
ネットお友達のおぐにちゃんのブログ
おぐにあやこの行った見た書いたに少し前に書評が書かれていたこの本。
おぐにちゃんのブログで紹介される本はとても興味深く、私のアンテナにひっかかるので時々ここで取り上げられた本を読むことにしています。
コメントにも書いたけれど、日々障害者として働き、障害者と向き合う毎日の私の周辺への思いとして捉えてみたくて、早速取り寄せてみました。
読み終わって一言…。「重すぎる…」。
著書の山本譲二さんは、秘書給与流用で逮捕さ、その使途が「カツラ購入資金」だったり、選挙時期には「みちのくひとり旅」を熱唱したり、師匠の菅直人婦人と不倫疑惑が報道されたり、そんなイメージばかりだったが…。
塀の向こうの世界を見てきて、別の世界を見つけたようです。
議員であることより、こちらのほうが人間らしく、社会に貢献する存在であるような気がする。じっくりと障害者について取り組んでいただいてもう一度議員への道が開けるのだろうなぁ、と素直に応援してもいいかなと思ったりしています。
障害ゆえに経験できず、育つことのなかった道徳心、判断力。
根底から崩される常識論、健常者があたりまえに暮らしている社会のルール一つ一つが、元から欠落しているとしたら、同じ法律で裁くこと事体無理なのでは…。
90年代まで聴覚障害者は法律で精神障害者のように特例が認められていたこと、懲役囚の半数近くがどこかで知的障害を認められるという現実。
牢獄だけが安心できる場所だと軽微な犯罪を繰り返す障害者たちの現実にふれて、一口に「障害者」の三文字で語れない言葉の重さにたじろいでいます。
一つ一つの出来事と、その事件の背景が語る家族や福祉の問題にも触れて、親子で知的障害があることで福祉からも閉ざされていたり、聴覚障害者が体のつながりが唯一障害を感じないときであり、悪びれることなく母子で肯定的に語る空間など等理解しがたい事が次々と続く。
でも、現実の仕事の場でもどうしてもわかりあえない、最後に越えられない習慣や価値観の壁は根っこは同じなのかもしれない。
そう思うと納得行く事があったり…。
新たに「障害者」について受け止めていかなくてはと思っていた矢先、深い沼に足をとられるようで、そのことの重大さに気がついたり…。
今踏み出そうとする世界の深い闇にたじろいでいる。
私は患者として、障害者としてどう生きていったらいいのかとの問いにおぐにちゃんがコメントで「MimはMim が真っ先にすとんと胸に落ちる」と言ってくれた言葉がとても嬉しかった。
私は私らしく、この本の重みを受け止めつつ、一歩踏み出せる私になりたいと思った一冊でした。










