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幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 岩崎宏美さん」 ”得意なことで勝負する”

2016-11-20 07:44:00 | 生き方/考え方
デビュー40周年。岩崎宏美さん。これからはのんびりと。
15歳の時にスター誕生。2枚目ロマンスで新人賞。聖母たちのララバイなどでNHK紅白14年連続。シンデレラハネムーンはコロッケさんがものまねしてくれた。

40周年のコンサートで妹が8年ぶりにゲストで出てくれた。3歳違い。
最近、妹と間違えられる。4つ上に姉がいる。
実は東京の下町深川生まれ。学校が成城学園。通学に1時間半。姉が歌を習いだして、姉妹が同病にとのことで、小学校2年から歌を習いだした。
1曲目は小坂明子さんの「あなた」をスター誕生で歌った“勝負曲”。レコード店でこの流れている曲のレコードくださいと言った。

この歌を学生時代の友達とカラオケに行って歌ったら、友達が泣いてくれた。今のあなた(阿川佐和子さん)だと。この歌は夫がいない悲しい歌。
レコード会社8社が札を立ててくれた。
合格発表の瞬間、札が上がりそうなのを見て、「どうぞよろしくお願いいたします。」というところを「どうぞ」と言ってしまった。

「花の中三トリオ」と同い年。3年先輩とか。百恵さんと三浦友和さんが撮影後に寄ってきて、「宏美さん何をしていたの?」と聞かれた。「私は三浦君にお部屋まで送って貰うところ」と言われ、どんなに違うかと思った。百恵さんがアイラインを細長に引いていた。それを私に引いてくれたが、奥二重だったので合わなかった。当時は自分で化粧していた。ジュリーくらいが化粧する人がいた。

デビューして以来休むことがなかった。3~4枚/年レコードを出していた。
結婚してしばらく休んでいる時、コロッケさんがものまねしてつないでくれた。
まねされたことはぜんぜん嫌でなかった。野口五郎さん、ちあきなおみさんのをものまねして次は誰だろうと思っていたら、自分の歌だった。
「聖母たちのララバイ」は番組の歌だった。23歳で歌詞の意味がよくわからなかった。
お父さんのための応援歌として1コーラスしかなかった。人気がでてフルコーラスにして出した。30年生き続ける“応援歌”。大変な時こそこの歌を歌える。

つらい思い出はあまりない。デビューする時、父は強く反対した。スター誕生の時はテレビを8ミリで撮影していた。父が「16歳でデビューすることはだめだ」と。ここだけは父の言うことを聞いてはいけないと思って「二十歳までお願いします」と言って父の返事を聞かずに部屋を出た。歌しか特異なことがなかったので、それをしたいと思った。

厳しかった父との思い出。トイレにいた時、洗面所に父がいた。トイレットペーパーをカラカラと音を出してトイレットペーパーを引っ張っていたら、父が「カラカラと引くやつがいるか」と叱られた。しんどくしていると「しんどいなら止めなさい」とも言われた。今年88歳で父が亡くなった。お葬式の翌日コンサートだった。辛い時にも歌を歌わなければならない。この強さは父から貰った。だから40年やってきた。よく頑張りました。

朝ドラで阿川佐和子さんが出ていましたね。手術の時に励まされた曲。宇多田ヒカルさん「花束を君に」。喉の手術をしていた。3日間声を出せなくて、その後にこの歌を歌って音が出せて安心した。声に言葉に癒された。イントロがなくて新鮮だった。今まで通り無理をせずにのんびりと長く歌が歌えたら良いかなと。多い時は2回/週コンサートにでている。

感想
人生には選択肢がたくさんあります。
ここだと思った時は、不安があってもチャレンジしていくことなのでしょう。

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