アブソリュート・エゴ・レビュー

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Somewhere in Time

2006-06-25 16:45:52 | 映画
『Somewhere in Time』 Jeannot Szwarc監督   ☆☆☆★

 スーパーマンことクリストファー・リーヴ主演のロマンティック・ファンタジー映画。邦題は『ある日どこかで』。時を越えて結ばれようとする男女の物語である。

 正直、この映画に点数をつけるのは難しい。決して傑作とは言いがたい。はっきり言ってメロドラマである。脚本、演出ともにあまり垢抜けない。物語上重要なポイントでは不自然に大げさな演出になる。例えば冒頭、老婦人がリチャードに近づいてくるところで、なぜかパーティー会場全体が静まり返ってしまう。リチャードがエリーズの肖像写真を初めて見るシーンではまばゆい光が写真を包み、彼はいやにもったいぶった足取りで近づいていく。

 演出以外にも欠点は多い。リチャードは時間旅行についてジャック・フィニー博士に聞きに行くが、フィニー博士の話があまりに子供だましだと思うのは私だけじゃないだろう。要するに「古いホテルの部屋で自分は18世紀にいると思いこんだら、本当に18世紀に行けたような気がする」というもので、これを聞いてリチャードが真似するという筋の運びにはかなり無理がある。それから時をさかのぼったリチャードとエリーズの恋愛描写もどうも泥臭い。あっという間にエリーズがリチャードにめろめろになってしまうのも説得力がないし、二人のラブラブなシーンは見ていて気恥ずかしくなるほどだ。ラフマニノフの曲が重要なアイテムとして使われているが、この曲が物語の甘さに拍車をかける。要するに、ご都合主義的ストーリーの大甘メロドラマといわれても仕方がない。

 しかし、それでもこの映画にはマジックがある。それはおそらく、演出や脚本の細部ではなく基本的な物語構造の中にある。古い肖像写真を見てすでにこの世に存在しない女優に恋をした男が、時を越えて彼女に会いに行こうとする。奇跡が起き、男は時を遡る。二人は愛し合うが、この自然の摂理に反する恋愛は最初から引き裂かれる運命にある(二人を引き離す1セント硬貨は、最初からずっとリチャードの胸ポケットに潜んでいる)。二人の間に、再び60年の時の壁が立ちはだかる。二度と奇跡は起きず、男は傷心のあまり死んでしまう。この地上で結ばれなかった二人は、死んでようやく一緒になることができる。

 この物語は悲劇である。この悲劇で愛する二人を引き裂くのは、身分の違いでも理解のない親でも共同体でも陰謀でも悪人でもない、時間である。時間ほど無慈悲で、取り返しのつかないものが他にあるだろうか。

 リチャードは愛ゆえにエリーズに会いに行くが、彼女のマネージャー、ウィリアムはリチャードに言う。「お前は彼女を破滅させる」リチャードは反発する「そんな馬鹿な」しかし結局はそうなるのである。彼を恐れ、必死にエリーズから遠ざけようとしたウィリアムは正しかった。結局二人は惹かれあい、そのせいで悲劇は起きる。この宿命的な破滅はあまりにも切なく、切実だ。その切実さがもろもろの演出や脚本の拙さにもかかわらずオーディエンスに訴えかけてくる。
 
 1セント硬貨によって現代に引き戻されたリチャードは、再び過去に戻ろうとするが、もはや奇跡は起きない。一度起きたんだからまた起こせるだろうと思うのは間違っている。リチャードは彼女が孤独な晩年を送ったことを知っている。老女となった彼女が自分に「戻ってきて」と呟いたことを知っている。二人の別離は決定事項なのである。それは彼女に会いに行く前から分かっていたはずだったのに、彼はそのことから目をそむけ続けた。現代に引き戻されたリチャードの頭の中で、初めてすべての辻褄があったに違いない。と同時に、彼は二度とエリーズに会えないことをさとる。この絶望が彼を殺したのである。この後、リチャードが何とかして歴史を改変し、またエリーズに会う、というようなご都合主義的展開だったらすべてが台無しになっていただろう。

 という具合に、全体としては欠点だらけの大甘のメロドラマであるにもかかわらず、この映画はどこか不思議な魅力を持っている。エリーズ役のジェーン・シーモアも美しくて可愛らしい。たまにロマンティックな気分に浸りたかったら、こういう映画を観るのもいいかも知れない。


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