平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

六甲山の山津波~1938年(昭和13年)阪神大水害

2016-06-21 01:56:20 | Weblog
 またコメントで「青」について本当の意味を考えるようにクイズを出しておいたので、今回は阪神で忘れ去られている、六甲山の山津波について書きます。クイズの答えは明日の予定 (;^ω^)

 山津波とは、大雨が引き起こす大規模な土石流のことです。2年前の8月に起きた広島の土石流も山津波に近いけど、神戸駅まで泥沼と化した六甲山の山津波は広島の10倍近い大災害でした。折しも、長崎県で豪雨への注意報が出されている時。大雨の本格シーズン到来の前に書いておかないと気が落ち着きません。


長崎で1時間に115mm、熊本150mmのリアルタイムレーダー画像

 六甲山の山津波は、死者が570人以上(公式には731人)で怪我人も3000人。浸水数万戸に、倒壊半壊家屋8600という凄まじさ。ソロモンの豪邸と言われた川崎男爵宅も泥流に飲み込まれたとか→神戸北野ホテル 川崎正蔵男爵邸跡。

 この山津波の原因は大雨ですが、何と460mmを超す総雨量。広島の時は安佐北区で287mmですから、その1.6倍の規模。空恐ろしくなります。


三宮駅前の惨状(神戸市のWeb資料館↓から)

 この大雨が、六甲山の花崗岩の崩壊時期に重なり、山崩れと巨大な土石流の津波となって家屋と人を飲み込んだ。豪雨に備えた排水用のトンネルである暗渠も飲み込まれたとか。

 さらに、神戸市内が泥に飲み込まれたのには別の理由があり、それは地表から見えなくなっていた昔の川の上に人が住んでいたこと。土石流で地表が洗い流された後に、昔あった川が出現していて驚いたとか。川は龍脈ですから、人間の都合で埋めても龍神の怒りを呼ぶだけ。

 この山津波についての報道資料ですが、神戸大学附属図書館の新聞記事しか電子データがありません→こちら(左フレームに現代語訳)。簡単な説明写真は神戸市のWeb資料館にあります。専門的な資料は国土交通省の神戸支部とかで申請すれば見られるようですが、それでは大変すぎます。神戸の大学で卒論に悩んでいる学生があれば、この山津波について調べて論文を書けば優秀な成績で卒業間違いなし (;・∀・)

 六甲山系の水害は度々起こっていて、一番古い記録が飛鳥時代の652年にあります→六甲山系災害史。しかし、気になるのは1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)の大東亜戦争・太平洋戦争の時代です。大戦争の契機となった満州国建設が1932年3月で、この年の7月に神戸の水害。2年後には室戸台風で死者281人。

 実は、僕が六甲山の山津波を知ったのは、1938年(昭和13年)が気になって調べている最中でした。というのも、掲示板で1938年以来うんたらという書き込みがあり、1938年を調べていたのです。調べていたら、横溝ミステリーの『八つ墓村』の元になった、岡山の津山30人殺しが起こった年でした→八つ墓村予告編

 大きな戦争の前に、世相を反映した猟奇殺人事件が多発する。それと同じように自然災害も頻発する。異常気象が最近のトレンドのように思われていますが、過去にも大災害があったことを忘れないようにしたいですね。

 なお、安倍晴明と安倍総理の関係について、少しトンチンカンではありますが、「官打ち」という呪詛で説明しているサイトがあるので紹介しておきます→こちら。これは僕が見つけたのではなく、半分破門中の栗ひよこが見つけたもの。さすがはオカルトマニア Σ(・∀・|||)

 東京都知事の舛添要一が辞任し、蓮舫が知事選に担ぎ出されて辞退したとか。他党ですけど官打ちを避けたのかもしれないですね ^_^;

 津山30人殺しは、ミステリー作家の島田荘司が、『龍臥亭事件 上・下』の中で、事件の背景として詳しく書いています。長いので読むのは大変ですが、この作者は時系列で登場人物を加齢させながら描いていくので、デビュー作から読まないと登場人物に馴染めないかもしれません。

    エフライム工房 平御幸
コメント (12)
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