SHINGOROKU

日常のさまざまな風景…その中に…色々なモノを背負いながら…色々な自分がいて…我が心の風景、今ここに記す。新たな出逢い!?

あのお店たち

2006-08-13 22:50:24 | Weblog
ある地方の小さな町に僕は居た。安い旅館に泊まっていた僕は夜になって外に出た。辺りに繁華街などはなく、暗く静かな街並みだった。すれ違う人もなく、僕はのんびりと初めて訪れる土地の空気を吸いながら歩いていた。やがて一軒の赤ちょうちんが目に入った。僕はお店に入った。古ぼけた小さなカウンターに地元の常連らしきオジさん2人組が酔っ払いながらおシャベリしていた。カウンターの中には60代位と思われる店主とバイトらしき女の子が働いていた。僕はカウンターの隅に座り、日本酒を注文した。お店のテレビは何やら番組を写し出していた。まるで時間が止まっているかのような雰囲気の中、僕はフーっとした気分でいた。やがてオジさんたちは機嫌良さそうに帰っていった。一人だけになってしまった僕は静かに何杯目かを呑んでいた。お店の人は特に僕に気を使うこともなく、僕も特に話しかけることもなく…その雰囲気が何故か心地良かった。そのうちテレビはドラマを写しだしていた!僕は一瞬ハッとなった。その番組は以前出演したドラマの再放送だった。「ワッ、俺が写ってる。俺がしゃべってる。」僕はグラスの方に目をやりながら呑んでいた。テレビを観ていた店主とバイトの子はチラチラと僕の方を見始めた。そして店主が初めて話しかけてきた。「あのう、テレビの人、お客さんですよね。」「えぇ。」その会話をキッカケに3人はなごやかにシャベリ出した。店主もバイトの子も呑みながら素朴で温かく楽しい時間が流れた。12時閉店のはずが、気がつくと2時を回っていた。僕は別れの挨拶をしてお店を出た。「あ~ぁ、いい時間だった…」するといきなり後ろから声がした。「また来て下さい!絶対また来て下さいね!」振り向くとそのバイトの子だった。彼女は僕に向かってずっと手を振っていた。愛らしい笑顔だった…。あのお店はまだあるのだろうか?64歳だったあの大将は元気でいるだろうか?レモンサワーの好きだったミカちゃんは元気でいるだろうか?

何年も行っておらず、もう一度行ってみたいと思うお店が全国に何軒かある。そんなお店を巡る旅をしてみたい。

若さ?

2006-07-27 22:01:46 | Weblog
俳優の仕事や学校の講師をしていると、よく周りから「若い人たちと関わっているといっぱい若さをもらえるでしょ」って言われますが、その時はおチャメに反論。「俺が若さを与えてるよ!」学校の生徒たちをみていると、イキのいい若者(特に男子)が少なくなったような気がしますね。「若さ」が無く、どちらかというと「幼稚性」が強いようで…いつになったら若者たちを見て、「若いっていいなぁ…」って思わせてくれるのかな?

「若さ」とは素敵な「バカさ」なり。

記録帳

2006-07-12 23:24:39 | Weblog
「人生を記録として生きるか…記憶として生きるか…」ナーンテ言葉を冒頭に書いた1冊のノートが机の引き出しの奥にある。実はこのノート、高校1年から現在に至るまでの僕の記録帳なのです。1年を1ページに、その年の自分に関わる印象に残った出来事を、1年の最後にその年の手帳からピックアップし箇条書きに書き残しています。「あれ」は何年だったか、何歳の時だったか、と知りたい時にはひと目で分かるし、色々役立ちます。たまに読み返してみると、昔のことが懐かしく蘇ってきたり…今では何十ページ(何十年)にもなりましたが、今までの記憶が集約された1冊の自分史といっていいでしょう。いかがですか?試してみては…。

若者たちの夏

2006-06-28 00:40:56 | Weblog
毎年夏になると、有楽町の朝日ホールで「この子たちの夏」という朗読劇が上演されています。この作品は広島、長崎の原爆の悲劇を、我が子を亡くした母親たちの手記を通して描かれており、ベテランの女優さんたちの朗読によって構成されています。

ある夏、専門学校の有志たちによって自主公演をしました。戦争体験もなく、幸せな時代に生まれ育ってきた若者たち(僕の年代もそうですが…)が、どんな想いで語り、表現できるのか――まして役者のキャリアの浅い彼らにとっては至難の技ですが。単に朗読の勉強ということだけではなく、この作品に流れている親子の絆(勇気、優しさ、逞しさ)の尊さに触れることができ、「感じる心」を体感できたようです。それは本番での彼らの涙が全てを物語っていました。

遺言?

2006-06-09 21:15:44 | Weblog
僕の常連のショット・バーには我流の筆文字で書いた遺言集があります(笑)。これはマスターの発案。飲みながら、フトした想いを便せんに綴り、今は2冊目。実は出版の話もあるような、ないような…ではその一部を――

センスとは微妙な物事を読み取る心の働きのようなもの。

懸命にやってた事って思い出すと素敵な笑い話。
懸命にやっていない事って思い出すと…忘れている。

心は嘘つけても、体は嘘つけない。

「バカ」という言葉、上に付けずに下に付けよう。
バカ男ではなく男バカ。バカ女ではなく女バカ。バカ人間ではなく人間バカ。

「気を使う」のではなく、「気使い」。「心配する」のではなく「心配り」。

相手とうまくいってる時って、そこに居る自分も好き。うまくいってない時って、そこにいる自分も嫌い。だから別れる時って、相手とだけではなく、そこに居る自分とさよならしたいのかも…

わかってあげる優しさの他にも、わかってあげない優しさもある。

人は生き物という生(なまもの)――心も体も使わないと腐っちゃうよ。

自分でつくっている自分。自分で選んでいる自分。どんな自分をつくろう。どんな自分を選ぼう。

「今日」という日は、残された人生の常に初日。

目は凝らしてみるもの。耳は澄まして聞くもの。

まぁ、そんな事を書きながら、ショット・バーではバカ騒ぎもしております。

ある風景②

2006-05-28 12:17:47 | Weblog
彼女はお酒の大好きなポルノ女優であった。深夜の公園。彼女は酔っ払ってつぶれていた。やがて通りがかったあるサラリーマンが声をかけた。「大丈夫ですか?」季節は冬。心配になったその男性は歩くのがやっとの彼女を自分の家に連れていき、ベッドに寝かせた。(そして彼は…と言いたい所だが)彼は畳に寝た。翌日、彼は昨夜の状況などを書いた置手紙を残し、会社に行った。夕方頃に彼女は目を覚ました。あまり記憶は無かったが、彼の好意ある行為に小さな感動を覚えた。そしてその部屋で眼に入ったもの――それは洗濯したままになっていたシャツや下着や靴下だった。彼女はそれらをきれいにたたみ、そして家を出た。そこで神様は素敵なイタズラをした。彼女は自分の鍵をその部屋に忘れてしまったのだ。一方、彼は帰宅し、たたまれている洗濯物を見て小さな感動を覚えた。彼女は再び彼の家へと…ドアをノックする。ドアが開いた。彼は開口一番、「一緒になって下さい!」そして彼女は「はい!」彼女は仕事を辞め、結婚した。ある年の彼女から年賀状――「今でもお酒には感謝しています。」彼女はもうお酒は飲んでいない。

ある風景①

2006-05-12 22:00:05 | Weblog
そのお店は、常連客の集うカウンターだけのスナック。その夜は暇で一人で飲みに来ているお客が2人だけ。カウンター内のボーイと静かな雰囲気の中、静かな会話が続いていた。やがて常連の中年男性が一人の女性を連れて来店。この男性はかなり酔っていた。そしてお酒を注文すると、カラオケは無いのに「歌いたい!」と言う。ボーイは周りのお客を気遣って困ったが、とりあえず1曲だけという事になった。アカペラで大声あげて歌う男性。それも歌はヘタクソ。当然お店はシラけた雰囲気。歌い終わると「もう1曲!」と言い出す始末。そして結局2曲目へと…その酔っ払い男性は「こいつの事、大好きなんだよ!こいつのためにもう1曲歌いたい!俺の好きなこの店で歌いたいんだ!」などと言いながら、更に3曲目、4曲目へと歌は続いた。ボーイと他の2人のお客はただ聞くだけの状況。やがて歌が6曲目、7曲目あたりになった頃、そのお客とボーイは一緒に手拍子を打っていた。そして隣の女性は静かにうつむいたまま、目頭を赤くしていた。その男性の不器用ではあるが一生懸命の想いが、他のお客にもボーイにも、そして彼女にも熱く伝わってきたのだ。2人が帰った後、残ったお客の一人が言った。「いい店だよね。」翌年、ボーイの元に一通の年賀状が届いた。そこには2人の結婚披露宴の写真が載っていた。そしてひと言添えてあった。「あの時のヘタクソな歌がきっかけでした。ありがとう。」

卒業文集

2006-04-29 23:52:46 | Weblog
「――作物は夜育つもの。幸福は苦労の中に育つもの――いつだったか、何かで知った言葉である。作物は静かな夜にも絶えず成長し生きているが、人間の理想であり、また希望でもある幸福とは一体何者であろうか。幸福になりたいと人間はよく言うが、幸福とは目的ではなく、むしろ結果として訪れるものだと思う。つまり幸福になりたいと言う前に、そんな安易な気持ちは捨て、やるべき事をやろうとする事ではないだろうか。多くの困難、苦労に耐えて…そして初めて人間としての喜び――つまり幸福とか栄光などを自分の手でつかむことができるのだと思う。勉強にしてもクラブ活動にしても、決してあてはまらないとはいえない。まずは実行する事である。こんな一行の言葉でも3年間を振り返ると色々な面で生きてくる。」

これは中学校の卒業文集「巣立ち」に載っていた僕の言葉です。よくもまぁ、ヌケヌケとこんな事、書いたなぁと笑ってしまいます。あの頃は、1学年10クラス、男子は皆ぼうずだった。

たまに実家に帰ると、中学時代の友人がやっている小さな居酒屋で、中学時代の友人とワイワイ酒を酌み交わしています。なぜか中学時代の想い出話というのは盛り上がるもんですねぇ。特に好きだった女の子の話題になると…

今、もし卒業文集に何か書くとしたら、
「幸福に大小はない。幸福に比較はない。幸福は他人に思われる事ではなく自分で思う事。幸福に結果もない。全ては過程の中で感じたワン・シーンの様なもの。ちょっと無理して頑張って、あるがままに、なすがままに…でもなかなかうまくいかない。だから面白い」

いい時間

2006-04-15 10:45:47 | Weblog
ある年、若手俳優たちを連れて千葉県の養老渓谷へ二泊三日の合宿へ行きました。その時、メンバーからの質問、「向こうではどんなレッスンをするんですか?」それに対して「たまには芝居の“し”の字も忘れて、自然のエネルギーを吸ってこようよ。」僕自身そんな時間が欲しかったのかもしれませんが…団長は先日このブログでも紹介した歌手のミネハハさん。宿泊先はミネハハさんの仕事仲間でもある音楽プロデューサーAさん宅。到着するとそのご自宅というのが感動ものでした。Aさんの話によると約百年位前の家(当然廃屋状態)を、当時住んでいた船橋から何年もかけて通い続け、全て自分の手で再築したということです。現在はここで音楽活動をしながら暮らしています。周りは山の緑に囲まれ、庭には子ヤギがいて、柿の木があって…今でも色々な場面が蘇ってきます。山歩きした時の風景や空気の匂い…裸足になって渡った川の冷たさ…手造りの露天風呂から眺めた満天の星…囲炉裏を囲んでの酒の語らい…小さなスタジオで歌ってくれたミネハハさんの歌声…涙する者もいました。時間の流れというものをこんなにゆっくりと、ゆったりと味わうことができるとは…そして二台の車で走行中でのこと――誰かが「車を止めて!ホラ!見て!」早速、車から降り、僕たちが見たもの――それは今まさに沈んでゆこうとしている真っ赤な夕陽でした。皆、無言でただじっと眺めていました。そして沈み切った時、誰からともなく起こった拍手!きっとそれぞれの中に言葉では言い尽くすことのできない想いが沸いてきたのでしょう。想い出される日ではなく、忘れられない日…。

フト思ったこと

2006-03-30 18:40:59 | Weblog
以前こんなことがありました。住所録を整理している時のことです。当然、何年も会っていない人は沢山いる訳ですが、無意識の内に住所録から何人か消している自分がいたのです。何年も会っていなくても住所録に残している人、消してしまった人、また中には久し振りに再会して、再び住所録に復帰した人…なんでもないようなことですが、人間の行為って面白いなぁってフト思ったのです。まぁ、僕の名前だって相手の住所録に残っているか、消されているかわかりませんが…年賀状をいつの間にか出さなくなってしまった人っていますよね。別に理由がない限り、「なんとなくの思い」なのかな?もしかしてこの「なんとなく」って怖いことかも…。