Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

火起こしに挑戦~南会津の野人さん訪問 その2

2011-01-25 | パーマカルチャー的暮らし
火起こしの続き。

午後は、いよいよ本題の火起こし。
場所は、昔、農業を教える学校だったという校舎のあと。
机も椅子も、なかなかレトロで素敵。
去年は、この一体で、大宴会in南会津2010というイベントが行われた。
旬なアーティストを呼んだ音楽祭なんだけれど、
他にも、地元の古老に手仕事を学ぶとか、もちろん大西さんの火起こしとか、
そんなイベントも同時に開催されたよう。
行きたいなと思ったのだけれど、出張かなんかでいけなかったんだな。
すごいな、南会津。

さて、まずは、火起こし名人の道具拝見



マイギリ、ユミギリ、キリモミなど、いろんな形の道具を見せてもらった。
そして、私の自作の道具もチェックしてもらった。
火を起こすのに、何が足りないのか、どこを工夫したら良いのかを聞いた後に、
実際に大西さんの火起こしを見せてもらう。

名人いわく、火は力任せではつかない。
自分がおごった時に、なかなか火がつかなくなったことがあった。

やはり、火を「いただく」という謙虚な気持ちが大切、ということを学んだ瞬間があったそう。
詳しくは、こちらにも書いてあります。
朝日新聞 天声人語
だから、火起こしをする前には、ちゃんと大いなる何かに祈りを捧げるのです。

そして、大西さんが火きり板の上で、火きり杵を回した瞬間に、すぐに煙が出てくるではありませんか。
わたしなんか、がんばって練習してもちっとも煙が出てこない。
もう、手が痛いなと思い始めたぐらいにやっと出てくるぐらいなのに。



だんだんと、黒い木屑がたまってきたと思ったら、最後にポッと火の赤ちゃんが産まれるのでした。

次には用意した麻ヒモを解いた鳥の巣みたいなのに種火をうつすのですが、
それって、急いでやらないと消えちゃうと勝手に思っていたのだけれど、
どうしてどうして、そう簡単には消えない。

落ち着いて、火を麻に移し、こぼれないように閉じて、
息をふ~っと吹きかけて、最後に腕をぐるぐる回すと、
空気が入って、ボッと火がつくのです!



ついた火を和ロウソクにともします。
ライターやマッチでつけた火ではないのです。

「じゃ、やってみますか」

ということで、自分の道具でまず、やってみることに。
穴の大きさや、木屑がたまるところの切れ込み具合などの説明をうけ、
火きり板の火きり臼の調整を教えてもらった。
そして、火きり杵。うちの庭にたんまり生えていた蓬の茎。
これは、ストーブの焚きつけにととっておいた物の中から、まっすぐなものを選んできた。
ちゃんと、周囲の皮を剥いたほうがいいということや、回すときに手が痛くならないように、
表面を滑らかにしておくことなどを教えてもらい、ナイフでちょっと削ったりして調整した。

さて、準備万端。

出来るかどうか、緊張する中、まずはやってみました。
何度も何度もまわして、「手、大丈夫?」といわれるまでやり続けてやっと煙が出るところまでこぎつけたけれど失敗。
でも、ちゃんとまわせるだけ練習してきた成果が見えるとお褒めの言葉をいただき、励まされながら、
今度は、大西さんの道具を使わせてもらって、練習することに。

「是非、つける体験をして帰って欲しいな」という大西さんの言葉に、
「できるかな…」という不安。
出来なくても、道具の調整のポイントと、練習のポイントを教えてもらって、
帰ってからがんばればいいや、という気持ち半分。

やっぱり、いいところまで行くのだけれど、「あと一歩」が乗り切れない。
見ていると、「ここががんばり時」っていう段階があるみたい。
匂いがしてきて、煙が出てきて、木屑の色が焦げ茶から黒に変わるあたり。
杵と板のこすれる感触も、なんか変わってくる。

2~3回、旦那さんと交代でやってみたけれど、なかなか。
だんだん、腕も手のひらも疲れてきて、でも、もう一回やってみるか、
と思って、火きり杵を回し始めたときに、
手が痛いな~と思ったので、杵をはさむ手のひらの力を抜いたんだけれど、
それがよかったようで、全く力をいれずにしばらくまわしたところで、
今までに無いぐらい、短い時間で煙が出始めました。
「つくのかなぁ」と思いながら、淡々とまわし続けたら、
「来た来た! ここが踏ん張り時だよ」といわれて、
杵が離れないようにペースを保って続けようと思いながら、
何度かやっているうちに、黒い木屑の上に、赤いものが出現したのでした!

「おお~、出来たよ」

といわれて、赤い火種を見たときには、思わず涙が出そうに。
「でも、もうちょっと続けて」といわれて、
数回、手を止めずに回転をつづけた。

あとは落ち着いて火種を移せば良いから、
といわれて、手が滑って落とさないように、そっと麻ヒモを丸めたところに、
火の赤ちゃんを移しました。ここから、炎にするまでもうちょっと!
麻ヒモを丸めたやつを閉じて、ふ~っと吹くと、息とともに赤く火が広がるのが分かります。
しっかり持って、腕をぐるぐる回していると、手の先がぽっと明るくなった。
無事に、火の赤ちゃんから炎が誕生したのです。

言葉では言い表せないような感覚を感じました。

手を合わせて杵をまわす、キリモミ式の火起こしの姿は、祈る姿そのもの。
くるくる、まわしながら、みんなでそんな話もしたような。

本当に、力ではなく、自分の中に何か芯がす~っと通ったような落ち着いた感覚で、杵を回し続けた感じでした。

自分で火を起こすという体験。
本当に、命の炎というか、生きる力をもらったような体験です。

世界中で火を起こせる人が減っているから、火を起こせる人、増やしたいんだと大西さんは言っていました。

***

暮らしの中には、様々な技があります。
火を起こす、薪を割る、畑を耕す、縄をなう、カゴを編む、機を織る…。
そんな、身体を使った技が日常生活から消えていったことは、
もしかすると、ものすごく大きなものを私たちは失っているんじゃないかと思う今日この頃です。

身体感覚の話は、また別に書きたいと思いますが、
そうした、日々の暮らしの中の技から学べることは、
たぶん身体のことや、暮らしのことを超えた、
精神的なものも含まれていたに違いありません。

暮らしの中の技の中でも、この火起こしというのは、何か特別なもののような気がします。
火起こしをした、あの感覚は、いまだに言葉に出来ないものがたくさんあり、
でも、自分の中にしっかりと自信のような、なんと言ったらいいかわからない安心感のようなものが
残っているような気がするのです。

子供達が、こういう体験をするのは、
きっと、大人の私よりもとても大きなことなのではないかと思いました。

ほんとに、素晴らしい体験をさせてくださった大西さんに感謝です!
また、練習しよ~。

追伸:
あ、そうそう。これで終わりではありません。
このあと、大西さんのご自宅に言って、ミツロウでロウソク作りをしました。
芯を、何度もミツロウに浸して、だんだん太くなってくるのを見ながらおしゃべり。
楽しかったです。

興味津々の、薪と石油兼用のハイブリット風呂釜も見せてもらって大満足でした。
うちも、薪の風呂にしたいなぁ。

大西さんがやっている自然学校
NPO法人 森の遊学舎





最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
火起こしやってみたくなりました (のん)
2011-01-26 06:07:08
自分で火起こしをやった時は、女子3名で交代でやって、煙が出たくらいだったからなぁ。それが出来たなんて、すごいですね。そして、力じゃないですね。

>日々の暮らしの中の技から学べることは、
たぶん身体のことや、暮らしのことを超えた、
精神的なものも含まれていたに違いありません。

きっとそうなんでしょうね。

道具?何かと?一体になれて、気持ちいいなぁと感じることが、織りをしていてもあります。

身体を使った技、自分も継承できたらなぁと思います。




Unknown (安珠)
2011-01-27 16:27:57
シンプルな道具ほど、それと一体になって何かを作る喜びがあるかもしれないね。
機って縦糸と横糸を組み合わせておるっていう、いたってシンプルな機会だから、
折るときの力加減とか色々折り目に出てくるよね。

昔、取材させてもらった染織やってる方、やはり八王子に住んでいたけれど、
心の乱れが折り目の乱れになるって言ってた。

火起こしするときも、マイギリとかユミギリとかは、人間の知恵でもっと楽につけられるようになってるけれど、
私的には、このシンプルなキリモミ式でやるというのが、なんか意味ある感じがするんだよね。
っていうかこっちの方が、なんとなく一体感がある気がする。

>身体を使った技、自分も継承できたらなぁと思います。

是非! だんだん、体現できてきてる感じだもんね。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。