江戸川 乱視という名前で日本yahooに同じものを投稿している。

中国での生活を写真付きで日記や趣味、自分史を書いてみる。

20170717, 月曜日。銀鱈の骨豆腐スープ。自分史: 魚の記憶と蝉の記憶。

2017-07-27 08:28:53 | 日記
今日は6:00に起きた。ニュースとゲームを少々弄ってから、銀たらの骨スープを作り始めた。
スーパでは銀鱈の骨を安く売ってあり、ハーフ以上も安くなっているので、ありがたく購入してきた。
豆腐、青豆などと一緒に30分ほど煮て、皆に一杯ずつ配食した。
今日のお茶は紅茶で、銀鱈の油を洗い落すためにレモンも入れた。




骨の髄はとても美味しかった。銀鱈の骨も食べてしまった、、、

骨を消化する時に、文化大革命の時に魚に関する記憶を思い出した(^-^)

上海、海の上流という意味から取った名前かな、川の下流とも言い換える。上海=河下、、、なんかとても日本風の都市名になった(^∇^)

子供の時に海の魚はあまり知らなかった。
毎日のようにお婆ちゃんのお供として一緒に市場に行ったけど、海の魚といえば細くて、貧弱そうな太刀魚とゴム魚だけが良く見かけていた。
祭日の頃には、黄魚という中国名の魚とイカなども見かけたが、種類はさほど多くなかった。
それらの魚に一番安いのはゴム魚だった。
ゴム魚の日本名は知らなかった、、、小さな体で、刺しが多くて、皮はゴムのように伸びられる、、、とても食べにくい魚だった。
お婆ちゃんがいつもゴム魚をきれいに食べられる人は上品なお嬢様に成れると誘惑してきた。
私がその話を信じて、本当に30分以上真面目に食べた、、、
食べながら向かいに座っていたお婆ちゃんに笑顔を作って、優雅なお嬢様のように笑いもかけた、、、
確かに今は魚を食べるのには早くて、上手だった、、、

1980年までに、私達があそこ、繊維と鉄鋼業界の団地に住んでいた。2階建の建物で、上5家下5家が一つ単位の構成で、二つ単位が連棟になるというスタイルだった。トイレは10家の共同使用で紛争地域になっていたけど、厨房は5家で一間の約20平米の空間があったから、和気藹々の場所だった。
二階に住んでいた6号と9号にはそれぞれ二人のお兄さんがいて、団地に住むほかの男の子達と一つ青年団を作り上げた、、、夏休みにいろんなバカ遊びを見させた、、、6~7歳の私を驚かせた(^-^)
おチンチンを出して相手の口にションベンしたことと毛虫と天牛虫の殺し合わせたことなどの次には、バケツ一杯の蝉を捕まって、頭と尻尾を取り除き、真ん中の赤肉部分だけを醤油一夜漬けで油揚げ料理をしたんだ!
9号のお兄さんたちが私のベービシータ役で、青年団と遊びの時にいつも私を連れて行った。
その時もおいしいの、食べてみてとか誘われたけど、しっかりと断った。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 20170726,水曜日。韮炒めの料... | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。