アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

パプリカ

2007-09-12 23:01:29 | 
『パプリカ』 筒井康隆   ☆☆☆☆★

 再読。私が持っているのは大昔に買ったハードカーバーである。確かこれは筒井康隆が断筆前に出した最後の長編だった。

 筒井康隆は夢の持つ文学的価値を積極的に認め、貪欲に作品に取り入れてきた作家だ。おそらくここまで「夢」にこだわっている作家は他にいないんじゃないだろうか。昔エッセーでも、星新一が「夢は面白いがそのまま書いても文学にはならないだろう」と言ったことに触れ、自分は夢をそのまま言語化したものに文学的価値はあると思う、みたいなことを書いていた。『夢の木坂分岐点』はもちろん夢テーマの長編だし、短篇でも『夢の検閲官』『「聖ジェームス病院」を歌う猫』などはあからさまに夢そのものがテーマ、手法として夢を意識してあるものはそれこそ枚挙に暇がない。特に断筆直前は、もともと夢を文学的主題として意識していた作者が、夢を夢としてそのまま書いてもいいんだとさとったような短篇がどんどん出てきていた頃(短編集でいうと『夜のコント・冬のコント』あたり)で、そういう意味ではこの『パプリカ』も作者の夢テーマ小説として非常な重要な一冊だと考える。

 『夢の木坂分岐点』が非常に文芸作品的なアプローチだったのに対し、これはエンテーテインメントの枠組みで夢テーマをやった作品だ。夢の中にダイブして精神治療を行う夢探偵=パプリカというキャラクターを中心に据え、夢の中へのダイブにはDCミニというSF的装置、メインのストーリーとしては精神医学研究所の覇権争いといういかにもな設定にしてある。悪役は副理事長の乾精次郎で、ここまでやるかというぐらい戯画化されたヒールになっている。

 手法としても娯楽小説の定石にのっとり、最初はまあまあリアルな(現実より進んだPT機器は登場するけれども)ところから出発し、DCミニ(ワイヤレスで患者の夢にジャックインできる装置)が登場、そしてそのDCミニによってどんどん夢と現実の境界が揺らぎ、シュールさがエスカレートしていく。悠々自在の『夢の木坂分岐点』や『夜のコント・冬のコント』を経て本書を読むと、ものすごく丁寧に辛抱強く娯楽小説のフォーマットの則って書かれているのが分かり、筒井康隆の方法論へのこだわりと誠実さが伝わってきてほんとに感心する。

 そんな本書の最大の読みどころはもちろん、紙上で展開する「夢」である。本書を読むことで読者は目覚めながら「夢を見ている」感覚を味わうことができる。小説の中で登場人物が見る夢が描写されることはよくあるが、誰よりも真剣に夢を追求、解剖、分析してきた筒井康隆が描く「夢」はそんなハリボテみたいなシロモノとは明確に一線を画していて、その凄みは鳥肌が立つほどだ。実際に筒井康隆がエッセーで書いていたが、彼はこの小説を書くために自分の夢や無意識を掘り返す作業に没頭し、そのせいでついに極度に恐ろしい夢を見て一夜で髪が真っ白になったという。知人がみんなびっくりするので面倒で髪を染めたと書いていたが、まあ髪が真っ白になったのが本当がどうか知らないが、少なくとも自分の無意識や夢を掘り返す作業を丹念に行ったのは本当に違いない。本書を読めばそれが分かる。

 パプリカは患者の夢に入り込んで一緒に行動するが、安易な「小説中の夢」と違い、患者がパプリカ自身も睡眠中であるため論理的な言葉使いができず、寝言みたいな物言いになるとか、言葉の一部が聞き取れず「☆◎◆○※」となったり、夢の内容に衝撃を受けると場面が変わる、あるいは目覚めるなど、「確かに夢見てる時ってそうだなあ」と思わせるディテールに満ちており、それが本当に夢を見ているような気分につながっていく。そしてこの小説がもたらす夢の感覚が非常に真に迫っているがために、DCミニの暴走によってついに「現実」と「夢」が渾然一体となった時の衝撃と陶酔はまた格別である。

 それからまた、夢の内容が凄い。作中パプリカが治療をする能勢の「旅館に出てくる虎の夢」とかも、その解釈と合わせて実に良く出来ているが、武器として利用されたりもする精神病患者の怖い夢がなんといっても強烈だ。多分誰にとっても一番印象的なのはあの怖ろしい「日本人形」。壊れたビルの窓から日本人形がのぞいて笑っているとか、こっくりこっくりうなずいているとか、一番怖いのはレストランの上空に現れる巨大な日本人形である。日本人形は笑みを浮かべたまま細かいひび割れの見える手のひらを肩のあたりまで持ち上げ、ぱあんと力任せにレストランのガラス天井を叩き割るのである。あと荒涼とした空き地にすわって笑いながらうなずいている大仏、なんてのも怖い。やはり日本人が心の奥で一番怖いのは日本的なものということか。

 現実と幻想の境界が崩壊するというプロットは最近は多くて、小説、映画、アニメなどジャンルに限らずよく見かける。誰かの精神にジャックインするなんてのもサイバーパンク以降ありがちなアイデアで、それ自体は別にたいしたものではない。だからといって本書を「ありがちな小説」と片付けてしまうのは器だけみて中身を見ない阿呆の仕業である。すべては「夢」のクオリティにある。どれぐらい読者に本物の「夢」を見せられるかが勝負であって、その点でこの小説のクオリティは恐ろしく高い。

 そういうわけで個人的には、徐々に現実が夢に侵食されていく終盤までが異様に面白く、ついに夢界の魔物が現実にぞろぞろ現れるクライマックス部分は退屈だった。こういうのは「何でもあり」になった瞬間につまらなくなる。筒井康隆本人もあれは不本意だったのではないだろうか。しかし話の流れとしてはああいう風にならざるを得ないのはまあ分かる。特に本書は娯楽小説の体裁をとっているのだからなおさらだ。難しいもんだ。

 とにかく本書は「夢」描写を堪能する小説だ。娯楽小説的プロットの方はほぼどうでもいい。そっちはおそらく、本格的筒井小説に慣れない人々向けのシュガーコーティングでしかない。パプリカがいやにセックスにおおらかであるとか、パプリカがひかれるのが中高年の男性ばかりであるとか、ストーリー的には突っ込みどころは他にも色々あると思うがそれもまあどうでもいい。とにかく本書の「夢」描写は本当の夢を見ている気分を味わわせてくれるぐらい上質で、これは映像化不能と思われる。ちなみにアニメはまだ観ていない。
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サイバーパンク 鳥肌が立つ ジェームス 夢の検閲官
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