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増上寺界隈研修 2016年10月29日

2016年11月05日 | 自主勉強会

徳川家の菩提寺である増上寺をメインにその界隈をK氏に案内していただき会員14名が研修を受けました。幾つか心に残った事を記させていただきます。

まず「芝」という地域についての認識を改めました。「芝で生まれ神田で育ち末は火消しの纏持ち」から感じ取れる江戸っ子気質や繁華街であった事などについてはじめに説明していただきました。現在は上品なイメージのエリアですが、昔は有名な「め組の喧嘩」が起こり、半鐘が島流しになったなどと聞くとそのギャップはいささか驚きです。そういえば先日Y氏より、だらだら祭りで公開された、その半鐘の写真が会員宛に送られてきた事を思い出し、帰宅後確認しました。

↑ 芝大神宮

一番左がめ組の半鐘です  [だらだら祭りの期間中(9月12日)に撮影]


↑ 大門


増上寺ではいろいろ興味深い話を聞く事が出来ましたが、中でも「三解脱門」は盛り上がりました。2011年に戦後初の一般公開となり、当会ではその手伝いをなさったとか。知らずして当会へ入会前の某氏が足を運び、「門の上の窓から海が見えたこと」等の説明を受けたそうです。

↑ 三解脱門

 

 ↑徳川将軍墓所

↑ 台徳院霊廟総門


絢爛たる霊廟が戦災によりほとんど失われたのは痛恨の極みであり、案内のK氏の口振りにも時折その悔しさが滲んでいたように思います。ただそれにより明らかにされた将軍の身長や死因は興味深いものでした。心不全や脳卒中で亡くなるのは理解できますが、インフルエンザや脚気、食あたりというのは本人も無念であったかもしれませぬ。身長も低く150cm台が多かったですが、中には120cm台の方も。市井の人々に至っては推して知るべしという事なのでしょうか。

東照宮ではやはりイチョウの樹の存在感が圧倒的でした。1641年に徳川家光によって造り替えが行われた際に植えられたとか。高台から俯瞰する江戸から東京への変遷は時には見たくないものであった事でしょう。

首尾稲荷 尾崎紅葉誕生地

秋雨になりそうでならず、季節がらか結婚式や七五三といった慶事を見掛けたり、一緒に歩いている某氏を突っついたり、和やかな楽しい時間ともなりました。

(EM)

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1 コメント

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Unknown (edo-tokyo)
2016-11-07 13:13:28
増上寺は、徳川の権力を見せつけられる場所です。
写真に残る台徳院も空爆で焼けなければどんなだったか。イギリスから長期貸与の台徳院ミニチュアも、江戸時代の徳川家の権力のすごさを感じます。 芝は江戸時代の町の賑いを想像できるところです。「芝で生まれ神田で育ち末は火消しの纏持ち」は江戸っ子気質があふれる言葉だったのです。

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