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公害・薬害の連鎖はどこからー足尾鉱毒事件を振り返る

2017-04-11 20:21:45 | 日記
公害・薬害の連鎖はどこからくるのでしょうか。薬害問題も、もう半世紀以上繰り返されています。今また子宮頸がんワクチン問題でも厚生労働省の子宮頸がんワクチンの専門家検討会が結論が出ないままでいます。裁判に加わる被害者も増えています。
このような状況は明治の日本にもありました。足尾鉱毒事件です。栃木の足尾鉱山からの鉱毒による被害は明治18年ころから渡良瀬川流域で起こっています。被害が顕著になったのは渡良瀬川大洪水により栃木・群馬の広域にわたる被害が明らかになった明治23年です。田中正造による国会質問でも明治政府の動きは鈍く明治23年に榎本武揚農商務相による被害地視察と政府の第1次調査会が最初です。被害調査が始まっても鉱毒の源である足尾鉱山の操業停止には至らず明治36年の第2次調査会での渡良瀬川流域の治水事業に論点をすり替えてしまいます。これには当時の国策事業であった鉱山と足尾鉱山経営者古河市兵衛と政府との関係もありました。このような構造的な問題は現在まで引きずられています。歴史から公害・薬害問題を検証することは、公害・薬害の連鎖を断ち切るうえで大変重要です。
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