アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

書記バートルビー/漂流船

2017-09-22 21:47:13 | 
『書記バートルビー/漂流船』 メルヴィル   ☆☆☆☆☆

 文学史においては、かのグレゴール・ザムザやラスコーリニコフのように一個の典型的人物像として広く認知され、単なる小説のキャラクターを越えて特有の形而上学的意味合いを持つに至った名前がある。本書に登場するバートルビーもまた、そんな名前の一つである。まさにこの名前をテーマにした『バートルビーの仲間たち』という本もあり、以前拙いレビューを書いたがとても面白く、かつ知的刺激に満ちた小説だった。とはいえ、実は私も「バートルビー」の原典たるメルヴィルの小説を読んだのは、今回初めてだった。

 では、バートルビーとはいかなる人物か。彼は小さな法律事務所で働く青年書記であり、礼儀正しく、地味で、おとなしい。が、何か仕事を頼むと「やらない方がいいと思います」と言って拒否し、本当に何もしない。そういう人物である。もちろん書記として雇われたわけだから最初はそんな青年ではなかったが、ある時そう言って仕事を断り、次はまた別の仕事を断り、とだんだんエスカレートして、しまいには何もしなくなってしまう。なんじゃそりゃ、と思われるのもごもっともだ。とにかくヘンである。単なる怠け者かというとそういうわけでもなさそうであり、要するに理由が分からない。謎である。

 さて、ここでちょっと脇道にそれて、先に挙げた『バートルビーの仲間たち』には何が書かれているのか見てみよう。この本は要するに、「バートルビー症候群」にかかった作家たちを扱った本である。バートルビー症候群とはつまり書くことを止める、あるいは書くことができなくなる、あるいは最初から書かない、などのことを言う。最初から書かないことがバートルビー症候群なら作家じゃない人はみんなバートルビー症候群か、というともちろんそんなことはなく、要するに書く才能がある、または書く欲求や衝動があるにもかかわらずあえて書かない場合に、バートルビー症候群と呼ばれる。具体例を挙げると書くのを止めたのはランボーやサリンジャー、書くことができなくなったのはヴァルザー、最初から書かなかったのはソクラテス、などである。

 彼らが行為を拒否する理由はさまざまで、つまりバートルビー症候群とははっきり原因が特定できないものである。ただ、行為を拒否する行為だけがある。そう考えると、理由が分からないというのもバートルビー症候群あるいはバートルビー的態度の重要な、本質にかかわる核心的要素と思われる。「書記バートルビー」の物語も煎じ詰めればバートルビーの「拒否」の理由を知ろうとして上司がさまざまに努力し、結局へとへとに疲弊するというものである。

 ただ一つ言えるのは、単なる怠惰もしくは無能、あるいはイデオロギー的理由などによるロジカルな「行為の拒否」はバートルビー的態度とは言い難いということだ。バートルビー的態度においては、「拒否」は「行為」と表裏一体であり、時には「行為」の一形態とさえ言える。まるで中島敦の「名人伝」の中で、弓矢の名人がついには弓矢の何たるかを忘れてしまうが如く、「行為」を超えた「行為」がすなわち「拒否」になる。これが正しいバートルビー的態度である。『バートルビーの仲間たち』の中では、書くことを拒否するに至った作家こそが本当に偉大な作家である、とでも言いたげな書き方があちこちでされている。

 さて、メルヴィルの「書記バートルビー」に戻ろう。こんな奇妙な物語が一体どんな収束を見るのか大変興味があったのだが、まあ大体予想できる通り、バートルビーは最後には生きることもやめてしまう。そして結末部分には、一応、なぜバートルビーがこんな態度をとるようになったのかという理由らしきものが説明される。が、実のところちゃんと説明されているわけではない。結果的にバートルビーの謎は謎のまま残る。しかしこのバートルビーというキャラクターが不思議に心に残り、何か落ち着かない気持ちにさせられるのは、やはり筋が通った理由もなく「行為を拒否する」という不条理な心の働きが、人間心理のどこかに潜んでいるからなのだろう。

 カフカ的状況という言葉があるように、バートルビー的状況あるいはバートルビー的態度というものがあるのだが、それを心理学的な言葉で正確に定義し、記述することは多分できない。それはこの「書記バートルビー」という小説によってのみ具体的に定義される、人間の実存的状況なのである。

 この本に収録されているもう一つの小説「漂流船」は、奴隷船の反乱を扱ったもので、なんとなくポーの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」に似た雰囲気がある。小説のトーンも似ていて、ミステリアスで不安感が漂い、描写は精密、終盤には意外な真相が明らかになる。

 一見、単なる不気味なスリラー小説のようだが、実は隠れたテーマとして人種差別への批判があることが解説で指摘されている。発表当時は時代のせいではっきりと批判することができなかったため、まるで真綿にくるんだような、思い切り遠回しな当てこすりになっている。これも、「書記バートルビー」ほどではないにしても、暗い不条理性と迷宮性をはらんだ一篇であった。



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