アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

タクシードライバー

2017-06-14 23:25:50 | 映画
『タクシードライバー』 マーティン・スコセッシ監督   ☆☆☆☆☆

 言わずと知れた、スコセッシ監督の最高傑作にして映画史上に残る金字塔。第29回カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品。ニューヨークを舞台にした映画は数多く、名作もあまたあるが、ニューヨークが舞台でなければ絶対に成立しない映画があるとすれば、この『タクシードライバー』をおいて他にない。少なくともその筆頭である。個人的には、ニューヨーク的光景のショーケースといっていいあのウディ・アレンの『マンハッタン』でさえ、舞台を他の都市に移しても「絶対に成立しない」とまでは言えないと思うが、この映画だけは、ニューヨーク・シティの空気感抜きでは成立しない。別の映画になってしまう。

 ロバート・デ・ニーロ演じるタクシードライバーは大都会の申し子である。都会の孤独、倦怠、荒廃、喧噪、興奮、そして物悲しい抒情、その中でしか生息しえない類の人間である。不眠症であり、孤独であり、他者との触れ合いを絶望的に求めながらまっとうなコミュニケーション方法を知らない。数百万人という群衆の一員である無名性と、一抹の狂気を同居させた透明な存在。ジャンパーのポケットに手を突っ込んだトラヴィスがうつむきがちにマンハッタンの通りを歩く『タクシードライバー』のポスターが、この映画の空気感を見事にとらえている。この映画の場面すべてに充満するのは、現実のニューヨークよりもニューヨークらしい大都会のリリシズムであり、佇まいである。

 そしてそのリリシズムと佇まいの体現者であるトラヴィスを演じるのに、ロバート・デ・ニーロ以上の適任者は考えられない。この映画の成功の大部分は主演のデ・ニーロに負っているといっても、過言ではないだろう。もちろん脚本など他の要素もよく出来ている本作だが、ニューヨークの影と光を精妙に体現する肉体を欠いてはどうにもならなかったはずだ。本作におけるデ・ニーロの役作りは完璧である。街に溶け込んでしまう普通っぽさと、繊細さと、図々しさと、徐々に亢進していく狂気とを兼ね備えた、不眠症で孤独な、蒼白い青年の佇まい。狂気だけでもなく普通っぽさだけでもなく、そのバランスと、それらが組み合わさることによってまったく先が読めなくなるトラヴィスの行動。それが生みだすスリル。

 この映画のあらすじをざっと見ると、大都会に生きる不眠症の青年が夜の時間をつぶすためタクシードライバーとして働くようになり、不眠症は更に悪化、好きな女の子にもフラれ、だんだんと狂気をためこんでいき、最後にそれが暴発してカタストロフに至る、という流れである。このパターンは凶悪犯罪者の実話ものなどでよくあり、それほど珍しいわけではない。ちょっと素行に問題ある程度だった人間が悪運やストレスや周囲の影響で坂道を転がり落ちるように転落し、最後には凶悪殺人などを起こしてしまう、という例のパターンだ。

 が、細かく見てみると、実はこの映画のプロットはかなり奇妙である。前半はトラヴィスがタクシードライバーになって様々な客を乗せるという都会のスケッチ風で、やがてトラヴィスが選挙事務所で働くベッツィに恋する話になり、うまく行きそうだったのになぜかポルノ映画に連れていって嫌われるという悲喜劇風の展開となる。このあたりからトラヴィスのアブナい感じがエスカレートし、違法に拳銃を入手して急速にノワール化し、よく知りもしない大統領候補を狙う話と、12歳の娼婦をストリート・ギャングから救う話というまったく関係ない二つの話が並行して走ることになる。

 その結果、大統領狙撃は失敗し、娼婦救出は成功。トラヴィスは新聞にも取り上げられ少女の両親には感謝され、ヒーローになる。が、彼はただ何かをして目立ちたいという衝動に突き動かされていただけで、ことの善悪はほぼどうでも良かったと思われる。五分五分の確率で凶悪犯罪者になっていたかも知れないわけで、そのことを知っている観客にとって、あのラストはきわめてアイロニカルである。

 映画のトーンも複雑微妙である。アイロニカルであると同時にコミカルでもあり、先述したベッツィをポルノ映画に連れていくシーンや、前半のタクシー乗客のエピソード、たとえばスコセッシ監督が演じる寝取られ亭主のエピソードなどはどう考えてもブラックなコメディである。その一方で、映画全体としてはずっしり重たく、特に終盤の犯罪映画的展開は剣呑さに満ち、ダークで怖い映画である。かと思えばジャズに彩られるニューヨークの風景は抒情的であり、また、結末のベッツィとの再会シーンなどはロマンティックでもある。

 このように『タクシードライバー』は、よくよく見ると奇怪なまでに万華鏡的なフィルムなのである。その根底にあるのは辛辣なアイロニーだ。このアイロニーがコミカルとバイオレンスの接着剤として機能する。バイオレンスと言えば、クライマックスの銃撃戦はあまりにも強烈である。トラヴィスがアイリスを救うためにギャングのアジトに乗り込むシークエンスは短いけれども、その暴力描写の生々しさ、重たさ、冷たさはどんなアクション映画をも凌駕する。ずっしりと重たいので、私などはあの場面を観るとどっと疲れる。ことが終わった後拳銃を自分の頭に当てて引き金を引き、無造作にカチカチと音をさせるトラヴィスの描写も物凄い。まさに狂気が噴出するクライマックスで、バイオレンス描写が苦手な人は要注意である。

 が、そんな凄まじいカタストロフのあと、トラヴィスは当然死んだか懲役かだろうと思っていると、何事もなかったかのようにタクシードライバーの仕事に復帰している。これがまた人を喰っている。で、久しぶりに再会したベッツィをアパートまで送っていって、料金はいらないと笑顔で手を振って、フツーに好青年っぽく別れたりする。これはジーンと来るところなのか笑うところなのか、もう分からないほどにアイロニカルな場面だ。

 猥雑なエネルギーと、デリケートな詩情を併せ持つ映画。観る方の気分によって、カメレオンのようにその色合いを変える物語。ニューヨークとデ・ニーロという二つの強烈な武器を最大限に活かすことによって、『タクシードライバー』は映画史に屹立する名作となった。

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