことになる。マチーヌとフィリパは白髪の老婦人となっている。フランスから亡命してきたバベットはパパンの紹介(「バベットは、料理ができます」)で二人の家で働き始める。そして並外れた有能ぶりを発揮し、二人の家になくてはならない人間になる。ある日バベットの宝くじが当たり、老姉妹は彼女がフランスに戻っていくことを覚悟する。バベットは二人に頼みごとをする。監督牧師の百年記念晩餐会の準備をすべて自分にまかせて欲しい、そしてそこでは、本物のフランス料理のディナーを出させて欲しい、と。

 一方、かつてのローレンスはいまや出世し、レーヴェンイェルム将軍となり、けれども空しい心を抱えて再びこの村にやってくる。彼は若き日の自分に語りかける。「お前は望みのものをすべて手に入れた。けれどもこの空しさは何だろう? お前は今日、自分が選んだ道が正しかったことを証明しなければならない」そしてまた、こうも考える。「あの村の人々の貧しい暮らし、つましい食卓を見れば、あの日の選択が間違っていなかったことが納得できるだろう。そして私のこの空しさが、根拠のないものであることが分かるだろう」そして彼は百年記念の晩餐会に出かけていく。

 この後の展開はまさに物語芸術の至宝であって、映像、セリフ、演技、ストーリーのすべてが典雅に調和し、観客を官能の境地へと連れ去る。そのマジカルな香気はモーツァルトの音楽の如し。映画は原作に忠実だが、百年祭の晩餐のテーブルに奇跡のように出現するフランス料理の美しさは、小説より映画の方が分かりやすいかも知れない。村人達の信仰の危機、フランス料理に抱く不安、レーヴェンイェルム将軍の虚無感、マチーヌとレーヴェンイェルム将軍の成就しなかった愛、それらのすべてが芸術的な料理の中に溶けていく。最後にマチーヌの手を取ってレーヴェンイェルム将軍が囁く「今宵、この美しい世界では、あらゆることが可能なのだと知りました」という言葉が、この映画のすべてを言い表している。お涙頂戴やあざとさとはまったく無縁でありながら、深く静かな感動がもたらされる。

 そして最後には、ミステリ的な仕掛けと驚きが観客を待っている。バベットとは何者なのか。彼女はマチーヌとフィリパに言う。「ムッシュー・パパンはこうおっしゃいました、芸術家が次善のもので喝采を受けるのは恐ろしいことなのだと。芸術家の心の中には、自分に最善を尽くさせて欲しい、その機会を与えて欲しいという世界中に向けて出される長い悲願の叫びがあるのだと」

 芸術家にとっては、最上のものを他人に与えることこそが至上の歓びなのである。芸術家とは自ら進んで他者に仕える者であり、同時にそのことによって他者を我が物とする王でもある。このディーネセン的な形而上学が、この映画にしみじみしたヒューマニズム映画または癒し映画に留まらない奥深さ、神秘性を与えている。なんとも不思議な、他に類を見ない物語であり、名作と呼ぶにふさわしい映画である。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当の名作 (reclam)
2014-06-11 21:38:49
小説は読んでも映画はさっぱり見ない私ですが、原作は好きなので映画も見ることにしました。
気付いた点をいくつか挙げていきたいと思います。

まず、この作品は宗教色の強い内容である事を感じました。原作はそれらが簡潔に描かれているのに対し、映画では私にとってなじみのない宗教観がくっきりと示されていました。

それでもこの映画は名作と呼ぶにふさわしい内容であると感じます。あらゆる名作が、個人の好き嫌いを超えた、尊い存在であるならば。
晩餐会の場面での雰囲気が、人間全てに共通する食の幸福に満ちているからなのか。最後の場面でバベットから伝えられる、原作者の熱い主張が伝わってくるからなのか。

あと晩餐会の場面では、なぜかお腹が減ってきて困りました(笑)。原作と比べて映画だと余計そのように思います。

結果として、この作品は原作も素晴らしいけど、映画もそれに劣らない至高の芸術作品だと感じました。ego_danceさんがオールタイムベストの小説と映画に、両方入れているのが良く分かります。

日常の忙しい生活に疲れている人、過去の自分に疑問を持っている人、そして本当の「奇蹟」を体験したい人にこの映画を薦めたいと思いました。
返信する
バベットの晩餐会 (ego_dance)
2014-06-16 09:47:34
私も最近この映画を再見しましたが、やはり傑作だと思いました。とにかく、よくまあ、あの原作の不可思議なムードをここまで映像化できたなと感心します。尚、キリスト教は重要なテーマですが、微妙なユーモアで相対化されているため、私は宗教色が強いとは感じませんでした。
返信する

コメントを投稿