橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

いまさらながらの生活保護問題。住宅ローン払いながらの生保が話題になってますが・・・

2012-06-05 08:34:51 | ツイッターで仕事辞めました~その後

次長課長河本の母の生活保護受給の問題が、そのことを国会で取り上げた片山さつき批判に発展し、さらに飛び火している。「生保」って「生命保険」のことじゃないの・・・なんて思ってるうちに、騒動は「芸人集団としての吉本vsあぶく銭を稼ぐテレビ芸人に対する貧乏人の怨念」みたいになって、当の河本だけでなく、貧乏人の怨念を利用して手柄を立てようとしていた片山さつきをも炎上させてしまった。

テレビ番組では、本人のモラルかはたまた制度の問題かなどと、色んな人がもっともらしく意見を戦わせてもいるけれど、意見を言っている人たちは生活保護レベルの暮しがどういうものかを知らない人がほとんどだ。

そしてまたまた出てきたキングコング梶原の生保問題。ネット上では「住宅ローンが大変なら生活保護受給は可能なの?」「50万のローンがきつくて。俺も生保くれ」とか、わけが分からないことになっている。

当のキンコン梶原の件は、一見とてももっともらしい。母親に買ったマンションは親族の別の問題で抵当に入っていて、売ったり、それを担保に借金をすることもできなかったと本人は語っている。たしかに抵当に入っていたらそうだよなと思う。しかしよく考えてみれば、二千数百万円の住宅ローンに月の支払い40万というのは、一般の感覚からしたら破格の金額。どうりで今年の8月には完済するという。

私も両親が住む実家のローンを2500万借り入れたが、25年ローンで支払いは月11万円ほど。それもサラリマン生活を辞めてからは支払いが厳しかったので住宅ローンモラトリアム制度を適用し、毎月利息だけしか払っていない。そろそろ、そのモラトリアムも終わるので今戦々恐々としているところだ。

考えてみれば、キンコン梶原も家を手放すわけにはいかなかったかもしれないが、ローンの契約内容を変更して、月々の返済額を減らし、その分を母親の生活費にまわすことはできたのではないだろうか。銀行だって、ローンが長引けば、その分利息を沢山とれる。住宅ローンモラトリアムにしたって、その間は利息のみでいいというだけで、当然元金は全く減らない。よって、債務者は余計な利息を払って同じ借金を先のばししただけ。つまり、銀行にとっては損なんかではないのである。そんな契約変更など、実は朝飯前だろう。

だからまあ、本来ならばそんなに銀行に有利な条件で支払い計画の変更はしたくないのだが、どうしてもローンを全額は支払えないというような場合はやむを得ないのではないかと思う。私はやむを得ず、涙をのんでそうしている。

梶原の場合はローン完済も近づいていたのだから、利息の支払いも少ないはず。どうしても家が手放せなかったというのなら、ローンの支払額の方を変更していれば、今回のようなことにならなかったはずだ。でも、ローンの返済額の変更とか思いも寄らなかったのかなあ・・・。

というわけで、住宅ローンを払うために生活保護をもらうのだったら、生活保護をもらわないために住宅ローンを軽減する方法を考えた方がいいと思うという結論に行き着きそうになっているわけだが、本当に本当にそれでいいと思うかと言われると躊躇する部分もないではない。今の世の中の一般的な考え方ではやむを得ぬが、やっぱり本音を言えば、そんな銀行に都合のいいプランにはのりたくはないのが正直なところだ。一言、言っときたい思いもある。

現在のローンモラトリアムは住宅ローン軽減というよりは利息拡大プランと言うべきだ。もともとこの法案には、減額した支払い金額は元金とするというプランもあったが、採用されなかったのだ。大銀行に対し「おめーら稼ぎ過ぎだろ、いちいちATMで手数料なんてとりやがって、こっちがボタン押して操作してんのになんで一度に100円も200円もかかるんだ。ATMの電気代そんなかかんのか?そんなに消却に時間かかるほど大層なシステムか?最高益だかなんだかって時にも不良債権処理の欠損金がまだあるからって、法人税も払いやがらねえで、おれら個人事業主は前年の欠損金なんて繰り越せねえんだよ!」くらいの啖呵を切って、あくまで元金の支払額減額を主張して、家に居座り続けたい思いにも駆られる。世の中、お金と縁のない人間もいるもので、そんな人間の居住権、生存権も認めろ!とね。

それにそれに、住宅ローンの方ばかり問題にしてしまったが、生活保護の方には、いまや生活保護ビジネスなるものが跋扈し、本来届くべき人のところには届かず、暴力団の資金源になっているという問題も存在する。自分ががんばって受け取らなかった生活保護が、その分そうした生保ビジネスに流れたとしたら、そりゃもう踏んだり蹴ったりである。本当に問題は複雑だ。どうするのが一番いいのかわからない。そう考えるとやはり、住宅ローンのモラトリアム(返済計画の変更)に元金返済を認めるようにしてもらわないとだめですな。と、自分にとって最も都合の良い結論に落ち着くのであった。


生活保護の話というより住宅ローンの話になってしまっている。でも、話の飛躍ついでにもっと飛んでみる

資産があると生活保護はもらえないことになっているが、そもそも人の住む家を資産と呼ぶのはやめたらどうかとまじめに思う。もちろん別荘や投資目的の二軒目三件目の住宅は別。貧しくとも、住むところさえあればなんとかなる。家を無くした人は、あらたに住むために礼金だの敷金だの、また毎月の家賃の負担が重いためになかなか路上から戻れない。また、うちの実家のように家はあれども収入はないというような場合、家を売ればお金になるじゃないかと言われても、安い田舎の家の売却益を切り崩して家賃を払っていたら、多分両親が亡くなる前にお金は尽きてしまう。そしたら国民年金しかもらっていない両親はアウトだ。住む場所さえあればなんとかなるが、それがないと途端に地獄行き。家賃の負担というのは多くの人にとって思いのほか重い。東京の私が引き取ればいいとか、もっと家賃の安い場所にいけばとか言われるが、老齢で、地元の人間関係を断ち切って慣れない土地に来るのは辛い。いまだ細々ながらも店を開け(うちは商店街にあるのです)、モノは売れずとも、訪ねてくれる人とのやりとりによって生きている。

だからうちの実家にも生活保護をくれという話ではない。

こういう社会福祉の問題では、必ずといっていいほど「家という資産があるではないか」という話が出てくる。しかし、人にとって住む場所というのはそう簡単にお金に換えられるほど単純なものではないということが言いたいだけだ。

お金は使えば無くなってしまう。お金に換えるということはすべてを失うことにつながる。なのに、すべてをお金で換算する社会では、「お金に換えれば大丈夫」という考え方が蔓延している。生活保護の不正受給に対する世の中の過剰なまでの反応と「なら俺もくれ」的な発想は(冗談にしても)、そういうお金至上主義の副産物ではないかという気さえする。


最後に、生活保護の問題に戻って一言。

長年テレビの現場で働いてきた私が私情も交えて言うとすれば、芸人は先行き不安という気持ちもよく分かるが、テレビに顔を出しているというメリットは大きすぎるくらい大きく、心配ならお金のある今のうちに飲食店でも何でも、落ち目になった時の準備しとけばいいのにー、奥さんもいるんやしやらせればーとも思う。私とて、組織にはいられず、有事には備えの無いダメ人間で他人のことなど言えないが、さすがに2000万とか3000万とかの年収があったら、2000万くらいの実家のローンは早く完済して、暮らせるくらいは親に送るぞーとも思う。どーも不器用でこれまで稼げなかっただけだ。

モラルの問題か制度の問題かなんて言っているが、制度に問題があることなど前から分かっている。それにこれはモラル以前。肉親の面倒を見るということさえ「モラル」と言われなければならなくなっていること自体がモラルの崩壊であると思う。

あー、ほんとはこれが言いたかっただけなのに、なんだかいろいろ書いてしまいました。



 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿