今日も今日とて...

アリゾナ州スコッツデールから「寒い」親父ギャグを連発し、少しでも地球温暖化現象に歯止めをかけようと日々奮闘中。

おじんカルテット礼拝デビュー危機一髪(反省しろよ)。

2008-02-12 16:48:24 | 音楽
それはまったく唐突に、そして誰も予想さえできない程スムーズに流れていた3回目の礼拝の最中に起こった。

午前最後の礼拝での最初の3曲をなんとか無難に歌い終わり、ほっとひと息。いよいよカルテットのために用意された曲を、フルオーケストラと聖歌隊をバックに歌う最後の山場を迎えた。

ハッと気が付くと、ビージェイとジャックがマイクロフォンをスタンドに戻してステージ後方に向かって歩きだしているではないか(うわぁぁぁ)。何を勘違いしたのか、二人は後も振り返らず歩み去ろうとしている。最後の曲がまだ残っているというのに....(お〜い)。

ステージ中央に呆然と立ち尽くすピートとデイブと私。
動揺を隠そうとするも、3人の顔はみるみる蒼ざめ血の気が引いてゆくのがわかる(超汗)。

礼拝堂にぎっしり詰めかけた信者達も、何かがおかしいことにうすうす気がつき始めている様子だ。

眩し過ぎるスポットライトの下、手が白くなるほど握りしめたマイクにじっとりと冷や汗がにじむ。

現実感が遠のき、すべての動きが妙にゆっくりと感じられる。

今や二人の後姿は、ライトの届かないステージの袖に空しく消えかけている。

ステージ中央になすすべも無く立ち尽くす3人。

永劫にも思える時間の中で、自分の心臓の鼓動だけが早鐘のように打っているのを遠くの方で感じる。緊張で酸欠になり視野狭窄を起こしかけているを自分に気付き、大きく深呼吸をする。

息を吐き終わったのとほとんど同時に、無常にも最後の曲のイントロが始まる。

美しい弦楽の調べが緩やかに空間を満たしてゆく(ドキドキ)。

あと3小節しかないイントロを聴きながら、無言で顔を見合わせる。
3人でこの場を乗り切ろうと諦めてうなづき合った、まさにその瞬間、なんとジャックが振り向いたのだ(おぉ〜)。

そしてジャックとビージェイのふたりは、自分達が置かれている状況を瞬時に理解し、素早くマイクを手に取り再びステージ中央へ足早に戻る。

残すところ半小節のイントロでなんとか歌い出しに間に合い、ビージェイが見せた一瞬の苦笑いをたしなめるように睨みつけるピート。

こうしてメタボでおっちょこちょいな我が愛すべきおじんカルテットは、危機一髪のところで壊滅的なダメージをまぬがれ、無難にその礼拝デビューを果たしたのであった。

めでたし、めでたし。あ〜疲れた....。
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凄いぞ!おじんカルテット

2008-02-08 06:17:06 | 音楽
「いいかい、落ち着いて聞いてくれよ。信じられないかもしれないが、我がカルテットがついに朝の礼拝で歌う事が決まったんだぁぁぁ!」(だぁぁぁ、って言われても…)。

いつになく声高にまくしたてる電話の向こうのピートは、興奮を抑えられない様子。その場に居たら、確実に抱きつかれて体ごと持ち上げられていた事だろう。

そんな電話があったのがひと月ほど前。

私が所属する、メタボ症候群バリバリで膝痛、腰痛、肥満と3拍子揃った満身創痍のおじんカルテット「Blessed| Forgiven」。実は5人組なので、厳密にはクインテットなのだが、昨年末の施設慰問以降、ちらほらといろんなイベントからお声が掛かるようになった。嬉しいかぎりである。

少しづつではあるがレパートリーも増え、週いちの練習の成果も確実に出ているようだ。音の強弱や歌い出しのタイミングもだいぶ揃ってきた感がある。

そしてなんと、ついに我が教会の朝の礼拝に招かれたのである。まったくもって晴天の霹靂、予想だにしなかった快挙である(大げさな)。

クインテット専用に楽譜も用意され、フルオーケストラの伴奏と聖歌隊のバックアップも付くらしい(大丈夫?)。

このニュースを聞いた我がカルテットの面々は、心臓発作を起こしかねないくらいに興奮し、これを踏み台にして全米デビューだの、やれ立ち位置がどうのこうの、身振り手振りをああしたほうばよいのだの、まったく子供のようにはしゃぎまくってしまったのは言う間でも無い(爆)。

そして、あーだこーだ言いながら、ひと月の間みっちりじっくり練習を重ねた末、なんとか昨晩の合同リハーサルにこぎつけることができた(イェー!)。

フルオーケストラと聖歌隊をバックに、最大収容員数1800席の巨大な礼拝堂のステージに初めて立つ我がカルテット。眼前に広がる遠くの席が霞んで見えないほど広い(ウソつけ)座席には誰も居ないはずなのに、改めてその大きさにビビり、皆の顔が緊張でこわばるのが見て取れる。膝が震えるような気さえする。

しかしそんな極度の緊張の中なんとか無難にリハーサルを終え、ギクシャクした足取りでステージを降りるオジン達。ディレクターからからくもOKをもらい、せり出たメタボな腹と胸をホッとなでおろす。

日曜日の礼拝は、朝3回、夜2回の計5ステージの予定(ハードじゃん)。

高血圧、高脂血症に糖尿病を抱えた最強のメタボなメンバー達が(ヤバくね?)、脳溢血や心臓発作、そして通風などでダウンしないことを切に祈りながら眠りについた水曜の晩。

残すはあと3日。英語でトチ狂ってしまうことを“Going Bananas!” と言うらしいのだが、まさにメンバー全員が年甲斐もなくドキドキしまくり、バナナ状態なのである。
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危うしSHOWA7!

2008-02-06 06:13:41 | 音楽

今年一番の衝撃的なニュースとしてそのうちCNNが世界規模でカバーするだろうと思われるのだが(ないない)、なんとあのHEYSAY7のライバルグループとして大人気を誇る(いつから?)SHOWA7の存続が危ぶまれている。

ご存知の方も多いと思うが、私が所属するオヤジ系バンド「SHOWA7」が今、解散の憂き目に瀕しているのだ。

誤解を避けるために言っておくが、解散の理由は、私がアメリカン・アイドルを狙っているだの、メジャーデビューするだの(誰がやねん!)様々な風評や憶測そして噂のたぐいがフェニックス中でまことしやかに囁かれている(いねーよ)が、そんなことでは決してない。

実は、今年以降のMATSURI出演が95.8%の確率でオジャンになりそうなのだ。

もともとこのバンド結成の主旨がMATSURIでの演奏だったので、存在理由そのものが消滅してしまったわけだ。

まぁ言うなれば、クリープを入れないコーヒー(古っ)、CPUのないパソコン、ゴールのないマラソンの様なもの(わかんないって)。

あれよあれよと言う間に、7人のメンバーのうちの4人が辞めてしまい、残ったのはギター、ドラムそしてボーカルの3人だけ。

盛者必衰のことわり(いつ栄華を誇ったわけ?)として仕方がない事と諦めてはいるのだが、やっぱりちょっとだけ寂しい(ってか、だいぶ)。

というわけで、今までSHOWA7を生暖かく見守り応援をしてくれた方々にこの場を借りてお礼を述べたい。

…本当にどうもありがとう。SHOWA7は永遠に仏滅、ちゃう、不潔、でもない、不滅です(って、解散するんでしょ)。

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ITルネッサンスざんす ―― その2

2008-01-29 05:36:44 | アリゾナ
なんと技術革新の大津波は我家に、なぜか毛が抜けてしまう携帯電話(毛痛い電話の巻を参照)をもたらしたのみならず、家庭内ITルネッサンスの頂点ともいえるハイスピード・インターネットの導入にまでその魔手を伸ばしてきたんザンス(イヤミか?誰も知らないぞ)。

ハイテク文明開化の荒波に翻弄される木の葉のごとく、目まぐるしく移り変わる世間を横目でながめてうらやむ日々は、ある日唐突に終わりを告げたのである。

ご察しの通り、我が家は21世紀のアメリカ合衆国にあって非国民(もともと米国民じゃないし)の証とも噂されている、限りなくローテクな電話回線を使っていたのだ(まじ?)。

そのカタツムリのような遅さにいい加減辟易していた折、会社から『週2日自宅勤務をするなら、高速回線使用料をある程度負担してやってあげてもいいぞよ』(思いっきり上から)という多分に恩着せがましいけれど、抗い切れないオファーがきた(ラッキー)。

これに乗っからない手はないので「おでぇかんさま、ぜひぜひお願げぇしますだ。」(どんだけ下手)と、勇んで手続きを始めたのが去年の6月の終わり(半年以上前の話?)。

しかぁ〜しぃ、物事はそう簡単にはいかないのがこの世の常。下調べの段階で、ケーブルが地中のどこかで切れていることが判明。その工事には市の許可が必要で、お役所仕事なのでいつ降りるかわからないらしい。

それを最後に、かれこれふた月の間まったくな〜んの音沙汰もなし。某コックスケーブルに何度電話しても、けんもほろろに「まだです」の一言。

そんな対応に業を煮やした8月も終わりのある日、突然留守電に「おい、明日ケーブルつなげてやるんで午前中家に居やがれ、わかったな、おい。ガチャンッ。」という主旨の留守電が入っているではないか(怒)。それもウィークデイ。

常識的に考えて、一週間前とか少なくとも3日前には連絡が来るもんだと思っていた私は思わずブチキれ「2ヶ月もほっといて、突然明日来るだとぉ!なめとんのかぁ、ごるぁぁ」といった意味の事をまくしたてた。

あまり時間が経ったもんだから、なんだか当初のワクドキ感も薄れて半分うっとぉしくさえなってきた時期にこれかい、ってなもんだ。

まぁしかし担当の下請け業者に当り散らしてもラチが明かないので、2週間後に予定を組み直してしぶしぶ一件落着。

まぁ、それからはトントン拍子に事が進んで9月の始めにはめでたくハイスピード回線の恩恵をこうむることになったわけだが、これがスゴイ、速い、安い(てかタダでしょ)の3拍子そろったスグレもの。

キーを押してから、家の掃除と窓拭きを終えて町内を走って一周して帰ってきた頃やぁっと画面が表示されたあのダイヤルアップの遅さ(どんだけ?)にはもう戻れない。まさに、引き返すことのできない魔性の速さなのだ。

しかし、皮肉にもITの革新が進むのに反比例して退化しているのではないのかとさえ思われるのがユーザに対するサービスだ。殿様商売なのか、忙しすぎて対応に手が回らないのか、アウトソーシングによる質の低下なのかは判らないが、あまりにもヒド過ぎると最近とみに思うのだ。

近未来には、ユーザのサポートやサービスなどもすべて自動化され、音声認識を介した人工知能ソフトによる対応が実現するのも時間の問題。

そうなった暁には、くだらないオヤジギャグを連発して人工知能ソフトにむりやり笑ってもらうつもりだ(そこかい)。いままで無視され、無言で電話を切られた怨みを機械で晴らすのだぁぁぁ。たっぷり聞いてもらうのだぁぁ。わぁっはっはっはっは…(泣)。
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南国の秋...

2007-09-28 05:55:37 | アリゾナ
「北国の春」は叙情的なアピール満載だが、「南国の秋」はどうもピンと来ない。

しかし死ぬほど暑い夏を屋内でじっと耐えて(って冷房効いてるしプールもあるじゃん)迎える秋は、雪深い冬を歯を食いしばってやっと迎える「北国の春」と同じくらいの感動があるのだ(はいはい)。

ここアリゾナ州フェニックス市の殺人的な猛暑は(これはホント)、今年もその威力を充分に発揮し、衛星都市スコッツデールでも何人かがその犠牲になった…らしい…と人づてに聞いた…かもしれない…ような気がする…だった…かな?(勝手に殺すな)

多分暑さだけなら、この街は中近東の砂漠地帯に決して負けていないと思う(うんうん)のだが、暑さで勝ってもなんだかちっともうれしくない(まぁね)。

見上げれば椰子の木が視界に入ってくるし、蜃気楼も高速道路沿いの山の上に浮かんでいる。陽炎ときたら当然のようにゆらゆらと立ち昇るうえに、逃げ水なんてほとんど毎日のように路上に現れるのだ。それどころか、街中にはラクダが普通に歩いて(ウソつけ!)….いそうなぐらいに暑いのである(汗)。

だぁが、しかぁぁぁぁぁぁし……..なのである。とぉこぉろぉがぁぁぁ…….なのである(何?)。9月も後半にさしかかって、ついに、ようやく、やっと、とうとう、まちにまった、待望の(マジしつこい)「秋」(てか冬?)がやってきたようなのだ。

毎年、まるでスイッチが切れたような感じで、気持ちのいい季節は突然やってくる。今年も例に漏れず、つい2〜3日前から朝方は肌寒いくらいの気温となり、日中の最高気温も華氏100度まで達しないことが多くなった。

わらわらと道端に人影が増える時期。子供もやっと外に出て遊べる季節だ。はだしでコンクリートの上を歩いても、ヤケドをしない季節が来たのだ。犬のニクキュウも大丈夫な時期(誰も聞いてない)だ。

この感動(ニクキュウがヤケドをしないこと?)を何とかして皆に伝えたい。そうだ、それにはやっぱり演歌しかない(なんてオヤジで短絡的な発想)。

ここアリゾナで「北国の春」に対抗して「南国の秋」を作詞作曲し、インディーズ・レーベルで発売するってのはどうだろう(やめとけ)。

この時期にフェニックスを訪れる人々は、さわやかな気候と充実したリゾート・ライフに目がくらみ、地獄の夏を知らずに引越しを敢行する。そして、夏と冬の相対性(冬が暖かい分、夏も比例して暑い)に気がつき、愕然とするのが常である。

そんなアフォな人々への憐憫の情と警鐘のメッセージを含んだ「南国の秋」。引っ越したくても何処にも行くところがなく、この地にへばりついて生きている切ないフェニーシャン(自分のことでしょうが)達の心のオアシスとなりうる歌だ。

おぉぉぉ、なんだかヒットしそうで寒気がしてきたぁ(あまりにも短絡的でお粗末なオチに対しての寒気だろ!ブルブル)。
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衝動買い?

2007-09-16 22:25:28 | その他
年甲斐もなく衝動買いをしてしまった(小学生か?)。

この歳になると(ってまだ50前)物欲は、そんなに湧かないのだが、その対象物があまりに魅力的だったので、ついに理性が負けてしまったのだ。

で、その心を奪われた肝心のモノはと言うと、ワンと(ベタ過ぎ)もとい、なんと、子犬なのだ(モノって…)。

ヨークシャテリヤとトイプードルの掛合わせで、「ヨーキープー」とか「ヨープー」などと人を馬鹿にした、私のおやじギャグみたいな「寒い」名前の最近人気のデザイナー犬(要は雑種でしょ?)を買ってしまったのだワン(汗)。

「犬を飼いたい」と、娘にもう5年ぐらい前から事ある毎にせっつかれてはいたのだ。しかし、散歩やら生活サイクルの変化やら、医療費を含めた飼育にかかる諸費用はもとより、毛は抜けるし、家は犬臭くなるし、鳴かれたらうるさいし…と、もうネガティブな事ばかりが、面倒臭がりの典型的なオヤジの心に去来し(キョライって…)、イマイチ決断がつかないでいたのだ。そんなわけで、娘もなかばあきらめていたようだ。

しかしそんな我家に、なぜか「ワンちゃん飼いたい熱」がにわかに再燃し、静かに、そして確実に家族の心を奪いはじめていたようだ。そこいらのペットショップや、保健所のような捨て犬をもらえる施設もチェックしたりしていたのだ。

そして、友人のケンちゃん氏に誘われるまま、同氏の細君が長い間調べて、やっと見つけた「ヨーキープー」のブリーダーへ、便乗で見学に行くことにあいなった。体長30cmにも満たない生後6週間の仔犬たちが戯れる様を見た瞬間、オヤジ心にキョライしていたはずの後ろ向きな考えはあっという間に胡散霧消(どんだけゲンキン?)。メロメロに溶けかかった克己心をさらに打ち砕くように、「一緒に飼ったら、家を空ける時もお互い面倒見れるし、犬同士も兄弟・姉妹やから何かと都合ええんちゃう?」と、ケンちゃん氏のとどめの一発。

かくして我家に新しい家族が増えた。メスのヨープー犬。名前は娘が「トフィー」と命名。ミドルネームは「カプチーノ」だそうな。

衝動買いをして、衝動飼いするハメになった「トフィー」だが、その無垢で邪気のない可愛さの前に、もうみんなメロメロ。本当はまだ乳離れも終わっていない歳なので、昨晩もクンクン泣かれて、夜中に2回も起こされた(怒)。

でも、カワイイから許す!(断言してどうする?)
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やがて悲しきローガンの日々

2007-08-21 23:10:39 | 自己啓発
ローガンといえば、この世で一番硬い(らしい)超合金アダマンチウムの爪を持ち、驚異的な細胞修復能力を備えたX-MENのヒーロー、ウルヴァリンのこと……ではなくて(違うのかよ)、実は老眼のことなのだ(そこかい)。

そうなのだ。情けないことに最近たまぁに、ちょっとだけ、ホントに少しだけ、ごくごく稀に(しつこい!)細かい字を読むのがつらい時がある。

かかりつけの眼科医によると、私の老眼の進行具合は年齢の割りには驚くほど「お・そ・い」(若いって言いたいの?)らしいのだが、これはアメリカ人の平均に比べてって事だから、日本人としてはどうなのだろうかと考えてしまう(素直に喜べよ)。

そんな私の葛藤をよそに(葛藤してないじゃん)、冷酷無慈悲なローガンの魔手はじわじわとそして確実に私の視力を奪ってゆくのだ(不治の病じゃないんだから)。

目の近くに本を持ってくると、なんだかクラクラとめまいがするし(なんか違う病気?)、無理して焦点を合わせようとしてもボンヤリと映像がぼやけてしまうという、極めてうっとおしい状態なのだ。

若い頃は(オヤジ丸出しな表現)、老眼なんて最もダサくて自分にはまったく関係のないことに思えたものだ。いったいどんな風に老眼になってゆくのか、はたまた遠視になるとはどういうことなのか想像もつかなかった紅顔の美少年(誰が?)の頃(遠い目になってどうする)。

壮年と呼ばれる年代に限りなく近づき(てか、ど真ん中)、極悪非道のローガンに大切な視力を犯され始めた今、「あぁ老眼になるとはこういう事なんだ。」と妙に感心し納得さえしてしまった気がする(諦めたの?)のは、やはり寄る年波か。

しかし、いくら納得したからといって、壮年真っ只中だからといったって、ローガンなどには決して負けたくない(そうじゃなくて...)。

ましてや老眼鏡は絶対かけたくないのだ。最近ではシニアグラス(こっちの方がヒドくね?)とかリーディンググラスとかこ洒落た名前で呼んでいるようだが、いくら呼び名を変えても老眼鏡は老眼鏡だ(ごもっとも)。


鼻からずり落ちそうになりながらも、何とか引っ掛かっている感じの分厚いレンズ。眼鏡の位置を直しながら、いかにもやる気のなさそうなしょぼいオヤジ感丸出しの上目遣い。そんな情けない姿になるのは(他はもう全部オヤジかも)何とかして避けたいと思っているのだ(ムダなあがきだって)。

そこで、この頃ちょくちょく目の運動をしている。目をつぶって眼球を上下左右に素早く動かすだけなのだが、結構効き目がある…気がする(ホントか?)。近くのものが見えにくい時にこれをすると、テキメンに見えるようになる(気のせいでしょ)から不思議だ。

医学的根拠などまったくないのだが(もしかしたらあるかも)、効くものは効くのだからしょうがない(けんか腰?)。

そして、このアンチ・ローガン運動さえしていれば、絶対に老眼化は防げると信じて頑張ろうと思う。たとえ耳が遠くなり、総入れ歯となり、頭髪がすべて抜け落ち(あららら)、腰が曲がり、意識もうろうの恍惚の人状態になろうとも、「目だけは若い」と胸を張って言えるその日まで(意味ないじゃん)。


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ブルーマウンテンのブルーな思い出

2007-08-07 14:50:27 | 食べる
私も妻も珈琲に目がない。

その昔、まだ新婚で子供もなく、共働き(確かDINKS<Double Income No Kidsの略>とか言われていたが今では完全な死語)の頃は、毎週スシバーやフレンチ、イタリアン・レストラン等に出かけまくっていた。

そして贅沢なディナーの締めは、いつもかなり甘いデザートと供するカプチーノやエスプレッソだった(スシバーでカプチーノ?)。今考えると、当時の私達のエンゲル係数『収入における食費の占める比率』はきっと驚くほど高いものだっただろう。

それでも日本に比べアリゾナの物価はたいそう安く(そうだったねぇ)感じられ、食べることが大好きな若い新婚の二人にとって開発途上のフェニックス(Bell Rd.以北はほとんど荒野の頃)は絶好の場所だったように思う。

もちろん喫茶店などと呼べるものは皆無で、コーヒーと言えばマクドナルドの日向水にやや色のついた、遠くのほうでコーヒーの香りがするような超薄いものばかり。フェニックスの硬水の味がそのまました。ペットボトル入りの水など誰も買わないだろうと、一笑にふされていた時代だったので誰も文句など言うはずもなかったわけだ。

いまをときめくスターバックスやコーヒー・プランテーションなどは、まだシカゴやニューヨークに点在する程度で、全国展開などは到底不可能だと思われていた頃だ。

そんな環境で、そこそこうまいコーヒーを飲もうとしたら、フェニーシャンやスコッツデールプリンスなどの有名ホテルのラウンジや、ちょっと高めのレストランに行かなくてはならない。いくらDINKSな二人でも毎晩出かけるわけにはいかないので、ちょこちょこと豆を買って来ては挽いて淹れていた。

インターネットも普及しておらず、電話帳で汗だくにになって探しあてたスコッツデール・ファションスクエアのコーヒー豆の専門店にもよく通った。

キリマンジャロ、グァテマラ、フレンチロースト(これが一番気に入っていた)、エスプレッソ、その店のブレンドにいたるまですべて試した気がする。そしてある時、ずっと気になっていた店の奥の冷蔵庫に大事そうにしまってあるブルーマウンテン(ムッチャ高かった)を清水の舞台から飛び降りるつもり(表現古過ぎ)で大枚はたいて買ってきた。

豆をミルで挽く間ももどかしく、メリタ式のフィルターにお湯を注ぐ。立ち昇る芳醇なアロマを胸一杯に吸い込もうと目を閉じて深呼吸をする。….が、何かがおかしいのである。ゆらゆらと立ち昇り、部屋一杯に広がるはずの高貴な香りが、ほとんど感じられないではないか。

しかし、その味こそがきっとブルマンの真骨頂なのだろうと無理やり自分に言い聞かせる。湧き上がる焦燥感と疑心暗鬼をなんとか押し込め、白いマグカップに満たされ、たゆとうようにたたずむ美しい茶色の液体を見つめる。ゆらめく湯気までもが高級感に満ちているようではないか。

顔を上げた拍子に、妻と目が合う。思わずもれる微笑。幸せを感じる一瞬だ。

さぁいよいよブルーマウンテンの初体験だ。それぞれのカップを持ち上げ、期待をこめてまずはひとくち口に含む。舌の上で奏でられるではずのあでやかな酸味と苦味の協奏曲の圧倒的な感動を期待して、ゆっくり目を閉じ、全神経を集中する。

あれ?なんだか、味も香りもほとんどないではないか。いったいどうしたことだろう。豆の挽き方が悪かったのか、お湯の温度が低すぎたのか、部屋の湿度や温度が悪かったのだろうか、などと思い巡らすが、どれもいつもと一緒のはずだ。

天にも上るほどの衝撃的な体験を期待していたのに、土俵ぎわで足払いを掛けられてぶざまに頭から桟敷に突っ込んでしまった力士のように愕然とする二人。

コーヒーの王様と呼ばれるブルーマウンテンのはずなのに。今までで一番高いコーヒーのはずなのに。美しい紅色に熟したコーヒー豆を、それはもうこだわりまくりの職人の繊細な指が(見たのか?)一粒ひとつぶていねいにそっと摘んだ豆のはずなのに。

「こんなはずじゃな〜い!金返せ〜!」と叫んでみても後の祭り。挽いて淹れた豆は元には戻らないし、無残なブルーマウンテンの初体験はしっかりと二人の心に刻み込まれてしまった。

妻と私は、約3分27秒ほどショックに打ちのめされ、底なし沼のような虚脱感がゆっくりとやり場のない怒り変わりはじめる頃やっと我に返った。そしていろいろと原因を考えてみたのだ。

1ポンド30ドル近くするコーヒー豆なんて、当時のアリゾナでは買う人など居る筈もなく、冷蔵庫の奥に2〜3年は眠っていたのだろう。保存状態もきっと理想的とは言えないいいかげんなものだったに違いない。かくして我ブルーマウンテンは、無常にもその高貴な香りと味を空しく虚空に発散してしまったのだろう…という結論に達したのであったのだったのだった。

最近、スターバックスにこぞって群がる若者を見るたびに思うのだ。こんなに美味しいコーヒーを、当たり前のようにいつでも飲めるなんて、なんと良い時代になったのだろうと。

しかし一方では、なかなか手に入らなかった美味いコーヒーを苦労して見つけた頃の方が、はるかに有り難味を感じたようにも思う。いったいどちらが幸せだったのだろう。

気の抜けたブルマンをつかまされて、地団駄を踏んだのも今となっては懐かしいばかりである。

コーヒーがらみだけに、ほろ苦い思い出だ(あ、やっぱり....)。
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ホットドッグな独立記念日

2007-07-06 04:16:42 | 食べる
7月4日は、アメリカの独立記念日(はいはい)。

日本の建国記念日は、神武天皇が即位したとされる日であるらしいのだが、日本国民にとっては、単なる祝日としての認識しかないような気がする(それが何か?)。

しかし比較的新しいこの国アメリカでは、1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことや、たくさんの先人が命を投げ打って独立を勝ち取ったことをほとんどの人が知っているような気がする(誰に聞いたの?)。

まぁ祝日として、単に「7月4日」(Fourth of July)と言われ、各地でパレードが行われ、バーベキューやピクニックをする日だと思っている若者が増えていることも否めない(って、自分だってバーベキューしたやん!)。

アメリカや日本は、豊かで平和な国なのだが、あと100年もすると独立記念日や終戦記念日の意義も薄れ、遠い歴史上の出来事と化すのは必至であろう(そんなに大上段に構えて大丈夫?)。

豊かさを何の疑いもなく享受してきた我々以降の年代は、もう一度、独立、平和、自由を得るために払われた犠牲に思いを馳せ、感謝の気持ちを込めてせめて黙祷ぐらいはしたい(まじ?)。

ホットドッグの早食い競争など、見ている場合ではないのだ(自分でしょうが)。

頑張れ日本!頑張れ小林!(そこかい)
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さらばエメラルドの伝説。。。

2007-07-03 04:59:27 | アリゾナ
う〜ん、やっぱり某コストコの陰謀だったのだ。

うちのプールがエメラルドの伝説の発祥地となったのも、マリモが生息するようになってしまったのも(いつから?)み〜んなこの店で買った塩素タブレットが原因だったことが発覚。

某コストコの塩素タブレットにしてからというもの、どうもプールが濁ってきたなとは思っていた。そこで、もしやと思ってプール屋さんに聞いたら、なんと塩素の含有量が普通の10分の1程度しかないのだそうだ(超怒)。

3イン1(スリーインワン)などど称して、いかにもお得系のバケツに入ったこの商品。に、に、憎い。怨んでも、恨んでも、売らんでも、ウランでも(あ、もういい?)飽き足らない。

いっそのこと、水に入れて溶かしやろうか(あの〜、もしもし?)とまで思いつめたのだが、そんなことをしたら敵の思う壺(?)。

さっそく純度の高い塩素のタブレットに替えたら、2日でプールはキラリラリンと輝くばかりにその透明度を増し、きれ〜いになったのだ(お〜)。

これでやっと河童の発生やイボイノシシの行水の場所としての心配(どんな心配やねん?)もなくなった。

やっぱり某コストコの商品がすべて安くて良いわけぢゃないんだよね(当たり前やん)。カニはうまいけど。

なんでも盲信はよくないと反省した、「安物買いの銭失い」系のトホホな親父の真夏日の午後。。。
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体重はだけは重いカルテット

2007-06-29 05:06:45 | 音楽
毎週火曜日の夜は、カルテットの練習でピートのところに集まる。

このカルテットは、教会の聖歌隊のメンバーが暇つぶしに勝手に結成したもの。

両膝の手術を控えて松葉杖をついた60台なかばの太めのおじぃと、これまた腰が痛くて手術を待つ50台半ばでノッポのおじぃ。そして普通体型49才(わしよりひとつ上)のおっさんと私の4人(怖)。

なので、平均年齢は軽く50歳を超えている。

さらに、私以外はみんな白人。

こんな見た目ボロボロのおじぃカルテットなのだが、歌の方は最近めっきり上達してきた感がある。

レパートリーはまだ2〜3曲ぐらいしかないのだが、ハーモニーが決まると背筋がゾゾっとそそけ立つ。

メンバー全員がほとんど遊びのつもりで始め、大して期待していなかっただけに、ちょっとでも上手くいくとみんな大はしゃぎ。いい年こいたメタボ症候群バリバリ全開のおジィ達が無邪気に一喜一憂しているのだ(おいおい)。

そしてある程度まとまった曲が続けて歌える様になったら、フェニックス市内の老人ホーム(みんなほとんど聞こえないんじゃないの?)を回ろうだとか、教会のイベントにゲスト出演しようなどという、身分不相応で遠大な計画がある。

さて、それまで全員が無事で生きていられるのだろうか(爆)。

因みに、ファンレターおよび追っかけは、慎んでお断りさせていただく (って、誰がするねん!)。
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ITルネッサンスざんす ―― その1

2007-06-13 05:04:38 | アリゾナ
アリゾナ州からハイテク過疎地域の中心として公式に認定(どんな認定?)されていた超レトロな我が家にも、技術革新の波は確実に押し寄せ(やっとね)、生活環境の急激な変化に戸惑う「今日も今日とて」なのである。

まずは、携帯電話の話から。

そもそものきっかけは、車のパンク。なんとこの2ヶ月の間に、我が家のホンダ・オデッセーは3回も(多すぎ)パンクしたんでっせー(さぶっ)。ほんま、多いでっせー(超さぶ)。

1回目は私が運転していたので、スペアタイヤに交換して事なきを得た。2回目は、妻が目的地の駐車場に着いてからパンクが発覚。携帯を借りて、ロード・サービス(JAFみたいなやつ)でタイヤ屋さんまでレッカー移動。これまたセーフ。

そして3回目は、妻がいざ出かけようとエンジンをかけたらパンクが見つかったという次第(呪いか?)。まぁ不幸中の幸いで、炎天下での立ち往生は免れた。

しかし最悪の場合を想定すると、やはり携帯電話は必要ということで、家族の安全のために3台を一気に購入。

ところがである、携帯を持ってから早ひと月になるのだが、パンクどころか、緊急を要する事件などは皆無。いたって平和なのである(なら、いいじゃん)。

当然の事ながら、月ごとの使用時間は、規定の半分もいかない。

しゃくにさわるので、ヒマに任せて友人・知人にかけまくったのだが、もう話すこともなくなってしまった感がある。それに、相手もまたかと、迷惑そうなそぶりがなんとなくわかる(そりゃそうでしょ)。

そこで考えついたのが、携帯を使った形態模写だ(何それ?)。これは、携帯電話を小道具にしていろいろな物、人、動物などを表現する高度な芸(どこが?)。

例えば、携帯を頭の上に乗せて「ちょんまげ」とか(えっ?)、折りたたみの部分に髪の毛をはさんでぶらさげる「おさげ髪」(もしも〜し)などがある。

しかしどれも髪の毛が引っ張られて、とても痛い思いをするのだ。

これこそまさに「毛痛い電話」。(って、どんだけ無理矢理なオチやねん!)。
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プール開き?

2007-06-05 00:57:01 | アリゾナ
エメラルドの伝説で一躍有名になった我家のプール。何とか保健所のガサ入れをまぬがれ、どうにか泳げる状態に戻った。

そして最近気温もだいぶ上がってきたので、そろそろプール開きをしようと最後の準備をしていた日曜の午後のこと。

プールの階段状のステップにたまったゴミは、自動掃除機が届かない。しかたなく、掃除機の先の部分をステップまで持ってこようと、かがんでホースを持って後ずさりを始めた。一歩、二歩とホースがねじれないようにゆっくり歩を進める。

次の瞬間、後ろに引いた右足がを踏んだ。

全体重がかかった右足が空しく水を掻く。何かにすがろうとじたばたと動く両手。
どっぱぁ〜んと景気よく上がる水しぶきを恨めしそうに眺めながら、あきらめて体中の力を抜く。背中に水のにぶい衝撃を感じながら、メタボな私の体は、あお向けにプールの底にゆっくりと沈んでゆく。

そう、落ちちゃったのだ、プールに…。服を着たままで。

だが、水は思ったより暖かく、服を着たままでなければそのまま泳いでもいいほど。

幸いブザマに落ちるところを誰にも見られなかったので、あわてて水からあがる。ずぶ濡れのTシャツと半ズボンとパンツを脱いで、その辺にかけてあったバスタオルで腰を覆う。

何事もなかったようにすっとぼけて服を着替えようと、裏口のドアを開けて家に入る。いきなり妻と目が合う。「どうしたの?」と聞かれて、まじめな顔で「プールの水が泳げる温度かどうか確かめ……」と言いかけたのだが、途中で思いきり吹き出してしまう。

「あぁっはっはっは。落ちたんだよ、プールに。わはは、落ちたの。思いっきり盛大に、ザッブ〜ンと落ちてやったの。うはははは。」「服を着たまま泳ぐのって、むっちゃ気持ちいいんだから、ぐぅわっははははは。」

脇に抱えたずぶ濡れの服からボタボタ水がしたたっているのだが、もう可笑しくて笑いが止まらない。

妻も横で聞いていた娘も大笑い。4歳の息子も何事かとすっ飛んできて私を見たのだが、状況がイマイチ理解できなかったようだが、負けじと笑いに参加する。

こうして、一家の長として家族のために体をはった初泳ぎの後(落ちただけだろ)、我家のプール・シーズンは、約5分37秒続いた爆笑とともに、おごそかにその幕を開けたのだった。
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不謹慎な謹慎見舞い 完結編

2007-05-15 16:54:12 | 思い出話

謹慎中のKの部屋でタバコを吸いながらマージャンをしていたところに突然現れた教師Y。煙が充満し、喫煙バレバレの状況に心臓はバクバク状態。さらにUの腕組みの下にはまだ火の点いたタバコが(うわぁぁぁ)….。

この絶対絶命の状況の中、Y先生は喫煙にはいっさい触れず、ただ我々が謹慎中のKの部屋でマージャンしていた事だけを指摘し、そそくさと部屋を出て行ったのだ。

Y先生が階段を降りてKの家の外へ出たことを確認した瞬間、思わずもれる大きなため息。

額に汗をにじませたUは、腕の下に隠していた火の点いたままのタバコをみんなに見せ「おれ、もう絶対バレてると思った。これって奇跡か?」と震える手でタバコをくわえ、ゆっくりと吸い込み美味そうに煙をはいた。

このゴール直前の奇跡的大逆転劇(どこが?)の裏には、いったいどんな秘密が隠されていたのだろうか(秘密か?)。

実はこのY先生、かなりのヘビースモーカーだったのだ。それも一日に両切りの缶ピースをひと缶吸ってしまうほど。たぶんそのせいで、タバコの臭いにまったく気がつかなかったのだろう、ということになった(ホントか?)。

さらに、Y先生はKの父の友達で、家族ぐるみの付き合いをしていたそうな。だからこその突然の訪問だったのである。

そして次の日、私の担任からほんのちょっとだけお叱りの言葉があった。まぁ、表向きは謹慎中の友人を励ましにいったら、ついマージャンをしてしまったという事になったらしく(つい...って?)、我々を罰する規則も必要性も特になかったかららしい。

さて、記憶のほどは定かではないが、確かこの事件からひと月ほど過ぎたある日、また仲間の誰かが学校の近くの喫茶店でタバコで捕まってしまった(またかい?)。

捕まったのは2〜3人のはずなのに、なぜかそのほかのワル仲間が次々に呼び出され謹慎を宣言されはじめたのだ。そして、最終的には20数名が自宅謹慎処分を受けるという我校の始まって以来の未曾有の喫煙事件に発展してしまった。

もちろん私もその中に入っていたのは言うまでもない。

現行犯でもないのに謹慎をくらうなどという理不尽な処分に腹を立て(自分が悪いんでしょ)よくよく調べてみると、なんとあのKがバラしているらしいことが明るみに出た。Y先生が、Kを卒業させてやる代わりに知ってることを全部教えろと脅したらしい。

脅すY教師にも腹が立ったが、ぺらぺらとしゃべってしまったKが情けないではないか。

皆でKを袋叩きにしようという話も持ち上がったが、ここでまた事件を起こせばKのみならず我々の卒業も危なくなるのは必至。こうして幸運なKは、危うく退学と袋叩きの難を逃れ、無事卒業の運びとなった。

こういう状況になったのも、もともと不謹慎な謹慎見舞いのせいであるとKに指摘され、なんとなく納得してしまった我々(ちょっと違うような?)。

タバコがらみだけに、Kに煙にまかれて終わった甘酸っぱい高3の春の思い出(どこが甘酸っぱいんじゃ!)。
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不謹慎な謹慎見舞い

2007-05-03 08:53:58 | 思い出話
高校3年の春、友人のKがタバコを吸って見つかり謹慎をくらった。

単純で物事の良し悪しや責任感がまったく欠落していた我々は(今はあるのか?)、こともあろうにその謹慎中のKの部屋でマージャンをしようと画策し、放課後に総勢4人で押しかけた(まじアホやん)。

Kの部屋は母屋を通らずに直接行ける2階だったので、Kの家人に知られることなく無事到着。

もちろんKも反省の色などまったくなし。暇をもてあましていたようで、ワル仲間の訪問を歓迎してくれた。

早速みんなで謹慎の原因となったタバコをふかしながら、マージャンを始めた(おいおい)。

そしてKがリーチをかけようと点棒を出した、まさにその瞬間、なんの前触れもなく部屋のドアがバーンと開いたのだ。

そしてそこには、驚きと怒りに顔をゆがめた仁王立ちのKの担任のY先生がいた。

灰皿とタバコの箱は、ドアが開く瞬間のコンマ何秒かの間にコタツの中に押し込まれ、ライターは部屋の隅に放り投げられていた。この辺の反射神経のよさと素早さは、今考えてもギネス記録ものである。

楽しかった雰囲気は一瞬にして凍りつき、タバコの臭いが充満しているバレバレの状況に我々の目は泳ぎ、それとなくその辺に物的証拠が残っていないかを確かめている。

Y先生は「おまえらいったい何やってんだ。謹慎中にマージャンなんかやりやがって、Kを退学にしたいのか。」と無理に感情を押し殺した低い声で恫喝を込めて我々をにらみつけた。

私は、冷や汗でじっとり濡れた手のひらを握り締め、いつタバコを吸ってたのがばれるのかとハラハラしながらふと、向かいに座っているUを見た。なんと不自然に組まれたUの腕の隙間からが漏れているではないか。吸っていたタバコの火を消す時間まではなかったらしく、組んだ腕の下には火の点いたタバコが隠されていたのである。

パニックに陥りそうな心を何とか抑え、何気ないそぶりでUから目をそらす。心臓はバクバク、口もカラカラに渇いている。

誰も言葉を発せず身じろぎもしない。永劫とも思われる時間(たぶん60秒ぐらい)がゆっくりと流れて行く。

Kの担任は、居心地悪そうな我々をもう一度とがめるように見回すと、部屋を出て行った。

(つづく)
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