to-boketaG の春夏秋冬

思いつくまま・・の記
土曜日に更新と決めています。
囚われの身  自宅近くの用水脇にて 29.9.12

333-290610読み応えのある本に巡り合う

2017年06月10日 | 小説・映画・など

 明治と平成の共存。 安中市郷原旧中山道にて

 

高齢者の中でも更なる高齢者に制度上分類された1月以降夜間の

不眠に悩まされている。分類されたことと関係があるわけではな

いが、節目ということで何か関係づけて考えている自分がいる。

良き睡眠を得るために医者にも相談し、参考文献も読んだり手を

尽くしてきた。無事に現役を終了したのでこれといったストレス

はない。思い至った結論が薬の世話になって30年。この長期間

薬に頼れば元々持っている疲れたら、暗くなったらあるいは徹夜

後だから自然に眠れるという本能がズタズタになっているのだ

いうこと。これからも薬との付き合いはもうやめることはできな

いだろう。

 

さて今週は読み応えのあった本に接したのでそのことをに取り上

げたい。その本は角幡唯介著「漂流」。

図書館に昨秋予約を入れておいたのが半年かかって番が来た。最近

不眠傾向が続き本読みに少し遠ざかっていた。読み始め内容に引き

付けられて一気に読む。結構ボリュームがあるので1週間かかった。

これだけ内容の濃い本を読み続けるには気合を入れないとできない。

これがテレビとは異なるところ。努力した分鮮烈な印象を老いた頭

に残していく。同じ表題では吉村昭の作品もある。これは江戸時代

期に鳥島に漂着した漁民の話だった。

角幡氏は早稲田大学探検部の出身で弱冠40才。以前チベットのツ

アンボウ渓谷を遡行した際の本を読んだことがあった。日本国内で

一番縁がない地域、私にとってそれは沖縄県であり、中でも先島

島なんかもうほとんど外国。海なし県に生まれ育ったので海の世界、

漁師の世界には全く未知である。

1994年春、フィリピンミンダナオ島南方のセレベス海でゴムボ

ートで漂流中の日本人1人(船長)と8人のフィリピン人(船員)

が偶然に通りかかった漁船に救助された。1カ月半に及ぶ漂流の末

だった。20年前のこと。頭の片隅にこんな海難事故あったことが

マスコミで報道されたことを覚えている。

漂流という異常体験を記した部分は本書の1/4程度。メインは明治

後期から戦争を経て現在に至るまでの佐良浜の男たちと海との関わり。

戦後復興の原動力になった朝鮮戦争やベトナム戦争による特需景気。

高度成長期の大きな転換点となった石油危機による燃料の高騰、そこ

から生じる漁船の小型化。などが克明に描かれている。

船長木村実氏は我々と同じ世代。戦前戦後の南方カツオ漁、高度成長

期と同時行したミクロネシア海域におけるマグロはえ縄漁の時代背

景が良く理解できた。そうした漁業に携わった海でしか生きることの

できない伊良部島の佐良浜の漁民。1航海で台風に強い鉄筋コンクリ

ト製の家が作れるほどの収入、にもかかわらず財を蓄えるという習

慣の薄い海洋民気質、いい時は長くは続かなかった。しかし過去の

栄華を懐かしがることもせず、時代の流れに身を任せて生きる術を

につけた男たち。この大らかさはこせこせした我々陸の民にはない。

 

佐良浜地区の現在の姿はgoogle mapのstreet viewで今その地を踏ん

だかのように目にすることができる。あまりに多くの事が戦後70年

の間に我々陸の民同様にこの地図上では辺境の地に住む海の民にも起

きていた。漁民も経済原理とは無縁でない。庶民が口にするマグロは

彼らが獲ったマグロであり、大間のマグロではあり得ないことも知っ

た。本筋には無関係だが人気女優の仲間由紀恵にはこの佐良浜の海の

の血が流れていることも知った。

 

木村実氏は生還後数年は海と縁を切り陸の仕事に携わってきたようだ。

の後またマグロはえ縄漁に戻った。そして2001年に船ろとも

フィリピン東方海上で行方を絶つ。最後に無線連絡した地点には沈没

を思わせるものは何一つ浮いていなかった。

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