Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

エッセンス・オブ・こびっと(2)~自然界のオキテ

2014-02-08 | [こびっと百貨店/こびっとハウス]



エッセンス・オブ・こびっと~共時律と因果律の続きです。

身体について書こうと思っていたのですが、まだ、まとならないので別な話題。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

私は1996年ぐらいから東京都内でアロマセラピストとして仕事をしてきましたが、
10年たったころに、自然療法と言われるものをやっている割には、
自然のこと、良くわかってないよね(汗)ということに気づき気持ち悪くなりました。

そこで、出会ったのがパーマカルチャーでした。
パーマカルチャーは、自然界の植物でも動物でも、それぞれの要素について良く知り、
それらのもつポテンシャルを生かせるように、つながりをつくる、
そして、全体として調和したデザインをするという風に、私は解釈し、
それが、自分の中で感じていたことと合致しました。

セラピストの仕事として、「その人がその人らしく生きる」という方向をめざし、
それぞれの人がそれらしく生きられると、全体はおのずと調和するのではなかろうか、
ということは、証明しろっていわれてもできないけど、
自分の中に確信めいたイメージを持っていました。
それと、パーマカルチャーがめざしていることは同じだと思ったのです。

それで学び始めたところ、かかわっていた日本ホリスティック医学協会で、
シンポジウムがあり、パーマカルチャーと健康、医療について、
考えないといけない状況になりました。

パーマカルチャー的に考えると、医療とか健康とかなんなのだろうか???
というところです。
自給自足的な暮らしを目指すうえでは、「医の自給」「自分でできるケア」
は大事だね、というのはもちろんなのですが、
もうちょっと突っ込んでみる必要がありました。

その頃は、自分がやってきたセラピストという仕事と、
パーマカルチャーが同関連して、自分は何をしていったらいいのか、
ということを考えていた時期なので、
そのあたりまで突っ込んで考えたかったのでしょう。

パーマカルチャーの倫理には、
1.自然に対する配慮
2.人に対する配慮
3.余剰物の分配(恵みの分かち合い)
というものがあります。

現代の医療って、自然と人に配慮してるかなぁ???と、まず考えた。

あるとき、「エコロジカルメディスン」という本を見つけました。、
現代医療自体が環境に負荷を与え、健康を害する事に加担していないか?
ということを考察したもの。

現代の医療は、プラスチック製品(石油製品)をたくさん使っていたり、
それを廃棄するのに環境負荷をかけているとか、
薬を飲んだ人の排泄物は、どうなっちゃうの?とか、
あとは、化学物質、電磁波、核技術と放射能の問題も
エコロジカルメディスンで考える要素として書かれていました。

余談ですが、もっとも致命的な現代の技術として、
石油産業、核技術、遺伝子操作が3大悪だと書いてあったかな。
これって、黒魔術みたいなもんだなと思います。

環境にも配慮した医療って?
病院に入院して電気を使って延命することは、環境負荷かけてないか?とか。
でも、自分の身内だったら、少しでも長く生きてほしいと思うかもな、とか、
でも、自分だったら、無駄な延命は拒否するかな、とか、
どこが死に時なのか、考えておかないとな…とか。
いろいろ考え始めると、なんだかよくわからなくなったりして…。

現代医学よりも、自然療法とか、伝統医学が環境負荷が少なくていいのかと考えてみたのですが、
いや、待てよ、その根底に、「不老不死願望」みたいなのがあるのではないかと思ったのです。
明確にはそんなことは書いていないのだけれど、どの自然療法も伝統医療の体系も、
自分の中ですっきりできる答えが見つかったような見つからないようなで、もやもや。

そして、裏磐梯で生活を始めるようになって、ある日スッキリする答えが見つかりました。

この辺は、野生動物がいっぱいいます。
それから、畑のみならず、採取の比率もとても多い暮らしです。
そうすると、ますます、自然との距離が近くなります。
ここにきてやっと、なんとなく読んでいたネイティブアメリカンの文化など、
先住民族の世界観が実感を持ってわかってきた感じになってきました。

ネイティブアメリカンのシャーマンのことが書かれた、
ある本を読んだ時に、ずっと、もやもやしていたことへの答えを見つけました。

自分たちは自然界から命を頂いて暮らしているのだから、
自然界に自分の命を差し出す時が来たら、その循環の中に入っていく。
それが自然の掟だ。

というようなことが書かれていたのです。

それが、人間の生きることであり、死ぬことであり、
自然の循環の中に入っていくことだな、と腑に落ちたのです。

もちろん、便利で自然界の脅威から守られた暮らしの中では、
そんなことにはあまりならないし、
森の中で熊に出会ったら本望という境地にもなれないよ、という自分もいるのですが、
それが、人間が自然界と共生して生きるという基本だなと妙にすっきりしたものです。

それに伴い、自然界への礼儀作法も見えてきます。
薬草を採取したり、必要なものを自然界からいただくときも、
一番いいもの!という風に、人間目線でエゴイスティックに奪うのではなく、
この中で、どれをとるのが一番環境負荷が少ないかを考えるし、
採取する時に、とってもいいかを聞くことも欠かせません。

誰に聞くかって、薬草とか、切りたい木に聞くのですわ。
もちろん、忘れちゃうことも多々ありますが^^;
そういう礼儀は持っていたいと思います。

農耕文化は環境負荷が高く、貧富の差を生んだといいますが、
自然に対する、そうした礼儀作法を忘れて、
人間がコントロールするって思ってしまったところが
もっともよくないところなのかなと思います。

自分も畑やってるし、農的暮らしや農業は否定するわけでありません。
ただ、自然界のオキテは忘れずにいたいなと思うわけです。

(つづく)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

こんなことも、道場でみんなで考えられたらと思います。

こびっと もりのくらし道場
5月から始めるワークショップのご案内です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。